エゴイストのレビュー・感想・評価
全87件中、1~20件目を表示
目に見えるお金を与え、支えている生き甲斐を貰う
大切な人が男でも女でも良いじゃない、大切な人ができたということが良いじゃない
そう言ってくれた亡き恋人の母の元に、身銭を惜しまず毎月金銭支援と身の回りのお世話に行く浩輔。
実家は千葉の房総。
ゲイであると周りに知られている14歳で母を病で亡くした。それからブランド服を鎧としてファッション編集の仕事に就いた。
都会ではゲイの友達にも囲まれて楽しく過ごせていたが、そこで紹介されたプライベートトレーナー24歳の龍太と出会い恋仲になる。
早くに母を亡くした浩輔にとって、母と2人暮らしで母を支えるために仕事を頑張る龍太は応援したい存在でもあり、稼ぐために夜身体を売っていた龍太に浩輔は毎月の手当を渡す事にして、龍太が売春をやめて普通の仕事の掛け持ちをしながら、いつかトレーナーの仕事で食べていけるように支える事にした。
しかし、身体が弱かった龍太にとって、ハードワークの掛け持ちはきつく、疲弊していたのかある日寝たまま息を引き取ってしまった。
悲しみを紛らわすかのように、龍太にではなく、龍太の母親にお金を渡しに行くようになった浩輔だったが、その母親も膵臓癌ステージ4だったと判明する。
刻々と近付く別れへの悲しみを抱えながら、本当の息子のように接してもらいそう思えるようにもなった浩輔だった。
浩輔役の鈴木亮平と、龍太役の宮沢氷魚。
2人は袖の長さも同じらしい。
がっしり長身とモデル体型長身が、仲睦まじく過ごしている。
お金目的で近付いているような悪意が最後まで見当たらず良かった。
男性同士で、初めて見る映像の時間が何箇所も長くあり驚いたが、2人の俳優が体当たりで挑んでいるのに、男性同士だから何かということなく、人間同士の愛情が育まれているんだということが自然に伝わってきて、性別で何も変わらないんだと伝わってきた。
ただ、宮沢氷魚は売春の設定なので、鈴木亮平とだけてはなく、何人もの別の男性とも撮影しており、すごい役を受けたなと思った。
鈴木亮平は、ピコ太郎と佐賀のはなわを綺麗に整えた感じの顔立ちで、がたいは良いが、幼さが残る。短髪から飛び出している耳をぴょこっとしたくなる。
宮沢氷魚はICU、鈴木亮平は外語大。友達でもその組み合わせがいるが2人はとても仲が良いので、宮沢氷魚と鈴木亮平もこんなに距離の近い役をするにあたりきっと仲良くなったんだろうなと思った。
でも、応援するってなんだろう。
そこを考えさせられた。
浩輔は、龍太には「目に見える物しか信じない」龍太の母には「愛がなにかわかりません」と答える超現実主義者だから、助ける形としてお金を渡していたのかもしれない。
でも実際は、龍太のことも龍太の母のこともよく気にかけ、お金だけでなく愛情を注いでいることを龍太の母に指摘される。
母を亡くしてから、身の回りは父とこなしてきてひと通りのことはできるが、ゲイでもあり、どこか人と一線を引いて傷つけられないように、目に見える物を信じたり、愛情を感じ取ったり注いだりしないようにしてきたのかもしれない。
ところが龍太を通して、どっぷりと大好きな気持ちに浸かり、素直に表現するようになったが、お金ではなく、龍太がパーソナルトレーナーとして食べて行かれる人生のやり甲斐を与えるまでで充分だったのかもしれない。
実際には、龍太ほど困っていないだけで、浩輔も湯水のようにお金を渡せるほどの裕福ではない。
龍太の母にもお金を渡し続け時には治療費も出し、出費が嵩んでいる。
龍太や龍太母を助けているようで、実際に助けないと綺麗に生きられないほど困っているのだが、放っておけずお金を渡し彼らを生かすことが浩輔の生き甲斐にもなってしまっている様子が伺えた。
その意味でのエゴイストなのだろうか。
お金を渡すのは自分の勝手とわかっているようで、
養うことで自分も英気を養っている。
だからエゴイストなのかもしれない。
でも、浩輔は、多くの男性が家庭を築いて家族のために働くくらいの年齢である。恋愛対象が男性でも、男性に産まれた生命体として、誰かを社会的にも守る頼られ甲斐のある存在でありたいというの、あるのではないかな。同様に龍太もまた、母を経済的に支えていた。
浩輔の人生は、直前までとても親しく近しい関係性の、大切な人との死別が3回。
実家に帰れば1人で暮らす父が出迎えてくれるが、たまに帰るその拠り所も、いつかは父が要介護になるだろう。浩輔本人が、誰かに甘やかして貰える、そんな日は来るのだろうか。
龍太母は、龍太は天国で浩輔の母にきっと御世話して貰っているのねと言うが、浩輔親子はいつ誰にお世話して貰うのかと。不思議と生まれ持った役回りで、与えられる事が多い人と与える事が多い人がいるものだが、浩輔は与えているようで、ちょこちょこと貰う、手料理やお金で買えない安心感、「大丈夫」と言って貰える有り難みなど、目に見えない物を実は沢山与えられている。そういうことなのだろう。
