MEN 同じ顔の男たちのレビュー・感想・評価
全58件中、1~20件目を表示
甘えてくる男どもに、一緒にうんざりしましょうという映画。たぶん。
これはもう明確な意図を持って観客を戸惑わせる作りだと思う。なんならボケっぱなしのまま話が進んでいって、最後にはさらにバカデカいボケがやってくる。三池崇史の『牛頭』を彷彿とさせるマトリューシカ出産シーンにいたっては、なんだこりゃと笑うしかなくて、そこに意味を見出すことすら無粋な気がしてくる。
全体としては、男性の存在そのものが女性に与える恐怖やストレスを描いているんだと思っていて、男どもはとにかく女性に母性を見出そうとして勝手に甘えてくる。それをジェシー・バックリーの苦虫を噛み潰したような表情で一刀両断にする。という解釈でいますけど、実際のところどうなんだろう。
劇場パンフや世に出ている記事のインタビューを読んでも、監督もジェシー・バックリーもぜんぜん具体的な話をしていないこともなるほどなと思わせる、解釈するより一緒にうんざりしましょうというメッセージを勝手に受け取りました。ああ面白かった。
面白そうなあらすじと雰囲気に惹かれて観たのに意味不明
1900円払って監督のオ○ニーを見せつけられた気分で最悪。面白そうなあらすじと雰囲気に惹かれて観たのに、ストーリー意味不明だし、意味深なキャラの正体も分からず全く訳からん。何1つ理解できない映画だった。
それとテンポ悪くて「いつから面白くなるの?」と思いながら観てた。結局最後まで面白くなることは無かったが...。あまりのつまらなさに寝落ちしそうだったので眠気に効くツボ押しながら観てた。
ミッドサマーが好きなので期待して鑑賞したのになぁ...。ミッドサマーのようにロケーションが綺麗な訳でもなく、絵面的にも暗いし地味で退屈。
映画というより気味悪い美術展に来た気分。俺は絵画を観に来たんじゃない、映画を観にきたんだ。映画で初めてお金を払ったことを後悔...土曜日の朝、クソ映画を観て憤慨する俺であった。
美しい痴話喧嘩
この作品は劇場で見損ねた作品だったので配信視聴したのだが、劇場で観れなかったことを本当に後悔した。
それほどまでに美しい。
緑の木々に広がる草の地平線。
低い雲と覗く青空、時々刺してくる光。
特にトンネルのシーンは感激した。
むせかえるように苔むした木、無機質でいながら馴染むコンクリートのトンネル。
光る雨音。
こだまするヒロインの澄んだ声。
ふわりと浮かぶ綿毛(きっと何かの伏線だろうけども)
満点の星空
鹿の死骸さえも美しい。
同じシーンをたくさんのカットで見せてくれるのは印象的でとても良かった。
ハウス内を友人に紹介するあたりは「志村〜後ろ〜」みたいで少し笑ったし、謎の男のビジュアルもなんだか間抜け。
カントリーハウスで禁断の果実を口にしたのは女性であるヒロイン。
そして、同じ顔で攻め立ててくる男たち。
ぐちぐちとうるさいんだよ。
もう、男という生き物にはうんざりだよ。
教会にあった口を開く男と口をつむぐ女の像。
次々と産まれる女々しい男達にもう恐怖などではなく呆れしか産まれない。いい加減にしてよと途中でナイフから斧に持ち帰る。
女に愛を請うな。母性を求めてくるな。
綿毛のように散らばった子種はもう結構。
堕ちていく禁断の果実。
美しい森での大きな大きな痴話喧嘩。
ヒロインの履く女性性のないゴツいブーツがとても良かった。
心配してやってきたお友達のお腹もぽっこり。
ヒロインが狂気に堕ちてたら闇ルート確実案件。
個人的には男って本当ダメよね〜みたいな話をしながら女子トークをかましながら夜を楽しんでほしい。
そんな美しさを観ながら妄想を楽しむ作品だと思った。
ノクターン 第20番 嬰ハ短調 遺作素晴らしい曲。でも、ショパンは...
