エゴイストのレビュー・感想・評価
全76件中、1~20件目を表示
さまざまなエゴを描いた映画?
男らしい風貌の鈴木亮平、透明感ある健気な雰囲気の宮沢氷魚。
ネットの広告で表示されるBL電子書籍のカップルそのまんまな組み合わせで、リアリティありました。
リュウタと一緒にいるために…も含め、健気に母親を支えるリュウタを金銭的に支援して満足し、
リュウタの母親に亡くなった自分の母親を重ね合わせて関係性を築こうとするコウスケのエゴ
生活のためにコウスケの金銭的支援を受け入れるリュウタやリュウタの母親
相手を思いやっているようでそこに上下関係が生まれていたり
自己満足のために相手を利用していたり
後ろめたさがありながらも受け入れたり…
主な登場3人の関係性は歪な始まり方だったし、互いのエゴがあった。
でも、自分のエゴがなかったらこの関係も生まれなかった。
そのつながり方が本当に最善だったのかは分からないけど
、それでも愛があったと感じる映画でした。
※ネタバレすみません
リュウタが死んだ後に流れる、コウスケとリュウタの日常の様子。
物語自体は決してハッピーエンドではないですが、この人に出会えてよかったという多幸感に溢れていました。バッドエンドの作品には感じませんでした。
一番のエゴイストは誰だったか
お金という分かりやすいツールを用いて「してあげる」ことで自己有用感を満たし、また望む結果を得ようとする浩輔。
その愛がエゴである…と言えなくもないけど、地面に落ちたコインを泣きながら拾い(この時、一瞬面倒くさそうな表情を見せる鈴木亮平の演技が秀逸すぎた。おそらく龍太を喪う前の彼なら拾わないのだ)、また泣きながら眉を描く浩輔は、誰よりも純愛の持ち主だと思った。
では、レビュータイトルの答えは誰か。
私は、妙子であると思う。
学生の息子がおり、自らも病を得ながら、公的支援を受けることをよしとしなかった。
結果、息子は高校を中退して働くことになるのだが、息子が「人を応援する仕事」に就いたことで、過去を正当化しようとする心の動きも見える。
稼ぎ頭だった龍太を喪ってなお、彼女は福祉の世話にはならない。
浩輔の援助は受け取るが、心の底から受け入れているわけではない。
きっと彼女の本質は、誇り高く、孤独を愛する人なのだ。
しかし同時に、困難の中で自分では決断しきれず、人の優しさに流されがちな弱さ・甘さも持っている。
私はそんな妙子のエゴを、「悪」だとは思えなかった。
ギリギリまで自力で何とかしようともがく妙子は、どの登場人物よりもリアルに人間くさい。
とっくに折れてもおかしくない心をどうにか奮い立たせ、自ら立とうとしている結果、そうなってしまったのだ。
彼女が龍太を心から愛しているのも本当だろう。
だから、自分の夫とは違って“真っ当に”頑張る青年に育ったことが嬉しいのだ。
彼女の選択や生き方が「正しい」かと言われれば首をひねるしかないけど、同じ「息子を持つ母親」としては、どうしようもなく共感してしまうのだ。
ラスト、初めて彼女は「まだ帰らないで」とエゴを表に出す。
死がすぐそばにある場面で、初めて心の底から人を求める。
それこそが、浩輔の真の救いになる。
見ている私も救いを得る。
なかなか不思議なカタルシスのある映画だった。
生きる‼️
ゲイである主人公・浩輔は幼い頃に母を亡くし、現在はファッション誌の仕事をしている。そして体の不自由な母を支えて暮らすパーソナルトレーナーの龍太と出会い、惹かれ合う・・・‼️とにかく鈴木亮平と宮沢氷魚の熱演が素晴らしい‼️お互いを想った時の表情なんか、まるで "恋する乙女"‼️ちょっとオネエな鈴木亮平も可愛らしい‼️ラブシーンの際どさも含めて、この二人のキャスティングなくして、この作品は成り立たなかったでしょう‼️そして物語も3分の2を過ぎたところで、何の前触れもなく龍太が死んでしまう‼️悲しみに暮れる浩輔は、龍太の母の面倒を見るようになる‼️この後半の展開が特に出色‼️主要人物の突然の死によって映画のリズム、展開がガラリと変わる‼️まるで黒澤明監督の「生きる」みたい‼️浩輔が龍太の母の世話をするのは、幼き日に死に別れた実母を龍太の母に重ね合わせたから‼️でもその原動力になったのは間違いなく龍太への愛であり、一方、母を遺して死んだことが心残りの龍太も浩輔の行動で報われると思うし、最愛の息子に先立たれた龍太の母も、世話をしてくれる浩輔を自分の息子のように思う‼️龍太の母の病気は残念ですが、それぞれのキャラクターの想いと願いが成就した、素晴らしい物語構成だったと思います‼️
