エゴイストのレビュー・感想・評価
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エゴイストかどうかは、受け取る側の気持ち次第
ゲイカップルの絡み合いの作品としては、『窮鼠はチーズの夢を見る』が刺戟的だった。宮沢氷魚氏がゲイ役を演じる作品の"his"では、過疎地における居場所発見が主題となっていた。本作では、パートナーの遺族への扶養関係づくりということになるのではないかと思った。義母とは少し違い、どちらかというと、自分の責任で命を落とした息子の身代わりに親孝行を果たそうとしているようにも感じた。母親は最初抵抗があったものの、だんだん息子と同じように受入れることができるようになったようだ。押しつけがましい「エゴイスト」だと自分を恥じるような意識もあったのかもしれないが、やはり受け取る側の気持ちが変われば、必ずしもそうではないのであろう。
終始もやもや
事前にたまたま見た鈴木亮平のインタビュー内容があまりに素晴らしく感動し、映画を検索。
読むレビューはどれも絶賛の嵐。。
これは久々に間違いなさそうな映画に出会えたかも♪という喜びで劇場に足を運んだが、
終始もやもや。
鈴木亮平のインタビュー内容からも、かなり丁寧に作られたということは理解していたが、
本題以外のことについて、「なんで?」&「なんそれ?」とZAZZYばりに何度も声を出しそうになることが多すぎて私的には大事なところまで心が掴まれない残念な流れに。
最近何見ても泣けてくる位、涙腺ゆるゆるのハードル激低い私にもかかわらず、1滴の涙も出てくれず・・。期待が大き過ぎた??
恋人の売りを止めさせたいのは勿論当たり前、生活苦の恋人に資金援助も理解できる。
でも月20万?も援助してもらっても、朝晩休む間もなく肉体労働しなきゃ生活できないて
どーゆーこと?売りでも大人気な彼のビジュを生かす高額な仕事が山ほどあるでしょうに。
高校中退で仕事が選べないらしいが、わざわざ廃品の回収やら深夜の皿洗いをチョイス?
しかもあんな働き詰めでボロボロになっている恋人について「売りじゃないから安心~仕事頑張ってね」的に自分は高級ブランドに高級マンションで何も変わらず生活する浩輔、あまりに鈍感過ぎないか?ともやもや。。過酷な労働ではなく、浩輔の人脈生かして何かモデル的な仕事紹介できなかったんかなぁ。現ナマ渡して、売り止めてくれたし解決♪て感じが安易で愛感じられなかったわぁ。ハンドクリーム塗ってあげて満足してる場合違うや~~ん!過労死しますやん?するけど・・。
息子が男性を愛していることも認める理解&愛あるオカンぽい演出なのに売りしてる息子に気づかない所や、やばいほど働き過ぎな息子の姿になんか疎い感覚ももやもや。
同性愛云々の前にあの3人が健康に普通に生活できるように、家計の見直しがいる問題~~。
それぞれが相手に対して愛あるようで結果なんか薄い、て感じてしまったのはまさにそれぞれが「エゴイスト」?てことでゴール!!ならあっぱれ!ですが。
鈴木亮平の役者愛と氷魚くんの子犬感のまぶしさに星2!(笑)
鈴木亮平、良い
タイトルなし(ネタバレ)
今でこそ性的マイノリティにフィーチャーされる事が多いが、一昔前は(もちろん今日でも)ゲイという愛の形に偏見を持つ人、色眼鏡(サングラス)で見る人も多かっただろう。
「愛の形は色々存在する」という言説があるが、色眼鏡さえ取っ払うことができさえすれば愛の形はその本質は同じだということに終盤の龍太母の言葉で気づかされる。
映画の序盤中盤では夫婦の愛、親子の愛という擦り続けられたステレオタイプ的な愛が自然な流れで描かれていた為、ゲイ同士の愛、擬似親子の愛という一見歪な形の愛も本質は同じなのだと気づかせる構成がとても秀逸だった。
自分自身、全く体験したことのない愛を見せつけられても、鈴木亮平の行動原理が理解できてしまう。それは上記の構成によるところが大きいだろう。
