「言葉にできない表現」わたしの見ている世界が全て R41さんの映画レビュー(感想・評価)
言葉にできない表現
人は皆、「わたしの見ている世界が全て」なのだろう。
そのことを4兄妹を通して描きつつ、主人公ハルカの自信満々に考えてきた「世界観」に亀裂を入れている。
他人のことはよく見えるのに、自分のことは間違いだらけ。
殆どの人がそうだと思う。
さて、
ハルカにとってビジネスとは簡単なものだったが、使えない人間がいる所為で失敗することに嫌気がさしていた。
そうして走ってきたが、上司にパワハラを咎められ、まさかの自分が悪者となったことで退職した。
すぐさま一緒にやってきたケンタロウと新ビジネスを開始する手はずを整えようとする。
同時期に母が死に、実家を売れば資金になることを閃き、兄妹の了解を得るための工作活動を始めた。
長男の結婚、長女の再婚、次男の就職…
ハルカはそのために彼らの人生に介入しながら実家の売却を目論む。
彼女から見る兄弟たちはそれぞれにわかりやすい問題を抱えていて、ハルカのアドバイスや介入でうまくいくものの、肝心の自分のビジネスには大きな問題が起きてしまう。
ケンタロウ抜きではできないビジネス。
何故ケンタロウは姿を見せなくなってしまったのだろう?
それは社長安藤の言った2人目のパワハラ被害者に隠されていたように思う。
つまり2人だけではなかったということだろう。
物語の中ではケンタロウに含みは会ったものの、決定的な出来事はなかった。
しかし、
頭金の融資先のことがケンタロウを悩ませていたこと、全てハルカの指示通りになってしまうことに、ケンタロウは辟易していたのかもしれない。
仕事そのものが面白いのと同じくらいのベクトルで、自分自身を殺していたのだろうか。
または、ハルカの母の死を知らそうともしなかったことが、彼女の人間性を疑ったのかもしれない。
この人を信じていいのだろうか?
これがケンタロウの純粋な疑問となった可能性はあるだろう。
そして、
ハルカ以外のすべての姉弟が新しい道を進み始める中、一人実家に取り残されたままの自分がいた。
考えて見れば長男の結婚問題も、長女の再婚問題も、次男の就職問題もすべて、ハルカの当初の目論見とは違っていた。
もっともっと複雑だった。
彼女はケンタロウにどうしても会いたくて、ビジネスなど関係ないから心配していると留守電に吹き込むが、彼からの返信はなかった。
何でもわかっていたと思い込んでいた。
人は皆、私の見ている世界が全てなのだろう。
そう思い込んで生きているのだ。
しかし人の心は一様ではなく、絶えず変化しながらも、辛くてもそこから出ようとはしないことも多い。
正しさなどはなく、いまそういう気分なだけなのだろう。
店に来た老女に、店を辞めたことを告げた後、その客を追いかけ「あの~」と大きな声で呼びかけた。
しかし、
「その先の言葉を、私は探し続けた」というセリフで物語を締めくくっている。
言葉にできない心
老女に「今までありがとうございました」と言いたかったのか、まさか「またリニューアルします」と言いそうになったのか、それとも単に「兄に伝えておきます」と言いたかったのか…
おそらくすべての可能性を「あの~」に乗せたのだろう。
この彼女の衝動的な行動は、自分自身を新発見したとも取れる。
退職して、新ビジネスもポシャり、何もかもなくなってしまったハルカに残ったものを、彼女は考え続けていた。
自分でも思ってもみなかったこの「衝動」
その答えはもしかしたら「家族」だったのかもしれないと、ハルカは気づき始めたのかもしれない。
母の葬儀の挨拶に悩む長男に「あの人と同じでいいんじゃない」と言ったハルカ。
あの人とは父
父も母さえも蔑むようにしてきた。
そうして兄妹さえもすべて外に出した。
それは確かに結果的によかったことだった。
そうして全てを捨ててしまった彼女にも、客だった人が訪ねてきたことが彼女を突き動かしたのだろう。
その本心は彼女自身にもはっきりとはわからない。
ただ、衝動が起きた。
でも、「その先にある言葉を」、彼女は今から「探し始める」のだろう。
この深い含みと言葉にならない表現こそが映画の最大の魅力だと思う。
よかったと思う。