手のレビュー・感想・評価
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嘘つきの手
『ちょっと思い出しただけ』の記憶がまだ新しい松井大悟監督の作品であり、しかも
"ロマンポルノ"リブートということで、どのように食材を調理するのだろうと期待を込めて鑑賞
作品自体は原作有り(未読)であり、これがロマンポルノとの整合性足りうるのかは鑑賞する迄は未知数であったが、確かに親和性は感じられた。但し王道のルール(作品時間中に於いて10分に1回は性的演出描写、2週間の撮影期間)に関して言えば、今作品にはまるで意味がない、必要ない、もっと言えば足枷でさえ感じてしまったのは悔やまれる
世間を斜めに見る、やさぐれてこまっしゃくれな女がモノローグで毒を吐きながら、しかしやってる行為は相当爛れた性生活を送っているというプロットはポルノ作品では一つの定番であろう。そこに至る原因を後に描写することで観客の最初の拒絶感を逆回転させ、一気に主人公に共感させていく演出も然りである そしてそれ以上に今作品に於いてポルノ作品足りうる大事なエレメント『情感溢れる濡れ場』というものが絶対必要なのである。それは日常性を表現するための性行為というより、そんな心と体の乖離を人間性の複雑さとして表現する為の観客への共感性を求める演出なのだろうと考える。そこには通常の映画とは違う、R18レーティングならではの思い切った感情とカラダの機微の爆発が表現できるからである。おじさんに抱かれながらおじさんを馬鹿にする、只々自分の上を通り過ぎるだけの、性欲を吐出すだけの男達を馬鹿にしながら、しかしその男に情けを掛けてしまう自分の愚かさにも自己嫌悪する そういう内面のどす黒さと性描写との対比にポルノ作品の真髄の一つがあると思う。勿論、それだけではなく、上記のルールさえ守ればどんなテーマでも表現して構わない(勿論、制作費範囲内でw)という或る意味大盤振る舞い的制約無しなことが監督冥利に尽きる事は言うまでもなく、ぶっ飛んだ作品程その自由さに感銘を受けることも枚挙に暇がない
さて、果たして今作はどうだったろうかというと、鑑賞後の監督主演の劇場挨拶回を選んでしまったので、監督からの発言であったが、正直自分の思いとは別にあったようである。日常の世界線でのセックス、そして今ひとつもの足りなかった父娘の確執の説明故のカタルシスの減少、そして大事な濡れ場の淡白さとだから感じる冗長さに、バランスを欠いたストーリー展開であると感じざるを得ないという結論である。勿論、監督自ら親との死別や家族の在り方そのものが、未だ模索中とのことで、深くは踏み込めなかった事は致し方がない。自分自身、"家族"と言う存在自体解明など不可能だと諦めているくちだから。。。
だからこそ、もう少し性描写の強さのボリュームを上げて貰いたかったというのが正直な感想である。
多分それは俳優達のどことなく漂う"恥ずかしさ""健全さ"みたいものがスクリーンに帯びていて、観ている自分をも馬鹿にしていると勝手に感じてしまうことにも繋がってしまい、居心地の悪さを心の影に落としてしまう事にも由来していると思った次第だ 「精一杯、濡れ場頑張りました!」的な上から目線を受取ってしまった自分としては、ならば前回作品のような心の移ろいを丁寧に描いた作劇に特化して描いた内容の方が余程監督の本領発揮として好意的に鑑賞できたのにと悔やまれる
それとも、それ程俳優の力量に差があるのであろうか、考慮の余地を残しつつ感想とする・・・
父
もともと札幌では上映する予定なかったですが、サツゲキさん1週間限定上映ありがとうございます!