まだ帰らないで
同性愛者が暮らしにくい田舎を出て東京に。
自分と同じ仲間といきいき過ごす浩輔。
若くて美しい龍太と知り合いお互いに
好きになりつきあっていくが、
龍太の家庭事情や私生活を慮ると共に
自身の気持ちを優先したいが為に、
ある提案をする。
二人でやれるところまでやってみよう、
お母さんの為に。
車を龍太名義で買って言う。
休みに二人で海に行く約束をしたが。
龍太一人働いている時の映像から予感できた。
けして本来の意味のエゴイストではない。
相手やその事情も鑑みてその上で自分の思いを
のせている。
相手も喜んでいたのだから。
この世界地獄だけじゃなかったんだ、と言う
龍太の言葉。
一人残された龍太の母に自分の母を重ねて
龍太の分も親孝行しようとするが、
辛い運命が。
だけどものともせずに前向きに進む浩輔。
母を愛する人を想い今日も明るく生きる浩輔。
苦しみをも乗り越えながら日々真面目に生きる
人間の姿を描いた作品で、
いなくなった龍太の分も母も浩輔もひたすら
生きていこうとする姿に共感。
龍太にあげたブルゾンを窮屈そうに着ている
浩輔、龍太の温もりを常に纏っている。
とても大きな愛
この作品は、龍太亡き後、恋人博輔と龍太の母親妙子の交流が素晴らしい。
後半部だけ見ても、そのクオリティの高さに熱いものを感じる。
ひとえに、博輔役の鈴木亮と妙子役の阿川佐和子のコラボが凄い。
特に龍太亡き後の哀しみを乗りこえて、妙子に寄り添う博輔がとても印象的だ。
14歳で母親を亡くした博輔は、妙子に亡き母親像を重ね合わせる。妙子が末期がんになった後は、その献身的な愛が、観る者の心を震わす。
鈴木亮平の、さりげなさの中に時折滲み出る愛の熱量に心が打たれた。そして宮沢氷魚は、既に「his」でゲイの役は経験済だが、さらに輝きを増したように思えた。
夫婦愛、家族愛ととかく愛というものは限定されがちだが、とても大きな愛に包みこまれたような感じがした。世武裕子のエンディングテーマも余韻が残る。
タイトルの意味はこういうことでしたか
ずっと気になっていて、配信で観ました。
原作も詳細も全く知りません。
前情報としては、劇場で観てきた人の
「とても良かったよ」という感想だけ。
物語は自分が予想していた方向とは全く違う方向に進んでいきました。
宮沢氷魚さん演じる若者に、何か物凄い事実が隠されているのか?とずっと思っていましたが
ある意味全ての予想を裏返してきました。
「誰か」の「ために」
という行為の裏表、そして、最後の阿川佐和子さんの言葉。
家のテレビだけど、エンドロールで拍手しました。
鈴木亮平さん、ほんとに素晴らしかったです。
最後の方の自販機の小銭を拾うシーン。
ああ、ああ と泣きながら観ていました。
タイトルがすごい
鈴木亮平の演技がすごい。
何気ない日常の様子も,ちょっとした仕草もゲイのそれなのだ。そして,この映画の1番の驚きはカメラワークだろう。すごい長回しで,画面が切れない為,実際の生活を見ているようなのだ。それはやはり役者の演技力だろう。
リュウタの母親役の阿川佐和子もそうだ。
彼に自分の病気を話す。彼が謝ってくるのに対する言葉かけは見事だ。愛がわからないという彼に、受け手が愛だと思ったら愛なのだという言葉はきっと彼を救っただろう。
ブランドに身を包み、お金を渡して関係を繋ぎ止めていたけれど、間違いなくこの親子に彼の愛が伝わっていただろう。
この映画にエゴイストとつけるのがすごいと思った。
えっ、終わったの?