あったかくて優しくて、すこし悲しい
ゲイのカップルの話というより、普通にラブストーリーです。
お互いを思いやる優しさが、あったかいです。
大切な人は、異性でなくてもいい。その言葉に愛があります。
日頃テレビは見ないのです。
なので、鈴木亮平さん…前回スクリーンで見たのは虎狼の血LEVEL2でした。
あまりのギャップに唖然。
宮沢氷魚さんの、白い美しい背中、ピンク色のくちびる、ポッと染まるほっぺた
この人たちは演技なの?地なの?と思ってしまうほどでした。
役者の力
氷魚が美しい
予告を見て、てっきり氷魚に裏切られてエゴが出始めて破滅していく、、みたいなストーリーかなーと思ってたけど、全然違った。
のっけからゲイの世間話に笑かせられたと思ったら、婚姻届を二人で書いて壁に貼って幸せを噛み締めるとか、笑えない現実にふぅ〜ってなったり、現実のLGBTQの切なさを痛感。
亮平の部屋が、また人間味のない部屋で。
コンクリート打ちっぱなしの壁、コーヒーしか淹れないキッチン、リビングにドーンっと大きいヴィンテージソファと全身鏡。
亮平らしさはどこにもない。センスがいいだけの部屋。
これがまた孤独さを感じさせるのよ。
前半は鈴木亮平と氷魚のラブラブイチャイチャを延々を楽しむ作品で、シングルマザーを助けるために高校中退して売春をしてると告白する氷魚、氷魚を独占するために愛人契約をする亮平。
月20万円で足りない分は昼夜働く、という生活に。
(184cmあってあの美貌で亮平が雑誌の編集者だったら、氷魚をモデルとか編集部で働かせればよかったのにー。なぜあんな昼夜働かせるの??いや、働くところまで甘えられないってことなんだろうけど)
これが男女だったら、結婚して扶養に入れて、ってできるのにね。むむむむむむむ。
男女の愛は世の中的に決めたルールで繋ぎ止められるのに、お金で繋ぎ止めるって方法になってしまうのね。
それも愛なんだけどな。
車も亮平に買ってもらって納車、初めてのドライブって日の朝、過労か寿命か氷魚がひっそり死ぬ。
氷魚のお母さんの阿川さんが、まぁ自然な演技で。
ここからは自分の亡くなった母と阿川さんを重ね合わせて氷魚の分まで息子のように。ゲイなだけに、息子でもあり親友でもあるような不思議な関係に。
そんな唯一の心の安息場の阿川さんも最後膵臓がんのステージⅣで入院。
氷魚の死後、お金も渡してなにかと面倒みていた阿川さんに同棲を持ち掛けたらやんわり断られ「まぁ、そうだよね…」って納得するも、いやここも男女ならさ、結婚して義母と住むって普通のことになるわけよ。むむむむむぅ。
後半、阿川さんの病室でボケちゃった同室のおばあちゃんに毎回「息子さん?」って質問されて、亮平はいつものとおり「違います」って言うところを食い気味で阿川さんが「そうです、自慢の息子なんです」って言い切るの、泣けちゃうな。んもう。阿川さんったら。
で、〆のシーン、酸素マスクつけてる阿川さんの手を握りながら、そろそろ帰ろうかな、ってしたら「もうちょっといて?」って甘えてくれた阿川さん、ここここここここ、嬉しいよね。
仲良くなっても、ずっとどこか遠慮してた阿川さんが、甘えてきてくれたんよ。ほんとの息子みたいに。
ここで終わらせるの、好きよ。
最初は氷魚、次は阿川さん、孤独だった亮平がこの親子に出会って感じたものは、愛だったんだなぁ。
亮平は、お金で繋ぎ止めてるのはのエゴだと思っていたけど、この親子には、ちゃんと愛が伝わってたんだよね。LGBTQ、って言葉さえなくなる日がくるといいな。愛は自由なんだよ。
あ、途中のゲイ友とVOGUE WALKを真似しながら歩くところ、アメリカドラマのPOSEを思い出した。POSEの頃から少しは良くなってると思うけど、まだまだだよね。
テレビでクチコミは全部見る、って言ってたのでこれも見られるかもしれないので謝っておきます。呼び捨てにしてごめんなさい。愛の表れです!