自分の気持ちを曝け出すにはまだ、夜にこっそり女性になりきり歌ったり、こっそり泣いたり、こっそり眉毛を描いたり、難しそうな浩輔だが、こらえずに自分の気持ちを大切にする。人の面倒を見て満たす前に、自分を満たし時には満たしてもらう、そんなことも知れた龍太親子との出会いだったのではないか。
障害者の介護を通して自分の存在意義を感じられるという人がたまにいるが、浩輔と似た感覚ではないかと思った。
今どきゲイも恥ずかしくないし、浩輔のその後の人生が服の鎧なくても思いっきり楽しめるものであるよう、龍太母は天国から守っていてほしいなと思った。
なかなか良かった
原作未読、封切り前の紹介記事で写真を見たからゲイの物語なのは分かっていたが、タイトルから鈴木亮平さんと宮沢氷魚さんの過激そうな濡場や修羅場を勝手に想像してアマプラでマイリストに入れたまましばらく放置していた。
ふと見る気になって見始めたら、ゲイの濡場のシーンもあるにはあるが、もともと腐女子のせいか、嫌悪感もなくすんなり見られたし、何よりタイトルから想像する身勝手、自分勝手な人は出てこなくて、何ならピュアラブストーリーだと言ってもいいくらいの映画だった。相手が異性ではなく、同性だというだけの違い。それに今どきの映画らしく、ちゃんとインティマシーコレオグラファーもついて、演じる役者さんへの気遣いもされていることがうかがえた。
では、どこがエゴイストなのかといえば、強いて言えばその恋を続けるために中途半端な援助を申し出て、そのために恋人は無理に無理を重ねることとなってそれが文字通り命取りになったことくらいしか思いつかない。
でも、それはお互いが幸せに2人の時間を過ごすためだったのだから、遺されたほうが気に病むことではないと思うが、この映画はいい人しか出てこなくて、主人公は気に病んでしまい、彼の死後は彼の母親まで親身に面倒を見てしまうのだ。そういう意味では無用なストレスを一切感じさせず、主人公の真摯でストレートな愛情を感じて温かい気持ちにさえなってしまった。主人公が若くして実の母を喪っているということもあるのかもしれないが、綺麗な物語だと思った。
追記 主人公の設定としては全く似ていないが、何となく昔観た『トーチソングトリロジー』が思い出された。
全部、母親が悪い。この母親には嫌悪しかない。
大学のサークルで同性愛者の先輩がいた。
顔は、芸人のPOISON GIRL BANDのヒョロっとしたツッコミの方の、吉田さん似で、
もう少しシャキっとさせた感じ。
容姿や佇まいは、山咲トオルのまんま。
常に姿勢が良く、服のオシャレのセンスがあり、
髪も短く立たせた金髪で、たまに赤にしたり青にしたりと、
ただ立ってるだけだと、いかにもモテそうな雰囲気。
ただし、喋るとオネエ言葉になるので、
会話すると、あ〜そういう事かと感づく。
基本は私ら男子のグループにいるが、女子力が高いので、女子とも仲が良く、
男女の橋渡し的なポジションにいて、周りに人が多くいた先輩だった。
でもたまに一人でいると、いつも淋しげな表情をしていた。
合宿の打ち上げか何かの飲み会で、学生ゆえに金が無い、みたいな話題をしてた時に、先輩は、
「ボクはねぇ、高校生の時に売りをやってたの。だから貯金はいっぱいあるの。」と言っていた。
田舎から出てきた世間知らずの貧乏学生な私は、何の事だかさっぱりわからなかった。
売りってなんだ?フリマで物を売ってたって話か?
あ〜先輩は社長の息子だから、会社商品か何かをくすねて、売り捌いてんだなあ。
と勘違いしていたくらい、バカだった。
あとで同級生に聞いたら「売り」とは、
オジサン達を相手に性的なサービスをしてお小遣いを貰ってる、
援助交際みたいなやつだよ、と聞いて一瞬驚いた。
驚きはしたが、女子の援助交際とはまた状況が違い、
なんだか凄く未知でオトナな新世界の存在を、知った気がして、
逆に先輩を大人びた世界を知ってる男だと、見直したくらいだ。しかも高校生で!
悪い事ではあるが、他の先輩と違って、
その先輩がやけに気前良く奢ってくれる、謎やカラクリも解けたし、
なによりも、貧乏学生ゆえ、金払いのよい先輩には今後も付き従う方が得策だと、
打算的ではあるが忠誠心も芽生え始め、
より一層つるむようになった。
よくよく考えたら、売りは過去形ではなく、現在進行形だったと思われる。
直接聞いたことは無いが、だって田舎より東京の方が需要ありそうだし、
本当に金だけはあるのが、服装を見ればわかるからだ。
今もやってないと辻褄が合わないくらいのオシャレ具合なのだ。
なによりもまず、性的処理に好都合だろうとも思った。
身の回りから同じ性的嗜好の人を見つけるよりも、売りをしてた方が、
オジサン相手ではあるけど、性処理はできるではないか。
少なくとも、金も無い、モテもしない私らよりは、遥かに性処理している!
