エゴイストのレビュー・感想・評価
全79件中、1~20件目を表示
みんなエゴイスト
よかった点
・鈴木亮平の演技がリアル。普段はノンケとして生きてるけど、ゲイぽさが少し漏れてしまうバランスとかすごい。
・BLみたいな雰囲気が出ず、ちゃんとゲイを描いているのに共感。同性愛の話としてでなくても、ストーリーはよいと思う(ただ、男女のカップルの話だったら映画化はされないと思うけど)
・タイトルとストーリーがあってる
うーんと思った点
・会ってすぐ体の関係になるのはよいのだが、その前にどっちがタチでウケかみたいな話もないし、いきなり入れて、また入れられて、ゲイの性描写がリアルでなく、急にファンタジー(BLの世界)みたいになったのが残念。
・ウリをやってるのにあんな純粋な子が本当にいるのか、これもまたファンタジー要素が強い。
・そして龍太が突然死をしたのがあまりに急で。確かに疲れてお弁当食べながら寝てたけど、過労死ということだよね。なぜそこまでして働く必要があるのか、そんなに働いていたのか、伝わってなかった。
・浩輔の友達(2丁目の飲み友達)は、リアルなゲイの方々と見受けたが、なんか浩輔とバランスが合っていなくて、飲み友達感がでてなかった。
話としてはとても良かった。
好きな人を夜の世界から連れ出したくてお金を渡したり、
受け取りながらも頑張って働きすぎたり、
病気になっても言えなかったり、
いろんなエゴが絡まるのが、リアルでよかった。
というわけで、上記から星3にしました。
エゴイストの本当の意味とは
ゲイのドロドロした展開を予想していたが、全く違う内容で、途中から、あぁ~、そっちへ行くのかと思いながら観ていた。
龍太の家庭は、父親が愛人を作って家出をしたため、一人息子の龍太が高校中退して家計を支える母子家庭。
母親が家計を支えて母子家庭で生きていくほど身体が強くないため、同じようにあまり身体が強くないが、高校中退して息子の龍太の方が働く事になった。
しかし、学歴のない龍太の就職先は、母子2人を支えていくほどの給料をもらえる仕事などそうは見つからない。
ゲイである龍太は、重労働ではなく、短時間で高額な収入を得られる「売り専」の仕事を、自分の美しい肉体を生かし、メインの裏仕事にし、表向きはジムのパ━ソナルトレ━ナ━として働いている。
ジムトレ━ナ━というと、本人も仕事の戦略も含めてマッチョというイメージがあるが、龍太は色白の美青年で、むしろゲイバーで働いている方が似つかわしく、なぜジムトレ━ナ━の仕事を選んだのかは映画の中では説明されていない。
そこにまず、実際のゲイの世界との違和感を感じる。
鈴木亮平演じる浩輔は、やはりゲイ設定だが、見た目は普通の男で、周りのゲイをオデ━ィションで選んだ素人のゲイで固めたため、ゲイとしての違和感はないが、やはり演技は稚拙。
その中にいると、鈴木亮平がゲイではないため、その演技にはやはり作り物感があるのは否めない。
宮沢氷魚とのセックスシ━ンは、外国ものの臨場感には及ばないものの、とりあえず合格点というところ。
さて、ゲイとしての本物感という事が、この映画の核でないことは言うまでもない。
この映画のスト━リーを、敢えて同性愛の世界に設定したのは何故なのか。異性愛の話にした方が、より演技も自然に出来たのではないかと見終わってから思い、ゲイ設定は、話題作りのためであり、異性愛者の役者がどこまでゲイを本物らしく演じられるのかという興味を、映画を観る際の集客ポイントとして設定したのかとも思った。
鈴木亮平がゲイだったらいいのにと思うファン層からは、ゲイ演技を期待する向きもあっただろうが、そこは多分期待外れだったろう。
だが、この映画の見どころはそこにはない。だからこそ、主人公のゲイ設定は必要がないような気がした。
ただ、原作は実話に基づいて書かれたという事なので、それを踏襲しただけなのかもしれない。
日本の俳優でゲイのカミングアウトをしている俳優は殆どいなくて、しかも演技が優れている事が必要とされるこの手の映画では、やはりヘテロの俳優から選ぶ以外に選択肢はなかったのだろう。
さて、前置きの感想はこのくらいにして、映画の本題に対するコメントを書こう。
この映画の本題である「エゴイスト」とは何なのか?
