「ユートピアは醜さを愛する」映画ドラえもん のび太と空の理想郷(ユートピア) Charles郭さんの映画レビュー(感想・評価)
ユートピアは醜さを愛する
私は現在日本在住中国人会社員で、『ドラえもん』の大ファンです。
この映画レビューはもともと中国語で書かれたものですが、日本の『ドラえもん』ファンと交流し、共感を得るために、このレビューを日本のウェブサイトに翻訳して投稿することにしました。私の日本語能力が高くないため、翻訳に不自然な表現が含まれていたり、元の意図を完全に伝えられない部分があるかもしれません。その点についてはお詫び申し上げますとともに、読者の皆様のご理解と寛容をお願い申し上げます。
1.「いつも正しい人がいるか!?」
映画のクライマックスで、のび太とドラえもんは「理想郷」の真実を知った後に逃げ出そうとしますが、3賢人に洗脳されたソニアとそのロボット部下に時空トンネルで追われます。 長い間仲間だったソニアは、のび太とドラえもんをまだ友達と見なしており、攻撃を続けることを拒否し、二人に「3賢人は間違っていない、早く戻ってきて!」と説得し続けます。 ドラえもんは反論して、「いつも正しい人がいるか!?自分の友達を殺すよう命じられても従うんのか!?」と叫びます。
ソニアが3賢人を信頼するには根拠があります。3賢人の指導のもと、理想郷の400人以上が安住の夢を実現しました。ここでは科学技術が発展し、災害や紛争がなく、平和と友愛、寛容があります。人々の違いは最小限に抑えられ、食事から生活リズムまですべてが完全に一致しており、同じ信仰を持っています:3賢人への絶対的な信頼。
理想郷の社会構造では、3人の賢人がそれぞれ科学、政治、文化の分野を担当し、理想郷の完璧な運営を共に維持し、「理想郷に来た人は最終的には完璧な人間になり、幸せを得ることができる」と保証しています。 のび太が理想郷を探し求めたのも、自分を「勉強もスポーツもできる完璧な小学生」に変えたいと思ったからです。
「3賢人」という設定を見た瞬間、EVAのMAGIを思い浮かべました。これも聖書の「東方の三賢者」をモデルにしており、「三権分立」を風刺しているように見えます。背後には良くないものが隠されているに違いありません。3賢人が主導する社会は表面上は完璧ですが、完璧な社会に欠かせないもの、すなわち下からの監視手段が唯一欠けています。
事実、すべてのユートピアはディストピアです。3台のMAGIが実は同じ人物であるように、理想郷の3賢人も実は同じ黒幕の3つの代理人です。レイ博士最終的には全世界の人々を洗脳し、「誰もが友愛と寛容の完璧な世界」を実現するために、理想郷に厳格な隠蔽と防衛措置を設け、時空警察の捜索を避けて様々な時空を渡り歩きます。この世界では、レイ博士(3賢人)は神のような存在で、彼が行うすべてはすべての人の利益のためで、「あなたのために」と言います。
理想郷では、長期間生活すれば、いつかのび太のダメな部分も治せるでしょう。しかし、その前に、のび太を引きずり下ろすそのネガティブな要因、つまり怒りっぽくて毒舌で、どら焼きが大好きで、ポケットには故障した道具ばかりで、どこまでも完璧でない青い中古のタヌキ型ロボット、ドラえもんを排除しなければなりません。 残念ながら、これはのび太には受け入れられないことです。
2.「醜さを愛する」に対する固執
このドラえもんの映画版の脚本は、古沢良太によるものです。Legal Highという法律ドラマをご存知かと思いますが、その脚本家がこの方です。
Legal High2の最後で、「ウィンウィン」に固執するアラビアの王子様を完膚なきまでに打ちのめした後、古美門はドラマ全体の核心についての総括的な発言を行います。「人類の性質に反して理想的な世界を実現することは不可能で、人間の醜さを愛することだけが唯一の答えである」と。
人の醜さを認識した上でそれでも愛する選択をすること、これが「醜さを愛する」という言葉の私の解釈です。古沢良太は「空の理想郷」でこの核心を一部引き継いでいます。
