ザ・メニューのレビュー・感想・評価
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究極且つ至高のフルコース、その名は"復讐"... 料理に人生を捧げた人々が仇敵達を"料理"する断罪スリラーコメディー映画
今や引く手あまたでいろんな映画でお見掛けする若手人気女優アニャ・テイラー=ジョイや英国重鎮男優のレイフ・ファインズら豪華キャストが一堂に介した料理を題材とするハリウッド大作。
その味わいは意外にもジャンクフード的というか、気取った上流階級の人たちが彼らにコケにされた人々に不気味な逆襲をされるいわば『世にも奇妙な物語』ないし『ブラック・ミラー』の如きシニカルな見せ場と解り易い教訓に満ちており、登場する癖のあるキャラクターたちが七転八倒する様に驚き楽しむ、万人向けの小気味良いブラックコメディ―に仕上がっています。
何も見目麗しいカッコいい姿を見るだけがキャスト目当てということではなし、主要キャストの中にお好きな方がいればそれぞれがドイヒーな目に遭って四苦八苦する姿を是非とも劇場でご照覧あれ、ということで。
死ぬほど素敵な夜へようこそ
有名シェフのディナーに招待された癖のある客たち。それぞれが個性的に食事をすすめるなか、段々と狂気的なメニューが提供されていく。
繊細な料理を提供するような高級店の客層は様々。味もわからず女性相手のステータスに利用したり、虚栄心を満たす、箔をつける、知識の発散など、一度の食事に千ドル以上払えるような“庶民”ではない者たちが今回は招待される。
コース料理が進むにつれてその内容に文句をつけたりするものの、最終的には料理だと言われれば自身が焼かれることさえ受け入れてしまう。
サスペンスとは謳っているが、メッセージを踏まえるとブラックコメディが近いように感じる。
値段によってよく分からないままに料理の価値を決めることへの皮肉。
結局チーズバーガーが1番美味いよね。
これはゾクゾクした
「ブニュエル」 meets 「エル・ブリ」! これぞ、バーガーとポテトでもむさぼりながら観る映画(笑)。
なんかサスペンスのふりしてるけど、明らかに笑かしにかかってるよね。
こういうときのレイフ・ファインズって、マジ楽しそうで最高。
アメリカで、この手のモンティ・パイソンとかジャン・ピエール・ジュネみたいなテイストのハイセンス・お馬鹿映画が作られるのって、意外と珍しいような。
孤島に集められた12人。
予約のとれない超高級フレンチに招待されたディナー客だ。
そこに一人だけ混じる「招かれざる客」。
まあ誰でも考えることだろうから、別に書いてもいいと思うけど、
冒頭はまごうことなき『そして誰もいなくなった』のパロディでスタートする。
で、どこまでパロってるかは、最後まで観てのお楽しみというわけ。
映画としては、いろいろ真面目に考えだすと理不尽きわまりない内容だが、
●物語の先を読ませない。
●話はひたすらエスカレートする。
この二点だけは徹底して押さえて作られているので、正直観ていて不満はいっさい感じなかった。
映画が終わる頃、右手に置いてあるお茶がぜんぜん減っていないことに気づく。
惹き込まれていた証拠、時間を忘れて没入していた証拠だ。
ジャンルとしては、いちおう「グルメ映画」の系統に属する。
ただ、まっとうな晩餐会映画の極北に名作『バベットの晩餐会』があるとするならば(祇園会館で『八月の鯨』と併映。懐かしい!)、よりミステリー寄りという意味では『シェフ殿、ご用心』や『ディナーラッシュ』に近いし、より頭がおかしいという意味では平山夢明の『DINER』(映画もあるはず)やマルコ・フェレーリの怪作『最後の晩餐』に近いといえるのかもしれない。
何より、(本人たちの望むような)ディナーに「なかなかありつけない」という意味では、ルイス・ブニュエルの『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』を、同じくディナーから「帰りたくても帰れない」という意味では、同じ監督の『皆殺しの天使』を、強く意識した映画であることは間違いない(実際、本作は『皆殺しの天使』から扉の意匠を借りている)。