鈴木の演技は役を演じてるというよりもゲイそのもの。
2丁目に行っただけで身に着けられる次元のものではない。
ゲイ仲間といる時は、小さな動作や仕草にゲイ感が醸し出されていたのに、実家等ではその素振りを見せないところの演じ分けも見事。
ぷにゅぷにゅのお腹を見せるという一瞬の要らないシーンのためだけに太ったのかと思うと、鈴木が可哀想でもあった。
水魚も凄い!愛する鈴木とやってる時の仕草や目。お客とやってる時の仕事感。その違いをひしひしと感じた。
私の友達も、実際水魚と同様に突然あっけなく昨年亡くなったことや、愛する人を亡くした時の記憶が重なって、葬式で崩れ落ちる場面では、こちらも涙腺崩壊。
愛してしまうと必ず訪れる「別れ」が、あまりにも辛すぎることを
映画上で追体験・疑似体験してしまう程。
お金で恋人を繋ぎ止める行為等をエゴイストと捉えた作品なのかな。
でも母親にそれをやんわりではあっても伝えることには度肝を抜かれたが
まるでドキュメンタリーを見ているかのようなカメラワークもあり、
感情移入してしまった。切なくて真っ直ぐで愛溢れる映画だった。
ただ、終わり方も突然でそこは特にイマイチだと感じた。
エゴと愛。
前半は、2人の愛の物語。
後半はそのお母さんとの愛の物語。
2人への愛が詰まってます。
お金を渡してつながっている関係を
人は良いとはしない方もいる。
ですが繋ぎ止めるにはそうするしかなかった選択や
人それぞれの思いがあって成り立っている関係。
やはり2人がいいとしてるなら、他人がとやかく言う必要ってないんだよなぁって思う作品でした。
男性同士の恋愛が世間ではまだ偏見の目があったり
彼女はいるの?結婚は?って質問も彼らにとっても
胸がキュッと締め付けられる質問であったり、
でもお母さんはその2人の関係に気づき、受け入れてたり。
エゴイストって題名ですが、
これは人をエゴと呼ぶのか。
彼自身から見たらエゴだけど、相手はそれをどう感じているか。
お母さんは、彼のエゴを愛とよんでいました。
愛が何かわからないという彼に、わからなくても私たちは愛だと思ってるからそれでいいのよって。
一緒に暮らしましょうっていう気持ちもわかるし
それはエゴだからダメと一線をおくお母さんの気持ちもよくわかります。
最初のシーンがリアルな模写が多く、家族団欒で見れる映画ではないですが、すごく素敵な作品です。
後半はずっと涙が止まらない時間が多々ありました。
ここに出ている役者さんたちは本当に演技が自然なのと
鈴木さんの演技のうまさに度肝抜かれると共に
お母さんの演技が、演技じゃないです。
本物です。あまりに自然すぎて自分の母親を照らし合わせてみてしまう時間や、映画の中にいるみたいな感情になるほどの、雰囲気と世界観に引き込まれます。
亡くなった理由は過労死?ですかね。
天国を信じない現実主義の彼はお母さんの
【天国で息子はあなたのお母さんのお世話をしている】
みたいな呟きのような問いかけに対して
【そうですね】と。
目に見えないものは信じないと言っていた彼が
お母さんの問いにはそうですねと答えているのが印象的でした。
映画前半で【優しい嘘もある】嘘には二つあると言っていた彼がついた、これは優しい嘘だったのか、それとも、そう信じたいって彼自身も思ったのか。
入院先を教えたら心配するからと教えなかったお母さんに対して、教えない方が心配しますって伝えているシーンや、最初は息子じゃないと説明してた、認知症の同じ病室の患者さんに、後半では【自慢の息子です】と伝えていて、入院先を教えてなかった相手へ最後には
【まだ帰らないで】【はい】と手を握り合って話している。
最初はエゴから始まったかもしれませんが
エゴではなく、お互いがお互いを求め合っていました。
ずっと胸が締め付けられる作品でした。
オネエの役者?さんたちの演技も自然でした。
リアル追及だが、ちょっと厳しい。
ジェンダーものも社会勉強のつもりで、とチョイスしたが、前半はちょっと厳しい。
後半からやっと映画のストーリーになってくる。
これは2組の息子と母親の関係と、高級服で鎧をまとってお金でしか繋がれない寂しさや虚しさ、急死する人を間近で経験した二人の思いが錯綜していく作品である。
後半をもっと丁寧に描いたらいいのに。
リュウタはどうして亡くなったのか。そのことについてのシーンがほとんどない。
そして恋人の母親との歪んだ関係。そこをもっと知りたかったな。
鈴木亮平はヤクザ役やったかと思えば、救急隊員やったり、変幻自在な俳優さんで役作りのストイックさを感じる。
辛くて何度も涙が出た。 自動販売機の前で主人公がお金を拾うシーンは...