エゴイストという言葉のイメージから、相当のワルの主人公を想像して、実際にそういう展開になるのだろうと期待していた。
映画は、基本的にエンタ━テインメント。
面白い事が大前提。
そこからすると、この映画は随分真面目で奥が深い、エゴイスト、あるいはエゴとは何かを突き詰めて考えさせられる映画だったと思う。
出会いの場面は、ゲイによくあるパターン。
ジムで体を鍛えて、ゲイにモテる体作りが目的だ。ナルシストの自惚れも入っている。鏡を覗いては、自分の筋肉質の男らしい体に惚れ惚れする。そしてそれが男にモテる条件の1つになり得る。
かくして、浩輔と龍太はジムという、肉体嗜好のゲイが集まる所で必然的な出会いを果たす。
互いに好きになるには、どっちもタイプ同士であれは簡単な事だ。
これは、異性愛でも同じ事。
ゲイの世界だけが、男ならノンケでもゲイでも誰でも狙うということはない。
相手の好みのタイプにうるさいかどうかは、性的指向には全く関係なく、その人の価値観と人間性に基づいている。
外側の見た目に価値をおく人ほど、いわゆるタイプにうるさくなる。
自分のことは棚に上げても(笑)
閑話休題
この映画のエゴイストとは。
家庭の不幸な事情を抱えて、母親を助けながら、家計を支えている龍太の裏の仕事が「売り専」だった事が、2人が愛し合う事を難しくして行く。
龍太の家庭がいかに貧しくても、浩輔が富裕層なら、龍太と母親の生活費も含めて面倒を見る愛人にすれば何の問題もなく、話はすぐに決着する。
世の中によくある話で、敢えて映画にする必要もない。
龍太の方は、浩輔に会うまでは、生活費を稼ぐためと割り切って出来ていた「売り専」の仕事が、浩輔に対する恋愛感情のために、罪悪感を感じるようになり、上手く行かなくなる。
それは、生きて行くのに最低限必要な収入の道を絶たれることで、そこで恋愛感情を最優先させることは、自分と母親の生活が破綻することを意味する。
当然ながら、母親と自分の生活を犠牲にしてまで浩輔とつき合うのは、現実問題として不可能だ。
自分が「売り専」をしていることを知られないで別れるために、理由を言わずに龍太は浩輔に突然の別れを切り出す。
訳が分からない浩輔にしてみれば、理由も明かさずに別れることには納得が行かない。
母親への毎回の手土産を受け取る浩輔の好意が負担になったのか、と問いただす浩輔に龍太は、遂に本当の理由を吐き出すようにして浩輔に言い渡す。
単なるタイプでくっついているだけの相手なら、相手が売春で儲けようが、病気さえもらわぬようにしてくれれば構わないという人もいるだろう。
だが、恋愛感情を双方が持っている場合は、当然こういう帰結になる。
龍太にしてみれば、別れて元の生活に戻らなければ、自分と母親の人生は破綻する自滅への道へと進むしかない。
一方、浩輔の方は恋愛感情を持ってつき合っている相手が、愛のない相手とセックスをすることには耐えられないだろう。
それが、単にお金が欲しいからという理由だけで龍太が「売り専」をやっているなら、俺とつき合い続けたいなら売り専なんか辞めろとたしなめる事も出来るだろうが、身体が弱く、学歴もないために生活を維持するためにやむを得なくしている仕事だとしたら、愛している相手として自分に出来ることはないかと考えるのは当然のことだ。
浩輔の方も、売れっ子モデルとは言え、龍太の母子家庭の生活を丸抱えして、なおかつ自分の生活も出来る程の富裕層ではない。
そのために出せる金は、1ヶ月に精一杯頑張っても10万円程度。
しかし、それだけでは、龍太が今売れ筋の「売り専」の売り子として稼いでいる金額には到底及ばない。
だが、龍太を自分のものだけにしておきたい浩輔は、何とか龍太に売り専を辞めてほしい。
それは、倫理観がどうのこうのという問題ではなく、あくまでも龍太を自分一人のものにしておきたいという、恋愛関係に陥った人なら誰でも持つ、ある意味エゴイスティックな感情だ。
そのために、自分に出来ることは、何でもする。この場合は1ヶ月に10万円の生活援助だ。だが、「売り専」の売り子は辞めるという条件付きだ。
もちろん、俺が10万円分お前を買うというのはたとえ話であり、浩輔には売り子として龍太を買う気など微塵もない。
但し、それ以上の援助は無理だから、足りない分は売り子以外の仕事を見つけて何とかしてほしいという条件付きだ。
龍太にしても、母親に言い出せないような仕事をしていることは、本当はやましい気持ちも持っている。
普通の社会人としての仕事をしているなら、たとえ、恋人の援助を受けながらでも、まともな仕事をしていると、母親に対して恥かしくない。安心させられると思ったのだろう。
しかし、そこには現実世界の厳しい罠が潜んでいた。生まれつき美しく生まれついた龍太は、残念な事に体は屈強ではなかった。
だから、体力と収入だけを問題にするなら、売り専の仕事は、まさに「適職」だったのだ。