羨ましさと嫉妬に狂った当時の私は、
売りをしてるであろう先輩に、意地悪な質問をした。
「先輩、愛ってなんですかね?」
(^O^)/
先輩は黙って遠くを見つめていた。寂しそうな顔して、
女性が吸いそうな細長いタバコの煙をユラユラさせながら、何も答えなかった。
私は先輩をどうやら傷つけてしまったらしい。
m(_ _)m
この映画は、男性同性愛者の主人公が、
パーソナルトレーナーの傍ら、「売り」で生計を立てている年下と恋仲になり、
売りを辞めさせる代わりに資金援助する、というお話。
鈴木亮平も宮沢氷魚も、難役を体張った熱演でホンモノのゲイカップルにしか見えなかったが、
終盤のストーリーは、あまり好きな展開にはならなかったなあという感じだった。
ここからネタバレ。怒りモード。
宮沢の母親役が阿川佐和子だったのだが、この母親が諸悪の根源に見えてしまった。
普通はそう解釈しないのだろうが、この母親の依存心の強さ、母としての弱さが、
バッドエンドへ向かう原因に見えてしまい、
話の本筋を素直に受け入れ難いものにしていて、イライラしてしまった。
おめ〜が情けねえから息子が死ぬんだよって、怒りすら沸いてくる。
鈴木亮平が宮沢氷魚の「売り」を辞めさせる為の金銭支援が、
宮沢を死に至らしめ、
宮沢を多忙にさせたゆえに、母の末期がんも早期発見できず、
結果的に自分のエゴのせいで母子二人を死なせるに至り、
主人公が贖罪できず苦しむストーリーゆえの「エゴイスト」なのだろう。
だが、金銭支援受けて死ぬくらいなら、その母子家庭は元々詰んでんだよ、ぐらいにしか思わなかった。
むしろ、母親のせいで鈴木亮平が苦しんでいる。
この母親が子供を産まなきゃよかった。
バカな亭主と結ばれなければ良かった。
病弱になった時点で姿をくらませればよかった。
と、母親をなじる言葉しか見つからない。
私が歪んでいるのは自覚している。ただ、
子供の不幸は全部、バカ親のせい。
子供が歪むのは、親の責任。
そういう捉え方しかできない、私のおそらく偏ってるであろう主義や思想が、
ことごとく母親への軽蔑へ繋がり、
ついには他人の鈴木亮平にまで阿川母の毒が蝕んでいると思えてきて、
嫌悪嫌悪嫌悪なラストだった。
ほんと気分の悪い映画。そんな風にしか感じない、自身の器量のなさにも自己嫌悪。
良かった演者
鈴木亮平
宮沢氷魚
そんなにいいかな?役者は良いがね。
鈴木亮平と宮沢氷魚の同性愛ものということで、公開前から絶対見たいと思っていた。
BLに興味はないけれど、どちらもゲイのイメージがすぐに湧く。演技力もあるし絵的にも良い意味で対照的。
演技は二人とも予想通りでとても上手い。どちらのタイプも「いそう」。浩輔の友人役は実際にゲイの方のようだが、全く違和感無し。
演出も美術もよく考えられていると思う。性描写もかなり踏み込んだものだったしリアリティがあった(現実は知らないけど少なくともそう感じられた)。
ストーリーについては、「エゴイスト」の意味がよくわかり考えさせらるものではあった。
が、そもそも「死」を扱う際には決して陳腐なものにならぬよう徹底的に細心の注意を払う必要があると思うのだが、それがなされていなかったのが残念に思う。龍太が亡くなった瞬間、なんだかそれまでの素晴らしい演技や演出が水の泡(とまでは行かないかもだが)になってしまったように感じた。「突然死(事故含む)」って便利だよなって。
そもそも母親役の阿川佐和子もそんなに足が悪いような感じがせず、なんだか微妙に違和感がある。「そんなに働けないものかね?」と思わずにいられない。満足な収入が得られないとしても、龍太によっかかりすぎ感が否めない。また、龍太はトレーナーを志しているがそれだけでは食べていけないから「売り」をしていたはずだが、浩輔が援助をしてくれている間はなぜ肉体労働だけになってしまったのか。時間の都合上仕方ないのかもしれないが、設定の詳細が「雰囲気」で作られている感じがする。他の人のレビューで原作にはもう少しくわしく事情が描かれているようなので、機会があったら読んでみたい。
あと、和田庵くんが出ていたのが嬉しかった。鈴木亮平の中学生時代としてかなり良い線いっている。雰囲気のある子だ。この子も将来ゲイの役やってもハマると思う。
愛とはどういうことか
特に前置きもなく観始めた映画。
BLの世界はよく知らないが、出会いが少ない分、互いに執着してしまうのだろうか。
性描写はなかなか踏み込んだ映像で、役者さんはすごいなと思った。
浩輔は、龍太が母親の為に頑張っていることを知ると毎月の援助を出す。その代償として身体を売ることやトレーナーも辞めさせ、不足分を地道な労働で補わせる。
愛しているから何かやってあげたい。自分の気持ちをわかってほしい。そのために惜しみない援助をする。でもそれは一方的な表れでもあり、毎月お金を受け取っていくたびに龍太は対等な気持ちでいられなくなる。
龍太がとてもピュアな人で、浩輔の愛の縛りに応えようとする。
心の中では体がしんどい、労働がきつい、でも母親に仕事の内容を胸を張って言えるようになったと、無理矢理納得していたのではなかろうか。
浩輔は龍太が食事もそこそこに寝落ちしてしまうほど疲れているのに、仕事の内容を知ろうともしない。どれだけ大変なのか、心配したり疲労への気遣いさえない。
どんなに龍太が疲れていようが「龍太の状況」を気遣うことなく「自分の思い描いた現状」に満足して、荒れた手にクリームを塗る。こっそりクリームを塗る行為は理想の愛の形だとでも言うように。
浩輔の利己的な愛がとてもよく表れていた場面だと思う。
相手の立場にたって考えるのではなく、自分がどれだけ相手にしてあげているかに重きを置く満足感というところが、エゴイストの所以なのではないだろうか。
自分の気持ちを大切にして、形にしてそれを相手に表す。理想の形にコントロールしようとする。それらを押し付け、相手を変えようとするのも愛なのかもしれないが。