金子大地君も出るし
松居大吾監督ですし
観たかった映画🎬✨
1番主演の福永さんが
めっちゃ良かった
本当に、どこにでもいそうな、さわちゃんを演じていた、共感する女性は多そう
これからも期待します
お父さんが好きで、でも上手く接することが出来なくなったさわこ。
多分、可愛い妹が出来てから、自分より妹が、父は好きなんだと主人公が勝手に家族と壁を作り、疎外していたのだろうか
父を好きだけど、父を好きと言えない感情からなのか
おじさん好き❤️
可愛い❤️となっていたのかな
確かにおじさん好きの女性は一部いると思いますがね、、、
みんながみんなそうではないからな!笑
金子大地君の森、、、
なんなんだよ
おまえー
最後泣くなよ
なんで泣くんだよ!
泣きたいのはさわこだよ!!
この映画は女性が観やすい
女性視点の映画ですね🎬
松井大吾の普通に良い映画
コレって「ちょっと思い出しただけ」と張ってませんか?
イヤイヤ、これは松井大吾の現時点のベストだと言っても過言じゃないってw
「ロマンポルノ」をタイトルに冠する映画です。エロエロと人間ドラマに期待してしまいます。期待通りに、性を生々しく描く脚本ですし、臆面も無く、惜しげなく、直接的な性描写が、物語りの重要な一部を形成しています。
で、主演女優が福永朱梨ちゃんなんですよ。「彼女はひとり」じゃJKだったのに。つい、この前の話なのに。いやーー。これには正直驚いた。身体を張った体当たりの演技、素晴らしかったです。と言うか、ありがとうございますw
最初の父の記憶が、その手であったと言う女子。父親の愛に飢えた結果、醒めたオジサン殺しへと進化。心理学的にも「アリ」な展開から、恋愛の失敗を経て、父親へのわだかまりを解消する。と言うだけの、謂わば女子が「自爆するだけ」の物語り。
エロく生々しい人物描写があるがゆえのリアリティある人物描写と説得力。そうですよ、「ちょっと思い出しただけ」も、結構、そういうとこありましたもん。
映画としては、妹ちゃんの性行為シーンは不要だと思いますが、「ロマンポルノ」としては必須なんでしょうね。と言うか、それがあるからポルノかw
これは、面白かったです。
良かった。
かなり。
と。サロンシネマさんで観たんですが、多分、同じ回に、前田多美さん(女優&監督)が居られました。研究、ですかね。女性目線で、こんなんを撮ると、どうなるんだろ。って思いました。
人間の根源的な欲求を描写すること
珍しく土曜日の出勤 せっかく街に出るので帰りに映画を観ようかと
いつもの映画館で土曜日ながら料金が安い日でラッキー
時間がちょうどよかったのが本作だ
にっかつロマンポルノ50周年記念作3本のうちの1本だと
ロマンポルノを観るのは初めてだと思う
少年時代の憧れ 大学受験の帰りに映画館の前で入ろうか入るまいかと
逡巡したような記憶がある
エロティックな場面 性的な描写が続くおかげで全く飽きることはなかったのだが
ちと多すぎでちょっと疲れてしまった バランスは大事だ
内容的にはちょっと感情移入しづらいものだった
金子大地は女たらしなのかダサいヤツなのかキャラが掴みにくい
一連の行為と最後の涙が繋がらない
娘を持つオヤジとしては金田明夫目線も大事な見所なのだが
こちらも行動原理が最後までよくわからなかった
微妙なフォトブックの作成を手伝う妹のキャラ
母親の立ち位置もよくわからん
とはいえ監督や主演の福永朱梨と金子大地にはただただ敬意
食べる場面同様 人間の根源的な欲求を描写することは大変なことだ
ロマンポルノをステップにして名監督/俳優が生まれているのはそういうこともあるのだろう
おとなしそうな女が案外欲深い感じは👍
監督はまだまだ若い。
ナオコーラさんの原作は未読。
おじさん好きの女性会社員が残業がきっかけで年下の男性(金子大地)と付き合うことになる。うぶな感じの相手は転職活動中であることをほのめかす。転職すれば社内恋愛の煩わしさから解散される。送別会の掘りごたつ仕様のテーブルの下で男の足が彼女の足に絡み合うように合図。