ちょっと丁寧過ぎるって言うか...
文学的でロマンチック。ビターでドキュメンタリーテイスト。ただのBLものだと思って見たら、全然違いました。こんなに考えさせられる物語だとは。「窮鼠はチーズの夢を見る」が少し懐かしい。
鈴木亮平と宮沢氷魚という、魅惑的な2人。
美しい体つきと振る舞いに思わず見とれてしまい、作品に没入出来ます。「孤狼の血 LEVEL2」のイメージが強すぎていたのだけど、完全に別人。カメレオン俳優とはまさに彼のこと。熱唱シーンなんて、鳥肌モノでした。宮沢氷魚は、これまで「なんか惜しいな...」という役ばかりでしたが、今回は彼の魅力を最高に引き出した役どころですごく良かったです。優しく包み込むような言葉遣いに惚れてしまう。2人とも超がつくほどハマり役でした。
ドキュメンタリー映画を見ているようなリアリティのあるカメラワークで、いい意味で作られた感じがしません。ごく自然で、身近。今までのBL映画にない手法であるから、ここまでの高い評価を得ているのだと思います。決して特別な2人の物語ではなく、どこにでもいる2人の物語。1つのエピソードの描きがこれ以上なく丁寧で、その時々の感情が真に伝わります。丁寧過ぎるがあまり、後半は間延びしているように、長いように感じてしまいましたが、それもまた見たらわかるいい演出かと。
時の流れを伝えるという難しい表現を、この丁寧さでとても上手く描写されています。当時と今。楽しい日々と寂しい日々。前半と後半で対になるような作りで、観客に色々なことを訴えかけてきます。ネタバレになるので多くは語れませんが、この映画を見る方はセリフの一つ一つに注目して欲しい。「すいません」「ごめんなさい」「ありがとうございます」は特に。
序盤の展開は少し急で「うっ、」と身構えてしまい、そこに関しては「窮鼠はチーズの夢を見る」の方が優れているかな〜と。でも、どちらの作品もそれぞれいい所があり、本作はより真正面に描いているような気がしました。何が正解なんだろう、何が間違っていたんだろう。少しばかり、自分の行動に変化が起きそう、そんな映画でした。ぜひ、劇場で。
血のつながりとは
いい意味で予想を裏切られた。話題先行になっている内容がテーマではなく色んな意味で生きずらい日本の社会の在り方とか人間の内面が描かれていたと思う。
血のつながりとは生物的な親子関係もしくはその連鎖で結ばれる関係を言うけれど、家族というものは血族関係で繋がるものだけではなく、血のつながりはなくとも、一つ屋根の下にともに暮らし助け合うそんな関係性も家族と言えるのではないか。血縁とか性別とか記号のようなものとわたしは考えている。一人の人間としてその人を愛すというのはとても素敵なことで、性別だけでそれを否定する権利は誰にもないと思うし、作中に出てくる「ごめんなさい」なんて言葉は必要ない。それがインタラクティブな愛であればなおのこと。
愛とお金が切り離せない世の中、仕方がないことだが悲しいことだと思ってしまう。
劇中でゲイ仲間のみなさんがたのしそうにWの悲劇について語り合ったり、ユーモアいっぱいにお互いを罵る場面では会話がセンスの塊だなって声に出して笑った。
いい意味で自由に何かに縛られず、誰かを否定せずに生きていける社会になればいいなと願わせてくれる作品でした
エゴという愛のかたち
これはゲイの物語ではなく、ただの恋愛映画だと思いました(いい意味で)。
愛し合った2人の人間の物語が、たまたま男同士だったわけです。
こういう物語にありがちな、当事者があからさまな差別を受けるシーンが無いのはとても良かった。
今どき日本でそんな差別受けるわけないやろ。みたいなつっこみが入ることはありません。
この映画に付くこの高評価からして、本当に日本は差別の少ない良い国だと感じさせられました。
そして、鈴木亮平の、そこまで成り切るかと思わせる演技は本当に素晴らしかったです。
他の俳優さんの演技も素晴らしかったですし、セリフや間の取り方がリアルさを追求した感じでした。
振られても自らのエゴで龍太を愛し続け、その結果、龍太を死なせる結果になる。
それでも、龍太が愛していた母を自分の母と重ね愛し続けたのも浩輔のエゴであり、浩輔の愛のかたちだったのでしょう。
終盤に浩輔が突然帰省したのは、父にカミングアウトしたかったからという解釈でいいのでしょうか?