そもそも、やっていることの一連の不条理性や、ブルジョワジー批判の風刺劇というコンセプト自体、まんまブニュエルなわけだし。ああ、それと今気づいたけど、自慰行為を観ていてほしいとか、親子のふりしてやってほしいとか頼む変態性欲のオヤジってのも、思い切りブニュエルの『昼顔』へのオマージュだよね……。
でも、今まで観たグルメ映画のなかで、何に一番似ているかというと、この映画は『エル・ブリの秘密 世界一予約のとれないレストラン』に、とても似ている。
てか、料理をひとめ見りゃわかるけど、これ、まんま『エル・ブリ(エル・ブジ)』ですから。
入江に面する立地も。超予約困難店という設定も。
要するに、これって『エル・ブリ』にたかっていたブルジョワジーの食通(フーディ)と、伝説のシェフ、フェラン・アドリアみたいになりたい自意識過剰のコンセプト系創作フレンチのシェフどもを、徹底的に小馬鹿にして、愚弄して、貶めるために作られた、じつに志の低い映画なんだよね(笑)。
『エル・ブリ』は、約50席しかないシートに世界中から年間200万件もの予約希望が殺到し、「世界一予約が取れないレストラン」と呼ばれていた、スペインに実在した伝説のレストランである。
「実在した」というのは、2011年に閉店したからで、それでもフェラン・アドリアの遺伝子は、そこで学んだ多数の弟子たち(常時60人以上のシェフが働いていた)によって、全世界に広まっている。
映画に出てくる「人工イクラ(アルギン酸カプセル)」などを用いた「分子ガストロノミー」は、まさに『エル・ブリ』の代名詞といっていい手法だ。和の素材(本作だと梅干し)の利用も、『エル・ブリ』の十八番だった。厨房見学がコース料理の一部を成していたという『エル・ブリ』の特色も、映画ではそのまま援用されている。
製作陣がどれくらい『エル・ブリ』を元ネタにしているかというと、観たらだれでも「似ている」ことはわかるのに、その名が「パンフに一カ所しか出てこないこと」にも表れている。
パクリ方がヒドすぎて、もはや、おいそれと名前を出せないくらいなのだ。
『ザ・メニュー』では、『エル・ブリ』のような、コンセプト重視のフレンチを志向するシェフ(およびその弟子たち)と、それを称揚してやまない特権階級のフーディ(食通)が、まとめて徹底的に小馬鹿にされている。
そのやり口は、高尚なブルジョワジー批判というよりは、ある意味子供がやるような品性下劣な貶めようであり、「こんな連中ムカつくからみんなまとめて●●ばいいのに」を地で行く、「貧乏人のやっかみ」を全力で充足させる、じつに底意地の悪いものだ。
みんな観ていて不思議に思うだろう。
この映画で、なぜ客たちは連帯して戦わないのか。
それは、彼らが「ブルジョワジー」だからだ。
『皆殺しの天使』と一緒で、彼らはそもそも先験的に「ここから出られない」存在なのだ。
あるいは、見習いシェフたちが、なんでスローヴェクに唯々諾々と従っているのか、不思議に思う観客もいるだろう。
それは、本作がバカな小金持ちをぶった切る返す刀で、料理業界のオーナーシェフと見習いたちの示す異様な「カルト性」(=「グル」と「信者」の関係性)をもぶった切ることを、「そもそもの目的」とした映画だからだ。
要するに、客側も料理人側も、「なんでこんなことになってるのか観客には皆目理解できない」イロジカルさにこそ、作り手の本当の意図がこめられているということだ。
こんな悪意に満ちた映画を撮りながら、「レストラン業界を槍玉に挙げるのは実は綱渡りの連続で、本当に慎重に物事を進めていきました。料理に携わる人々への敬意と、芸術性に対するリスペクトは忘れないように心がけたのです」とか、しゃあしゃあとインタビューで答えている監督のマーク・マイロッドは、まあまあ筋金入りのろくでなしだと思う(誉め言葉)。
実際に彼は、サンフランシスコの3つ星レストランの有名シェフ、ドミニク・クレンに料理監修を依頼することで、ある意味での「正統性」と「リスペクト」を本当に実現しているわけだが、逆に言えば、ドミニク・クレンにここまで協力させておいてこの映画の内容ってのは、マジで性格が悪いと僕は思う。