都合のいい女。のふり。で始まった付き合い。
彼女が作るおじさんのスナップ写真のスクラップブックがポップ過ぎる。しかも、高校生の妹が手伝っている。エロさは皆無。妹のカラオケボックスでの同級生との初体験場面なんかいらない。しかも、その最中に姉に電話してくる。子供っぽくてちょっとシラケた。愛読書が金子光晴というのはかなりエロくて惹かれる。彼女はファザコンで、年上の男性との刹那的な交際を繰り返す闇を抱えているはずなのだが、直接描写は皆無。オジサンたちは激しいまぐわいを何度も繰り返す代わりに、「手」を駆使し彼女を開発したであろうに。帰宅後、早々にオ○ニーグッズを使う描写に止めている。金子大地との交際も明け方まで外にいるし、ちょっと間延びした青春映画になってしまっている。金子大地が他の女と婚約したことを告白しても動揺せず冷静な彼女。そこはよい。しかし、そのあともまた交わってしまう背景描写、心証風景が曖昧で、共感できない人が多いに違いない。金子大地の「手」は肉厚でなかなかエロかった。
見終わった感想は、にっかつロマンポルノではないね~だった。
やはり、若い監督が作った青春夜話の一編といった感じ。
主演の福永朱梨は全然悪くはないが、金子大地の方が落ち着き過ぎていて、ある意味ミステリー。さわ子の闇が浮き出てこなくて、同情したり、共感しにくい。
津田寛治はなかなかよかったが、あと
2人ぐらいエロ親父役を投入して、濡れ場を作ってくれないとね。わたしのおすすめは、奥田瑛二、石田純一、布施博、宅麻伸、温水洋一、ルー大柴、ラサール石井など。
形式を活かした真面目な良作
ロマンポルノ同日2本立て鑑賞、こちらが2本目で良かった。松居大悟監督作品では「くれなずめ」には乗り切れず「ちょっと思い出しただけ」はハマッた。本作もとてもいい映画だと思った。(ちなみに監督と恐らく福永朱梨さんが劇場に来てました。お二人と一緒に挨拶されていた女性はどなただったのかな?)
監督は年齢的にロマンポルノ世代ではなく、だからこそ形式にこだわったのか、数分に一回の性描写とそれを納得させる主役の捻れた趣味嗜好と性格形成。女性がこの娘をどう見るか聞いてみたいが、男性からすると都合がいい、魅力的な存在になっていた。
主役の福永朱梨、スチールよりも映像に映える。金子大地、ずるい男を自然にできていてなぜかウラヤマシイ。金田明夫が良かったなあ。
父との関係性を背景に、うぶそうに見えていて結局こういうことがウマいセフレ、過去の男たちとの交流。妹(めちゃめちゃいい子)のサイドストーリーはセーラー服百合族などの笑えるエロを彷彿とさせる。ロケ地もなぜか80年代風に見え、映像も美しかった。
日本の伝統芸の踏襲として、性交シーンで手前のテーブルで上手く隠すところもあったが、そのテーブルが、その後手紙を取る形できちんと演技に使われていたところに感動した。
3人家族
高校の同級生を除きおじさんとばかり交際してきた25歳の女性が、転職する同僚に声をかけられて恋愛観の変化をみせていく話。
おじさんのいかにもなところをカワイイと宣う見た目はちょっと地味めのOLが、元彼のおじさん達と交流したり、おじコレをつくってみたりと恋愛模様や恋愛観、というかSEX観をみせていくのかと思いきや…。
コンプレックスというか、自己表現の不得手というかそんなものを絡ませての父親との不和に繫げる感じがなかなか素敵だった。
物語の流れや感想、見どころ
森と出会うまでは「若さ」「外面的な要素(若い・女性)で相手をしてくれるおじさんと関係を持ってきたさわ子がとある別れから過去に関係を持った相手と再会し、そして新しい恋愛を通して物語は進んでいく。
周りの人との会話が苦手で父親と距離を取っていたさわ子が森と出会い、手を介して性のコミュニケーションを取る。
相手は自分の中の奥深いところに入ってきて、さわ子は自分も知らない面、新境地を知る羽目にもなった。
二人は関係を深めていくのだった。
さわ子はおじさんから「相手にされるから相手をする」のではなく、自ら相手と接していくことで関係を築いていけることを覚える。
