そばかすのレビュー・感想・評価
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自分らしくいることで
恋をするのが普通と思っている人たちは決まって、「好きなタイプは?」「彼氏いる?ほしくないの?」などと聞いてくる。少数派のひとたちは、大多数派のひとたちに”普通の人たちにとっての前提”で聞かれてしまい、その場の取り繕いで嘘をついてしまう。変な人とみなされてしまったり、本心を言っても信用してもらえないことが多いから
そんな普通な人たちに囲まれながら生活している佳純はとても生きづらそう。
ひとりひとり人間は違う、ゲイだからって一括にまとめるが、少しずつみんな違う。
カテゴライズ、枠にとらわれないふうに言うと、陽キャ陰キャ、いじられキャラ、真面目キャラ、多面性があってこそ人間なので、ひとつのカテゴリーで括れるものではないと思う。
だがカテゴライズが悪いばかりではなくいいように作用することもあると思う。
アセクシャルとかゲイとかいう固有名詞もそういうひとが声を上げたことで生まれたもの。自分と似た人や同じ人がいるっていうだけで心強かったり安心できたりする。
自分らしくいるということで他人に勇気を与えることに繋がることもあるんじゃないか?と思わせてくれる映画。
それでいいんだよ
これを見る直前に「正欲」を観たのだが、正欲での神戸八重子を重ねてしまった。八重子と佳純は真逆の性格だけど、他者(男性)に恋愛感情を抱かないという点で共通がある。
八重子はそもそも男性が苦手で近くにいるだけで発作を起こしてしまうような体質だが、佳純はそのようなナイーブさは持ち合わせておらず「自分は自分だ」という芯が通った性格。三浦透子さんのあのずっしりとした構えと貫禄のあるお芝居にはなんだか安心した。(ドライブマイカーでは虚無感が漂っていたが、本作では色んな感情が表れていてとても良いです。)
目の前に男と女がいたら、何らかの関係性を見い出したくなってしまうのが人間の性のように思える。恋人?夫婦?それ未満の関係性?…そのほかにも兄弟とか友達とか、友達じゃなくてもただの同級生とか、男女関係以外の関係性ってあるはずなのにね。あってもいいのにね。なぜ私たちは枠に当てはめたがるのだろうか。
佳澄を見ていると、「それでいいんだよ」と声をかけたくなる。家族に色々言われてもそれでいいんだよ、チェロを辞めてその後にまた弾いてもいいんだよ、自分の感情と無理に向き合わなくてもいいんだよ。 そう思えたのは、うつ病の父が佳澄に向ける眼差しや慰めの言葉があったからかもしれない。自分のことで精一杯なはずなのにさ、娘のためにチェロ手入れして…。父娘の何ともない短い会話が温かみに溢れていてとっても素敵だった。だから途中から、あの父のような目線で佳澄を見ていたのだなぁ。
あと、前田敦子さん演じる世永が実の父親に向かって激昂する場面があるのだが、あの迫真の主張も素晴らしかった。耳を本当に真っ赤にしながら、心臓から拳が出てきそうなくらいの演技…胸を打たれました。
恋愛なしで生きていく。
恋愛感情を持つことができない女性の物語。
こういう設定の場合、その感情に逆らって、無理に恋愛しようとして
失敗する。そんなストーリーを思い浮かべてしまうのですが、
この作品は、その逆。自分の感情を受け止め、正直に生きていく
女性の姿を描いています。ただ、このパターンの方が、
ストーリーが単調になって、中だるみしてしまうんじゃないかな。
いい映画だと思うのですが、ちょっと退屈でした。
価値観の衝突
蘇畑佳純、30歳。
周りは次々と結婚し、妹も結婚して子供を授かる中で、全く恋愛や結婚の気配がない彼女に対して、母親はしつこく結婚を勧める。
しかし、彼女は恋愛感情や性欲が全く湧かない体質であり、人生において恋愛や結婚をそこまで重要だとは考えていなかった。
そんな彼女の葛藤の日々の物語。
いわゆるアセクシャルと呼ばれるセクシュアリティの人の話。
よくセットでアロマンティックというセクシュアリティも聞くけれど、佳純の場合は恋愛感情も性欲もないということなので恐らくアセクに分類するのが正しい。
とにかく恋愛しない人の映画な訳だけれどものすごく良かった。
近年、こういうセクシュアリティがあることが世間的に認知され始めてきていて、『恋せぬふたり』とか『今夜すきやきだよ』とか、この問題を取り扱う恋愛しない作品が多く作られるようになった(かくいう私も恋せぬふたりでこのセクシュアリティを知った)。