辛くて何度も涙が出た。
自動販売機の前で主人公がお金を拾うシーンは、涙が溢れてきた。
2人の方向性の違う色気と演技力が素晴らしかった。
ストーリーはまさかの展開で、これが本当にあった話だと思うと、、、愛の奥深さとそれ故の辛さがひしひしとピリピリと伝わってきた。
ただ、前半の性描写はキツかった。
それが愛と気付くまで
出会いはスポーツジム。相手はトレーナーだった。
トレーニングの傍ら交流を重ねる内、意識し合う。惹かれ合う。
魅力的な所に惹かれた。
ピュアさに惹かれた。
深い関係になっていく。
浩輔と龍太。
昨今映画で、LGBTを題材にした作品が自然に当たり前のように描かれるようになって久しい。
ジェンダー意識が低いと言われる日本映画に於いてはどうか…?
近年の作品に留めるが、『彼らが本気で編むときは、』『his』『窮鼠はチーズの夢を見る』『ミッドナイトスワン』、今年の話題作『怪物』も。TVドラマでは『おっさんずラブ』、漫画/アニメでは“BL(ボーイズラブ)”というジャンルも。
いずれも秀作であり、訴えるもの、考えさせるもの、感動を呼ぶものがあった。
本作は邦画に於ける同ジャンルのエポックメーキングになるんじゃないかと思わせるほど真に迫る作品であった。
松永大司監督の繊細でドキュメンタリータッチの演出。
手持ちカメラのような映像は人によっては画面酔いしそうでもあるが、アップや長回し多用で、二人の視線や心情に寄り添うように見つめていく。
鈴木亮平と宮沢氷魚の二人には脱帽。
ちょっとした仕草や言葉遣いまで。鈴木亮平の凝った巧さ。
鈴木亮平と言えば『孤狼の血 LEVEL2』の恐演。その他の作品でも変幻自在。そんな中で本作での難役名演は随一ではなかろうか。
宮沢氷魚は『his』に続く同性愛者役だが、それは彼もまた巧く、繊細な表現が出来るから。柔らかさや誰から見ても可愛らしさ愛おしさを感じさせる。
キスシーンやラブシーンはかなり激しい。息遣い、匂い立つもの、感触まで伝わってきそうなほど。
同性愛カップルの絡みはこれも人によっては抵抗あるだろう。どうしても生々しさや感情移入のしづらさなど。
しかし個人的には、美しさを見た。同性愛カップルを描いてこんなにも美しさを感じたのは『ブロークバック・マウンテン』以来ではなかろうか。
同性愛云々ではない。人と人が惹かれ合い、想い合ってゆく、ただただその美しさ。
体現と言うより、ナチュラルさ。松永監督の手腕と、鈴木亮平&宮沢氷魚に改めて脱帽圧巻。
浩輔が龍太に惹かれたのは、母性くすぐるような愛らしさもあるが、彼のその人となりだろう。
トレーナーの仕事だけでは食っていけない。肉体労働の仕事も掛け持ち。
その懸命さ。明るさや和やかさは失わない。ふとした時、儚さ滲ませ…。
必死なのは自分の為だけじゃない。母の為。母親を養っている。
ここが浩輔にとっては大きなポイント。
浩輔は早くに母親を亡くしている。実家には父一人、命日になると必ず帰郷。
母親に何もしてあげられなかった。母親の為に頑張る龍太に、自分が出来なかった事を重ね合わせ…。
龍太は母親に浩輔を紹介し、母親も交え会食など交流を深める。
あくまで“友人”として。
正直前半はちとタルかった。
確かに名演や繊細な演出は素晴らしいが、話自体にそれほど大きな展開はない。
強いて言えば、龍太から別れたいと。龍太は“売り”をしている。そんな穢れた自分は浩輔に相応しくないと、辛いと…。
どうしても龍太に会いたい浩輔は、客を装って龍太を呼ぶ。ある提案をする…。
浩輔と龍太の関係、龍太の母親も交えた交流が続く。
話が動いたのは、中盤の突然の出来事。
龍太が、死んだ。
あまりにも突然の事。それは見ているこちらさえ。
喪失感。いや、気持ちの整理が付かない。
混乱し、ただただ龍太の母親に謝る。
どうしてあなたが謝るの…?