この監督さん、テレビ畑の人らしいけど、これまで撮ってたのが『ゲーム・オブ・スローンズ』と『メディア王~華麗なる一族』らしい。
つまり彼は、テレビでも徹底してブルジョワジー批判を主題にしながら、それを「真剣に描き出す」ことで題材に対するリスペクトも忘れないという芸風で、延々と風刺劇を作ってきた監督なのだ。やはり筋金入りである。
出演陣は総じて、素晴らしかった。
『ムカデ人間』のハイター博士のように、頭のおかしな理屈を並べながら、熱く料理を語りつづけるスローヴィク役のレイフ・ファインズは、まさにあて書きのようなはまり役。
対するヒロイン、アニャ・テイラー=ジョイ(『クイーンズ・ギャンビッド』の人)は、生身の人間なのに、キャメロンの『アバター』みたいに見える超個性的な美貌が、インパクト&説得力十分だ。
あと、東洋系の得体の知れない給仕長エルサを演じるホン・チャウが、凄い存在感を発揮していた(今日び、ハリウッド映画でステロタイプの「ミステリアス・チャイニーズ」が出てくるのはむしろ珍しいから、ちょっとドキドキした)。
で、観終わって、思った。
これは、むしろ場末の映画館で、バーガーとポテトでもがつがつ喰いながら観てるような貧乏なアメリカ人こそが、いちばん溜飲を下げながら楽しめる映画なんだな、と。
終演23時半。
僕は残念なことに食べながらの鑑賞はしなかったので、
かわりに映画館を出たその脚で、歌舞伎町のど真ん中にある「ショーグンバーガー」へと向かったのだった……。
まあ、2500円もする和牛100%の食べログ百名店にわざわざ選んで行ってる時点で、むしろスローヴェクからすれば僕も「あちら側の人間」に入っちゃうんだろうけど(笑)。
身につまされる、、
ニューヨークから車で1時間程行った所に、
その周辺一帯が敷地で、
向かう途中からレストラン体験になるという店があると聞いた記憶を思い出しました。
そこがモデル?
私も美味しい物を食べる為、世界あちこちに出掛けていますが、確かにああいったレストランに皮肉満載なのは、一理あるかも、、
そこに行く事だけがステイタスで、お皿の内容覚えてない人居るかもなあ。
逆に気持ち悪い程、レストランに傾倒してオタクな人。
私はどっちでもないけど、パンの無いパン皿の風刺はね、確かに。
SAWの様にそこに囚われる理由が明確では無く、
何処にでも居そうなお金持ち達が犠牲になるのが、
途中迄のお皿は、いかにも有りそうな料理で
劇場型のレストランや分子ガストロノミーの店を思い出して、
なんかイロイロ突きつけれた気もしました。
アーニャのとても個性的な美型はとても素敵
PIGも合わせて観て欲しい
あのチーズバーガーが高いのはなぜ
とにかく一番気になったのはチーズバーガーの価格。
あの肝心なシーンでチーズバーガーが9ドル50セント(セントの方に自信はない)もした時点でこの映画をすごいと思いながらも自分が入り込めない要因がよくわかった。
君の両親でも買える庶民的な味をって言って、ポテト付きのダブルチーズバーガーとはいえ9ドルオーバー? いくら日本と物価が違う、今は物価が高騰してると言っても、物価の高騰を示したかったら「君の両親でも買える庶民的な味」という表現でなく「君の両親が特別な日に買ってくれた」などとして、よりマーゴの貧困に寄り添う表現をすべきだったでしょう。色々考えは汲めなくはないですが、あのシーンは高級料理に対するカウンターとして置いているのだから、むしろ極端に安いくらいの方が、クーポンを使ってなどと言っても良いくらいのシーンだったと思います。映画のテーマに即すなら、このシーンでその値段は違和感しかない、そういった細部の雑さと言いますかブレと言いますかが、とにかく気になりました。というより、シェフをそういう「苦しみのあまり生まれたが、結局考えが雑な二項対立をする無茶苦茶モンスター」として読み取るにはシェフの思想の諸々の雑さは意図的なのかどうかがわかりづらくてモヤモヤする。