浩輔と恋愛関係に陥ることがなければ。
恋愛が善か悪かという問題ではない。
恋愛にまつわる幸、不幸の問題はいつもあるが、恋愛をする事がその人の人生にとっていいことか、悪いことかという事は人それぞれであり、一概には言えない。
恋愛はしようと思って、必ずしも出来るものでもなく、知らず知らずに陥ってしまうものでもある。
恋愛を知らないものは、未だ人生の半分しか知らない、というフランスの格言があるが、それは確かにそうだろう。
しかし、一生恋愛に縁のない生活を送る人が不幸だとは言えない。
そこが恋愛の微妙なところだ。
恋は、やはりある種の病いなのかもしれない。
人を天国にも引き上げれば、次の瞬間に一気に地獄の底に突き落としたりもする、取り扱い注意の極めて危険なものだ。
浩輔からの援助と、社会人としての普通の仕事で、何とか2人の間は解決を迎えたように思えた。
しかし、浩輔から1ヶ月10万円の援助を受けても、以前の生活を続けるには昼夜働かなければならないほど、龍太の家の家計は貧しかった。
2人のデ━トの時間も少なくなった。
それでも、龍太は浩輔との約束を守り、売り専の仕事には戻らずに、昼夜問わずに安い時給の職場で働き続けた。
そういうところしか、高校中退した自分を雇ってくれるところはなかったからである。
過労は、確実に働くものの心と身体を蝕んで行く。
しかし、浩輔という恋人が龍太の心の支えとなった。
だが、身体の無理は、容赦なく龍太の身体を壊して行った。
浩輔が、何かもっといい仕事を紹介できる立場にあれば何とかなったのかもしれない。
しかし、そういうチャンスもなく、龍太は過労に過労を重ねて、遂に回復不能なほどに身体を壊し、あっけなく死んでしまった。
浩輔の龍太を自分のものだけにしておきたいと思ったエゴが、招いた結果と言ってもいいだろう。
もちろん、浩輔にしてみれば、こんな終わりを予想して提案した条件ではなかったが、愛し合う2人にとって、現実の恋愛はあまりに過酷なものであった。
ドラマをここまで観て、なぜ題名が「エゴイスト」なのかわかった。
浩輔が特別にエゴイスティックな人間だということではなく、恋愛というものが人を必然的にエゴイストにするということなのだ。
高橋真梨子の歌に「はがゆい唇」という歌がある。他人になら優しくできても、恋人に対してはエゴイストになる、と。
龍太が死んだ後、母親は息子の思い出を、浩輔は恋人の想い出をそれぞれの胸に抱いて、生きて行くのかと思っていたが、2時間ある上映時間がまだかなり残っている段階で、龍太の死が訪れたので、あとこれから何が始まるのだろうと訝しげに思っていたら、話は意外な方向に進み始めた。
日本に住むゲイに結婚制度は、2025年現在まだ適用されていない。
従って、パ━トナ━シップ制度さえ使っていない2人は、法律上は他人同士だ。
せいぜい、龍太の命日に墓参りをするくらいが精一杯の浩輔に出来る事だろう。
しかし、浩輔はここでも龍太の母親にお金を渡して、関係を繋ごうとする。
勿論、ゲイである浩輔が母親に恋愛感情を持ったからではない。
愛した人の母の窮状を見るに忍びないという、ある意味配偶者の亡くなったあとに、配偶者の親の心配をする者と同じである。
ゲイ同士で、法律上は他人でも一緒に暮らしたパ━トナ━の母親と、自分が思春期に亡くした母親への思いとが重なった部分もあるのだろう。
血のつながり、法的なつながりは、それぞれその特性が違う。
しかし、そのどちらがあっても心が通じ合わない、つまり愛がなければ他人より悪い関係にもなり得るし、このドラマのようにどちらもなくとも、そこに何らかの愛が生まれれば、そんなものより大切な存在になる人がいるという事が、この映画のメインテ━マではないだろうか。
龍太の母親を見舞いに来る度に、「息子さんですか?」と、同室の女性患者に問われる度に否定していた龍太の母が、最後は、「えぇ、私の自慢の息子です。」と言ったように、血のつながり、法律上のつながりばかりが親子ではない
心のつながりこそが、親子の証しだという何よりの証明ではないだろうか。
愛のカタチ
観ていてただ、ただ切ない。心臓が痛くなる。
作中でカッコいいなと思ったシーンが1箇所。浩輔のお父さんが言ったセリフで「嫌いになったら別れてやる。けど、そうじゃないなら二度とそんなこと言うな。」「だって、出会ってしまったんだ。仕方ないじゃないか。」自分もこんなお父さんのように愛と教養を持ち続けられる年の取り方をとりたいと思った。
愛とは何か
主人公の浩輔は大切な人たちを亡くしてばかりで、心中を察すると辛すぎます。声を殺して泣くか、大声で泣くしかないですね。物語は結構ダラダラ長く感じますが、鈴木亮平の演技で最後まで見ようという気にさせてもらえた。物語は同性愛者目線ですが、愛とは何か?を考えさせられた。浩輔には幸せを感じて生きていって欲しい。
さまざまなエゴを描いた映画?