少し勇気を出して父親と接することができこれが映画のもう一つのテーマだったと最後に納得のいく仕上がり。
さわ子は「処世術」と言ったが、今までも色んなおじさんと出会って接し方を取り入れてさわ子が出来てきたのかもしれない。
捨ててしまった出会いが無駄な人生だった訳でもないし、これまで色んなおじさんと接してきたからこそ今の、最後のさわ子がいるとも思える。
一つ一つのきっかけを自分に取り入れて、何者でもない一人のさわ子としての存在が強くなっていく。
そんなさわ子を羨ましい思った。
森との関係は終わりを迎えたが、さわ子はこの先の人生で幸せになれる人だと感じた。
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ポルノ映画を見るのは初めてでしたが、不快感無く見られます。
人を愛する物語の中に性的な場面が含まれている程度です。
松居監督は女性向けに作られたと言っていて、女性一人でも見られるおしゃれな映画です。
カップル、友達と見に行っても変な空気にはなりません。
ポルノ映画として刺激が欲しい場合は物足りないかもしれません。
個人的な映画の見所、注目のポイント
・画角が好き
森に誘いを受ける2人だけの内緒のやりとりを覗き見られる撮り方。ベランダ越しに1人座るさわ子、孤独な感じがする。
・色合いがきれい。
・大河内(津田寛治さん)がジビエ料理店でさわ子の手の触り方(福永朱梨さんより)
・最後の主題歌の入り
その他、何度か見るとちょっとした小細工が仕掛けられていて子美術品、内容的にも見れば見るほど気付きを得られる映画です。
オンライン試写会鑑賞
オンライン試写会で観ました!
ゴツゴツした手、小さくて柔らかい手、プニプニした手、筋だらけの手…
人生は手に表れると言いますが、幸せな手になりたいものです。
ラストシーンの主人公の泣き笑いに思わずもらい泣きしてしまいました。
オンライン試写でドキドキしながら観てみたらとても良かったので、スク...
オンライン試写でドキドキしながら観てみたらとても良かったので、スクリーンでも観たいなと思い、劇場での最速上映に足を運びました。男女の致すシーンはあるし金子大地さんも福永朱梨さんも体当たりで生々しいなと…とドキドキしましたが、ベースは複雑で繊細な親子関係、おじさん観察を通した人間模様と会社勤めの一人の女性の揺れ動く心の隙間を丁寧に描いた物語でした。ロマンポルノというジャンルの名前が持つ淫靡な響きから来る先入観を180°覆しているのは松居大悟監督の手腕だと思いました。映像も素敵だし、エモーショナルな作品になっていると思いました。福永朱梨さんの雰囲気、一見地味で大人しい感じなのだが時折大胆にも見えて小悪魔っぽかった。おじさんとデートはするのだがその目線はどこか冷ややか。この感覚はなかなか複雑な女心だなと。また津田寛治さんには毎回注目しているのだが、ここで演じた優しい蘊蓄おじさん、今回は悪気はないのに時代錯誤感があって女の子の褒め方ズレまくって塩対応される役なのに、抜群なバランスで愛らしく可愛いキャラクターだった。蘊蓄の話し方がかわいい。
思い込みを具現化したらこんな感じ
果たして、リアルな男女だったかな?
現代の価値観を持ち合わせた女性像には到底思えなかった。
男性が好きな女性像。
男性が好きな男性像が前時代的だと感じた。
ポルノ映画を観る対象が男性であることを踏まえたら、作中で言われているように男が好きな女があんあん言っているのは正解なのかも知れない。ポルノはちゃんと鑑賞したことがなく、評価の基準がズレているかも知れないが、今作は行為が描写されなくてもストーリーに支障がないように感じた。
おじさん観察録も100歩譲って若い女性が親父のスナップ写真コレクションしていたとしても紙媒体にはしない。
携帯の鍵付きフォルダーにそっと入れておくくらいだと思う。
女性側の精神が未熟で馬鹿に見える。
こんな台詞を今時の20代が言うのか?