母親は知っていた。浩輔が龍太のただの友人ではなく、“大切な人”である事を。
龍太にとって浩輔は大切な人。
では、浩輔にとって龍太は…?
無論その感情は同じであろう。大切で、欠けがえのない人。
しかし、その想いや気持ちの本当の意味…。
そこにネックになってくるのが、お金である。
生前の龍太への浩輔からの提案。
お金面での援助。
自分のみならず母親の為にも頑張る龍太に、少しだけでも応援したい。
定期的にまとまった金を渡す。助力くらいに言ってるが、10万円は渡しているだろう。
お金だけじゃなく、高級なお寿司やお菓子も。お母さんへ、と。
勿論龍太は当初は拒むが、受け取る。
龍太は“売り”もしているので、その筋の仕事としては正当な報酬かもしれない。
が、両者共、お金の為の関係ではない事は確か。ただただ純粋に。
浩輔の援助は龍太亡き後も。龍太の母親を援助しようとする。
母親は断る。浩輔は引かない。息子が亡くなって生活に苦しくなるのは否めない。申し訳なく、ありがたく受ける。
ある時はこんな提案すら。一緒に暮らしませんか…?
無償。献身。浩輔のやってる事はなかなか出来るもんじゃない。大切な人ならまだしも、その母親にまで。
でも見方を変えれば、ちと度が過ぎている。
これは本当にピュアな誠意、気持ちや想いなのか…?
浩輔の生い立ちが関係している気がした。
生まれは地方。地元ではゲイとして散々差別偏見を受けていた。
東京へ。ファッション誌の編集者として成功を収める。
一定の富も地位も手に入れた。蔑んできた奴らを見返した。
お金さえあれば何でも手に入れられる。
それは言い換えれば、お金で気持ちも想いも表し、繋ぎ留めておく事しか出来ない。
別に浩輔は金の亡者でも横暴振るう権力者でもない。それでしか気持ちや想いを伝える事の出来ない哀しい人なのかもしれない。
そんな時出会った、大切な人。
龍太の母親が突然入院する。ステージ4のがん。長くは持たないかもしれない、と本人。
浩輔はまたしても謝る。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…。
どうしてあなたが謝るの…?
気付いてあげられなかった。
龍太なら気付いてかもしれない。
でもその龍太を自分と過ごす時間に費やし、気付かせられなかったから…。
実の母親を早くに亡くした浩輔にとって、龍太の母親は予期せず現れた母親のような人。
龍太の分も含めて、お母さんをもっともっと大事にしたい。
その矢先…。実の母親を亡くし、龍太を亡くし、さらには龍太の母親まで…。
どんなに気持ちや想いを“形”で伝えても、それは本当に相手へ届いているのだろうか…?
悲しみに暮れる浩輔に、龍太の母親が掛けた言葉が温かく包み込む。
尚、龍太の母親役の阿川佐和子の好演も特筆すべきもの。思ってた以上に大きな役回りで、その演技、優しさに救われる。
「分からなくても、私たちがそう思っている」
“愛”が何なのか。
自分のしてきた事は“愛”と言えるのか…?
