サントメール ある被告のレビュー・感想・評価
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よかった。
ヨーロッパにもアフリカ系への差別は残っているのだなということと、
子どもを親の望みをかなえる道具的に扱い、親の意に沿わない子どもを簡単に切り捨てることに、
強い憤りを感じた。
切り捨てられた子どもが若い女だった場合、その性的価値に集る愚か者を宿主にして、寄生する以外、生きる術ないよなって思った。若い女だから性的価値が高いとか、そういう価値観は、否定したいけど。
被告ロランスの境遇に、私は同情せずにはおれず、彼女の父母や、娘の父親である嘘つき・事なかれ男に、腹が立った。もう一人の主人公であるラマの恐れにも、強く共感した。
この映画は実際の裁判記録をそのままセリフに採用しているため、ロランスの言動の一貫性のなさなど、
虚構の物語であれば描かれなかったであろう部分に、ひっかかりは感じる。が、その一貫性のなさも事実
であるので、意味を考えてしまってより前のめりになった。
ラマの子ども時代の回想は、境遇が全然違うけれども、女三界に家なしという言葉が離れなかった。
私の母も、ラマの母のように、搾取され搾取され搾取され、その痛みを娘へぶつけて何とか永らえていた。
ぶつけられた痛みはもちろん忘れられないし、長じたのちは、母が味わった苦悩がより鮮明にわかり、さらに複雑な気持ちを抱いている。
男だったら生きやすいかと言ったら、そんなこともないんだけどね。
大体、人間が生きやすく、幸せになる為の世界かってゆったら、多分違うしね。
この世は、なんでかこうで、すべてものが何のためにあって何のために消えてゆくのか、わからない。
分かんないところで生きていくのが辛すぎて、人間は、何でとか、どのようにとか、どんなふうにとかっていう枠を勝手に作ったんじゃないかなって思う。で、自分たちで作った枠組みに、自分たちで苦しんでるってことかなって。
映画とは全然関係のないところに、考えが飛躍してしまったけど、この映画も2023年にふさわしい映画だったと思う。
フランス北部の小さな町サントメールで、ある裁判が開かれようとしてい...
フランス北部の小さな町サントメールで、ある裁判が開かれようとしていた。
被告は、生後15カ月の娘を夜の浜辺で殺害した罪に問われている、セネガル出身の女性ロランス(ガスラジー・マランダ)。
元留学生で教養もあり、フランス語も母語同様の完璧さ。
だが、裁判が続くうち、彼女の証言に曖昧さや矛盾が現れるようになってくる。
同じ黒人で、若い女性作家ラマ(カイジ・カガメ)は、裁判を傍聴するうちに、どこかしら身につまされる思いがしてくる。
その正体・本質は・・・
といった内容で、実際に起こった事件を題材に、裁判でのやりとり・台詞は証言記録からとられたものだという。
監督は、被告と同じくセネガル系フランス人女性監督アリス・ディオップ。
ドキュメンタリー畑出身で、傍聴する女性作家ラマが監督の分身と言えるでしょう。
さて、上述のように、ロランスの証言に曖昧さや矛盾が現れるようになってくる・・・となると、エンタテインメント系映画では「彼女が犯人か否か」というのが焦点になって展開するのだけれど、本作ではそうはならない。
ちいさなことから学生でいられなくなったロランスは、死んだ娘の父親である年老いた男性(みるからに老人なのだ)のもとに寄宿し、そののち、意図せぬ妊娠をしてしまう。
産むか産むまいかの末、出産するのだが、娘の育児はじぶんひとりがすると決意する。
そこへ至るロランスの心情は、頑迷や困惑、懊悩が入り混じり、他人・第三者の目から見れば「矛盾」としか見えないのだが、結果として、そうしてしまわざるを得なかった。
エンタテインメント映画だとわかりやすい解決へと観客を誘導するが、それはあくまでフィクションの世界で、現実の世界では割り切れないことがほとんどである。
その矛盾の心情を観客に伝えるのが傍聴人のラマの役どころで、彼女が裁判を傍聴する動機ははじめのうちは描かれない。
若い作家の野心のようなもののように見えるが、映画中盤でラマも予期せぬ妊娠をしており、そのことをパートナーに打ち明けられない。
それは相手との関係もあるが、自身のキャリアの問題もある。
ここにきて主題が浮き上がって来る。
女性の生きづらさ、かてて加えて、移民女性の。
主流社会とは些か隔たりを感じる女性たちの。