ノクターン 第20番 嬰ハ短調 遺作素晴らしい曲。でも、ショパンは男性。
『林檎がなぜ禁断の実か?不味いからだと思う』香りも味も良いと思われている。でも、不注意すると、まずい男と出会う。だから、りんごは禁断の実。
『彼に謝罪する機会を与えていれば、彼は生きていた』等と、説くのは男の司祭。下品過ぎる男の司祭。でも、司祭なんてほぼ男であり、宗教はどんな宗教も男中心。
カンボジアには、円錐形の立体物がある。元々、お釈迦様があった場所を破壊して、簡単な円錐形の物体を立像した。その立像は男性器だそうだ。仏像と比べれば、下品で芸術性の欠片もない。宗教差別になるかもしれないが、はっきりと歴史が語っている。
さて、最後に
男から生まれる男。
その繰り返し。
これで良いと思うが、この表現がモザイクを入れなければ駄目な事と、エロくて気味悪い表現になる所に矛盾があると言いたいのか?女性はこれを繰り返してきた。快楽のあとに。禁断の園に分け入り、この苦しみを味わい続けてきた。何回もマトリョーシカしても男には『気持ち悪いね』しか表現出来ない。勿論、僕も男なので気持ち悪いね。
日頃から思う事をどんぴしゃりって、感じかなぁ。
共感できる作品だ。
女性からみれば男なんてこんな存在。それでいて、男は女性に愛情まで求める。僕は女性になった事ないが、もし、立場が逆なら『ふざけるな』って思うがなぁ。
女が感じる男の気持ち悪さ
女が感じる男の気持ち悪さ(恐怖)を視覚的に生理的に感じさせるような映画だろうか。
最後の出産マトリョーシカで主人公が怖がらなくなったのは、正体がわかって怖くなくなったというか、「そんなもんなのね、あー知ってる」みたいな感じかなと思ったり。
わけわかんないから怖かったものが、急に「そんなもんだったのか」みたいなモノになったような感覚かなと。
で、出てくる「男達」というタイトルに、「しょーもな…」ってな笑みを浮かべるというか。
怖いは怖かった。
理屈じゃなく、生理的な恐怖。言葉や理論ではない感覚だから当然わけんからん、説明つかない。そういう映画かな。
A24らしい作品です
山の景色は
緑が鮮やかで気持ちがいい
宿泊する古民家も年数は経っている
ものの内装は新しく素敵な戸建て
二週間を過ごすには最適な空間
癒しというか
心身の疲れをとり
リフレッシュする為に
訪れたが…はずが
嫌なことが起こり始める
最初は全裸の男が家の周りを
ウロツキ恐怖にかられる
そこからは
嫌な男たちばかり出会って
恐怖でしかなかった
意味も解らずに恐怖な体験
最終的に自殺した彼が
…愛…
が欲しかった。と
ホントに?
それだけで死んじゃうの~
って感じ
後から後から起こる出来事に
男性の求める声が聞こえてくる
終わりの頃はソレらを察した女性が
ウルザリした顔に見える
…呆れる顔が印象的
オモシロさはある?
恐怖な体験を味わった
あっ。気持ち悪さは超一流
亡き夫への罪悪感から?
正直に観た感想としては「…」となった。
恐らくこの映画の狙いとしては、夫婦喧嘩のいざこざの末に夫ジェームズが衝動的にハーパーに対して自殺してやると脅すことにより自分に対して心配してもらいたい、気にかけてもらいたいという思惑があったはず。
ところが、ハーパーは自殺なんてと叱責した上に友人のライリーに対してジェームズが怖いとメールで相談します。今までのハーパーがジェームズに対しての発言を知るジェームズはメールの文面を見るやいなや、怒りのあまりにハーパーを叩いてしまいます。叩かれた勢いで、ハーパーは激怒し、ジェームズを力付くで家から追い出します。
その結果、ジェームズはハーパーの目の前で飛び降りを図り死んでしまうのです。
ハーパーは気分転換のために、田舎へ単身で訪れたわけですが、夫への罪悪感があるために素直な気持ちが吐き出せないことを悩んでいることに神父から痛烈な一言、謝る機会を与えていれば生きていたはずだ、ハーパーはこのセリフを言い当てられたから逆上して出ていってしまう。
頭の整理がなかなかつかない、混沌としたハーパーの頭の中では見えるもの全てが恐怖と化します。その結果、村人による異常さや、マトリョーシカのように同じ顔の男性が生み出される奇妙なシーンから最終的に違う顔の男が生みだされ、それがジェームズだった。
ハーパーはジェームズに生前出来なかった謝罪の機会を与え、ジェームズが謝るとハーパーも謝りハッピーエンドで終わる。
何とも不思議な映画だった…。
腕裂け男・・・何なの?