男らしい風貌の鈴木亮平、透明感ある健気な雰囲気の宮沢氷魚。
ネットの広告で表示されるBL電子書籍のカップルそのまんまな組み合わせで、リアリティありました。
リュウタと一緒にいるために…も含め、健気に母親を支えるリュウタを金銭的に支援して満足し、
リュウタの母親に亡くなった自分の母親を重ね合わせて関係性を築こうとするコウスケのエゴ
生活のためにコウスケの金銭的支援を受け入れるリュウタやリュウタの母親
相手を思いやっているようでそこに上下関係が生まれていたり
自己満足のために相手を利用していたり
後ろめたさがありながらも受け入れたり…
主な登場3人の関係性は歪な始まり方だったし、互いのエゴがあった。
でも、自分のエゴがなかったらこの関係も生まれなかった。
そのつながり方が本当に最善だったのかは分からないけど
、それでも愛があったと感じる映画でした。
※ネタバレすみません
リュウタが死んだ後に流れる、コウスケとリュウタの日常の様子。
物語自体は決してハッピーエンドではないですが、この人に出会えてよかったという多幸感に溢れていました。バッドエンドの作品には感じませんでした。
一番のエゴイストは誰だったか
お金という分かりやすいツールを用いて「してあげる」ことで自己有用感を満たし、また望む結果を得ようとする浩輔。
その愛がエゴである…と言えなくもないけど、地面に落ちたコインを泣きながら拾い(この時、一瞬面倒くさそうな表情を見せる鈴木亮平の演技が秀逸すぎた。おそらく龍太を喪う前の彼なら拾わないのだ)、また泣きながら眉を描く浩輔は、誰よりも純愛の持ち主だと思った。
では、レビュータイトルの答えは誰か。
私は、妙子であると思う。
学生の息子がおり、自らも病を得ながら、公的支援を受けることをよしとしなかった。
結果、息子は高校を中退して働くことになるのだが、息子が「人を応援する仕事」に就いたことで、過去を正当化しようとする心の動きも見える。
稼ぎ頭だった龍太を喪ってなお、彼女は福祉の世話にはならない。
浩輔の援助は受け取るが、心の底から受け入れているわけではない。
きっと彼女の本質は、誇り高く、孤独を愛する人なのだ。
しかし同時に、困難の中で自分では決断しきれず、人の優しさに流されがちな弱さ・甘さも持っている。
私はそんな妙子のエゴを、「悪」だとは思えなかった。
ギリギリまで自力で何とかしようともがく妙子は、どの登場人物よりもリアルに人間くさい。
とっくに折れてもおかしくない心をどうにか奮い立たせ、自ら立とうとしている結果、そうなってしまったのだ。
彼女が龍太を心から愛しているのも本当だろう。
だから、自分の夫とは違って“真っ当に”頑張る青年に育ったことが嬉しいのだ。
彼女の選択や生き方が「正しい」かと言われれば首をひねるしかないけど、同じ「息子を持つ母親」としては、どうしようもなく共感してしまうのだ。
ラスト、初めて彼女は「まだ帰らないで」とエゴを表に出す。
死がすぐそばにある場面で、初めて心の底から人を求める。
それこそが、浩輔の真の救いになる。
見ている私も救いを得る。
なかなか不思議なカタルシスのある映画だった。
生きる‼️
ゲイである主人公・浩輔は幼い頃に母を亡くし、現在はファッション誌の仕事をしている。そして体の不自由な母を支えて暮らすパーソナルトレーナーの龍太と出会い、惹かれ合う・・・‼️とにかく鈴木亮平と宮沢氷魚の熱演が素晴らしい‼️お互いを想った時の表情なんか、まるで "恋する乙女"‼️ちょっとオネエな鈴木亮平も可愛らしい‼️ラブシーンの際どさも含めて、この二人のキャスティングなくして、この作品は成り立たなかったでしょう‼️そして物語も3分の2を過ぎたところで、何の前触れもなく龍太が死んでしまう‼️悲しみに暮れる浩輔は、龍太の母の面倒を見るようになる‼️この後半の展開が特に出色‼️主要人物の突然の死によって映画のリズム、展開がガラリと変わる‼️まるで黒澤明監督の「生きる」みたい‼️浩輔が龍太の母の世話をするのは、幼き日に死に別れた実母を龍太の母に重ね合わせたから‼️でもその原動力になったのは間違いなく龍太への愛であり、一方、母を遺して死んだことが心残りの龍太も浩輔の行動で報われると思うし、最愛の息子に先立たれた龍太の母も、世話をしてくれる浩輔を自分の息子のように思う‼️龍太の母の病気は残念ですが、それぞれのキャラクターの想いと願いが成就した、素晴らしい物語構成だったと思います‼️
まだ帰らないで
同性愛者が暮らしにくい田舎を出て東京に。
自分と同じ仲間といきいき過ごす浩輔。
若くて美しい龍太と知り合いお互いに
好きになりつきあっていくが、
龍太の家庭事情や私生活を慮ると共に
自身の気持ちを優先したいが為に、
ある提案をする。
二人でやれるところまでやってみよう、
お母さんの為に。
車を龍太名義で買って言う。
休みに二人で海に行く約束をしたが。
龍太一人働いている時の映像から予感できた。
けして本来の意味のエゴイストではない。
相手やその事情も鑑みてその上で自分の思いを
のせている。
相手も喜んでいたのだから。
この世界地獄だけじゃなかったんだ、と言う
龍太の言葉。
一人残された龍太の母に自分の母を重ねて
龍太の分も親孝行しようとするが、
辛い運命が。
だけどものともせずに前向きに進む浩輔。
母を愛する人を想い今日も明るく生きる浩輔。
苦しみをも乗り越えながら日々真面目に生きる
人間の姿を描いた作品で、