それも、まだ若い、未来ある女性たちの。
最終盤近くに流れる「リトル・ガール・ブルー」の曲が切なく、図らずも涙する。
ロランスもラマも「リトル・ガール・ブルー」だ。
傍に「テンダー・リトル・ボーイ・ブルー」がいたか、いなかったの違いだが、その違いは大きい。
だれもが、だれかに寄り添ってもらえる、そういうやさしい世界が来ることを切に願う。
もっと骨太の法廷劇だと思ったら
そもそも主人公であるラマさんは、ジャーナリスト?ルポライター?なんのために傍聴しているのか?被告人は貧しいセネガル人かとおもったら、教養も高く裕福な家柄で、セネガルから留学でフランスに。後半はよくわからん流れに。半分寝かかりましたよ。
文化の温もりは
Saint Omer
昔から街に溢れる声に天命を受けたように海へとたどり着く。
彼女は、呪術に代表される黒人文化、出自からの逃亡を果たすために、哲学を修めていた。
そのフランスでは、愛した白人男性との間に子を儲けたが、存在は直ぐに磨耗した。
聞き手の主人公に視点を移している。文化は糾弾される。温度と、本当の意味を取り戻すのは離れた世界、映像は遠い寒空を写している。
一定の法律の知識は要求されるので注意(映画内で触れられていない結末等、補足入れています、ネタバレあり扱い)
今年240本目(合計891本目/今月(2023年7月度)26本目)。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))。
※ おことわり: 本映画の趣旨として、「描写が中途半端で終わる」という事情があるため、大阪市立図書館等で調べた内容を追記しているものであり、個人攻撃(特に、被告の女性に対するもの)を意図したものではない点は書いておきます。
さて、こちらの映画です。
ほぼほぼ9割裁判所での話になりますし、そこで交わされる内容は、ある罪に問われた(この点、あとで補足)女性との第一審を描いた映画です。
その結果、一定程度(日本の刑事ドラマ等を超える程度)の法律の知識(ほぼ、刑法と刑事訴訟法)の知識が要求されるのが厳しいです。映画内では明確に法律ワードこそバンバン飛んできませんが、暗黙のうちに出てきたり前提にされている部分もあります。ただこれを学習する機会があるのは司法試験(予備)だけで、そこまでの知識があるリアル視聴者は超レアで、どういっても行政書士資格持ち(行政事件訴訟法のみ学習。要は、裁判所の手続きに関するルールの一類型を把握している、というもの)が事実上上限になるんじゃないかなぁ…といったところです。ただ、「深い理解」をするならそれが必要であるだけで、法律ワード「それ自体」はほとんど飛んでこないので、理解うんぬんを別にすれば、一応にも「みやすい」映画ではあります(これが「極端に」厳しかったのが「シャイロックの子供たち」で、抵当権抹消だの何だのマニアすぎる語が飛んできてビビった…)
映画の描写としては、どうしても存命している人物である以上、あまり深くあれこれあることないことかけず、妙なところで終わる事情もあり、その事情を知らないと、本当に珍妙なところで終わるので???な展開になりかねず、ここはうーむといったところです。最低限必要な知識だけは後に入れておきます。
採点対象として気になったのは以下の通りです。
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(減点0.3/タイトルがやや不正確)
・ 「日本でみる場合」、民事訴訟の相手方は「被告」、刑事訴訟の相手方は「被告人」であり、この2つは違います(「人」のありなし)。本当に細かい点なのですが、日本で見る場合、刑事訴訟法を想定してみるしかないため、この違いは民事で争うのか刑事で争うのかの理解のハマりにつながるので(ただ、展開的に民事でないことは明らか)、少し工夫が欲しかったです。
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(減点なし/参考/映画のそのあとのお話) ※ 情報ソースは大阪市立図書館ほか
映画内ではおそらく個人の尊厳を尊重して結末がぼかされていますが、当時のニュース報道、新聞報道(日本ではほとんど放映されていない)によると、2016年6月に「心理プログラム受講を義務付ける懲役20年」の判決となっています(海外の新聞ほか)。