相手の断りも押し通してお金などで援助。
相手は本当に喜んでいるのか、自分のただの自己満足ではないのか。
相手が不快感を示したら、それは勿論自分のただの自己満足だ。その時の自分はエゴイストでしかない。
しかし、相手がそれに愛を感じたら、それは真の愛だ。
愛とエゴは時に紙一重。
相手を一人占めしたい。欲したい。
激しい愛の形でもあり、エゴでもある。
淀んだ独占欲なら問題だが、ただただ不器用ながらもピュアで大切な気持ちや想い。
それもまたエゴ=愛の形。
激しく、大きく、強いものから、ほんのささやかなワガママまで。
ラストシーンの龍太の母親の台詞=頼みだって。
同性愛ラブストーリーとして始まり、家族愛や人間愛。
大きな愛の形に気付けば感動していた。
それが愛と気付くまで。
誰がエゴイストなのか
普通に考えれば主人公で、ほぼ彼の目線で物語が進む浩輔。経済的な理由で離れていく恋人・龍太を経済的援助で引き留める。が、その援助では足りない事は承知で、結果龍太は無理をして死亡。
でも、他の登場人物の浩輔の父、龍太と母もそれぞれにエゴが有ったのではないか。浩輔の父は本当に息子がゲイなのを気がついてないのか?中学の同級生にオカマ扱いされていたのに、親が気付かない?結婚や孫の話をする。
龍太も母も、拒否しながらも結局は経済的援助を受け入れる。龍太の死後、母と浩輔は疑似親子関係で空白を埋める。
みんな、エゴイスト。でも、人間なんてみんなエゴイスト。
アップの多用、公開時のレビューでカラミのシーンでアップが多く酔いそうになったと言うのを見たが、うん、確かに酔いそうになった。自分は80インチプロジェクターで観たけど、映画館のスクリーンだともっとかも。他のシーンでもそういう撮り方が多い。
序盤、頻繁に入るオネエ女子会って必要だったんかなぁ。
映像化とかされるゲイの同性愛ってオネエ表現が多いけど、性自認は男で、恋愛対象が男と言う人も当然居るだろうけども。描写しやすいんだろうなぁ。
愛の本質とは。行き場を失った愛を埋めようと奔走する姿。
観終えて最初に感じたことは「こういう愛の形もあるんだな」ということです。
恋人を金銭面で援助することや、愛した恋人が亡くなっても金銭面や身の回りの世話という形でその家族の面倒を見ている。
これは果たして「愛」なのだろうかと考えさせられました。
なぜならばもう愛した人は存在しないからです。
最初に生まれた愛が突如として行き場を失い、その悲しみや心の隙間を埋めようと亡くなった恋人の母親に向けられるエゴ。
主人公はこの作品で「わがまま」という言葉を何度も口にします。
自分のしていることへの葛藤と闘いながら自分の気持ちの整理をつけるために起こしていた行動だと思います。
愛に正解がないからこそ主人公のしている行動に違和感を感じつつも否定することはありません。
現実にもきっと様々な愛の形があるように、これもまたひとつの愛の形なんだと思います。
愛はたぶん身勝手…
ドキュメンタリーを見てるのかな…て、錯覚するくらい、全てのシーンがリアルで、台本がある物語だと言うこと忘れてしまいそうだった。
それだけ役者さんたちの演技力がもの凄かった。
この愛は身勝手ですか…
て、考え出したら、
はい、身勝手です。
にしか辿り着かない気がする…
愛は身勝手なんです、エゴなんです、と認めてしまっていいんじゃないかな。
「受け取る側が愛だと感じたら、それは愛なんです。」
て、龍太のお母さん言うてたし、それでいいと思う。
先に原作を読みました。
原作も映画もどっちも胸に刺さりました。
浩輔と中村親子がもっとたくさんの時間、幸せに過ごせたらよかったのに…
大きな愛(男でも女でも、親でも、関係なく)
ゲイカップルの愛を描いているようで、本当は人間の大きな愛を
描いた映画でした。
鈴木亮平の芯の強さ、ふところの深さを思い知らされた。
そして宮沢氷魚のピュアな透明感と優しさにも感動した。
手持ちカメラの映像がとても多くて、接写すると心の奥底まで、
掬い取るようなレンズでした。
ちょっと酔いそうだったけれど・・・そこがまた夢見心地を誘う。
2人の濡れ場はかなり情熱的で、激しかった。
愛し合って、龍太(宮沢氷魚)が帰った後で、浩輔(鈴木亮平)が歌う、
メロディと歌詞がすっごい沁みた!!