そもそもマーゴが片親かどうかも考えずに両親parentsと言うその無神経さもあのシェフのムカつくところです。(追記: そういえばマーゴが最初にシェフに話した作った身の上話のところで、シングルマザーでみたいなこと言ってた気がしましたが、それを思うと今の英語ではparentでない親の言い換えがたくさんあるはずですが、やはりあそこで両親って言葉をチョイスしたのはシェフの考えの至らなさの表現なんでしょうか? 複数形のsはヒアリングに自信がなくなってきたので、シェフは一人でものつもりでparentと言っていて日本語字幕がそこを汲まなかった可能性はなくもないですが)
演出や演技などは素晴らしい、圧巻です。
アイディアも面白い。
しかし大元のテーマに対して、そのシーンは必要あるか? なんなの? 考えが雑じゃない? というところが多々あり、終わった後時間が経てば経つほど演出などが素晴らしい分腹が立ってきました。思わず映画館の椅子でレビューを書き殴るほどに。
後何より、これを作った人たちの「食べること」自体への愛情が感じられなかった。まさにマーゴの言う通り「料理への愛」の問題です(別に料理に愛が必要とも自分は思わないですけど)。食べることが好きな身としてはそれも腹立たしい、シナリオを回す舞台装置としてしか食べることに向き合ってない感じさえする。
マーゴは良いキャラだとは思うんですが、作中で重要な要素ではあるとはいえ、レストランに来て初手からほぼ全く口をつけないのは……なんか普通に他者の食文化の尊重ができてないじゃないかとなって最後の料理についての切り返しがちょっと響かなくなるんですよね。チーズバーガーも高級料理も、(その背景に不均衡はあれど)等しく料理であることに変わりはないので。
特に突っかかったのが件のチーズバーガー周りと、役者とマネージャー?(あのポジションの方の正確な職業名を知らない浅学で申し訳ないですが)周り。
あのボンクラ役者が今回のディナーに呼ばれたのはいくらボンクラとはいえ正直ただ可哀想。志がないだの言われてましたけど、その後の項垂れ方を見ると当人だって色んな悩みがあるのが窺えます。あの一組だけ無茶苦茶な理由で呼ばれていたのは、シェフだって自分の職業でない人間には無茶苦茶な要求をする(悪い客になる)し、このシェフは狂ったモンスターであって、だからこそシェフの言ってること全部が全部「もっともだ!」などと言わないようにね、という製作陣の目配せなのかなと思うんです。
しかしこの後の「大学は? 学費ローン?」のあたりが、これブラックジョークとしては正直かなりクスッときたんですが、しかしテーマに対して考えるといやだからその「貧困な奉仕者vs裕福な被奉仕者」みたいな二項対立が雑なんだよな、となる。マーゴやシェフ本人がその職業を始めた当初の楽しさや志を語るシーンがあるように、奉仕者になろうと思うのは貧困だけが理由ではない(もちろん不均衡な社会も背景にはあれど)わけで。この二項対立が、しかも「貧困な奉仕者はチーズバーガーなどのわかりやすい味を好み(それをよく覚えていて)、裕福な被奉仕者が賢しげに難解な味を好む(が、その内容は覚えていない)」みたいな無茶苦茶雑な二項対立につながってエンドになっていくんで、もうそれは色んな方向に失礼でしょう、と思う。色んなバックボーンの人間が、色んな背景のもとで色んな人生の中で色んな味を好むんです。チーズバーガーだけならともかく、スモアの時に「わかりやすい味を好む貧困層」みたいな雑に処理してるなと確信した。いや、言いたいことはわからなくはないですし、そういう訴え(貧困と文化資本の問題とか)をすること自体には賛意を示せるんですが、しかし雑だし、なにぶんシェフの演技が凄すぎてこの雑な二項対立に観客が呑まれそうになる演出で推し進めてそのまま終わるのがなんだかなあって感じ。