また、カメラマンに浩輔が撮影してもらうシーンは、どういう意味があったのか、分かりませんでした。
中盤、若干単調といか、だれた感じがしましたが、素晴らしい恋愛映画でした。
丁寧に描かれた美しく危うい関係
この作品のタイトルに「エゴイスト」を持ってくるかあ…!と観終わった後色々考えてしまった。
見方によっては浩輔の一方的な献身的ともいえる愛情。
龍太とその母に対し、金銭も時間も惜しみなく与える様子とその危うさを個人的には終始ハラハラしながら観ていた。
こういう関係は与える側も受け取る側も試されており、一歩間違えば精神の対等さがなくなって関係が破綻してしまう。
浩輔と中村親子がとても尊い関係を築いていたので、余計にその関係が壊れてしまわないかといらぬ心配をしてしまう私…。
結果的にそれは杞憂で、ちゃんと浩輔は、そこにエゴが入っていることを自覚していて、龍太もお母さんもそこを理解した上でちゃんと感謝しており、そこは本当に良かった。
心の拠り所だった母を思春期に亡くし、都会に出てからはファッションを鎧としてまとって生きてきた浩輔。
そんな彼が「エゴ」「愛がわからない」といいながらも、ちゃんと深く龍太とその母を愛していること、そうしてそうすることで浩輔自身も救わるストーリーになってるのが良かった。
何度も言うけど一方的な献身を伴う関係はとても危うい。そこをちゃんと自覚的に描いてくれる作品で良かった…。
浩輔さんが裏切られたら私たち(観客)はちょっと立ち直れない…。
あと印象的だったのは、本作はセリフやモノローグでほとんど語らないという点。その代わりに登場人物の表情にめちゃくちゃフォーカスする。
この映画の7割くらいは鈴木亮平さんの顔周りのショットを観ていたんじゃないかと錯覚するほど(実際錯覚でもないような気もするがどうなんだろ)。
静かに、丁寧に人物を描写する作品だなと思った。
しかし主演2人(鈴木亮平さんと宮沢氷魚くん)の色気はすさまじいな…。スクリーン越しに彼らの首筋から漂うフェロモンにあてられてしまった。
平日昼間ながら割と埋まってる劇場の観客が女性率9割だったのも面白い。
あと出番もセリフもはそこまで多くないのに柄本明さん(浩輔の父役)良かったなあ。静かで素朴ででも色んなものを包み込むような器のような役者さんだなあと改めて思う。
浩輔と2人で夕飯食べるシーンは泣きそうになってしまった。
ひとりの男の愛
テレビのインタビューで
鈴木亮平が、この映画は脚本らしいものがほとんどなくて
話の方向性だけが決まっていて会話はアドリブ
だから役に入り込むのがすごく大変だった
と話していてきになったので鑑賞しました。
いやー、
この監督、カメラワークも独特で
ほぼ、役者の上半身や顔のアップばかりで
背景をほとんどみせない。
龍太の部屋を掃除しましょう!