確かに素直に考えれば恋愛しない人もいて当然だなと思うわけだけど、今まで生きてきた中で恋愛することが当たり前、結婚はした方がいいと常識として固定化されているから、それを突然ひっくり返されて困惑するのもごく普通の反応だと思う。
極端な例を挙げれば、「自分が生きていくために必要ならば人を殺しても構わない」といきなり言われるようなもの。それは拒否反応を起こす。
お見合いで出会った彼についても、全てを肯定することはできないが、完全に否定もできない。
ただ、価値観は時代とともに変わる。
「今の若者は恋愛しない」などとよく言われるが、それは時代が変わったからであろう。
昔は家を継承するために無理矢理にでも結婚させられたわけだし、男は外で働き、女は家で家事や育児を行うのが当たり前とされてきた。
しかし今は違う。気軽に個人が声を発せられるようになった。多様な価値観に寛容な人間が増えた。
それこそ先ほどの大袈裟な例は戦国時代では善であるが現代の価値観ではない。
だいぶ脱線したが、ちょうど今はその転換点にいるのだと思う。
まだまだ恋愛至上主義のこの世の中。
男女の関係において恋愛関係はつきものだし、なんだかんだで1番盛り上がるのは恋バナ。
映画やドラマにラブが必要不可欠なのが現状だし、親や周りからはただ結婚や出産のプレッシャーがかかる。
ただ、そういうのが嫌な人もいるしできない人もいるのだと、心の片隅に置いておくだけでも違うと思う。
こういった作品が視野を広げてくれる。
心のキャパシティを増やしてくれる。
多様性などという綺麗な言葉で区別し、“特別”にするのではなく、日常の中に“普通”として存在できる日を心から願って止まない。
ここまで熱く語っといてお前はなんなんだと思われそうだが、私は結婚もしたいし恋愛も好きな恋愛を中心に生きてきた人間だ。
何故この話にそこまで興味があるかと言えば、この話が決して遠いものではないから。
実際、自分にはアロマ・アセクの知り合いが数人いる。
そういった人は思っている以上に多いと思う。
結婚したくないという人も多い。
自分の大切な人も現にそうであるし、若者の中では既に“当たり前”なのかもしれない。
内容もさることながら、三浦透子の主人公たる存在感が何よりも素晴らしかった。
役者としてアーティストとして、演技を超えた何か真に迫ってくるようなオーラがただ者ではない。
音大卒でチェロが弾ける主人公だが、物語終盤で一回だけ演奏するからこそとても胸に響く演奏だった。
チェロは人の声色に一番近い楽器らしい。
スピーチが苦手な彼女の声としてしっかり聴こえる。
人前で話すのは苦手、クールで感情を表に出すこともあまりない佳純ではあるけれど、真の通った意思と身に受けるネガティヴを跳ね返す心から幸せそうな感じが堪らなく良い。
前田敦子は本当に良い女優になったなと感じた。
友情出演の北村匠海は結構キーパーソン。想像以上に出演時間あって少し驚いた。
最近『手』のような、女性主人公が無口な父親と心を通わす的な話に弱い。
ノットヒロインムービーズの第三弾。
実はこのシリーズ、3作品とも新宿武蔵野館の同じスクリーンで観た。
そばかすを昨年中に観れなかったのは少し悔しいけれど、このシリーズ3本には武蔵野館の匂いが私の中でしっかりと焼き付いている。
シリーズを通して総合的に言うならば『わたし達はおとな』がベストだが、作品としては本作が1番好きかもしれない。
シンデレラの紙芝居の下りは少しモヤモヤしたが、本当に様々な価値観や考え方の扉を開いてくれる作品であるように思う。
メ〜テレ製作のこのシリーズがまだ続くかどうかは分からないが、ひとまず。
良いものを見せてくれてありがとう。
邦画はまだまだ終わっちゃいない。
なぜ蘇畑さんは皆んなに話しかけられるのか
恋愛感情を持たない蘇畑さんの話
逃げ腰の彼女は常に“ステイ”の姿勢でいる。
だから、周囲の人物が声をかけることでしか
話が進まない。
だから、保育士でゲイの友人や
元AV女優の同級生に唐突に声をかけられ、
保育園で働いたり、アクティビティに行くなどして
話が展開していくのだ。
それが何とも不自然だったが、仕方ないのだろうか。
また、作中でシンデレラは男性視点の話だと言及されるが
本作での前田敦子の存在は男性視点になっていないと
言い切れるのだろうか。
都合よく出てきて都合よく仲良くなって