龍太亡き後は、龍太の母親の世話をする。龍太が過労死なのか、映画では死因をはっきり言わない。それはそこに目を向けない浩輔のエゴの愛が、どうして龍太が死んでしまったかの原因を考えようとしない表れなのであろう。
当初は龍太が大切にしていた母親だからと気にかけていたけれど、お金を差し出して「愛がわからない」と嘆く。その言葉に龍太の母親が気持ちを受け止めてお金を受諾すると、再び龍太と同じような道をたどる。浩輔は自分のしている「愛の在り方」に立ち止まって振り返ることをしない、気づいていたとしても蓋をしてしまう不器用さ。
愛とはなにか。エゴや自己満足と紙一重でもある。特に男尊女卑だと「養ってもらっているから相手の言うことに従う」とパワーバランスが生まれがちである。
相手の立場になってどうしたらいいのかと考えてやらないと、悲しい結果になってしまう。愛は「何かをしてあげる」などの一方通行ではいけないのだ。
相手を愛し思いやるということはどういうことかということを、考えさせられる映画だったと思う。BLという設定をすることで、愛は対等という立場をわかりやすくさせていた。
愛を注がれる宮沢氷魚
鈴木亮平はさすが
ちょっとした仕草まで本物
くどくならずにリアル
宮沢氷魚が本当に愛されるに値する
純粋で可愛い
鈴木亮平の家から帰る前に
玄関先ドアの前でのやりとり、ほんとにいい子
「エゴイスト」のタイトルから
不穏な展開になるのかと思っていたけど違った
人が人を大切に思う
そのことに我を通すってことなのかな
恋愛を超えた
ギャップが凄すぎる。思ってた映画と違っていって良い意味で裏切られた。
前半は、微笑ましくも激しく愛に溢れた男性ふたりの恋愛模様。
後半は、恋愛とかではないなにかを超えた関係性、繋がり、愛。
これが実話なのだとインタビューで見て、こんなにもあたたかな物語が本当に存在していたことにあたたかい気持ちになった
エゴ=利己的(自分の利益や幸福を最優先に考え、他人の利益や幸福を顧みない態度や行動)
たしかに、浩輔は時に自分のエゴで行動していること、たまにあると思った
浩輔は、龍太にたくさんのものを与えてきた。龍太はそれに対して返さなきゃ、と思って、仕事をめちゃくちゃ頑張って、その結果、龍太は亡くなってしまう。
たくさん与えすぎてしまって逆にそれが龍太にとって負担になってしまったのかもしれない。自分が愛だと思ってしてきたことが全て裏目に出てしまい、浩輔はなにが正解なのかわからなくなってしまう。
「愛がわからなくてもいい。受け取った人が愛だと思ったらそれでいいんじゃない?」その言葉が今の浩輔にとってすごく重く響いたんだろう。
龍太を見つめるやさしい眼差し、だけでわかる。愛に間違いないのよ。
龍太がいままでやってきたことを無駄にしたくない。という自分のエゴで、龍太の母の傍にいた浩輔。他人であり、気を遣いあっていたふたりが、だんだん本当の家族のようになっていくのがよかった。
最後の病室のシーンの、「わたしの息子なんです」それを受けて涙をこらえるために捌けて眉毛を書く浩輔が、嬉しかったんだなと思ったし、その場で涙を見せないで隠れて己を律するのが、人間らしくていいなと思った。その他でも随所、人間らしいなと感じる部分は多くてリアリティがあった、(泣きながら水を飲んでむせるところなど)
ドキュメンタリーのような、自然すぎるやり取りがとても楽しいし心地良い。役者の演技がみんな自然。鈴木亮平さんやばい、所作や感情の起伏が細やか。阿川さんの芝居も自然すぎでびっくりした
浩輔と龍太の愛を育んでゆく体当たりはすごいし、売りの面でもかなり過激なシーンもやっていて、役者としての並みならぬ覚悟を感じた。
静かだが、内側に熱いものを秘めているかのような、、やさしくてあたたかくなる映画!とても素晴らしい作品です
みんなエゴイスト
よかった点
・鈴木亮平の演技がリアル。普段はノンケとして生きてるけど、ゲイぽさが少し漏れてしまうバランスとかすごい。
・BLみたいな雰囲気が出ず、ちゃんとゲイを描いているのに共感。同性愛の話としてでなくても、ストーリーはよいと思う(ただ、男女のカップルの話だったら映画化はされないと思うけど)
・タイトルとストーリーがあってる
うーんと思った点
・会ってすぐ体の関係になるのはよいのだが、その前にどっちがタチでウケかみたいな話もないし、いきなり入れて、また入れられて、ゲイの性描写がリアルでなく、急にファンタジー(BLの世界)みたいになったのが残念。
・ウリをやってるのにあんな純粋な子が本当にいるのか、これもまたファンタジー要素が強い。
・そして龍太が突然死をしたのがあまりに急で。確かに疲れてお弁当食べながら寝てたけど、過労死ということだよね。なぜそこまでして働く必要があるのか、そんなに働いていたのか、伝わってなかった。
・浩輔の友達(2丁目の飲み友達)は、リアルなゲイの方々と見受けたが、なんか浩輔とバランスが合っていなくて、飲み友達感がでてなかった。
話としてはとても良かった。
好きな人を夜の世界から連れ出したくてお金を渡したり、
受け取りながらも頑張って働きすぎたり、
病気になっても言えなかったり、
いろんなエゴが絡まるのが、リアルでよかった。
というわけで、上記から星3にしました。
エゴイストの本当の意味とは
ゲイのドロドロした展開を予想していたが、全く違う内容で、途中から、あぁ~、そっちへ行くのかと思いながら観ていた。
龍太の家庭は、父親が愛人を作って家出をしたため、一人息子の龍太が高校中退して家計を支える母子家庭。
母親が家計を支えて母子家庭で生きていくほど身体が強くないため、同じようにあまり身体が強くないが、高校中退して息子の龍太の方が働く事になった。
しかし、学歴のない龍太の就職先は、母子2人を支えていくほどの給料をもらえる仕事などそうは見つからない。