って襖を開けても全く部屋は映らず
窓を開ける浩輔の背中のみ
道を歩いて涙を堪えつつ
自販機のドリンクを買うシーンでも自販機の影すら映らず
小銭やドリンクが出てくる音のみで自販機とわかるレベル
浩輔の部屋も必要最低限しか映りません。
監督の『人間の感情』にとことんフォーカスしたやり方なのでしょうか。
これは好みの分かれるところでしょうが
私はもっと全体を俯瞰でみたかったな
しかし結果的には浩輔に感情移入して3回も泣いてしまったので監督の勝ちですねぇ
鈴木亮平の演技は完璧
登場シーンの後ろ姿の首の傾げ方が
もう一瞬でゲイでした。
宮沢氷魚はパーソナルトレーナーにしては貧弱すぎるだろ!っと強く言いたいが
後半の展開を考えるとひ弱さも必要だったのかなぁ
彼の透明感と天使の笑顔を見ると他の役者さんは考えられませんが。
原作にはない生々しさを感じることができる映画
原作を知らない状態で鑑賞。その後、すぐに原作を買って読みました。原作を読みながら浩輔、龍太、龍太の母親が、鈴木亮平さん、宮沢氷魚さん、阿川佐和子さんとしか思えない、むしろ3人に合わせて小説を書いたのではないかと思えるくらい、映画の配役が素晴らしかったこと、そして3人の演技が強く印象に残るものだったことを改めて感じました。
映画では2時間という制約の中で登場人物の感情を見事に表現していたのですが、やはり説明しつくせないところや疑問点はあったので、それは原作を読むことで解消できました。特に浩輔が龍太の母親に愛情を注いでいく理由や背景は、映画では「きっとこういうことだろう」と想像する必要が幾分ありましたが、原作では主人公の思いを丁寧に描いてくれているので納得できました。
一方、映画のヨリを中心にした撮影方法は登場人物の気持ちにぐっと惹きつけられ原作以上に感情移入できると思いました。また、生々しい仲間同士の会話や、浩輔と龍太の恋人同士のたわいない会話など、リアルなドキュメンタリーを見ているようで、原作以上に人のぬくもりを感じることができました。基本ずっとヨリなのでヒキが欲しくなるところもありました。例えば二人のベッドシーンは顔や腕のアップだけで進んでいくのでどういう状態なのか分かりづらい。リュウタが初めて主人公の部屋を訪ねたとき、「わー広い」というのですが、部屋の引き画がないのでどのくらい広いか分からない(ベランダの景色やソファーから高級マンションだということは分かり、そこからきっと広いのだろうなと想像することはできます)。
原作にないシーンとして、映画で数回流れるチャイコフスキーの「悲愴」に注目しました。チャイコフスキー自身もゲイの作曲家として苦悩を抱えていたそうなので、外では明るく振る舞う浩輔の、ゲイであるがゆえの悩みというか闇の部分を表しているのだろうと勝手に思いました。
男性同士の恋物語から始まるが、そのジャンルにとどまらず、愛とはなにかを考えさせられる深い内容へと進んでいく感動作品です。映画、原作を両方見て、こんな素敵な小説を書いた高山真さんの他の作品も読んでみたいと思ったのですが、鈴木亮平さんが書いたあとがきのなかで、すでに著者が他界されていることを知りました。残念です。あとがきで紹介されていた高山さんのエッセイを読んでどんな方だったのか想像してみたいと思いました。
男性とか女性とかの問題じゃないんですね
ゲイの映画ということで
なんとなく
敬遠していたのですが
衝撃のラストと聞いたので
知っちゃう前に観ておこう
と思い鑑賞
ゲイとかの次元で敬遠していた自分が情けないほど
二人の恋人同士役が
セクシーだったりピュアだったりで
人間の愛を感じました
あとは
衝撃のラストと聞いてたので
どちらかが自分のを切っちゃうとか
殺しちゃったりしちゃうのかな
と思ってたので
逆にホッとしました
今でもあの二人の笑顔が頭に焼き付いてます
鈴木亮平が好きになりました
エゴは誰かのしあわせにも、救いにもなれる。