都合よく女性視点を持ったまるでミューズのような
優しき存在。
何より、父に向かって感情を爆発させるシーンの最後、
何も言葉が浮かばなくなった彼女が「…ばか!」と
まるで学が無いように描かれているのが若干気になった。
ただ、本作は人を変える力を持つと思う。
登場する人物の至る所に腹が立っていたが、
もうああいう態度を取ったり偏った認識を持つことは
なくなる可能性が見える。
最後には、彼女の創作を通して
この世のどこかに同じ考えを持った人がいて、
その人を救っていたことが明かされる。
この映画がまさにそうである、というように。
三浦透子が演じると、本当にそういう人に見えるから凄い。伊藤万理華の妹も、姉妹感があって良かった。
ただやっぱり前田あっちゃんとの関係だけがなんだか不思議。もっと生々しい話とかしないのかな。職業がそうだからとかじゃなくて、同じ生物学的女性として。
ラストがぬるい
序盤は会話劇でもってくんだよね。そこで出てくる台詞の自然さが、現代口語演劇っぽかったから、玉田真也監督が手を入れてるんだと思う。観てると青年団の俳優がたくさん出てきて楽しい。
その面白い展開の間は「蘇畑さんにモテ期が来たって話かな」と思って観てるんだけど違うんだよね。蘇畑さん、アセクシャルだった。そこをそんなに声高に主張しないで、淡々ともっていくのいいね。
恋愛映画だったら、誰かと結ばれそうになって終わりでいいんだけど、アセクシャルの場合は、どうなったらいいんだろう。そこは、難しそうだったな。
この映画も「ここでエンドロールで良いのでは」というタイミングがいっぱいあるんだけど、続いてくんだよね。そして最後に「北村匠海が出てくれるんならシーン足そうかな」ぐらいの感じのシーンでラストにしちゃう。ぬるかったな。
シーンは舞台っぽくて面白いんだよね。前原瑞樹が浮気を問い詰められるシーケンスとか、舞台で観たら絶対楽しい。
他にも舞台みたいな会話劇のシーンが多いんだけど、良く分からないカメラのアングルがあるのね。なんか「映画はカメラ動かせるから、動かしてみました」みたいな。
引きの画のワンカット長回しで、ワンシーン、ワンシーンが舞台のようにみえるつくりの方がいいんじゃないかな。玉田企画・主宰、玉田真也監督の力も活きそうだしね。
自分らしく生きることの息苦しさと葛藤
恐らくこの映画は賛否が分かれるだろう。
「自分らしく生きることを真に訴える素晴らしさ」か、「終始単調な展開でつまらなかった」か。
僕は前者のタイプ。
僕自身、中学生からゲイだと自覚しカミングアウトもする人にはしている。
大半は「自分らしく生きていい」といってくれるが、それが一番生きづらいことは多分…中々理解されない。
幾らマイノリティを受け入れようとしてくれても、まるで「仕方なく」といった負の感情を如何しても感じて仕舞う。
今日の教育、テレビ、音楽。
理解してくれる人が増えるのは嬉しいが、何故か…こう葛藤が生まれる。
この映画はアセクシュアルをテーマに、淡々と過ぎる日常を丁寧に描いている。
全てすべてが理解出来る。
皆が普通に語る「結婚」、「好きな人」というものをカミングアウトしていない人達の前で隠さなければならない。
わからないわけではないが、「人と違う」というその苦しさを代弁してくれた。
結婚を迫る母と妊娠する妹。
でも主人公はそんな恋愛感情も性的感情もない。
普通に生きるだけで苦しめられる。
それでも彼女は自分らしく生きている。
ゲイとアセクシャルは違うものだが、同じようにマイノリティを抱える人だけでなく、今を悩む人全てに見てほしい。
疾走感というものを常に感じるものではないが、こういう「当たり前を当たり前に生きる」ことが「自分らしく」ということだとわかるだろう。
この映画の中で好きな言葉があった。
「髪は自分の体の一部だから、あんたには関係ない」。
主人公を叱る教師へ向けた友達の台詞。
…一番グサって来たね。
僕も必ず結婚の話が出てくる。向き合わなければならない。
逃げてばかりでも付き纏う「恋愛」の話。
僕も迷ったときはこの映画を思い出し、自分らしく生きたい。
多様化が進んで少数派が認められ、みんなが自分らしく生きて行ける世の中でありますように。この作品を観てそう願います。
予告を観てから気になっていた作品です。
自分は他の人とは違う。 …その自覚を持ちながら
生きている女性を描いたドラマ。
興味がわいて鑑賞です。