ゲイである龍太は、重労働ではなく、短時間で高額な収入を得られる「売り専」の仕事を、自分の美しい肉体を生かし、メインの裏仕事にし、表向きはジムのパ━ソナルトレ━ナ━として働いている。
ジムトレ━ナ━というと、本人も仕事の戦略も含めてマッチョというイメージがあるが、龍太は色白の美青年で、むしろゲイバーで働いている方が似つかわしく、なぜジムトレ━ナ━の仕事を選んだのかは映画の中では説明されていない。
そこにまず、実際のゲイの世界との違和感を感じる。
鈴木亮平演じる浩輔は、やはりゲイ設定だが、見た目は普通の男で、周りのゲイをオデ━ィションで選んだ素人のゲイで固めたため、ゲイとしての違和感はないが、やはり演技は稚拙。
その中にいると、鈴木亮平がゲイではないため、その演技にはやはり作り物感があるのは否めない。
宮沢氷魚とのセックスシ━ンは、外国ものの臨場感には及ばないものの、とりあえず合格点というところ。
さて、ゲイとしての本物感という事が、この映画の核でないことは言うまでもない。
この映画のスト━リーを、敢えて同性愛の世界に設定したのは何故なのか。異性愛の話にした方が、より演技も自然に出来たのではないかと見終わってから思い、ゲイ設定は、話題作りのためであり、異性愛者の役者がどこまでゲイを本物らしく演じられるのかという興味を、映画を観る際の集客ポイントとして設定したのかとも思った。
鈴木亮平がゲイだったらいいのにと思うファン層からは、ゲイ演技を期待する向きもあっただろうが、そこは多分期待外れだったろう。
だが、この映画の見どころはそこにはない。だからこそ、主人公のゲイ設定は必要がないような気がした。
ただ、原作は実話に基づいて書かれたという事なので、それを踏襲しただけなのかもしれない。
日本の俳優でゲイのカミングアウトをしている俳優は殆どいなくて、しかも演技が優れている事が必要とされるこの手の映画では、やはりヘテロの俳優から選ぶ以外に選択肢はなかったのだろう。
さて、前置きの感想はこのくらいにして、映画の本題に対するコメントを書こう。
この映画の本題である「エゴイスト」とは何なのか?
エゴイストという言葉のイメージから、相当のワルの主人公を想像して、実際にそういう展開になるのだろうと期待していた。
映画は、基本的にエンタ━テインメント。
面白い事が大前提。
そこからすると、この映画は随分真面目で奥が深い、エゴイスト、あるいはエゴとは何かを突き詰めて考えさせられる映画だったと思う。
出会いの場面は、ゲイによくあるパターン。
ジムで体を鍛えて、ゲイにモテる体作りが目的だ。ナルシストの自惚れも入っている。鏡を覗いては、自分の筋肉質の男らしい体に惚れ惚れする。そしてそれが男にモテる条件の1つになり得る。
かくして、浩輔と龍太はジムという、肉体嗜好のゲイが集まる所で必然的な出会いを果たす。
互いに好きになるには、どっちもタイプ同士であれは簡単な事だ。
これは、異性愛でも同じ事。
ゲイの世界だけが、男ならノンケでもゲイでも誰でも狙うということはない。
相手の好みのタイプにうるさいかどうかは、性的指向には全く関係なく、その人の価値観と人間性に基づいている。
外側の見た目に価値をおく人ほど、いわゆるタイプにうるさくなる。
自分のことは棚に上げても(笑)
閑話休題
この映画のエゴイストとは。
家庭の不幸な事情を抱えて、母親を助けながら、家計を支えている龍太の裏の仕事が「売り専」だった事が、2人が愛し合う事を難しくして行く。
龍太の家庭がいかに貧しくても、浩輔が富裕層なら、龍太と母親の生活費も含めて面倒を見る愛人にすれば何の問題もなく、話はすぐに決着する。
世の中によくある話で、敢えて映画にする必要もない。
龍太の方は、浩輔に会うまでは、生活費を稼ぐためと割り切って出来ていた「売り専」の仕事が、浩輔に対する恋愛感情のために、罪悪感を感じるようになり、上手く行かなくなる。
それは、生きて行くのに最低限必要な収入の道を絶たれることで、そこで恋愛感情を最優先させることは、自分と母親の生活が破綻することを意味する。
当然ながら、母親と自分の生活を犠牲にしてまで浩輔とつき合うのは、現実問題として不可能だ。
自分が「売り専」をしていることを知られないで別れるために、理由を言わずに龍太は浩輔に突然の別れを切り出す。
訳が分からない浩輔にしてみれば、理由も明かさずに別れることには納得が行かない。
母親への毎回の手土産を受け取る浩輔の好意が負担になったのか、と問いただす浩輔に龍太は、遂に本当の理由を吐き出すようにして浩輔に言い渡す。
単なるタイプでくっついているだけの相手なら、相手が売春で儲けようが、病気さえもらわぬようにしてくれれば構わないという人もいるだろう。
だが、恋愛感情を双方が持っている場合は、当然こういう帰結になる。
龍太にしてみれば、別れて元の生活に戻らなければ、自分と母親の人生は破綻する自滅への道へと進むしかない。
一方、浩輔の方は恋愛感情を持ってつき合っている相手が、愛のない相手とセックスをすることには耐えられないだろう。
それが、単にお金が欲しいからという理由だけで龍太が「売り専」をやっているなら、俺とつき合い続けたいなら売り専なんか辞めろとたしなめる事も出来るだろうが、身体が弱く、学歴もないために生活を維持するためにやむを得なくしている仕事だとしたら、愛している相手として自分に出来ることはないかと考えるのは当然のことだ。
浩輔の方も、売れっ子モデルとは言え、龍太の母子家庭の生活を丸抱えして、なおかつ自分の生活も出来る程の富裕層ではない。
そのために出せる金は、1ヶ月に精一杯頑張っても10万円程度。
しかし、それだけでは、龍太が今売れ筋の「売り専」の売り子として稼いでいる金額には到底及ばない。
だが、龍太を自分のものだけにしておきたい浩輔は、何とか龍太に売り専を辞めてほしい。
それは、倫理観がどうのこうのという問題ではなく、あくまでも龍太を自分一人のものにしておきたいという、恋愛関係に陥った人なら誰でも持つ、ある意味エゴイスティックな感情だ。