いなくなった龍太の分も母も浩輔もひたすら
生きていこうとする姿に共感。
龍太にあげたブルゾンを窮屈そうに着ている
浩輔、龍太の温もりを常に纏っている。
とても大きな愛
この作品は、龍太亡き後、恋人博輔と龍太の母親妙子の交流が素晴らしい。
後半部だけ見ても、そのクオリティの高さに熱いものを感じる。
ひとえに、博輔役の鈴木亮と妙子役の阿川佐和子のコラボが凄い。
特に龍太亡き後の哀しみを乗りこえて、妙子に寄り添う博輔がとても印象的だ。
14歳で母親を亡くした博輔は、妙子に亡き母親像を重ね合わせる。妙子が末期がんになった後は、その献身的な愛が、観る者の心を震わす。
鈴木亮平の、さりげなさの中に時折滲み出る愛の熱量に心が打たれた。そして宮沢氷魚は、既に「his」でゲイの役は経験済だが、さらに輝きを増したように思えた。
夫婦愛、家族愛ととかく愛というものは限定されがちだが、とても大きな愛に包みこまれたような感じがした。世武裕子のエンディングテーマも余韻が残る。
タイトルの意味はこういうことでしたか
ずっと気になっていて、配信で観ました。
原作も詳細も全く知りません。
前情報としては、劇場で観てきた人の
「とても良かったよ」という感想だけ。
物語は自分が予想していた方向とは全く違う方向に進んでいきました。
宮沢氷魚さん演じる若者に、何か物凄い事実が隠されているのか?とずっと思っていましたが
ある意味全ての予想を裏返してきました。
「誰か」の「ために」
という行為の裏表、そして、最後の阿川佐和子さんの言葉。
家のテレビだけど、エンドロールで拍手しました。
鈴木亮平さん、ほんとに素晴らしかったです。
最後の方の自販機の小銭を拾うシーン。
ああ、ああ と泣きながら観ていました。
タイトルがすごい
鈴木亮平の演技がすごい。
何気ない日常の様子も,ちょっとした仕草もゲイのそれなのだ。そして,この映画の1番の驚きはカメラワークだろう。すごい長回しで,画面が切れない為,実際の生活を見ているようなのだ。それはやはり役者の演技力だろう。
リュウタの母親役の阿川佐和子もそうだ。
彼に自分の病気を話す。彼が謝ってくるのに対する言葉かけは見事だ。愛がわからないという彼に、受け手が愛だと思ったら愛なのだという言葉はきっと彼を救っただろう。
ブランドに身を包み、お金を渡して関係を繋ぎ止めていたけれど、間違いなくこの親子に彼の愛が伝わっていただろう。
この映画にエゴイストとつけるのがすごいと思った。
えっ、終わったの?
鈴木の演技は役を演じてるというよりもゲイそのもの。
2丁目に行っただけで身に着けられる次元のものではない。
ゲイ仲間といる時は、小さな動作や仕草にゲイ感が醸し出されていたのに、実家等ではその素振りを見せないところの演じ分けも見事。
ぷにゅぷにゅのお腹を見せるという一瞬の要らないシーンのためだけに太ったのかと思うと、鈴木が可哀想でもあった。
水魚も凄い!愛する鈴木とやってる時の仕草や目。お客とやってる時の仕事感。その違いをひしひしと感じた。
私の友達も、実際水魚と同様に突然あっけなく昨年亡くなったことや、愛する人を亡くした時の記憶が重なって、葬式で崩れ落ちる場面では、こちらも涙腺崩壊。
愛してしまうと必ず訪れる「別れ」が、あまりにも辛すぎることを
映画上で追体験・疑似体験してしまう程。
お金で恋人を繋ぎ止める行為等をエゴイストと捉えた作品なのかな。
でも母親にそれをやんわりではあっても伝えることには度肝を抜かれたが
まるでドキュメンタリーを見ているかのようなカメラワークもあり、
感情移入してしまった。切なくて真っ直ぐで愛溢れる映画だった。
ただ、終わり方も突然でそこは特にイマイチだと感じた。
エゴと愛。
前半は、2人の愛の物語。
後半はそのお母さんとの愛の物語。
2人への愛が詰まってます。
お金を渡してつながっている関係を
人は良いとはしない方もいる。
ですが繋ぎ止めるにはそうするしかなかった選択や
人それぞれの思いがあって成り立っている関係。
やはり2人がいいとしてるなら、他人がとやかく言う必要ってないんだよなぁって思う作品でした。
男性同士の恋愛が世間ではまだ偏見の目があったり
彼女はいるの?結婚は?って質問も彼らにとっても
胸がキュッと締め付けられる質問であったり、
でもお母さんはその2人の関係に気づき、受け入れてたり。
エゴイストって題名ですが、
これは人をエゴと呼ぶのか。
彼自身から見たらエゴだけど、相手はそれをどう感じているか。
お母さんは、彼のエゴを愛とよんでいました。
愛が何かわからないという彼に、わからなくても私たちは愛だと思ってるからそれでいいのよって。
一緒に暮らしましょうっていう気持ちもわかるし
それはエゴだからダメと一線をおくお母さんの気持ちもよくわかります。
最初のシーンがリアルな模写が多く、家族団欒で見れる映画ではないですが、すごく素敵な作品です。
後半はずっと涙が止まらない時間が多々ありました。
ここに出ている役者さんたちは本当に演技が自然なのと
鈴木さんの演技のうまさに度肝抜かれると共に
お母さんの演技が、演技じゃないです。
本物です。あまりに自然すぎて自分の母親を照らし合わせてみてしまう時間や、映画の中にいるみたいな感情になるほどの、雰囲気と世界観に引き込まれます。
亡くなった理由は過労死?ですかね。
天国を信じない現実主義の彼はお母さんの
【天国で息子はあなたのお母さんのお世話をしている】
みたいな呟きのような問いかけに対して