キング牧師のあの言葉を「白人男性」が引用して、みたいなのに不可避的に含まれるグロテスクさは意図的なんでしょう。キング牧師なの? とボンクラ役者が聞いたらそれに応えたのはヴェリク部下の成金黒人男性でしたしね。まぁそこで黒人男性にまず聞くボンクラ役者の、結局人種差別を他人事としてる感もエミー賞が云々のシーンから考えれば多分意図的。でもとにかく、そう言ったシェフの雑さと、それはそれとしてこの映画が訴えたいのであろう貧困や奉仕・接客業に取り巻く問題、それともっというと途中雑に出てきた男性優位を取り巻く問題が全部うまく噛み合ってないんですよ。というか、整理されていない。→しばらく考えましたが、ブラックジョーク全開! という感じの雰囲気ではなく、役者や演出が凄味があるタイプの方向で進んでいくので、これブラックジョークだとしてもどこからどこまでジョークなわけ? と困惑するのもこの整理されてないという印象の一因かもしれません。最初からブラックジョーク映画として観たらかなり印象が変わったかもしれない。でもシェフが訴えてる問題自体は真っ当なのでブラックジョークとして受け取るべきでないところもあるのがモヤモヤ……。
だって世の中の不均衡ってそんなに単純じゃないから難しいんじゃないですか。たくさん考えてたくさん頑張らないといけないんじゃないですか。
あのマネージャーの方だって学費ローンでなかったのせよ、他に問題や人生の苦しみがあったかもしれない、なかったかもしれない、他にも色んな不均衡に立ち止まることもあったかもしれない。そうした「貧しい奉仕者vs裕福な被奉仕者」という構図だけで拾いきれない、社会の不均衡の絡み合った複雑さを、あのシェフが女性部下に迫った(このあたり日本語字幕が不十分でしたね、あと何よりもうその一件だけでも本当にシェフへの気持ちが冷めまくるんだよな)話とかを差し込むだけで、本当に処理できてると思っているのか? そもそも男性優位のあたりに関してや女性関連の描き方は、作中でもトップクラスに雑だなと思います。そもそもボンクラ役者が関係のないマネージャーを連れてくるのも、タイラーがマーゴを連れてきたのも、ああいうタイプのクソ金持ち男が二人で来い(タイラーだけでなくボンクラ役者もおそらく言われたんでしょう)と言われたら、高確率で自身より立場の弱い女性を連れてくることなんて想像に難くないんですが、そうした不均衡やそうした人間を巻き込むことにそもそも考えが至らないシェフの「雑さ」ですよね。いやこれ本当にどこまで意図的なキャラクター造形だと受け取ればいいんですか?
不均衡の複雑さを描くには、描写が足りず、かと言ってシェフの意見一本で、食べることを巡る問題だけで推し進めるには、他の問題を盛り込もうと欲張りすぎている。結果、雑な印象で終わります。
しかし何にせよ一番の問題はその整理のいってなさよりも、やっぱり奉仕者(接客業)を取り巻く問題と、貧困の問題を、いくらそれらが地続きであろうと単純にイコールで結びつけてしまったことだと思います。テーマを考えるなら、最後はお手頃なチーズバーガーではなく、もっと直球に接客業としてのカウンターパンチみたいなものでマーゴが切り抜けて欲しかったなあ。(というか君の生業がわからないとでも? みたいな台詞人間の見た目から人生を過剰に想像してて嫌ですね)→追記: 最後マーゴが自分が小さい頃食べてたチーズバーガーは9ドルなんて高い値段じゃなかったみたいなこと言ったら自分がこの映画に抱えてたモヤモヤの大部分がスッキリするかもな、と思いました。とにかくシェフの思想的な雑さ・浅慮がどこまで意図的なのか最後までわかりづらく進むのが困惑の最大の要因だったので。自分は割と投げっぱなしブラックジョーク映画が好きなんですが、投げっぱなしブラックジョークって本当に難しいんだな〜と改めて思いました。
シーンとしては好きなシーンがたくさんあります。
最後燃えるレストランを観ながらチーズバーガー食べるシーン自体は美しいと思うし、くしゃくしゃの10ドル札はよかった。そのあとに金持ちたちが経費でなんだ言ったり、みんなクレジットカードだったりも秀逸なブラックジョークと思った。
あの夫婦の女性の方が、マーゴに「帰っていいのよ」といったモーションをしていたのも良かった。