ヒロイン蘇畑佳純(=三浦透子)は30才。 独身。
妹は結婚しており現在妊娠中。
父はどうやらメンタル不調で休職中。
このヒロイン、独身でいるのには理由がある。
"他人に対して恋愛感情を持てない" のだ。
友人ならば 欲しい。
恋人は… 要らない。
同居家族がもう一人。 母だ。
結婚しようとしない長女に業を煮やし
無断でお見合いの席を設け誘い出す。 これは…。
お見合いの当日。思いがけず、
相手の男性にも結婚願望が無いことを知る。
意気投合する二人。
二人で美味しいラーメンを食べ歩くようになるうちに
男の心境に変化が起きていた。 …あーらら。
「結婚願望が無く 恋愛に興味が無い」
これまでも そしてこれからも それが佳純
これまでは けどこれからは… と変化した男
男は佳純に好きだと伝え
佳純は狼狽し、無理な事を伝える …すれ違う二人。
どちらかが悪い …そんな訳は無い
けれども 佳純は
やっと見つけた(と、思った)友人を失う。 う~ん。
その後
昔の友人(男)の紹介で保育士の仕事を始める。
子供向けにビデオ紙芝居を作ることになり
「シンデレラ」の話にうよう と決めるのだが…
昔の友人(女)と話をするうちに話が転がる。
従来のシンデレラは 「男目線のお話」 だわ。
「自分が書きたいシンデレラ」 を作ろう。 (…おーい;)
それを子供たちの前で発表するのだが…
ぽかん とした子供たち。
何これ? な表情の大人たち。
不穏な空気に、思わず再生を中止してしまう。
そして…。
◇
自分への理解と無理解。
「ふつう」を押しつけられることからの逃避。
理解を求める事の難しさ。
マイノリティという呼称で一括りにしないで と
そんな声が聞こえてくるような気がしました。
”一人一人 みんな違うんだよ
私のことを 良く見て欲しい”
そんな心の奥にある想いが
この作品を観た人に届けばいいな
そんな風に思える作品でした。
三浦透子の演技が素晴らしいと感じる
沁みる作品でした。
観て良かった。
◇あれこれ
■「そばかす」で頭に浮かんだもの
「赤毛のアン」
主人公アン=シャーリーは赤毛でそばかすの女の子。
永遠の名作です。
「るろうに剣心」
JUDY AND MARYの歌う主題歌のタイトル。
作品イメージとのギャップにびっくり @_@; でした。
「キャンディ・キャンディ」
堀江美都子さんの歌う主題歌は
そばかすなんて気にしないわ♪ で始まります。
少女漫画の名作。
■三浦透子さん
これまでの出演作品をほとんど観ていないのですが(…汗)
すごく個性を感じる役者さん と今回感じました。
「女性」の中に「少年的な一面」が同居しているような感じ
…とでも言えのやら
少なくとも、この作品の主人公には適役だったのでは
そんな気がします。
◇最後に
長年一緒に暮らした姉妹の間でも。
姉が同性の知人と暮らし始めると聞いた妹の
「お姉ちゃんレズビアンなんでしょ!」
「 (…違うっ) 」
これ聞いて、力抜けただろうなぁ…
人が人を理解するのは、とても難しい。
でも最後の場面にて
「(新解釈)シンデレラ」 の理解者
一人居ましたね。 良かった良かった。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
いま日本の社会に必要な思想、考え方、態度、全てが詰まっている
日本って異常な社会だと思う。
有名人が不倫をすれば朝から晩までその話題でもちきりだし、ちょっと前までは皇族の結婚がどーとかを何年もマスメディアは報道し続けていた。今でも、女性週刊誌の誌面を賑わせ続けている。
有名人が不倫するとあんたに何かしらの損得が発生するの?
そんなに他人のセッ○スに興味あるの?
アホちゃうか?
異常ですよ。
恋愛という個人的な事柄に、当事者以外が口を出すこと。恋愛や結婚をすることがしないよりも是とされる通俗道徳。それらの醜悪さ、グロテスクさをこの作品は克明に描きだしている。
特に妹の睦美が「お母さんの気持ちを考えなよ」と佳純を諭すシーンは鳥肌がたった。家族という身近な存在でも、個人の心情を理解することはできない。母や妹の佳純への無理解さは、家族という枠組みに特別な重きを置きがちな日本社会への痛烈な批判となっている。
反対に、佳純と父は互いに干渉しすぎず、無関心でもない。良好な関係を築いている。それは、お互いが理解できないものを理解しようと無理をしていないからだ。互いにわかるところだけ、わかり合う。それでいいではないか。