※ 日本では、同じ類型の事件は、主に保護責任者遺棄致死になりますが、この類型で無期懲役になることが考えられず(ただ、フランスでは無期懲役がありえたとのこと。当時の刑法)、そこは日仏の違いなのかな、とは思えます。
判決文(第一審で確定?)は読もうと思えば読めるようですがフランス語なので当然厳しいです。ただ海外でも注目を集めた事案で、「アフリカからの渡仏者で、支援を得ることができなかった」「被告人の発言に多少なりとも不自然な点があり、弁護士が主張するように何らかの教育的プログラムを受けさせるのが適切」という点が判決に考慮されたようです。
また、第一審の裁判所等の判断によれば、「渡仏した事情があり、会話において、会話で使う語彙とレポート等で使用する語彙の区別がついておらず、裁判官も一般市民(いわゆる、日本でいう裁判員制度のそれ)も理解が困難だった」(このことは、渡仏に限らず、日本語学習者でも生じえます)といった「裁判において正常な主張ができなかった可能性がある」点が考慮された一方、「フランスの地域ごとの潮の満ち欠けの表(日本では、理科年表等が該当)を所持していた」点が認定されていて、上記のような判決になったようです。
なお、映画と実際の裁判では当然登場人物が異なり、映画内では女性の方が妙なまでに多いのですが、この点は「たまたまであり、何らかの意図があるものではない」ようです(仏版公式サイト等に言及あり)。
【”仏蘭西の中に厳然として有る意図せぬ黒人差別を描いた作品。そして、母と娘の本質的な関係性を描いた静的な法廷劇をメインにした作品でもある。そして、そこから見えてくる現実を考えさせられる。”】
ー 印象的なのは、今作の法廷に登場する人物は、生後15か月の娘の殺人罪に問われた若き女性ロランスと、彼女の母。そして、女性作家ラマ以外は、裁判長、弁護人、検察官や聴衆を含めて全て白人であることである。
これは、アリス・ディオップ監督による意図的なキャスティングであると思う。
更に、資料によるとアリス・ディオップ監督の母親が、事件を新聞で知り、サントメールで開かれた裁判を傍聴した際に、白人たちから背を向けられた経験も取り入れているそうである。ー
◆感想
・裁判シーンが8割を占めるが、ロランスを含めた証言者たちの証言内容がコロコロ変わる事に、やや戸惑う。
・ロランスは、殺害理由を問われ
”娘を海岸に置いた。けれど、私に責任があるとは思えない”と言い放つし、ロランスの夫の歳の離れた初老の”白人男性リュック”は”娘が出来て嬉しかった。”と言うが、ロランスは”彼は、大切な場にも私を連れて行かず、紹介もしなかった。”と述べる。
ー 推論だが、ロランスの夫リュックは、ロランスを内縁の妻として扱っていたのではないかと思う。故に、世間体を考え、親類に正式に結婚したと紹介をせず、娘が生まれた時も”本当に私の子か?”などと狼狽して言ってしまったのではないか。-
■仏蘭西の中に有る意図せぬ黒人差別
・いろいろなシーンで感じられるが、一番分かり易かったのは、ロランスがセネガルから希望を持ってやってきたのは、ウィトゲンシュタインの哲学を学ぶためであった。
だが、ある女性大学教授は笑いながら
”セネガルから哲学を学びにやってきた?あり得ないでしょ。”
と証言台で宣うのである。極、自然に・・。
ー これも、推論だがロランスは仏蘭西に来てから、あらゆる文化の壁、黒人差別を経験し、更に望まぬ妊娠をし、全てに絶望していたのだろうと思う。
セネガルからの仕送りも途絶えて・・。
故に、女性弁護人が彼女に掛けた言葉を聞いて、法廷で初めて泣き崩れたのであろう。-
・証言者の中には”フランス人化が成功の鍵。彼女のフランス語の発音は完璧だが、筆記が未熟”と答える女性もいる位である。
・今作では、女性作家ラマとロランスの母親との関係性もキーである。法廷で初めて会ったにも拘らず、翌日には一緒にランチをし、ラマは”妊娠しているでしょ”と誰にも言っていなかった事をズバリと言われて、うろたえる。
更に、裁判中、常に不機嫌な表情だったロランスが、ラマと目が合った時だけ笑いかけるのである。
<今作は、容易な作品ではないが”仏蘭西の中に有る意図せぬ黒人差別”の数々を暗喩させるとともに、母と娘の複雑な関係性も描き出している。
ラスト、ラマがソファで寝ているロランスの母親の寝顔を見ながら、優し気に手を握っているシーンが印象的でも有った作品である。>
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