そのために、自分に出来ることは、何でもする。この場合は1ヶ月に10万円の生活援助だ。だが、「売り専」の売り子は辞めるという条件付きだ。
もちろん、俺が10万円分お前を買うというのはたとえ話であり、浩輔には売り子として龍太を買う気など微塵もない。
但し、それ以上の援助は無理だから、足りない分は売り子以外の仕事を見つけて何とかしてほしいという条件付きだ。
龍太にしても、母親に言い出せないような仕事をしていることは、本当はやましい気持ちも持っている。
普通の社会人としての仕事をしているなら、たとえ、恋人の援助を受けながらでも、まともな仕事をしていると、母親に対して恥かしくない。安心させられると思ったのだろう。
しかし、そこには現実世界の厳しい罠が潜んでいた。生まれつき美しく生まれついた龍太は、残念な事に体は屈強ではなかった。
だから、体力と収入だけを問題にするなら、売り専の仕事は、まさに「適職」だったのだ。
浩輔と恋愛関係に陥ることがなければ。
恋愛が善か悪かという問題ではない。
恋愛にまつわる幸、不幸の問題はいつもあるが、恋愛をする事がその人の人生にとっていいことか、悪いことかという事は人それぞれであり、一概には言えない。
恋愛はしようと思って、必ずしも出来るものでもなく、知らず知らずに陥ってしまうものでもある。
恋愛を知らないものは、未だ人生の半分しか知らない、というフランスの格言があるが、それは確かにそうだろう。
しかし、一生恋愛に縁のない生活を送る人が不幸だとは言えない。
そこが恋愛の微妙なところだ。
恋は、やはりある種の病いなのかもしれない。
人を天国にも引き上げれば、次の瞬間に一気に地獄の底に突き落としたりもする、取り扱い注意の極めて危険なものだ。
浩輔からの援助と、社会人としての普通の仕事で、何とか2人の間は解決を迎えたように思えた。
しかし、浩輔から1ヶ月10万円の援助を受けても、以前の生活を続けるには昼夜働かなければならないほど、龍太の家の家計は貧しかった。
2人のデ━トの時間も少なくなった。
それでも、龍太は浩輔との約束を守り、売り専の仕事には戻らずに、昼夜問わずに安い時給の職場で働き続けた。
そういうところしか、高校中退した自分を雇ってくれるところはなかったからである。
過労は、確実に働くものの心と身体を蝕んで行く。
しかし、浩輔という恋人が龍太の心の支えとなった。
だが、身体の無理は、容赦なく龍太の身体を壊して行った。
浩輔が、何かもっといい仕事を紹介できる立場にあれば何とかなったのかもしれない。
しかし、そういうチャンスもなく、龍太は過労に過労を重ねて、遂に回復不能なほどに身体を壊し、あっけなく死んでしまった。
浩輔の龍太を自分のものだけにしておきたいと思ったエゴが、招いた結果と言ってもいいだろう。
もちろん、浩輔にしてみれば、こんな終わりを予想して提案した条件ではなかったが、愛し合う2人にとって、現実の恋愛はあまりに過酷なものであった。
ドラマをここまで観て、なぜ題名が「エゴイスト」なのかわかった。
浩輔が特別にエゴイスティックな人間だということではなく、恋愛というものが人を必然的にエゴイストにするということなのだ。
高橋真梨子の歌に「はがゆい唇」という歌がある。他人になら優しくできても、恋人に対してはエゴイストになる、と。
龍太が死んだ後、母親は息子の思い出を、浩輔は恋人の想い出をそれぞれの胸に抱いて、生きて行くのかと思っていたが、2時間ある上映時間がまだかなり残っている段階で、龍太の死が訪れたので、あとこれから何が始まるのだろうと訝しげに思っていたら、話は意外な方向に進み始めた。
日本に住むゲイに結婚制度は、2025年現在まだ適用されていない。
従って、パ━トナ━シップ制度さえ使っていない2人は、法律上は他人同士だ。
せいぜい、龍太の命日に墓参りをするくらいが精一杯の浩輔に出来る事だろう。
しかし、浩輔はここでも龍太の母親にお金を渡して、関係を繋ごうとする。
勿論、ゲイである浩輔が母親に恋愛感情を持ったからではない。
愛した人の母の窮状を見るに忍びないという、ある意味配偶者の亡くなったあとに、配偶者の親の心配をする者と同じである。
ゲイ同士で、法律上は他人でも一緒に暮らしたパ━トナ━の母親と、自分が思春期に亡くした母親への思いとが重なった部分もあるのだろう。
血のつながり、法的なつながりは、それぞれその特性が違う。
しかし、そのどちらがあっても心が通じ合わない、つまり愛がなければ他人より悪い関係にもなり得るし、このドラマのようにどちらもなくとも、そこに何らかの愛が生まれれば、そんなものより大切な存在になる人がいるという事が、この映画のメインテ━マではないだろうか。
龍太の母親を見舞いに来る度に、「息子さんですか?」と、同室の女性患者に問われる度に否定していた龍太の母が、最後は、「えぇ、私の自慢の息子です。」と言ったように、血のつながり、法律上のつながりばかりが親子ではない
心のつながりこそが、親子の証しだという何よりの証明ではないだろうか。
愛のカタチ
観ていてただ、ただ切ない。心臓が痛くなる。
作中でカッコいいなと思ったシーンが1箇所。浩輔のお父さんが言ったセリフで「嫌いになったら別れてやる。けど、そうじゃないなら二度とそんなこと言うな。」「だって、出会ってしまったんだ。仕方ないじゃないか。」自分もこんなお父さんのように愛と教養を持ち続けられる年の取り方をとりたいと思った。
愛とは何か
主人公の浩輔は大切な人たちを亡くしてばかりで、心中を察すると辛すぎます。声を殺して泣くか、大声で泣くしかないですね。物語は結構ダラダラ長く感じますが、鈴木亮平の演技で最後まで見ようという気にさせてもらえた。物語は同性愛者目線ですが、愛とは何か?を考えさせられた。浩輔には幸せを感じて生きていって欲しい。
さまざまなエゴを描いた映画?