ときたまコミカルなシーンが挟まれるが、それがクドくない。まさに映像における「緊張と緩和」が非常に高いレベルで実現している。
中学時代のエピソードについて、単純に腹がたっただけだったと真帆がぶっちゃけるところもいい。
義憤や同情ではなく、単純な怒り。そういうプリミティブな感情の発露こそ、いまこの時代に必要なのではないか。怒りを通して、人は連帯することができる。むしろ、怒りこそ連帯に最も必要な感情ではないか。怒りという感情を悪だと決めつけて、抑え込むのが是とされる風潮を感じるが、我々はもっといろんなことに怒っていいし、怒るべきだと思う。
恋愛感情をもたないが、大好きな友達の真帆の結婚を心から祝福する佳純は美しかった。式のシーンもそうだが、同居解消した後に喫茶店を出て別れるシーンもよかった。
とにかく佳純の生き方は美しい。美しく生きるってことがなんなのか、映画を通して教えられた。
現代社会に対して批判的な作品内容だと思うが、鑑賞後は爽やかな気分に包まれていた。
玉田真也監督をはじめとしたスタッフのメンバーにこれからも注目していきたい。そう思わせる作品だった。
【”「新解釈、シンデレラ。」恋愛する感情がないアセクシュアルな私は大丈夫ですか・・。”人の生き方の多様性を許容する人々の姿勢を、優しい視点で描き出した作品。三浦透子さんの魅力満載の作品でもある。】
ー ”恋愛する感情がない、けれどもそれで大丈夫”と思っている、アセクシュアルなそばたかすみを演じた三浦透子さんの魅力が満載の作品である。
そして、そばたかすみは良く、海をぼーっと見ている・・。-
◆感想
・そばたかすみの、家族は基本的に皆優しい。娘の未婚に焦るお母さん(坂井真紀)も、休職中のお父さん(三宅弘城)も。
ー けれども、服を買いに行くと言って、お見合いというのは、どうなんでしょう、お母さん・・。
心優しいお父さんは、そばたかすみのチェロを大切に保管してくれている。-
・お見合い相手が、行ったことのあるラーメン屋の若き店主(伊島空)でお互いに結婚する気がないという点で、意気投合して千葉県のラーメン屋に一緒に行った時に泊まった宿で、まさかの彼からの告白シーン。
ー このシーンのそばたかすみの慌てっぷり。そりゃ、そーだろう。で、ガックリした顔でホテルを出る姿。
少し影がある役の多い、三浦透子さんの慌てた表情などを含めて、今まで観たことのない彼女の演技に魅入られる。-
■秀逸だと思った点
1.そばたかすみが新しい職場の幼稚園で、動画のシンデレラを製作するシーン。
AV女優だった中学生時代の同級生よなが(前田敦子)と
”何で、シンデレラが王子様に求婚されてメデタシメデタシなんだ!”
と言って、「新解釈シンデレラ」を作って、園児と保護者たちに披露するシーン。
ー 成程なあ。納得してしまったぞ。けれども、県議会議員のよながの父に怒られてしまう、そばたかすみ。よながの父、保守的なんだね。マア、普通はそうか・・。-
2.その話を聞いたよながが、選挙カーの上で演説していた保守的思想の父親の所に行って
”人前では、良い事言ってんな!お母さんがお前のせいでどれ程苦労しているか知ってんのか!”と啖呵を切るシーンは、スカッとしたなあ。
ー 前田敦子さんの切れ味鋭い江戸っ子のような啖呵。良き女優さんにドンドンなられていくなあ。ー
3.幼稚園に新しく来た先生で、少し影のある男(北村匠)が、そばたかすみを誘うシーン。そして、彼がかすみに言った言葉の大切さ。
そして、その言葉を聞いたそばたかすみは、明るい表情で前を向いて走り出す。
ー 誰もが、枠に嵌った同じ生き方をする必要は、無いんだよね。-
<今作は、一人の恋愛感情を持たないアセクシュアルな女性を取り巻く人々の姿を丁寧に描くことで、人の生き方の多様性を優しい視点で許容する素敵な作品である。
三浦透子さんって、ヤッパリ素敵な女優さんだな、と思った作品でもある。>
「ちゃんとした価値観」の方々に
三浦透子と前田敦子の演技がハマっている。
前田敦子の劇中の叫び、最後に三浦透子が同僚に投げられる一言に映画のメッセージは凝縮されている。
なんでこんな思いをしなければならないのか、という理不尽。
同じ思いの人がいると知るだけで、ま、いいかなと思える気楽さ。
自分は「ちゃんとして」いると思ってる方々に見てほしい。
良い映画でした。
トム君といえば宇宙戦争?