【そうですね】と。
目に見えないものは信じないと言っていた彼が
お母さんの問いにはそうですねと答えているのが印象的でした。
映画前半で【優しい嘘もある】嘘には二つあると言っていた彼がついた、これは優しい嘘だったのか、それとも、そう信じたいって彼自身も思ったのか。
入院先を教えたら心配するからと教えなかったお母さんに対して、教えない方が心配しますって伝えているシーンや、最初は息子じゃないと説明してた、認知症の同じ病室の患者さんに、後半では【自慢の息子です】と伝えていて、入院先を教えてなかった相手へ最後には
【まだ帰らないで】【はい】と手を握り合って話している。
最初はエゴから始まったかもしれませんが
エゴではなく、お互いがお互いを求め合っていました。
ずっと胸が締め付けられる作品でした。
オネエの役者?さんたちの演技も自然でした。
リアル追及だが、ちょっと厳しい。
ジェンダーものも社会勉強のつもりで、とチョイスしたが、前半はちょっと厳しい。
後半からやっと映画のストーリーになってくる。
これは2組の息子と母親の関係と、高級服で鎧をまとってお金でしか繋がれない寂しさや虚しさ、急死する人を間近で経験した二人の思いが錯綜していく作品である。
後半をもっと丁寧に描いたらいいのに。
リュウタはどうして亡くなったのか。そのことについてのシーンがほとんどない。
そして恋人の母親との歪んだ関係。そこをもっと知りたかったな。
鈴木亮平はヤクザ役やったかと思えば、救急隊員やったり、変幻自在な俳優さんで役作りのストイックさを感じる。
タイトルなし(ネタバレ)
辛くて何度も涙が出た。
自動販売機の前で主人公がお金を拾うシーンは、涙が溢れてきた。
2人の方向性の違う色気と演技力が素晴らしかった。
ストーリーはまさかの展開で、これが本当にあった話だと思うと、、、愛の奥深さとそれ故の辛さがひしひしとピリピリと伝わってきた。
ただ、前半の性描写はキツかった。
それが愛と気付くまで
出会いはスポーツジム。相手はトレーナーだった。
トレーニングの傍ら交流を重ねる内、意識し合う。惹かれ合う。
魅力的な所に惹かれた。
ピュアさに惹かれた。
深い関係になっていく。
浩輔と龍太。
昨今映画で、LGBTを題材にした作品が自然に当たり前のように描かれるようになって久しい。
ジェンダー意識が低いと言われる日本映画に於いてはどうか…?
近年の作品に留めるが、『彼らが本気で編むときは、』『his』『窮鼠はチーズの夢を見る』『ミッドナイトスワン』、今年の話題作『怪物』も。TVドラマでは『おっさんずラブ』、漫画/アニメでは“BL(ボーイズラブ)”というジャンルも。
いずれも秀作であり、訴えるもの、考えさせるもの、感動を呼ぶものがあった。
本作は邦画に於ける同ジャンルのエポックメーキングになるんじゃないかと思わせるほど真に迫る作品であった。
松永大司監督の繊細でドキュメンタリータッチの演出。
手持ちカメラのような映像は人によっては画面酔いしそうでもあるが、アップや長回し多用で、二人の視線や心情に寄り添うように見つめていく。
鈴木亮平と宮沢氷魚の二人には脱帽。
ちょっとした仕草や言葉遣いまで。鈴木亮平の凝った巧さ。
鈴木亮平と言えば『孤狼の血 LEVEL2』の恐演。その他の作品でも変幻自在。そんな中で本作での難役名演は随一ではなかろうか。
宮沢氷魚は『his』に続く同性愛者役だが、それは彼もまた巧く、繊細な表現が出来るから。柔らかさや誰から見ても可愛らしさ愛おしさを感じさせる。
キスシーンやラブシーンはかなり激しい。息遣い、匂い立つもの、感触まで伝わってきそうなほど。
同性愛カップルの絡みはこれも人によっては抵抗あるだろう。どうしても生々しさや感情移入のしづらさなど。
しかし個人的には、美しさを見た。同性愛カップルを描いてこんなにも美しさを感じたのは『ブロークバック・マウンテン』以来ではなかろうか。
同性愛云々ではない。人と人が惹かれ合い、想い合ってゆく、ただただその美しさ。
体現と言うより、ナチュラルさ。松永監督の手腕と、鈴木亮平&宮沢氷魚に改めて脱帽圧巻。
浩輔が龍太に惹かれたのは、母性くすぐるような愛らしさもあるが、彼のその人となりだろう。
トレーナーの仕事だけでは食っていけない。肉体労働の仕事も掛け持ち。
その懸命さ。明るさや和やかさは失わない。ふとした時、儚さ滲ませ…。
必死なのは自分の為だけじゃない。母の為。母親を養っている。
ここが浩輔にとっては大きなポイント。
浩輔は早くに母親を亡くしている。実家には父一人、命日になると必ず帰郷。
母親に何もしてあげられなかった。母親の為に頑張る龍太に、自分が出来なかった事を重ね合わせ…。
龍太は母親に浩輔を紹介し、母親も交え会食など交流を深める。
あくまで“友人”として。
正直前半はちとタルかった。
確かに名演や繊細な演出は素晴らしいが、話自体にそれほど大きな展開はない。
強いて言えば、龍太から別れたいと。龍太は“売り”をしている。そんな穢れた自分は浩輔に相応しくないと、辛いと…。
どうしても龍太に会いたい浩輔は、客を装って龍太を呼ぶ。ある提案をする…。
浩輔と龍太の関係、龍太の母親も交えた交流が続く。
話が動いたのは、中盤の突然の出来事。
龍太が、死んだ。
あまりにも突然の事。それは見ているこちらさえ。
喪失感。いや、気持ちの整理が付かない。
混乱し、ただただ龍太の母親に謝る。
どうしてあなたが謝るの…?