ポエムなんて場が凍りつくアイテムや仲良し姉妹だからって情事中に姉に電話は無いわ。と寒く感じてしまった。
私のポルノに対する見識が狭いから、受け取れるものが少ないのか?いや、18禁でも素晴らしい作品だと感じる映画やアニメも多くある。
ひとえに、自分の琴線に触れる作品では無かった。
試写会を堪能しておいてなんだが、映画好きの友達には勧めたいと思う作品ではなかった。
可愛いおっさん劇場。それだけ性欲があれば、なんの心配もないですね。
年上の男性に惹かれる女性さわ子のある恋の顛末と、それにより生じる心境の変化を描くロマン・ポルノ。
監督は『昼顔』(出演)、『ちょっと思い出しただけ』の松居大悟。
さわ子の同僚、森を演じるのは『ナラタージュ』『おっさんずラブ』シリーズの金子大地。
時は60年代、洋画の台頭により苦境に立たされた邦画業界。その状況を打破しようと、大手映画製作会社「日活」により生み出されたのが「日活ロマンポルノ」というレーベルである。
「早い・安い・エロい」を地で行くこのレーベルには、エロシーンさえあれば後は何をやってもO.K.という自由な風潮があり、その結果意欲的な作品が数多く生み出された。
数多くの有名監督を輩出しており、相米慎二、森田芳光、金子修介、崔洋一といった錚々たるメンツがこのレーベルで作品作りをしていたことも注目に値するポイントである。
本作はこの「日活ロマンポルノ」誕生50周年を記念して発足したプロジェクト「ROMAN PORNO NOW」の記念すべき第1作。
人気作家・山崎ナオコーラの同名小説を、今最も注目を集める映画監督・松居大悟が映像化した。
悩める女性の恋愛と成長を瑞々しいタッチで爽やかに描き切った、ポルノ映画というよりは青春映画のような手触りの一作。
青年女性の生きづらさを主題にするという現代的な試みは、「ポルノ」という苔むしたジャンルに新風を吹き込んだ。
これはまさに現代に生きる我々の為の映画であり、日本ロマンポルノ史に新たな1ページが刻み込まれたと言っても差し支えないであろう…。
とかなんとか知った風に書いてみましたけど、実は「日活ロマンポルノ」は今回が初鑑賞。
映画.comさんのオンライン試写会に当選いたしましたので、今回いち早く鑑賞させていただきました。
映画.comさんありがとうございます😆✨
絶対に自主的には鑑賞しないジャンルの映画。
こういう自分の映画の幅を広げてくれる機会というのは本当にありがたいです。
とはいえ、鑑賞してしみじみと感じたのは「これは俺の観る映画じゃあねぇな〜…🌀」ということ。
自身を取り巻く環境に上手く対応出来ない主人公。…でもセックスだけには意欲満点。
こういう作品って、一体どういう楽しみ方をすればいいんだろう?孤独、とか他人との繋がりを持てない、とか言ってるけど、色んな人とセックス出来てんだからいいじゃん。何が問題なのか、俺にはよくわからん。さわ子さん、あなたは他の人間より遥かに恵まれていますよ。
これって、問題が無いことをさも問題があるかのように描いているだけなのではないでしょうか?そんな独りよがりな作品に付き合っている暇は無いのです。
開始30分くらいでもう本当に観るのが辛くて、早くおわってくんねえかなー、と思いながら観ていた。
セックスシーンも、まぁ確かに過激ではあるんだけど想定していたよりは控えめで、エロ目的で観ようにも少々退屈。
そういう意味では、100分程度のランタイムで助かった。これが120分とか150分とかだったら、本当に苦しい闘いになっていたことだろう。
あ、俳優さんたちは凄かったですよ!とっても体当たりな演技にハラハラドキドキさせられました。
それにしても、こういうハードな濡れ場ってどうやって撮影してるんだろう?前貼りでバリバリに固めるのかな?自分ならもう下半身に意識が集中しちゃって撮影どころじゃなくなるな😅
うーん、金子大地さん凄〜い👏
ただただ「つまんねーなー」と思いながらボサっと観ているのも芸が無いので、ちょっと色々と考察しながら鑑賞してみました。
映画のタイトルが『手』である以上、「手」が重要な意味を持っていることは明白。
ではこの作品における「手」とは何を象徴しているのだろう?