テーマは考えさせられるものですが
終始笑いのある温かい作品です
いきなりの「宇宙戦争」の解説?で我意を得たりって感じに
多様性の許容?という点では現実の方が進んでいる気もします(もちろん本音と建前がありますが)
劇中の「シンデレラ」の紙芝居最後までやってもよかったのでは(笑)逆に今の保護者・子供達にはウケると思います
風になれ
「天気の子」のグランドエスケープの歌唱で知った三浦透子さんの単独主演作品、上映開始が少し遅れた地域なものですから、公開を待ち侘びていました。
そして期待以上をゆく快作でした。今年一爽やかで、今年一共に傷ついた映画でした。
アセクシュアル(無性愛者、男女ともに恋愛感情を抱けない)の主人公の映画は初めて鑑賞しました。そのため合コンもお見合いもピンとこない、友達だと思っていた男性にキスされそうになったら拒んでしまったり、ゲイの幼馴染のカミングアウトもすんなり受け入れたりと、こんな世の中になれば良いのになと幼馴染の発言にもあるように監督の思いが込められているなと思いました。自分はアセクシュアルではないので、この感情や心境が完全に分かるわけではないんですが、今は恋愛よりも大切なものがあるというものにとても共感できました。動機はかなり違いますが、自分は映画やライブなど趣味に突っ走りまくっているので恋愛を含めると何かが崩壊しそうな気がします。ぼっちは全く怖くなく、楽しんだもん勝ちだと勝手に解釈した自分がいますが笑
役者陣の好演もあり、クスッと笑える瞬間がたくさんありました。気まずい会話の間みたいに空白の時間がとても面白くなっていました。なんて事ない会話が笑えるのは監督の手腕でもあり、役者陣が全身全霊でぶつかり合ってくれていたからだと思います。
多様性について考えさせられますが、某ネズミ帝国のように押し付けがましいものではないのが好感を持てます。真帆の父親が発言した"間違った多様性を子供に押し付けるな"という発言は子供を盾にして自分たちの意見を述べている卑怯な大人を体現していました。PTAのモロそれだなと思いました笑
とても昔に作られた御伽噺に価値観もへったくれも無いんですが、シンデレラを自己解釈して新たな物語に仕立てるのは良かったと思います。そりゃシンデレラもなんで王子様に見染められないと結婚できないんだ?と今は思っちゃいますね。こういうツッコミを真面目にやり切ったのも好感が持てます。
エンドロールに突入していくまでの駆けていく時間、そして主題歌「風になれ」が流れている時間がこれまた最高でした。三浦透子さんの透き通るような歌声に羊文学の塩塚モエカさんの美しく繊細なメロディーと歌詞にこれまた心震わせられました。大人の青春を味わうには抜群の時間でした。
楽しくもあり、辛くもあり、それでいて前へ前へ進める勇気もくれる素晴らしい作品でした。今年の邦画の中でもトップクラスの面白さでした。お見事です。
鑑賞日 12/27
鑑賞時間 12:05〜13:55
座席 C-2
『逃げている方が共感できる』
所謂、『アセクシャル』『アロマンテイック』を扱った作品 考察サイトに依れば今作品の構成は他の類似作品と同じような建付けだということで、追いかけていない自分からすれば、ステレオタイプ的作品なのかなぁと少々残念な気もするが、まぁそこは置いておいて・・・
主人公役の三浦透子といえば"ドライブマイカー"で有名になったが、今作ではより台詞が多い役回りである だからなのかこの人の弱点がクローズアップされたように思えた 寧ろ今俳優はバイプレイヤーとしての輝きが似合っているのではと・・・ そういう意味では前田敦子のバイプレイヤー振りが逆に光っていた様に思える ヤサグレ感を演技できる幅を身につけたアッちゃんは今後も見逃せない
ジェンダーを扱った作品として意欲性は充分評価したい 社会性に切り込む部分(幼年期から多様性は取り扱いしない方がいいとの馬鹿な意識等)をもっと深く突っ込んで欲しかったけどまぁ、温作品のキモはそこではないようだ 自分を貫けば絶対仲間はいる、自分を信じろというテーマを主張したいのだろう メーテレという地方テレビ会社が扱う内容なので、ポジティヴさをラストに添えていい感じに収めたかったのは致し方ない 何でもかんでも"立場"ってのはあるからね
"アセクシャル"は想像を要するが、"アロマンティック"は理解出来る 男はそういう人多いのではないだろうか 結局、"ヤりたい"事="恋愛"なんて女性に対して失礼であり、しかし現実は口に出せない そもそも人を好きになるとはどういうことなのか "自己犠牲"が基準ならば、それは対象は性別は関係無いし、もっといえば偶像崇拝だって、宗教だって自己犠牲の上に成り立っている 右巻の総本山、日本会議に説明して欲しいねw
三浦透子さん主演。アロマンティック・アセクシュアルの悲しみ。多くの人に見てほしい。
30歳の蘇畑佳純は物心ついた頃から今まで誰にも恋愛感情を抱いたことがない。他者に恋愛感情を抱かないという恋愛的指向は彼女の生まれながらの性質で一生変わらない。つまり彼女は生涯恋愛をしないのだ (友情や家族愛、人類愛はある)。