母親は知っていた。浩輔が龍太のただの友人ではなく、“大切な人”である事を。
龍太にとって浩輔は大切な人。
では、浩輔にとって龍太は…?
無論その感情は同じであろう。大切で、欠けがえのない人。
しかし、その想いや気持ちの本当の意味…。
そこにネックになってくるのが、お金である。
生前の龍太への浩輔からの提案。
お金面での援助。
自分のみならず母親の為にも頑張る龍太に、少しだけでも応援したい。
定期的にまとまった金を渡す。助力くらいに言ってるが、10万円は渡しているだろう。
お金だけじゃなく、高級なお寿司やお菓子も。お母さんへ、と。
勿論龍太は当初は拒むが、受け取る。
龍太は“売り”もしているので、その筋の仕事としては正当な報酬かもしれない。
が、両者共、お金の為の関係ではない事は確か。ただただ純粋に。
浩輔の援助は龍太亡き後も。龍太の母親を援助しようとする。
母親は断る。浩輔は引かない。息子が亡くなって生活に苦しくなるのは否めない。申し訳なく、ありがたく受ける。
ある時はこんな提案すら。一緒に暮らしませんか…?
無償。献身。浩輔のやってる事はなかなか出来るもんじゃない。大切な人ならまだしも、その母親にまで。
でも見方を変えれば、ちと度が過ぎている。
これは本当にピュアな誠意、気持ちや想いなのか…?
浩輔の生い立ちが関係している気がした。
生まれは地方。地元ではゲイとして散々差別偏見を受けていた。
東京へ。ファッション誌の編集者として成功を収める。
一定の富も地位も手に入れた。蔑んできた奴らを見返した。
お金さえあれば何でも手に入れられる。
それは言い換えれば、お金で気持ちも想いも表し、繋ぎ留めておく事しか出来ない。
別に浩輔は金の亡者でも横暴振るう権力者でもない。それでしか気持ちや想いを伝える事の出来ない哀しい人なのかもしれない。
そんな時出会った、大切な人。
龍太の母親が突然入院する。ステージ4のがん。長くは持たないかもしれない、と本人。
浩輔はまたしても謝る。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…。
どうしてあなたが謝るの…?
気付いてあげられなかった。
龍太なら気付いてかもしれない。
でもその龍太を自分と過ごす時間に費やし、気付かせられなかったから…。
実の母親を早くに亡くした浩輔にとって、龍太の母親は予期せず現れた母親のような人。
龍太の分も含めて、お母さんをもっともっと大事にしたい。
その矢先…。実の母親を亡くし、龍太を亡くし、さらには龍太の母親まで…。
どんなに気持ちや想いを“形”で伝えても、それは本当に相手へ届いているのだろうか…?
悲しみに暮れる浩輔に、龍太の母親が掛けた言葉が温かく包み込む。
尚、龍太の母親役の阿川佐和子の好演も特筆すべきもの。思ってた以上に大きな役回りで、その演技、優しさに救われる。
「分からなくても、私たちがそう思っている」
“愛”が何なのか。
自分のしてきた事は“愛”と言えるのか…?