面白さでいうと、女性のスーシェフに対して殺さないでと説得しようとしたら「私が最後死ぬって演出考えたんです!!!!」みたいに笑顔で返されたシーンはめちゃくちゃ面白くて声上げて笑いそうになりました。お土産のヴェリクの指ですも面白かった。ヴェリク周りは「奉仕者vs被奉仕者」という軸と合致してて素直に面白いシーンばかりでした。
全体的に演出はほぼずっと良かったです。
シナリオ自体もサスペンスとしてのクオリティを考えるならば、良かったと思います。本当にハラハラした。
タイラーお前知ってたのかよ!というのが最後にわかるところはすごく綺麗な回収だと思いました。あれは奉仕者をなんとも思ってないクソ金持ち雇用者描写としてすごかったですが、同時にやっぱり死ぬのわかってて来るタイラーの執着と崇拝怖いですし、あんな崇拝しといて撮るなと言われていてかつこれから死ぬのが分かっているのにパシャパシャ写真を撮るタイラーのキャラクターは非常に良い。それにしても、計画を破綻させたくなければ一人でも来ていいよというべきだったのでは。でもこれは、あの手のレストランって確かに二人以上でと言いがちで、そういう敷居がシェフを苦しめつつシェフもそこから逃れられてないみたいなことなんでしょうか。
ただタイラーが料理作るのは下手っぴでみたいなのを周りの人がガン見してる、みたいなのは批評家憎しが出てる居心地の悪いジョークに感じます。
出来もしないやつが好き勝手言いやがってという腹立ちはわからなくはないですし、むしろ今作の「奉仕者vs被奉仕者」という構図に最も乗っ取ったシーンではあります。でも、別に好きなものや語れるものを、何だったら偉そうに批評してるものを、自分ができるかどうかは別でいいんじゃないか自分は思います。同時に、自分ができる、からと言って、批評できるかどうかは別なわけで、それぞれ別の能力・楽しみなので……。あのシェフだって自分はおそらく演技できないだろうにボンクラ役者に好き勝手言うわけで、考えば考えるほどボンクラ役者に込められた予防線すごいですね。
全体的に色々良いにもかかかわらず、訴えたいメッセージを巡る雑さがのめり込めなくさせる、そんな映画でした。
食べるな、味わえ
正直、不足している部分は多い。
シェフをはじめ登場人物の背景は断片的な台詞のみ。
スタッフが従順な理由も明かされず、ダメ元で暴れる客がいないことも不自然。
動機もすべて「そんなことで!?」のレベル。
でも、本作の主題には必要ないことなのかもしれない。
美食や映画はもとより、芸術や娯楽を享受する者への痛烈な批判がそこにはあった。
もしかしたら、創り手のエゴに対するそれも一緒に。
声をひそめて会話する客に対し、シェフの大きな柏手や、スタッフによる軍隊さながらの「イェス、シェフ!」。
その対比が序盤から不穏さを煽り、中盤から一気に顕在化する。
時折差し込まれるシュールな笑いが、不気味さとおかしみを引き立てていて秀逸。
材料『マシュマロ、チョコレート、レストラン、シェフ、スタッフ、客』と表示されるデザートは、笑っていいのか。
中盤いきなり『逃走中』が始まったのにも笑ったけど。
タイラーは本当にフラレたのか、実は恋人を巻き込まないようにしたのではないか。
余白も多いので、色々と想像してしまいます。
いやぁ〜、面白かった!
シチュエーションホラー(?)のひとつなのかな。
映画を見ながら、なんとなく「そして誰もいなくなった」と「羊たちの沈黙」を思い出していた。
とにかくキャラクターが個性的で、いわゆる“キャラが立ってる”のに恐れ入る。シェフやスタッフ、クセの強い客に至るまで、みんな完全にアタマがイカれてる(誉め言葉)。
まず、あのアジア系の女性案内人がいいねぇ。有無を言わせないスーパー慇懃無礼さで冒頭からガツンとやられる。
「パンがないパン皿」でヤバさを感じつつ、次のスーシェフの衝撃の行動で一気に見ている方もクライマックスww
最後はどう締めくくるんだろう、と思いながら、ラストに至って初めてマトモな料理、それもチーズバーガーというジャンクフード。それをテイクアウトする事で脱出するヒロイン(でイイよね)。そしてみんなでスフレになってしまうエンディング。
こういうの、好きだなぁ。
逃走中
意外にも超面白作品だった!