ここで大事なことは、彼女のまわりに魅力的な人がいないとか、たまたま好きな人に出会わないというコトではないうことだ。
誰かにときめいたり、ドキドキしたことがないということが私には理解できないが、理解する必要はない。彼女の恋愛的指向をそのまま認めるだけだ。すると彼女の苦しみ、諦め、悲しみが伝わってくる。
映画では描かれないが、友だちの恋バナも、小説、漫画、ドラマの恋愛もわからない。その事を誰かに伝えても「佳純もいつか恋をすれば分かるよ」と言われるだけだ。人は誰でも恋をするものだと思っている者ばかりだから、誰も自分のことを分かってくれない。今はわからないが、佳純自身もそう思っていただろう。
「自分はみんなと違って「フツー」じゃないんだ、言っても誰も分かってくれないんだ」 と、いつしか諦めてその事を人には言わなくなってしまったのかもしれない。
「そうじゃないんだ、そのままでいいんだヨ、ガンバレ佳純ぃー」とスッカリ応援モードに突入。映画を見てて完全に彼女に感情移入してしまった。
映画の後半では、男の人と恋愛しないお姉ちゃんはレズなんでしょと妹に言われてしまう。思わず心の中で「ちがう~ ( `Д´)/ 」 と叫んでしまった。
親しくなった男性が彼女に恋愛感情を持ってしまい、彼女にそれを伝えるのだが当然彼女には全く理解できない。彼女はポカンとしてしまう。男のほうは彼女も同じ気持ちだと思っていたのに思わせ振りだったのかと思い怒って絶交してしまう。
突然、大好きな彼との友情が壊れてしまい、驚きと悲しみで呆然としてしまう。私も悲しみで胸が一杯になってしまったヨ。 決して 「女性と男性に友情は成立するか?」 という話ではない。
お父さんと佳純が2人でいる場面がとてもいい。お父さんはただそこに居てよりそい話をするだけだ。それなのに佳純の安心感と信頼感が伝わってきて、映画の中で唯一ホッとする場面だ。いつか娘がまたチェロを弾くかもしれないと、ずっと手入れをしていた話なんて泣かせるじゃないか (ノ_・、)
ラスト、あまりの嬉しさに私も佳純と一緒に走りだして叫びたくなったヨ。画面も揺れに揺れる(こういう分かりやすい演出は私でも分かるからありがたい)。
だって佳純は自分だけが恋愛感情・性的感情を持たない人間で、それは他人には絶対理解できないことと思っていたのに、自分と同じ人間がいてありのままの自分を認めてくれるんだぜ。そんなこと知ったら小躍りして走り出したくなるだろう? これで今までの生きづらさが少しは軽くなってほしい。
*こういったカテゴライズの功罪があるような気もするが、今回は佳純が安心したようなので取りあえずヨシとしようということで宜しく(^^)
LGBTを解説する文脈の中で、恋愛感情がない人と性欲がない人がいることは知っていたが、今年(2022.1)のNHKドラマ 「恋せぬふたり」 でそれを主題にした物語を見て感動し、こんなにも大変なことだったのかと認識も新たにした。
アロマンティックとは、恋愛的指向の一つで他者に恋愛感情を抱かないこと。
アセクシュアルとは、性的指向の一つで他者に性的に惹かれないこと。
どちらの面でも他者に惹かれない人を、アロマンティック・アセクシュアルと呼ぶ。
【追記・2023/1/16再鑑賞】
お見合いで知り会った男友達との別れの場面。1人部屋に残された佳純は驚きと悲しみで呆然と立ち尽くす。「なんで、なんで、なんで」と同じ言葉が頭の中で繰り返される。
2度目の鑑賞で、どうなるか分かっていたのに私も驚きと悲しみで呆然となった。レビューを書いてる今でも、立ち尽くす佳純を思い出すと悲しくて泣きたい気持ちになる。
佳純は男友達に、自分が誰に対しても恋愛感情を抱かないこと、誰に対しても性欲がわかないことを伝えた。だけど彼にはそれが信じられない。もし彼がアロマンティックとアセクシャルという言葉を知識としてだけでもいいから知っていたら、2人の友情は続いてたかもしれないと思わずにはいられない。
分類し区別することは無意味でもあるし弊害もある。だけど今はアロマンティックとアセクシャルという分類を多くの人に知ってほしい。メリットは、自分以外にも同じ人がいることを知る安心感である。あと佳純たちの友情が続いたかもである。
私はどちらも理解できないが、否定はしないという考えだ。
2022/12/25(日) 高島屋キノシネマ
2023/. 1/16(月) 〃
【良かった点】 2022年個人的邦画ベスト。アセクシャルの方の生き...
【良かった点】
2022年個人的邦画ベスト。アセクシャルの方の生き方の難しさ、理解されない苦悩を見事にエンタメに昇華していた。全てを理解せずとも、歩み寄ることはできる。個人的に最高の映画は、観た前後で自分の言動に変化が起きる作品だと思っていて、この映画は自分が今までに行っていた恋愛に対する無自覚な攻撃を浮き彫りにした。製作陣のアセクシャルに対しての向き合い方も真摯で、とても信頼性、納得度の高い作品になっていた。幸せは人それぞれであり、それをテンプレートのように何かの型にはめて語っていいものではないのだ。
【良くなかった点】
文句なし!