まず気付かされるのは、薬指にはまった指輪💍
さわ子が関係を持つ男性は、みんな薬指に指輪がはまっている。
つまり男性の「手」は既婚者の証である訳だ。
唯一森は例外だが、物語の終盤で彼には婚約者がいることが判明する。彼の「手」にはこの後指輪がはめられるのである。
次に気づくのは、性的な関係で用いられる「手」。
口説こうとしてそっと手を重ねたり、乳を揉んだり、性器を愛撫したりする「手」。
他人と会話することが苦手であると述べるさわ子にとって、「手」によるノンバーバルなやりとりこそが、他者と繋がりあえる最大のコミュニケーション・ツール。そしてそれは、さわ子にとって異性とのコミュニケーション=性的な関係を持つということを表している。
さわ子は父親との関係が上手くいっていない。これは偏に、父親とは性的な関係を持つ事が出来ないからなんだろう。
ちなみに、これだけセックス描写のある映画でありながらオーラル・セックスの場面が一つもないのは、さわ子が「口」によるコミュニケーションを不得手にしていることを表象しているのだと思われる。
さわ子と森は、セックスの感想を紙に書き記す。
そして、それにより「最高のセックス」を目指す。
この紙に書くという行為にも「手」が関係している。
そして森とのラインのやりとりも「手」により行われる行為である。
また、さわ子の趣味であるおじさんの写真収集。カメラのシャッターを押すのも「手」だし、スクラップ・ブックを作るのも「手」だ。
「手は嘘をつく」(細かいところは忘れた…😅)というような印象的なセリフが出てきたが、さわ子の「手」により行われる表現には嘘はない。
彼女の正直な心境を吐露するツールとしても、「手」は機能している。
さて、本作はさわ子と森の物語かと思いきや、実はさわ子と父親の物語である事がだんだんとわかってくる。
この映画、つまるところはエレクトラ・コンプレックスを描いた作品。妻子ある男たちを無条件に受け入れる内なる「聖母」を殺し、代わりに父親の愛を手に入れるという映画なのです。
老化により父親は聴覚を損なう。これは「口」によるコミュニケーションが困難になったという事であり、それはさわ子と父親のコミュニケーションが変化することを暗示している。
つまりさわ子と父親とのコミュニケーションが、発話からノンバーバルなコミュニケーションへと移行していく事を表している。
さわ子はバスから降りようとしてふらつく父親の「手」を握る。
ここで初めて、さわ子は男性と性的ではない「手」によるコミュニケーションを行う。
これは彼女にとっての革命だった。セックス以外でも「手」によるコミュニケーションを行えるということを知ったさわ子は、それを通して父親と心を通じ合わせる事に成功するのである。
さわ子は、父親と同じ年齢層の男性を通して父親のことを理解しようとしていたのだろう。
年上のおじさんとばかり付き合ってきたのもそのためだろうし、「スクラップ・ブック」はその象徴である。
父親との繋がりを得たさわ子に、スクラップ・ブックも年上の恋人も不要。
だから最後に、彼女は津田寛治に別れを告げ、スクラップ・ブックを自らの「手」で処分するのである。
事程左様に、本作はさわ子のエクストラ・コンプレックスの映画であり、それには「手」という要素が大きく関わっているのである。
…こんな感じでどうだろう?少しは賢そうな文章になっているかな?
※2024年3月、2度目の鑑賞。1度目よりもはるかにキツかった…😓
こういう邦画特有のエモさ、マジで苦手。作為的にナチュラルにしようとしている感じが鼻につくんだよな〜。
という訳で、評価を下方修正。苦行だよこれは…🌀
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