相手の断りも押し通してお金などで援助。
相手は本当に喜んでいるのか、自分のただの自己満足ではないのか。
相手が不快感を示したら、それは勿論自分のただの自己満足だ。その時の自分はエゴイストでしかない。
しかし、相手がそれに愛を感じたら、それは真の愛だ。
愛とエゴは時に紙一重。
相手を一人占めしたい。欲したい。
激しい愛の形でもあり、エゴでもある。
淀んだ独占欲なら問題だが、ただただ不器用ながらもピュアで大切な気持ちや想い。
それもまたエゴ=愛の形。
激しく、大きく、強いものから、ほんのささやかなワガママまで。
ラストシーンの龍太の母親の台詞=頼みだって。
同性愛ラブストーリーとして始まり、家族愛や人間愛。
大きな愛の形に気付けば感動していた。
それが愛と気付くまで。
誰がエゴイストなのか
普通に考えれば主人公で、ほぼ彼の目線で物語が進む浩輔。経済的な理由で離れていく恋人・龍太を経済的援助で引き留める。が、その援助では足りない事は承知で、結果龍太は無理をして死亡。
でも、他の登場人物の浩輔の父、龍太と母もそれぞれにエゴが有ったのではないか。浩輔の父は本当に息子がゲイなのを気がついてないのか?中学の同級生にオカマ扱いされていたのに、親が気付かない?結婚や孫の話をする。
龍太も母も、拒否しながらも結局は経済的援助を受け入れる。龍太の死後、母と浩輔は疑似親子関係で空白を埋める。
みんな、エゴイスト。でも、人間なんてみんなエゴイスト。
アップの多用、公開時のレビューでカラミのシーンでアップが多く酔いそうになったと言うのを見たが、うん、確かに酔いそうになった。自分は80インチプロジェクターで観たけど、映画館のスクリーンだともっとかも。他のシーンでもそういう撮り方が多い。
序盤、頻繁に入るオネエ女子会って必要だったんかなぁ。
映像化とかされるゲイの同性愛ってオネエ表現が多いけど、性自認は男で、恋愛対象が男と言う人も当然居るだろうけども。描写しやすいんだろうなぁ。
愛の本質とは。行き場を失った愛を埋めようと奔走する姿。
観終えて最初に感じたことは「こういう愛の形もあるんだな」ということです。
恋人を金銭面で援助することや、愛した恋人が亡くなっても金銭面や身の回りの世話という形でその家族の面倒を見ている。
これは果たして「愛」なのだろうかと考えさせられました。
なぜならばもう愛した人は存在しないからです。
最初に生まれた愛が突如として行き場を失い、その悲しみや心の隙間を埋めようと亡くなった恋人の母親に向けられるエゴ。
主人公はこの作品で「わがまま」という言葉を何度も口にします。
自分のしていることへの葛藤と闘いながら自分の気持ちの整理をつけるために起こしていた行動だと思います。
愛に正解がないからこそ主人公のしている行動に違和感を感じつつも否定することはありません。
現実にもきっと様々な愛の形があるように、これもまたひとつの愛の形なんだと思います。
愛はたぶん身勝手…
ドキュメンタリーを見てるのかな…て、錯覚するくらい、全てのシーンがリアルで、台本がある物語だと言うこと忘れてしまいそうだった。
それだけ役者さんたちの演技力がもの凄かった。
この愛は身勝手ですか…
て、考え出したら、
はい、身勝手です。
にしか辿り着かない気がする…
愛は身勝手なんです、エゴなんです、と認めてしまっていいんじゃないかな。
「受け取る側が愛だと感じたら、それは愛なんです。」
て、龍太のお母さん言うてたし、それでいいと思う。
先に原作を読みました。
原作も映画もどっちも胸に刺さりました。
浩輔と中村親子がもっとたくさんの時間、幸せに過ごせたらよかったのに…
大きな愛(男でも女でも、親でも、関係なく)
ゲイカップルの愛を描いているようで、本当は人間の大きな愛を
描いた映画でした。
鈴木亮平の芯の強さ、ふところの深さを思い知らされた。
そして宮沢氷魚のピュアな透明感と優しさにも感動した。
手持ちカメラの映像がとても多くて、接写すると心の奥底まで、
掬い取るようなレンズでした。
ちょっと酔いそうだったけれど・・・そこがまた夢見心地を誘う。
2人の濡れ場はかなり情熱的で、激しかった。
愛し合って、龍太(宮沢氷魚)が帰った後で、浩輔(鈴木亮平)が歌う、
メロディと歌詞がすっごい沁みた!!
(ちあきなおみの「夜へ急ぐ人」って歌だそうなのですが、)
(浩輔のそれまでの夜の孤独と闇と傷を、
(癒す時間が、龍太・・なんだなと、)
浩輔と龍太が、愛し合う2人がもし日本で法律的に結婚出来ていたら、
龍太の命も救えたかも知れない。
法律の傘の下、法的に守られていたら、龍太は浩輔のお金を
当然の権利として受け取れた。
一緒に暮らして栄養ある食事も清潔な住まいもそして十分な
睡眠も取れたと思う。
そして日本がもっともっと福祉の厚い国なら、
龍太は高校を中退せずに通えたし、
母親も早期治療が受けられた筈です。
だから浩輔はエゴイストなんかではない。
心底優しい人です。
母親に対する心遣い・・・常に龍太の後ろにいる母親を思い遣る。
この映画で驚いたのは終盤は龍太の母・妙子(阿川佐和子)の比重が
とても重いこと。
病の重い母親の世話をして浩輔は献身的に支える。
実の母親を12歳で亡くした浩輔には妙子は母親の分身・身代わりです。
ここでも龍太と浩輔が結婚していたら?!
と、強く感じました。
そうしたら何の気兼ねもなく妙子は浩輔と同居したと思います。
原作では妙子と龍太とは健康保険にも入っていないと記述があるのです。
(保険料が払えなかったのです)
結婚して家族になれれば、癌の治療費も浩輔の健康保険を使えます。
浩輔はエゴイストではない。
法の整備が、同性婚を認めるのが、遅過ぎるのです。
宮沢氷魚の初々しさと可愛らしさ瑞々しさに見惚れて、
鈴木亮平のゲイの男らしさに惚れ惚れして、
(亮平のゲイバーでの仕草や語り口、上手い!!)
ゲイカップルの法整備・・・
訴える意図はなかったかも知れないのに、
結果的にその問題点を提起する映画になっている。
優しさの原点。
人を愛することの深さを教えてくれる
「ゲイ映画」の枠を
軽々と飛び越えた傑作でした。
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