五人組が同時に理想郷に到着し、改造を受け始めると、それぞれがバッジを受け取ります。これはいわゆる「同期率」または「改造進行度」を示しています。この進行度が完了すると、あなたは「完璧な人間」に成功裏に改造されたことになります。
のび太だけが欠点が多すぎて、理想郷の影響を全く受けず、改造進行度は常にゼロでした。また、他の人たちの異常にも気づきました。「失敗しても笑顔で励ましてくれたスネ夫、食べ物を奪われても気にかけてくれたジャイアン、いいのはいいけど、彼らは本当に自分たち自身なのか?」自己を失うことを代償にして達成された完璧さは、真の完璧さではないのです。
のび太がなぜ特別な存在なのか?私の解釈は、のび太自身があまりにもダメすぎるため、他人の欠点、つまり「醜さを愛する」能力において最も強い存在であるということです。のび太にとって、ジャイアンの粗暴さ、スネ夫のいじめっ子気質、しずかの時々のわがまま、ドラえもんの頑固さは、彼が愛する人の一部です。のび太は自分の欠点を最もよく知っており、自分にこれほど多くの欠点があるにもかかわらず、相手が自分を愛してくれることを理解しています。したがって、彼が愛しているのは、相手の「良い」部分だけでなく、相手自身の存在全体です。
理想郷の戦いが最も危機的な時、監督はわざわざ何も知らないのび太の両親に無駄なカットを入れました。結末の最後のシーンでは、母親がのび太が最初に隠していた0点のテストを見つけ激怒した。この時、のび太は映画の核心台詞を叫びます。「そのままの僕を愛してよ!」
ここの意図はおそらくジョークのためかもしれませんが、映画全体の表現から見ると、母親はのび太の怠惰と勉強不足を非常に嫌っていますが、それが彼女がのび太を愛していないというわけではありません。のび太に対する期待と要求の外側にあるすべての欠点も、彼女が愛するのび太の一部です。このような家庭環境で育ったのび太は、理想郷で社会化された養育と標準化された寛容な教育を受けた子どもたちよりも、「本物」の寛容さと共感を持っているに違いありません。
この真実の、Political Correctから離れた寛容こそが、最終的にのび太が洗脳光線の下で自己を保持できる理由です。もっと抽象的に言えば、のび太のすべてのダメなところを好きになれないかもしれないが、のび太がダメである権利を守るためには命をかける。
3.ソニアの贖いと批判
ソニアの役割はこの作品で少し重すぎるかもしれません。彼の存在により、しずか、ジャイアン、スネ夫のトリオはほぼ背景になり、理想郷の内通者であるクラス委員のハンナ(ツインテールが好きなので、このキャラクターには特に好きです)はストーリーの道具となり、未来の賞金稼ぎマーリンバの存在意義が不明瞭になり、ドラえもんも後半でソニアに役割を譲るために、直接昆虫に変えられてストーリーから蹴り出されました。 客観的に見て、ソニアはジャニーズ声優(永瀬廉)の影響もあり、設定上でも印象深いキャラクターです。
ドラえもんと同じく未来から来た猫型の育児ロボットであるソニアは、最初はドラえもんと同じく不器用で、人から笑われたり軽蔑されたりしていました。3賢人によって「完璧な猫型ロボット」に改造された後、理想郷の首席アシスタント兼ボディーガードとして残され、これが自分の人生の価値だと信じて3賢人に忠実でした。 3賢人は彼に強力なレーザースティックを武器兼ツールとして与え、彼は自分の四次元ポケットを外し、理想郷の構造の中で自我を放棄し、自我を犠牲にすることが受け入れがたい代償であることを疑ったことはありませんでした。
3賢人の真実を目の当たりにし、理想郷が嘘であることに気づいた後、ソニアは「すべての人の幸福を実現する」という心の中で既に形成されていた理念を完全には諦めていませんでした。ただし、この場合、排除すべきは「不完全な」のび太やドラえもんではなく、他人の自主性を「完璧」を口実に侵害するレイ博士でした。