美しいものと気持ち悪いもの。両極端である感情がどこかで奇妙に融合してしまいそうな不思議な感覚に囚われてしまった。なぜだろう。傷心旅行であったはずの田園風景の広がる田舎にあるカントリーハウス。廃墟マニアが喜びそうなトンネルというメタファーがハーパーに幻影を見せ続けたとも思われたのですが、同じ顔の男たちが亡き夫ではないことに深い意味がある気もする。
宗教的寓話をベースにして、DVとストーカーと離婚問題、男のエゴに対するハーパーの心象風景が美しくも痛々しくもあった。そして怒濤のラスト20分。男から男が次々に産まれ、最後には死んだ夫ジェームズが産まれて、彼女に愛を求めてくるのだ。愛から命が芽生えてくることを訴えてくるようにも感じるが、寛容さを求める男のバカさ加減が観る者を突き落としてくれた。
あまりにも特別にひどい男の性格だったが、男からすると日々反省すべきところもあったかな~と自戒せねばならないな。ジェフリーだけは酷い性格じゃなかったけど、それが村人全てがジェフリーに見えてしまったのだろうか。恐怖心を煽るだけなら皆ジェームズの顔にするべきだもんね。
男という生き物は綿毛によってDNAが受け継がれていく。なんだか色々と考えさせてくれる作品でもありました。神聖なはずの出産もここまで醜く描かれるとは・・・さすがA24だ。
前半の散歩シーン素敵でした。
※※※先に書きますが、この映画には、
▲受動攻撃
▲男性妊娠
▲男性の出産シーン
などがあります。上記が苦手な方は視聴を控えてくださいね。かなり強めの忠告、失礼しました。
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難しすぎたので、とある方の考察サイトを拝読して納得した気になったから、いいや…。
その考察サイトの方は、この映画に登場する男性たちを「有害な男」と書いていました。
言われてみれば確かに。ずっと不快感が胸のなかをうずまいていました、彼らが登場すると。
言いようのない怖さとか、不気味さとか、苛立ち?これらを感じました。
そしてラストのあの衝撃シーンは、昔から現代にかけて、「有害な男」の有害さを
後世に受け継いでいくシーンだろう、ともあって、なるほどなぁと思いました。
家父長制度による男らしさの押し付け。された男性たちの心の歪み。それらが
女性への無償の愛・母の愛を求めるこどものように縋りついてくる様子。
次々うみおとされていく男たちを見て、始めは恐怖の顔を見せていたハーパーが
いつしか"諦め"の表情に変わっていった、とも。そして最後、夫がうみおとされて。
ハーパーが「あなたは私に何を望むの?」と聞くと、夫は「愛がほしい」と言う。
……ため息しか出ないですよね、ハーパー。と何だか同情してしまいました。。
でも、その考察サイトにもありましたが、前半の森や自然のシーン、雨のシーン、トンネルのシーン、
声の反響シーンは素晴らしかったです。とても美しくて、浮世離れしていて。すごく癒されました。
あんなに美しい緑を、映画で観たのは初めてかもしれません。
美しかった…。もっと見たかったです。
邪魔さえなければ…。そこが惜しかったです
ラストの笑顔が素敵
最初の夫婦喧嘩はリアル。
久ぶりにまともな夫婦喧嘩を映像で観た感じ。
そうなのよ、夫婦って赤の他人だから、こんなにも自分の思いを全部出しちゃったら、噛みあうわけない。
100%分かりあえないんだからさ
自分のしたいことと、
相手が自分に求めていること
お互いがちょっとずつ妥協したり無理したりしないと。
前半の映像の美しさ。森の中、葉っぱの1枚1枚が光って見えて、時間が止まったよう。トンネルの先に見える小さな不気味な人影とのコントラスト。
素晴らしい映像美に、しばし癒しのひととき。
だけど、いきいなりフルチンのおじさんが出てきて、こ、これはコントなのか…
そういえば、ミッドサマーでもフルチンのおっさんが走ってたと思い出す。
そして「同じ顔の男」というのは、そういうことなのか!と気づく。だって、役者さんの演技が上手過ぎて、最初は気づかないよ、同じ人が演じているという「同じ顔」。