(ちあきなおみの「夜へ急ぐ人」って歌だそうなのですが、)
(浩輔のそれまでの夜の孤独と闇と傷を、
(癒す時間が、龍太・・なんだなと、)
浩輔と龍太が、愛し合う2人がもし日本で法律的に結婚出来ていたら、
龍太の命も救えたかも知れない。
法律の傘の下、法的に守られていたら、龍太は浩輔のお金を
当然の権利として受け取れた。
一緒に暮らして栄養ある食事も清潔な住まいもそして十分な
睡眠も取れたと思う。
そして日本がもっともっと福祉の厚い国なら、
龍太は高校を中退せずに通えたし、
母親も早期治療が受けられた筈です。
だから浩輔はエゴイストなんかではない。
心底優しい人です。
母親に対する心遣い・・・常に龍太の後ろにいる母親を思い遣る。
この映画で驚いたのは終盤は龍太の母・妙子(阿川佐和子)の比重が
とても重いこと。
病の重い母親の世話をして浩輔は献身的に支える。
実の母親を12歳で亡くした浩輔には妙子は母親の分身・身代わりです。
ここでも龍太と浩輔が結婚していたら?!
と、強く感じました。
そうしたら何の気兼ねもなく妙子は浩輔と同居したと思います。
原作では妙子と龍太とは健康保険にも入っていないと記述があるのです。
(保険料が払えなかったのです)
結婚して家族になれれば、癌の治療費も浩輔の健康保険を使えます。
浩輔はエゴイストではない。
法の整備が、同性婚を認めるのが、遅過ぎるのです。
宮沢氷魚の初々しさと可愛らしさ瑞々しさに見惚れて、
鈴木亮平のゲイの男らしさに惚れ惚れして、
(亮平のゲイバーでの仕草や語り口、上手い!!)
ゲイカップルの法整備・・・
訴える意図はなかったかも知れないのに、
結果的にその問題点を提起する映画になっている。
優しさの原点。
人を愛することの深さを教えてくれる
「ゲイ映画」の枠を
軽々と飛び越えた傑作でした。
東京でファッション誌の編集者として働く浩輔(鈴木亮平)。 ブランド...
東京でファッション誌の編集者として働く浩輔(鈴木亮平)。
ブランドファッションを身にまとい、さながらそれは甲冑、戦闘服のようでもある。
そんな浩輔も、同じゲイ仲間の前では優男になる。
ある日、仲間から紹介されたパーソナルトレーナーの龍太(宮沢氷魚)と出逢った浩輔は、ひとめで彼に惚れてしまい、すぐに肉体関係を持つことになる。
龍太が母親のために働いていることを知り、さらに入れあげるのだが、龍太の仕事はウリであった。
浩輔の思いは冷めることはなかったが、浩輔の思いを知った龍太はウリの仕事ができなくなり、浩輔に別れを切り出す・・・
といった物語で、ここまでが前半3分の1。
ここまでで、幾度となく浩輔と龍太の生々しい肉体シーンが登場し、息が詰まってしまう。
さらに、別れた後、ウリの仕事に戻った龍太の生々しいシーンも続き・・・
いやぁ、こんなにこの手のシーンが続く映画、日本映画の一般映画でははじめてではありますまいか。
かつてはそれ系の映画館もあったりしたが、観たことがなかったからねぇ。
と、そんな肉体シーンに息もつけない状態のなか、映画は突然の変転を迎える。
龍太が急死してしまうのだ。
えええ、そんな・・・
で、タイトルにもなっている「エゴイスト」が描かれるのは、この中盤以降。
龍太の代わりに、面倒をみようと浩輔が龍太の母親(阿川佐和子)に申し出、母親も仕方がなく受け入れる。
その浩輔は、ただの自己満足なのか、それとも無償の愛のようなものなのか。
映画の面白さは、この中盤以降に屹立して来、特に、実家との折り合いが悪い浩輔のハナシが加わるにあたって、代償的な愛にもみえるのだけれど、それを受け入れる龍太の母親がいいのである。
エゴも愛も紙一重。
いや、紙の両面、表と裏。