わからないけど好感が持てる
異性同性に関わらず恋愛の感情が湧かないという感覚を持つ三浦透子の主人公と、それを理解できない周囲のギャップが複層的に描かれる本作。画作りも脇役に至る役者も含めて丁寧な作りには好感が持てる。ただそうした感覚を持つ主人公の主張は頭では理解できるものの、その痛みが理解できなかったというのが率直な感想。
見合いをきっかけに意気投合した、一般的にはかなりいいヤツのラーメン店主も、恋人としては受け入れられない。しかしラスト近くに知り合う北村匠海演じる同僚が自身と類似した感覚の持ち主かと仄めかされ時点で彼女が得た安心感、これはもしかして恋愛に近いものと言えないのか?などと考えてしまった。
前田敦子は非常にいい役で、このくらいの助演の方がいいのだが、例え地方の選挙であっても演説中に大声をだして近寄るというのは安倍元首相の銃撃事件後では有り得ないのではと思った。
その他、坂井真紀に田島令子(私にとってはクイーンエメラルダス)、三宅弘城に伊藤万理華の、色々言い合う温かい家族描写は最近ではむしろ珍しくて良かった。
そして本作も「よだかの片想い」と同じメ~テレ制作の(not) HEROINE moviesとのこと。「LOVE LIFE」も含めて良作で存在感を増して来ており頼もしい限りだ。
真デレラの続きが気になる
あえて言う。特別な話ではなかった。
悩みの中身は違っても、『普通』とのズレに戸惑い、苦しんでいる人は沢山いる。
佳純が出会う人たちは、家族含めて“理解”どころか“共感”もしていない。
ゲイを告白した八代や、よい友人関係を築けた真帆ですら、“受容”しているにすぎない。
そんな中で最後に出てくる天藤だけが唯一の共感者であり、それが佳純を軽くした。
そのあたりの描き方が明瞭なのがよかったし、家族の食卓でそれ以外の救いや支えも示してくれる。
『少数派』ではあっても『異常』ではない。
共感した天藤だけが“正しさ”ではないという描き方が好ましかった。
本作は演技の立体感が素晴らしく、特に家族間の会話は「長年の積み重ね」を感じる自然さでした。
全員に、それまでの人生が垣間見えるよう。
時折挟まれる笑いのセンスもよく、特に浮気の話をしてる最中に聞こえるTVの音声は、音量も込みで絶妙でした。
それまでの自然さに対して、ラストカットにやたら演出臭さを感じたのだけが少し残念。
個人的にはもっとナチュラルに締めてほしかった。
多様性が求められる時代 お互いに尊重して生きていく👏
趣味も好きな食べ物も価値観も考え方もライフスタイルも人間関係も、みんな人それぞれ。
人間が100人いれば、100通りのそれら(人生)があるのは当然のこと。
「みんな違う」ことを理解し、なるべくコミュニケーションを頻繁に取り、お互いがお互いを尊重していく、これからの時代はそれが必要。
みんなで焼き肉を食べている場面と演説を"妨害"する場面、それぞれの思いを思い切り相手にぶつける様子は見ていてとても心が動いた。
「人生は一度きり」「人生は選択の連続」
1つ1つの行動はなるべく考える。ただ、考えても仕方がないものは思いきって堪や運に任せ、素早く行動してしまうことも必要かもしれない。
恋せぬふたり 劇場版
アロマンティック・アセクシャルのことはNHKのよるドラ「恋せぬふたり」(岸井ゆきの&高橋一生)で予習済だったので、そこのところはすんなり。シンデレラのデジタル紙芝居、自分からヤバいと思って途中でやめてしまって残念。続きを最期まで観たかった。保育園の上司は春日さん。そばかすコンビでした。
前田敦子が市会議員候補の娘で元AV女優で、蘇畑佳純の中学時代の同級生世永真帆役。砂浜にシックなワンピースにサングラスで登場。
いよっ、待ってました。
気が合う女友達。一緒に住むマンションの内覧をしたのに、元カレとよりを戻してのドタキャンはNHKの夜ドラとまんま同じ展開。
元AV女優はちと似合わないんですが、コメディなんで仕方ない。オヤジにキレる街頭演説のシーンとってもよかったです。狭い町で娘が元AV女優の市会議員候補は当選確実?低~い投票率が上がることは間違いないですな。
伊藤万里華はかすみの妹で5ヶ月ぐらいの妊婦役。下腹に手を当てて、触り過ぎの演技が気になった。ちょっと!ソコはもうオマタでしょうよ!
ラブホのライター持ち帰るおバカな旦那にキレて、マシンガンのような立て板に水のセリフ回し。
旦那役は恋せぬふたりにも出てた。
シアター内に笑い声がポツポツと沸き起こるほっこりホームコメディでした。
冒頭の合コンで黙々と食べてたのに帰りにラーメン&餃子&サービスの半熟煮卵。合コンの次の日、コールセンターの屋上で7倍サイテー男だったといってたのはぎぃ子?
このところ気になってる女優さん。
なかなかのカメレオンぶり。
お見合いの相手が煮卵サービスしてくれたラーメン店の青年。好きな食べ物は和食全般ですなんて言ってて、実は全国ラーメン食べ歩きが趣味なんて、一本スジが通っていて真面目だったのに可哀想でしたね。
三浦透子の無愛想な謎めいた表情はこの設定に鉄板でした。
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