お屋敷の中にどうしても入りたい男たち。
突然男どもが押し入り、ハーパーも「ぎゃー」ってなるんだけど
でも、だんだんとそんな構ってちゃんな男たちに辟易してくる。あきれ顔。
分かるなー なんで男って、こんなにまで女にまとわりつくのだろう。
お屋敷の中の出来事は、主人公の心理描写なのだと思う。だから、見えたり見えなかったり沸いて出たり消えたり。
そしてラストは現実の映像で終わる。
ハーパーは現実と幻想の狭間で、関係のない人を殺してしまったんでしょうね。でもその笑顔を見ることができて、私は嬉しいです。
※フルチン有り、流血あり、欠損あり、その他もろもろ
感想: わかんなさすぎて草
綺麗な場所だった
家も広くて住んでみたい
死んだ夫がすげぇメンヘラということは分かったけど、ほんの極々少しだけ愛が重くなることには共感してゲロ吐きそうになった。(愛でもなんでもないけど)
最後まで死んだ夫がネチネチ未練がましいこと言ってきたのがウザかった。ありゃ斧でやってるね
終盤のマトリョーシカはわけわからん。全裸男がみんな生み出してた?
りんごは禁断の果実だから、食べたからとんでもないことになった?
ハーパー→メンヘラ
ジェフリー→ノンデリカシー
全裸男→露出狂
警察官→楽観的男
面の男→クソガキ
神父→ロジハラチクチクスケベ神父
酒場の男→暴漢
???
いやもうわけわからない
つまるところ男たちは皆、同じというメッセージ!
女なら皆さん経験があると思うけれど、
男は我儘。
女なら簡単に我慢できることが出来ない動物だ。
卑近な例ばかりで恐縮だが、
男はなぜ昨日の残り物を食べないのか?
男はなぜテレビの真ん前に座るのか?
そして当然のようにチャンネル権を持つ。
男は男に生まれるのではなく、男になる。
乗り物でも一番良い席に座る、
(中には我儘(甘え)を拒絶すると報復に出る男がいる)
ハーパーの夫のジェームズはその特徴的な一人である。
心の傷を癒す目的で、ロンドンから車で4時間離れた田舎町の古い洋館に
2週間滞在することにしたハーパー(ジェシー・バックリー)。
彼女が遭遇する“同じ顔の男たち“の恐怖を描いたサスペンススリラーです。
洋館の趣も格調高く、撮影も美術も一級品。
トンネル内に反響(こだま)する音や、
女声のスキャットハーモニー。
そのあまりに美しい緑の田園風景に《異物》が飛び込んでくる。
裸体にペインティングした男だ。
ハーパーは夫のジェームズを事故か自殺で亡くした過去を引きずる女性です。
喧嘩の理由は明かされませんが、突然ハーパーを殴って壁まで振っ飛ばされた
ハーパーは激怒して夫を怒鳴りつけて絶縁を言い渡します。
謝罪を全く受け付けない。
傷ついた夫は、上の階から転落して一階の柵に突き刺さって死ぬのです。
保養に来たのに、庭に現れる全裸で髪のない醜い男。
散歩中に出会った少年は黄色い髪の女の仮面を被っています。
そして「クソ女」と汚い言葉でハーパーを罵るのです。
教会へ行って悔恨から泣いているのを陰で見ていた司祭は、
「あなたが夫を許さなかったせい」とハーパーを責めるのです。
そしてハーパーがバーを訪れる。
管理人のジェフリーが、
バーのオーナーが、
常連のが、
警察官が、
みんな同じ顔をしているのだ。
(なんと裸の男と、仮面の少年も、ロリー・ギニアが一人で演じ切ったのです)
(驚愕の表現力ですね)
アレックス・ガーランド監督は古くは、ダニー・ボイル監督の問題作
「ザ・ビーチ」の原作者として知られ、
「エクス・マキナ」の監督や「28日後…」の脚本で知られる。
アレックス・ガーランド監督と脚本を担当した本作は、
アートのような美しさと、不可解な恐怖が交差する、
「悪夢」のような作品。
トラウマに苦しむジェシー・バックリーは、ホラー映画の主人公にしては
強靭な精神力で、【男に負けていない女】を熱演した。
裸の男の造形は、
時に傷だらけで、刃物傷、釘を打ち込まれ、
遂に男は は、頭に楔の冠のように木々が茂り、
血だらけの赤児を出産する。
最後には夫のジェームズが産み落とされる。
ラスト20分の驚愕の展開を含めて、
面白い作品だった。
何なの ?