前半の肉体の葛藤が、後半は精神の葛藤へと昇華していく。
日本映画では、いろいろな意味で、近年稀にみる映画だったように感じました。
愛とは何か考えさせられた
同性愛について少しでも理解を深めたいため映画を見に行ったが、終盤で泣いてしまった。
愛情は相手のことを思うのであれば、なんでもやって良いのか、それをやっているのはただの寂しさの穴埋めじゃないのか、それとも社会が世間が、追いついていないせいなのか、そんな愛情表現は本当に相手にとって嬉しいと思って受け取ってもらえているのか、色々考えさせられた。
同性愛の人はもしかすると幼少期に辛い思いをした経験や、今も社会としてはマイノリティの立場に立っていると思う。
その中で、愛を模索している様が描かれており、非常に同性愛について理解が深まった。これがただの男女の恋愛だと薄っぺらい恋愛映画になるが、キャストのおかげもあってか非常によかった。
真面目そうな映画に見えて、鈴木亮平の歌のシーンや、少しクスッと笑えるような飲み会のシーンなどがあり、最初の方はあまり飽きずに観れた。ただ濡れ場シーンは過激。
そして、映画を見終わった後どうしても不明点が多かったため、原作を購入し分かった部分がいくつもあり、映画内での伝え方が少しだけ残念だった。
リアリティーと想像力
ゲイ界隈からの鳴り物入りのサポートにより、人物の所作や仲間との交流やセックスシーンのリアリティーは、従前のレベルをはるかに超えている。でもそれが本作のテーマである愛と献身を描くこととは少し平行線だったようにも感じた。
映画ならではのインテリアや肉体の表現は原作に比べると少し過剰。浩輔のメゾネット型ペントハウスは盛り過ぎだし、登場するゲイは所謂プロの人達。それらのリアリティーも厳しく言えば若干オールドファッション。だけど大画面で白昼堂々と一流の俳優によるゲイの日常を垣間見れるようになったことは成果の一つ。前半部の盛り気味で華やかな構成は後半との対比で十分効果的だった。音楽のセレクションと、盛り上がり部での無音の効果、そして勿論、俳優陣の演技が素晴らしかった。
賛否の分かれる後半部について、これが男女の夫婦の親ならあまり違和感は無いのだろう。この物語の面白いところは、LGBTなんて今や当たり前ですよというリベラル派の人々や当事者に対してすら、相方肉親の看護や看取りという題材の呈示により、制度と因習の思わぬ呪縛に気付かせる点にある。お金も絡む浩輔の一方的な、ある面で見返りを求めない愛はエゴイスティックかもしれないがまごうこと無き愛であり、それによって救われる他者との関係を示していた。様々な愛と献身の形があり、その尊い情景の一端を見せてくれたことも本作の成果。
時節柄LGBTの議論が喧しいが、少し身近なところから各人が想像力を働かせることによって見出せる糸口もあるのではと思う。病院で患者との関係を問われた際の「世話をしている者です」という浩輔の返答は、従来の紋切り型の拒絶をかわしていた。お互いが少し踏み留まって多様性に対する想像力を働かせることができたら、もう少し風通しの良い世界が広がるのではないかとも思う。
エゴイストの意味
私は境遇が似ているもので、非常に心に響く良い作品でした。
最初は主人公のオネエの演技に非常に違和感を感じましたが、他の作品よりはリアリティがあるかと思います。
中盤の山場、阿川さんとのやりとりは人事では無い共感を覚え、涙が止まりませんでした。
後半〜最後のシーンでタイトルの主題の意味が自分なりに理解でき、そういう事か。と。
エゴイストという武装をしていた主人公が最後に人から求められる事で心境に変化が起きる…
それを描写する鈴木亮平さんの演技、素晴らしかったです。
全76件中、1~20件目を表示