「季節が巡るように訪れる人生の最期」愛する人に伝える言葉 ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
季節が巡るように訪れる人生の最期
39歳で末期の膵臓癌を患ったバンジャマンが、拒否していた化学療法を受け入れて身辺整理をし、最後を迎えるまでが淡々と描かれる。
独り身の彼は母親のクリスタルに身の回りの世話をしてもらうが、親子関係が円満というわけではないようだ。19年前に妊娠したことを理由に別れた恋人と、まだ見ぬ息子がオーストラリアにいるが、涙を誘う再会があるわけでもない。季節は静かに進む。
ただ、早すぎる死期に対するバンジャマンの苦悩がひしひしと伝わってくる。彼は演劇講師だが、時折挟まれる彼の授業シーンの寸劇が効果的に彼の心情を暗示している。
エデ医師がドライブ中にバンジャマンの訃報を聞くラストシーンを見て最初は「なんだかこういう映画にしてはドライというか、ビジネスライクだな」と思ってしまった。まだ見ぬ息子に会えないまま、39歳という若さで世を去るバンジャマンを見て私は悲しい気持ちになったが、エデ医師のリアクションには相応のエモーショナルな悲しみがなかったからだ。
ありがちな難病もの映画のセオリーに従えば、二人三脚で治療に携わった医師や、会えなかった息子が死の瞬間には枕元に寄り添って、愁嘆場になりそうなものだ。見ている側もそこで悲しみを共にしてカタルシスを得る。
しかし、そういう定番の流れとは一線を画した顛末にむしろリアリティがある。息子に会えずじまいだったことは一見不幸かもしれないが、初対面の捨てた息子に生きているうちに相対しても、共有する思い出などの接点がないだけに、恨み言を言われて終わる可能性が高い。結果的にこの形が二人にはある意味一番傷つかない形だったように思える。
本作がフォーカスしたいのは、死の瞬間のメロドラマではなく、当人の気が済む形で「人生のデスクの片付け作業」をすることの大切さなのだろう。信頼する医師を決め、体力が持つ限り生徒に演劇を教え、遺産を息子に相続させる手続をとる。母親に大切な5つの言葉を伝える。
そういった片付けを済ませたバンジャマンはきっと安らかに死を迎えられると、エデ医師は思ったのかもしれない。だから訃報に接しても湿っぽさはなかった。医療者の視点で見れば、バンジャマンのおだやかな死はがん患者としては恵まれた形であり、決して嘆くべき知らせではなかったのだろう。春で終わる章立てもそのことを示しているように思える。
ドクター・エデを演じたガブリエル・サラ氏の本職は医師だ。フランスの映画祭でエマニュエル監督の作品を鑑賞し、ディスカッションに参加したことが本作出演のきっかけだという。本作の台本には、サラ氏の医師としての哲学が強く反映されている。折々に挟まれる、音楽を取り入れた医療従事者のグループカウンセリングも、サラ氏が病院で実際におこなっている活動だそうだ。
カトリーヌ・ドヌーブとブノワ・マジメルを相手にほぼ出ずっぱりなのに、全く見劣りしない堂々とした演技で驚いた。実体験からくる説得力がなせる技だろうか。
「地下室のヘンな穴」にも本作にも自然になじむ、ブノワ・マジメルの演技の幅の広さも堪能した。