驚きました。浩輔(鈴木亮平)と龍太(宮沢氷魚)の物語だと疑わなかったので。
この作品は浩輔と龍太の母妙子(阿川佐和子)との物語でもありました。
前半は浩輔と龍太の物語です。
「できることなら何でもしてあげる」それが浩輔の愛の形でした。龍太が性的な仕事を脱し、龍太と持病を持つ妙子の生活を守るためには金銭的な援助しか解決方法がなかった。龍太は関係を続けるために頼らざるを得ないとしても、至極心苦しかった。それゆえ限界まで過労を続けてしまった。
疑問に思ったことでもありますが、意図しない破局を除いて「2人の間にあったしあわせ」だけが描かれます。
全体通して龍太の胸のうち(浩輔を好きになる過程、金銭援助されていたときの感情)があまり描かれませんが、原作が自伝的小説だったため安易に龍太の心情描写を脚色しなかったのではと思います。事実として龍太の胸の内に気づけなかったことも結果としての過労死(濁しているし濁すのが作品として正解に思います)に結びつく演出だったとすると、なんて誠実な作品だろうと思いました。
彼が欲しい。彼を救いたい。その想いからくる愛情が結果として死を招いてしまったことを自分のエゴだったと悔恨します。鈴木亮平さんの通夜のお芝居は見ていられませんでした。現実に起きたことなんですか…?もう人生立っていられないですよ、、、
お芝居は現実を観ていると錯覚するほど自然で、丁寧に丁寧に積み重ねられていると感じとれる。鈴木さんは勿論ですが、宮沢氷魚さんが本当にもう、本当に本当に。眼差しや口角の動きには想いが溢れていて、こんなに無垢でまっすぐなお芝居をされる方がいるのですね…その才能の尊さに思い出しただけで涙が出そうですし大ファンになりました。これからもお芝居たくさん見たいです。
後半です。浩輔と妙子が援助金の入った封筒を差し出し・返しを繰り返すシーンは、この作品が本当に丁寧に作り込まれていることを感じさせてくれます。単調になっても不思議でない単純な動作に、2人の葛藤が、言葉少なに表情や動作の重みから伝わってきました。振り返るとあのシーンが物語の分岐点だったように思います。その役割を強く印象に残す演出とお芝居が素晴らしかったです。
はじめは浩輔の援助に妙子も戸惑いながら、徐々にお互いの心地よい距離感を図り、共通の愛する人を亡くし残された者として、2人だけの関係を築いていった。
そして、いつか浩輔と妙子の関係は終わってしまうんじゃないか。そう思わせる随所のミスリード描写が上手かった。浩輔は自分の気の済んだところで援助をやめる、エゴをそんな展開にも集約していくのではと思わされましたが、タイトル「エゴイスト」はそんな表面的で生暖かいものではありませんでした。
終盤、見舞いにくる浩輔が再び息子と勘違いされる所で妙子は「自慢の息子です」と返す。
その言葉を受けたあとの震えながら眉を描く浩輔のシーン、本当に凄かったです。
ラストシーンでは、浩輔の善意に後ろめたさを感じていた妙子が、末期が近いと悟り「まだ帰らないで」と浩輔に声を掛ける。
懺悔の気持ちもあって妙子への援助を続けていたと思います。幼い頃に実の母親を亡くしたことも効いていると思いました。母を重ねていたのかもしれない。そして龍太との関係を無かったことにしたくなかったために。
でも愛情深い浩輔は、妙子のことも愛していた。善意ではなく愛情だと妙子に伝わったと感じられるラストでした。
あの瞬間をラストにしてくださったからこそ、エゴが誰かのしあわせになることも、救いになることもあるのだと思わせてくれました。阿川佐和子さん、包み込むように優しく自然体なお芝居をされていて本当に素晴らしかったです。最上級の評価を受けて欲しいです。
エゴイストという作品が生まれたからこそ、日本のエンタメ業界が前進すると思える作品でした。映画館で見れて良かったです。
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