「いまの姿を日本のどこかで旅している寅さんが見たら、『おい、満男!立派になったな』としみじみ観じいることでしょう。」Dr.コトー診療所 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
いまの姿を日本のどこかで旅している寅さんが見たら、『おい、満男!立派になったな』としみじみ観じいることでしょう。
昨年公開日に鑑賞しました。
本作の自然に加齢した吉岡秀隆が素晴らしいのひと言に尽きます。彼が連続ドラマから16年ぶりに演じるコトー先生。あの優しい青年医師が、柔和な笑顔はそのままに白髪のおじさんになっています。
ふとこの姿を日本のどこかで旅している寅さんが見たら、『おい、満男!立派になったな』としみじみ観じいることでしょう。
それに加えて、オープニングのいつも通り自転車に乗ってコトーが往診に向かうシーンが現れた時、画面が引いていくと、どこまでも碧い海と青い空が広がるロケ地の与那国島の美しさに、見惚れてしまいました。
そしてコトーの乗る自転車も16年前に使われた錆びたままたものが診療所におかれていて、ピントが変わると、そのすぐそばに真新しい電動補助付きの自転車にフォーカスします。この映像だけで即16年という歳月を感じさせました。どうも今回のテーマの一つは、古いものが新たなものに変わっていく時代の流れが描かれたのです。
新しいものは自転車ばかりではありません。島の診療所に、まるでかつてのコトーのように東京から研修医の判斗(高橋海人)がやってくるのです。2003年放送の連続ドラマ第1回を彷彿させるものでした。
ドラマ第1回に登場したコトーは一見頼りない都会育ちの若者でした。しかし漁師の息子である剛洋(富岡涼)は、自分の命を的確な判断で救ってくれたコトーに憧れて医者を志すようになります。そこには旧来的な男らしさへの批評的視点があり、「男はつらいよ」や「北の国から」といった国民的作品に出演した吉岡がその役を担うことで、時代の変化を象徴する新しいヒーロー像を感じさせたものでした。
さて時代は変わり16年後の本作のコトーは、今や年長のベテラン医師として、離島にすっかり根付いていたのです。
対して現代っ子の判斗は、離島医療としてのシステムや労働環境の不備を冷静に指摘するです。実際、判斗の意見は全くの正論でしょう。しかしままならぬ現実に直面すると、コトーは壮絶な精神力を発揮し、若手をねじ伏せる迫力で困難を乗り切ろうとするのです。コトーの姿は強烈だが、感動のアクセルを踏み込むほど、滅私奉公や根性主義のにおいが強く出力される風に見えました。
今回の裏のテーマには、離島医療の今後が問われているのです。実際に島の診療所には、沖縄本島の拠点医療機関との統合の話が立ちあがり、コトー自身にも本島の拠点医療機関で、離島医療を担う若手の育成に当たってほしいというオファーがあったのです。
コトーもその必要性を強く感じていて、島を離れるかどうか悩んでいました。ところが台風災害で、重症者続出のピンチの中で、そんな離島医療の今後というテーマが吹っ飛んでしまいました。もしコトーが島に残る決断をしたとしても、後継者の養成を含む離島医療の現状は何も変わらないままドラマが終わってしまうことは、問題でしょう。
過疎化で急速に進む合理主義。映画はそれへの抵抗を描いているようにも思えます。失われゆく伝統を守る側に立ったコトーの成熟。しかし立ちはだかる離島医療の今後の問題。じゃあ現実にはどうあるべきなのか試されるのは、われわれ観る側の価値観といえるでしょう。