男らしい風貌の鈴木亮平、透明感ある健気な雰囲気の宮沢氷魚。
ネットの広告で表示されるBL電子書籍のカップルそのまんまな組み合わせで、リアリティありました。
リュウタと一緒にいるために…も含め、健気に母親を支えるリュウタを金銭的に支援して満足し、
リュウタの母親に亡くなった自分の母親を重ね合わせて関係性を築こうとするコウスケのエゴ
生活のためにコウスケの金銭的支援を受け入れるリュウタやリュウタの母親
相手を思いやっているようでそこに上下関係が生まれていたり
自己満足のために相手を利用していたり
後ろめたさがありながらも受け入れたり…
主な登場3人の関係性は歪な始まり方だったし、互いのエゴがあった。
でも、自分のエゴがなかったらこの関係も生まれなかった。
そのつながり方が本当に最善だったのかは分からないけど
、それでも愛があったと感じる映画でした。
※ネタバレすみません
リュウタが死んだ後に流れる、コウスケとリュウタの日常の様子。
物語自体は決してハッピーエンドではないですが、この人に出会えてよかったという多幸感に溢れていました。バッドエンドの作品には感じませんでした。
一番のエゴイストは誰だったか
お金という分かりやすいツールを用いて「してあげる」ことで自己有用感を満たし、また望む結果を得ようとする浩輔。
その愛がエゴである…と言えなくもないけど、地面に落ちたコインを泣きながら拾い(この時、一瞬面倒くさそうな表情を見せる鈴木亮平の演技が秀逸すぎた。おそらく龍太を喪う前の彼なら拾わないのだ)、また泣きながら眉を描く浩輔は、誰よりも純愛の持ち主だと思った。
では、レビュータイトルの答えは誰か。
私は、妙子であると思う。
学生の息子がおり、自らも病を得ながら、公的支援を受けることをよしとしなかった。
結果、息子は高校を中退して働くことになるのだが、息子が「人を応援する仕事」に就いたことで、過去を正当化しようとする心の動きも見える。
稼ぎ頭だった龍太を喪ってなお、彼女は福祉の世話にはならない。
浩輔の援助は受け取るが、心の底から受け入れているわけではない。
きっと彼女の本質は、誇り高く、孤独を愛する人なのだ。
しかし同時に、困難の中で自分では決断しきれず、人の優しさに流されがちな弱さ・甘さも持っている。
私はそんな妙子のエゴを、「悪」だとは思えなかった。
ギリギリまで自力で何とかしようともがく妙子は、どの登場人物よりもリアルに人間くさい。
とっくに折れてもおかしくない心をどうにか奮い立たせ、自ら立とうとしている結果、そうなってしまったのだ。
彼女が龍太を心から愛しているのも本当だろう。
だから、自分の夫とは違って“真っ当に”頑張る青年に育ったことが嬉しいのだ。
彼女の選択や生き方が「正しい」かと言われれば首をひねるしかないけど、同じ「息子を持つ母親」としては、どうしようもなく共感してしまうのだ。
ラスト、初めて彼女は「まだ帰らないで」とエゴを表に出す。
死がすぐそばにある場面で、初めて心の底から人を求める。
それこそが、浩輔の真の救いになる。
見ている私も救いを得る。
なかなか不思議なカタルシスのある映画だった。
生きる‼️
ゲイである主人公・浩輔は幼い頃に母を亡くし、現在はファッション誌の仕事をしている。そして体の不自由な母を支えて暮らすパーソナルトレーナーの龍太と出会い、惹かれ合う・・・‼️とにかく鈴木亮平と宮沢氷魚の熱演が素晴らしい‼️お互いを想った時の表情なんか、まるで "恋する乙女"‼️ちょっとオネエな鈴木亮平も可愛らしい‼️ラブシーンの際どさも含めて、この二人のキャスティングなくして、この作品は成り立たなかったでしょう‼️そして物語も3分の2を過ぎたところで、何の前触れもなく龍太が死んでしまう‼️悲しみに暮れる浩輔は、龍太の母の面倒を見るようになる‼️この後半の展開が特に出色‼️主要人物の突然の死によって映画のリズム、展開がガラリと変わる‼️まるで黒澤明監督の「生きる」みたい‼️浩輔が龍太の母の世話をするのは、幼き日に死に別れた実母を龍太の母に重ね合わせたから‼️でもその原動力になったのは間違いなく龍太への愛であり、一方、母を遺して死んだことが心残りの龍太も浩輔の行動で報われると思うし、最愛の息子に先立たれた龍太の母も、世話をしてくれる浩輔を自分の息子のように思う‼️龍太の母の病気は残念ですが、それぞれのキャラクターの想いと願いが成就した、素晴らしい物語構成だったと思います‼️
まだ帰らないで
同性愛者が暮らしにくい田舎を出て東京に。
自分と同じ仲間といきいき過ごす浩輔。
若くて美しい龍太と知り合いお互いに
