「「マリリンは好き嫌いが別れる、私には関係ない」」ブロンド とぽとぽさんの映画レビュー(感想・評価)
「マリリンは好き嫌いが別れる、私には関係ない」
ただの夢…ただの夢…なんて酷い夢なの、私の人生をこんな風にしたのは誰?マリリンは何を望んでいるの?良くも悪くも演技よ。2時間半以上ずっと靄がかかっているようだった。そして、その中をいくら手探りで進んでも決して出られることはなかった。終始陰々鬱々とした挑戦的な語り口は、もはや心理ホラーだった。
ベビーにはパパが必要、私のパパはあなたかしら?"彼女"は幸せじゃない。幼少の頃からずっと父性の欠如にさらされてきて、だからこそ父の面影、父という心の拠り所/支えを追い求めてきた。だって父親と名乗る人からの手紙が本物だという証拠もないわけで。夫のことを"パパ(Daddy)"と呼び、そうした代替の存在であったとしても彼に褒めてほしくて認められたくて頑張ってみせる。そうしてしまう、そうせざるを得ない。
ー泣いてる父より
冒頭の病んだ母から既にだいぶと本作のアプローチの遠慮のない恐ろしさを物語っているけど、作品通して見たときにもっと根幹からツラすぎて拒絶反応が出そうだった。
セクハラやレイプが罷り通る男尊女卑著しい性差別社会で、女性は"性"を全面的に押し出して売り物にするしか生きる術はないのか?精神を病んでいる人は他の誰かを演じたがる。あなたのお陰で世界が生まれ変わった。金髪という虚飾の象徴。マリリンから切り離せられなくて、いつまでもどこまでも付きまとってきては、モノ扱いされる。本当の意味でプライベートなんて無い名声。名作『お熱いのがお好き』などのときの彼女の情緒不安定だったというエピソードも納得した。
見ているこちらまで暗く辛く精神参りそうになる。伝記映画が公私の"私"にスポットを当てるのは当然だけど、これは流石に容赦なく行き過ぎていて、あまりに闇=病みが深く(憂)鬱。勇敢にも挑戦的で野心的で、ある意味では称賛に値する真に価値あるものかもしれないけど、やはりイチ観客として見たときに二度と見たくない。
今なおポップカルチャーに浸透し、世界中の誰もがその名を聞いたことあり知っているセックスシンボルとして(実体なく)"愛されてきた"=祭り上げられてきた"マリリン・モンロー"のノーマ・ジーンとしての本当の姿に迫り、生涯にわたってついて回ってきた葛藤や打ちひしがれるほどの絶望を体現するアナ・デ・アルマスの素晴らしい熱演。
彼女の存在が、『ジェシー・ジェームズの暗殺』という素晴らしい映画と『ジャッキー・コーガン Killing Them Softly』という観客ウケ最悪な会話劇を撮ってきた作家主義アンドリュー・ドミニク監督による突き詰めた解釈ビジョンと、ハイセンスな確固としたスタイルと陰々鬱々とした語り口から展開されるヘビーすぎる悪夢をどうにか支えている。カット毎に変わる画角、左右(上下)のマスクや、シーン毎に変わるカラーとモノクロ白黒世界など強迫観念的な演出。
スポットライトは君のもの、光の輪の中にいる
I changed my mind.
泣いている女は存在しない