なんやこれ、超おもろかった
前半、料理番組に見えん事もなくて、
なんだかボンヤリしていたのだけど、
徐々に右肩上がりに面白くて、満足でした
予告ではバトルロワイヤル的な感じかと思ってたが
いい意味で裏切られました。
というか、役者たちの演技合戦だったわこれ
アニャの鋭さと、レイフファインズの揺らぎ
そしてニコラスホルトの二面性
他の面々も徐々に崩れていく様が最高でしたな
なんと言っても、女性の連帯が見れたのが嬉しかった!
「男の過ち」中の女性陣
思い想いに過ごしてる感じがよい
小気味良いジョークもよい
そしてラストの娼婦への本妻のハンドサイン
あなたは生きなさい、の合図であり、
私は夫婦だから責任負わなきゃ感。
一瞬だけど、掴まれたシーンだった。
あとタイラーくん、、
最初は面白がって観てたけど、後半きつかったなー
あの全員の前で料理する時の居心地の悪さね
異常に冷たい空気が漂ってました
そこでも料理紹介しちゃうのがおもろい
彼女にフラれたって言ってたけど、
めちゃくちゃ想像つくわー、、
憎めないTYLERくんでした
ラスト、アニャのチーズバーガー
得策とは思えないが、納得感はあった
アダム・マッケイ製作の社会風刺のスパイスが効いたお料理をご堪能あれ。
今宵、離れ小島の高級レストランでもてなされた恐怖のフルコース。主催者であり一流シェフ、スローヴィクの招待により選りすぐられた招待客たち。ただ一人を除いて。
貧しい出から、いまや料理の世界で有名シェフの地位に上り詰めたスローヴィク。もはや自身の人生に満足しているかといえばそうではない。
料理の道に入った頃は純粋に客に自分の料理を楽しんでもらいたかった。しかし、彼の知名度が上がれば上がるほどその期待に応え続けなければならないプレッシャーに日々苦しめられる。その行き着いたところが離れ小島に建つこのレストランだった。
料理に使う食材を一から収穫、全て納得のゆく一流食材を揃える。またスタッフたちも彼の要求にこたえるため、まるで兵舎のような宿舎に住み込みで調理をする。
しかし彼がどんなに客に良い料理を提供したところで、常連客でさえ過去の料理の味も料理名さえも憶えていない。来る客はみな彼の知名度の高さから彼の店を訪れたいだけ。そう、富裕層の連中にとっては彼の店に行くのは一種のステータスなのだ。
富裕層たちの果てしない欲望に必死に応えてきた自分は一体何だったのか。もはや彼らの奴隷、自分の行為が彼らをより肥え太らせて、資本主義の駒としての一端を担ってきただけではないのか。彼が料理の世界で目指したものはこうではなかったはずだ。
いまや行き過ぎた資本主義による経済格差はとどまるところを知らない。ほんの一握りの富裕層が世界の富の大部分を独占。実質、傲慢な彼らがこの世界を支配している。
そして富と権力を持つ傲慢な彼らを忌み嫌いながらも、スローヴィク自身も地位と名誉を得たことにより彼らと同じく傲慢な存在になっていたことに気づく。
今宵のフルコースは彼による富裕層への復讐であった、また同時に彼らと同じく傲慢な存在となった自分への自戒の念を込めたものでもあった。
ただ一人招かれざる客だったマーゴはスローヴィクの料理には一切手をつけず、チーズバーガーをリクエストする。それはけして富裕層の人間が口にしないジャンクフード。しかしそれこそが貧困層の常食であり、彼の料理人としての出発点であり、原点でもあった。
彼の家でバーガー店を営む若かりし頃の写真を見てのカケであったが、一口食べた彼女は持ち帰りを希望する。彼はそれを拒否できなかった。テイクアウトはバーガー店では当たり前。彼を純粋な料理人の頃に回帰させたマーゴの勝利だった。
コースの最後は客たち自身を食材としたデザートで締めくくられる。甘い香りの炎に包まれた客たちとともにスローヴィクたちもその炎に焼かれていく。
一人脱出した貧しい生まれのコールガール、マーゴは富裕層たちを焼く炎を見つめながらチーズバーガーを頬張るのだった。
一見、狂気にとらわれた有名シェフの暴走が招待客を恐怖に陥れるという内容だが、行き過ぎた経済格差、現代の富裕層による搾取の構造を皮肉っぽく描いた作品。
全285件中、101~120件目を表示