「大いなる自滅」呪詛 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
大いなる自滅
受け手を怖がらせるためならどれだけセコい演出を講じても許されるのがホラー映画だが、それが空回りしたときの失望は大きい。
本作では、作中で幾度となく唱えられる破邪の呪文が実は邪悪を呼び寄せる呪文だったというミスリードが行われる。ここではファウンド・フッテージのフォーマットが活用されており、主人公の母親がネット上の大衆に広く訴えかけるという体裁で受け手に何度も呪文を唱えさせる。これによって虚構と現実が地続きとなり、最後のネタバラシが作品内世界のみならず現実の我々にまで影響を及ぼす、という仕組みだ。
ただ、こんなものは別に目新しくもなんともない。虚構と現実の混線を表現する方法なら他にいくらでも優れたものがある。一例を挙げるならフェリーニの『カビリアの夜』のラストシーンでカメラ(つまり我々)を一瞥するカビリアのほうがよっぽど鮮烈だし恐ろしい。したがって女児アニメの劇場版作品にありがちな「みんなでミラクルライトを振ってプリキュアを応援してね!」的な大仰な前フリをわざわざ講じる意味があるとは思えない。
しかもこの「演出」を作中で何度も何度も繰り返すものだから、受け手も次第にそれが伏線であることに気がつく。気がつくだけならまだいいが、その伏線の正体までもがはっきりと見通せてしまう。というかそもそもの話、「ホラー映画」なのだから「これは聖なるおまじないです」といって提示されるものが本当に聖なるおまじないであるわけがない。そこにどんでん返しを仕込もうという企み自体が間違っている。
しかし物語はそうした受け手の冷めた視線を一顧だにすることなく、あたかもすべての受け手が最初から最後まで騙されている前提で進行していく。ラストのネタバラシシーンでは作り手の満面のしたり顔が目に浮かぶ。伏線の張り方がこれほど杜撰であるにもかかわらずなぜそこまで自信満々でいられるのか。受け手をバカにしているとしか思えない。
扱いきれないメタ演出を組み込むくらいなら『REC』のようなストレートなPOVに徹するか、『女神の継承』のような擬似ドキュメンタリー程度に留めておくべきだったと思う。単なるファウンド・フッテージものとしてはかなり出来がいいだけに残念だ。くだらない稚拙な「演出」さえなければ稀代の名作になり得たかもしれない。
ジャンル映画にありがちな「新しいことをしなければ」というオブセッションに囚われるあまり無意味な自家中毒を起こして自滅している映画だったように思う。焦って闇雲に突っ走り、散々使い古された遺物を堂々と掲げてしまうような愚行を犯さないためにも、まずは落ち着いて歴史の蓄積に目を向けてみたほうがいいんじゃないすか(害悪シネフィル並感)