裸のムラのレビュー・感想・評価
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よかった
コロナ渦での石川県のスケッチのような映画だ。
カーライファーのお父さんが、最初はしゃらくせえと思っていたのだけど、ずっと見ていると子どもがいる横で仕事をし続けていてすごい人だ。僕も子どもは好きだけど、あんな状況で仕事はできない。本当に頭が下がる。娘さんとママさんがともにすごく明るい人で、素晴らしいことだ。
馳浩はデビュー時から見ているのだけど、議員ぶりは自民党っぽくて硬い。ずっと昔、スタイナーブラザースの試合の解説をしていた時に、裏話をズバズバしてすごく面白かったのに、今はこうなのかと、そうじゃないとやっていけないのだろうか。
政治が役割を果たしていない
谷本前知事も馳知事も森喜朗さんも安倍さんも、政治家であり続ける以外に使命というものがある/あったのだろうか。
日本に住む外国出身の人への差別、宗教への偏見、家父長制が残る家族環境。こういった人権問題を放置しておくと格差拡大、貧富の格差拡大につながり治安が悪化する。
こういった問題こそ政治が取り組むべきことでしょう?
いい加減、長期政権、世襲をなくせや!!
と強く思った。
五百旗頭監督の前進、と、くだらない社会に邪魔されて生きてるって実感
裸のムラ。
はりぼて、は公開時に見逃し、なかなか見るまで長い道のりだったので、裸のムラは急いで見に行った、急ぎすぎて、監督のトークイベントを逃した、、、
はりぼて、みたいに、見るに堪えない無様で迷惑害悪な政治家のおっさんたちばかり見せられるのかと、やや覚悟していたが、流石の五百旗頭さん。見事にダッピされて、新生五百旗頭ワールドを提示。映画の内容そのものより、富山から石川に移り、それだけではもちろんない、五百旗頭さんの世界観を自ら大きく揺さぶりアップデートしていくその在り方、そのような第二作という点に感銘を受けた。
おっさんたちの汚い姿もしっかり捉えられているのだが、今回は女性たちが、赤ちゃんから40代?50代の堂々たるマイノリティ的生活者たる方まで、さまざまに登場して、えっ??そういう映画なん??とあげそうになる。市井に生きるヒロインたち。主体的に自分の価値観や夫の価値観を生きている女性たちに対し、クソ知事たちが演壇で飲む水の水差しの水滴をひたすら拭き取りその布巾をたくみにあやつりコップをのせる県庁職員の女性の自虐性というたら申し訳ないがくだらなさ、もうここに生かされているんだよね私らは、て、苦笑いも出ないくらい事実の辛さ。
たくさんのお笑いポイント(政治家の方)微笑みと苦笑ポイント(家族パートと、五百旗頭さんパート)あり。
モスリムのインドネシア人ママと、ママに優しい日本人パパ、様々な苦労苦悩が感じ取れるが逞しく成長していく子どもたち。ママは客観的に日本人、日本社会のおかしいところ、を語る。閉鎖的ムラ的、だが、真の意味での共同体ではないダメさやるせなさを冷静に語る。怒る時は怒り愛を求め仕事場ではおばあちゃんたちのアイドルのようである。そんなヒクマさんは忖度しないが、過度の期待もしない。夫はモスリムとして地元でモスクを建設運営しコミュニティを作ろうと奮闘している。
バンライファーという生き方をしている人しようとしている人。
旅するカップル旅好きな2人なので、自然な成り立ちから家族の暮らしもそうなりバンライファーを自称しバンライフのサポート宣伝している方とその家族、実は子どもが2人いて子どもさんの学校もあるし、バンは仕事場、上の子も乗せてこの新しい生活スタイルをさせながらも 定住生活もしている、今風に、同調ムラ圧力の世の中いわゆるフツーの暮らし方からアップデートして新しい生活スタイルを広め実践していてその実現化のための経済活動もすごい能力も努力もある方だと思う。子どもへの接し方が、まあ個人的な嗜好のレベルである意味家父長(妻が使った言葉) 的であったり妻がその方のことを旦那さん、というあたりがやはり私には、先端の生活者でも、、、と思えてしまうがこのような普通の生活者、家族を捉える方も捉えられる方も大変だろう、、、私みたいにちょっと気にしながらも、映像の中の人に勝手なこと述べたるするわけだし。もう一組の、夫婦と犬のバンライファーこちらは初心者。勇気を持って新しい生活、真の自由をもとめて脱サラしたが、仕事のあてもなく、コロナで自由な移動が難しくなり、狭い車内でかえって不自由な自分達を実感されている。それぞれに、外圧的ムラも、うちなるムラも、抱えており、ドキュメンタリーでもやらせをするんだなと言って五百旗頭さんがそのような被写体の感じ方にどきりとしたり、ドキュメンタリーとは何かを説明するくだりあり、長期政権知事の交代劇、記者会見で挙手質問するもアウェイ感しかないシーン、長期政権幕引き迫られ次の県庁の主もとんでもないやつだったり、と、
我々は胸糞悪いムラ社会の集積アップデートなき沼に暮らしていることをまざまざとみせてくれ、一見関係なさそうな家族たち(単位が家族というのも、、、なんとも、、、うまく言えないがなんか歯切れ悪い気持ちしか残らないのだが)それぞれの取材素材が五百旗頭さんの作品の中で塊として、どこかで繋がっちゃってることを確認する。
そう、ほとんどの裸のムラ国の、裸のムラ事象はあまり偶然ではなく絡み合う必然ではないか。まさにこの夏、安倍晋三が手作り銃で撃たれ、その結果日本中が統一教会に気付いたり思い出したりしていることもそうなんだろう。
バンライファーが、ノマドとは全く違う背景であること。インフラや制度の有無の問題ではなく、マインドのなさ貧しさ許容範囲の狭さからのスタートがまだできてない。
ヒクマさんの言葉、考えは全くぐうの音も出ない正論である、が故に、日本社会では正論は言わないことになっているからなにも変わらないということ。、
内容を全部書き留めて覚えとしたいくらいだが、とりあえず鑑賞後の雑感。
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