最後に、ソニアはレーザースティックを捨て、かつての四次元ポケットを取り戻しました。これは、外部からの入力を受け入れる受動的な方法論を止め、自身の固有のリソースから可能性を探求することへの回帰を象徴し、また「批判の武器」から「武器の批判」へのより徹底的な革命的道への回帰を象徴しています。
戦いの最後に、ソニアは理想郷の人々に対する自分の罪、および大のび太たちの街を守るために、理想郷を四次元ゴミ袋に入れて空へ飛び、超新星として爆発しました。このかっこいい処理は、ソニアのキャラクターにさらなる悲劇的な色彩を加えたようです。彼は自分がより良い現実にいることに気づいたばかりで、虚偽の理想郷と共に滅びなければならなくなりました。これは彼の責任ではないにしても、情にも理にもかなっていません。
家族向け映画のハッピーエンドを満たすために、脚本家はソニアの復活を特別に用意しましたが、前述の救済と犠牲の設定を受け入れた場合、最後の復活は少し余計なものに感じられます。これは『鉄人兵団』のリルルの最終的な復活と同じで、象徴主義と意識流の要素がプロットロジックよりも多くなっています。
これからは、上記3点以外に、気についた不足点又はほかの感想を説明します:
4.オリジナルひみつ道具の同質化
冒頭でドラえもんが不要な道具を整理する際に使用したのは、原作に登場する「四次元ゴミ箱」や「ゴミ穴」ではなく、独自に考案された「四次元ゴミ袋」という奇妙な道具でした。最後に崩壊する理想郷を収容するための布石として理解はできますが、同質の道具が増える問題も年々深刻化しています。
この映画版で登場する道具は、冒険の定番(ひらりマント、タケコプターなど)を除き、ほぼオリジナルです。空気砲は登場せず、どこでもドアは壊れ、タイムマシンさえも飛行船に置き換えられました。これは原作への敬意が足りないと感じ、新しいオリジナル道具を作る際には慎重であるべきだと思います。
5.しずかの立場が軽視され、ジャイアンやスネ夫と同等、あるいはそれ以下になっています。しずかはもともと優等生で、理想郷での改造・洗脳の余地が少なかったため、最終的にのび太の口撃で洗脳効果が解除されるシーンの説得力も弱いです。ジャイアンやスネ夫の性格が豹変したことによる違和感と比較して、しずかの性格にはほとんど変化が見られません。この作品では恋愛要素やのび太がしずかを救うシーンも登場せず、何よりも入浴シーンが短すぎます!短すぎます!おい、堂山(監督)、聞こえていますか!
6.T.P.の不手際は昨日今日の話ではありませんが、信頼できない賞金稼ぎに望みを託すとは思いもよりませんでした。『南海大冒険』でT.P.のもっとも信頼できるメンバーがイルカであり、正式なメンバーが得意とするのは、自分の本来の仕事を小学生や育児ロボットに外注し、その後で人の功績を横取りすること、去る際には人々の愛するペットを没収すること(『日本誕生』)、必要なら直接子供たちに暴力を振るうこと(『新恐竜』)だと考えると、この法執行機関の評判が良くないのは当然です。これは、藤子・F・不二雄先生が左翼の立場であり、警察機関に対する根深い不信用を持っていたことを反映しているのかもしれません。
結論:
ユートピアがユートピアである最も重要な点は、それが存在しないことです。すべてのユートピアは反ユートピアであり、人類はユートピアを持つに値しないし、ユートピアも人類を得るに値しません。
最大限の自主性を譲渡して楽な生活や進歩を実現しようとしたのび太は、その教訓を受けました。人としての基本を失うことになる「間違えることのない存在」にすべてを託すことは、最終的には自由と引き換えに利益を得ることはできませんし、交換を望む人々も最終的には利益も自由も得るに値しません。
「最も巧妙な奴隷化の手段は、常に極楽の誘惑を通じて達成される。」
—オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』
Charles郭
2023/3/7
日本横浜