好きになりつきあっていくが、
龍太の家庭事情や私生活を慮ると共に
自身の気持ちを優先したいが為に、
ある提案をする。
二人でやれるところまでやってみよう、
お母さんの為に。
車を龍太名義で買って言う。
休みに二人で海に行く約束をしたが。
龍太一人働いている時の映像から予感できた。
けして本来の意味のエゴイストではない。
相手やその事情も鑑みてその上で自分の思いを
のせている。
相手も喜んでいたのだから。
この世界地獄だけじゃなかったんだ、と言う
龍太の言葉。
一人残された龍太の母に自分の母を重ねて
龍太の分も親孝行しようとするが、
辛い運命が。
だけどものともせずに前向きに進む浩輔。
母を愛する人を想い今日も明るく生きる浩輔。
苦しみをも乗り越えながら日々真面目に生きる
人間の姿を描いた作品で、
いなくなった龍太の分も母も浩輔もひたすら
生きていこうとする姿に共感。
龍太にあげたブルゾンを窮屈そうに着ている
浩輔、龍太の温もりを常に纏っている。
とても大きな愛
この作品は、龍太亡き後、恋人博輔と龍太の母親妙子の交流が素晴らしい。
後半部だけ見ても、そのクオリティの高さに熱いものを感じる。
ひとえに、博輔役の鈴木亮と妙子役の阿川佐和子のコラボが凄い。
特に龍太亡き後の哀しみを乗りこえて、妙子に寄り添う博輔がとても印象的だ。
14歳で母親を亡くした博輔は、妙子に亡き母親像を重ね合わせる。妙子が末期がんになった後は、その献身的な愛が、観る者の心を震わす。
鈴木亮平の、さりげなさの中に時折滲み出る愛の熱量に心が打たれた。そして宮沢氷魚は、既に「his」でゲイの役は経験済だが、さらに輝きを増したように思えた。
夫婦愛、家族愛ととかく愛というものは限定されがちだが、とても大きな愛に包みこまれたような感じがした。世武裕子のエンディングテーマも余韻が残る。
タイトルの意味はこういうことでしたか
ずっと気になっていて、配信で観ました。
原作も詳細も全く知りません。
前情報としては、劇場で観てきた人の
「とても良かったよ」という感想だけ。
物語は自分が予想していた方向とは全く違う方向に進んでいきました。
宮沢氷魚さん演じる若者に、何か物凄い事実が隠されているのか?とずっと思っていましたが
ある意味全ての予想を裏返してきました。
「誰か」の「ために」
という行為の裏表、そして、最後の阿川佐和子さんの言葉。
家のテレビだけど、エンドロールで拍手しました。
鈴木亮平さん、ほんとに素晴らしかったです。
最後の方の自販機の小銭を拾うシーン。
ああ、ああ と泣きながら観ていました。
タイトルがすごい
鈴木亮平の演技がすごい。
何気ない日常の様子も,ちょっとした仕草もゲイのそれなのだ。そして,この映画の1番の驚きはカメラワークだろう。すごい長回しで,画面が切れない為,実際の生活を見ているようなのだ。それはやはり役者の演技力だろう。
リュウタの母親役の阿川佐和子もそうだ。
彼に自分の病気を話す。彼が謝ってくるのに対する言葉かけは見事だ。愛がわからないという彼に、受け手が愛だと思ったら愛なのだという言葉はきっと彼を救っただろう。
ブランドに身を包み、お金を渡して関係を繋ぎ止めていたけれど、間違いなくこの親子に彼の愛が伝わっていただろう。
この映画にエゴイストとつけるのがすごいと思った。
えっ、終わったの?
鈴木の演技は役を演じてるというよりもゲイそのもの。
2丁目に行っただけで身に着けられる次元のものではない。
ゲイ仲間といる時は、小さな動作や仕草にゲイ感が醸し出されていたのに、実家等ではその素振りを見せないところの演じ分けも見事。
ぷにゅぷにゅのお腹を見せるという一瞬の要らないシーンのためだけに太ったのかと思うと、鈴木が可哀想でもあった。
水魚も凄い!愛する鈴木とやってる時の仕草や目。お客とやってる時の仕事感。その違いをひしひしと感じた。
私の友達も、実際水魚と同様に突然あっけなく昨年亡くなったことや、愛する人を亡くした時の記憶が重なって、葬式で崩れ落ちる場面では、こちらも涙腺崩壊。
愛してしまうと必ず訪れる「別れ」が、あまりにも辛すぎることを
映画上で追体験・疑似体験してしまう程。
お金で恋人を繋ぎ止める行為等をエゴイストと捉えた作品なのかな。
でも母親にそれをやんわりではあっても伝えることには度肝を抜かれたが
まるでドキュメンタリーを見ているかのようなカメラワークもあり、
感情移入してしまった。切なくて真っ直ぐで愛溢れる映画だった。
ただ、終わり方も突然でそこは特にイマイチだと感じた。
全87件中、1~20件目を表示