田舎に来たハーパーが出会う男性がみな同じ顔。いやいや、同じには思えない。
でも、彼らは実在の人物なのか?ハーパーの空想なのか?ラストのマトリョーシカのような出産シーン、なかなか不気味で今作の見どころ?でもそれを見つめるハーパーの一言「何なの?」と怖がる様子もなく冷めた表情。
観ているこちらも言いたい。何なの???
ハーパーは最後に生まれた彼をどうしたのか?そして駆けつけた友人、妊婦さんだったのは何か意味があるのか?
夫の投身自殺を目の当たりにしてしまった妻ハーパー(ジェシー・バック...
夫の投身自殺を目の当たりにしてしまった妻ハーパー(ジェシー・バックリー)。
心の傷を癒すため、英国・田舎町の郊外にある一軒家に滞在することになるのだけれど、出逢う人々は管理人のジェフリー(ロリー・キニア)のよく似た人々だった。
ジェフリーの年齢に近いひとだけでなく、少年の顔も同じように見えるのだ。
そして、庭先には、悪魔のような奇妙な彫刻のある敷石が・・・
といった内容で、ま、簡単に言うと、よくわからない映画。
でね、個人的な解釈としては、ニューロスティック+フォークロア(多分にラブクラフト的)といったところなんだけれど、あっているかどうかどうでもよろしい。
作り手もよくわからないなかで作った映画、とみると楽しめる類の映画なのよ。
さて、独自解釈なのだが、
ハーパーは夫の自殺の要因もわからず、心に傷を抱えている。
訪れた田舎町は、これが曲者で、いわゆる自然の輪廻転生の地であった・・・と解釈したい。
さらに、輪廻転生の世といっても、自然の草木が一年で生まれ変わるように、それが動物的な生殖がなくとも繁殖できる地であったとしたら・・・
人間が生まれる前の奥深い自然の地、といわけ。
雌雄がなくても子孫を残すことができる世界、そこで、そこに棲まう生き物(管理人を筆頭にした)と出逢ったなかで、夫を深く愛していたことを自覚する物語・・・
と解釈すると、まぁ、わかりやすかったかな。
岩に刻まれた悪魔じみた顔つきで女性器を持ったイコンは、人間から見た、植物的な生殖を繰り返す自然のメタファー。
よくわからないなりにも面白い類の映画として記憶しておいていい作品なのだが、ハーパーが暮らした田舎町の成り立ちなどを説明すると、東映の『〇〇村』のようになっちゃうので、それはそれで評価が落ちそう。
こういう映画は、白黒はっきりさせたい観客向きではないんだよねえ。
連想した映画は、東映の一連の『○○村』の他に、70年代前半のニューロティック映画や『ウッィッカーマン』『ザ・シャウト』、最近の作品だと『ミッドサマー』。
小説だと、ラブクラフトの初期作『ダゴン』あたりです。
私の常識と理解を超えている…!
久々にレビューに頭を悩ます作品を見た。
深いテーマや意味深なメッセージ、暗示めいたものなどが込められているのだろうが、あまりにも私の常識や理解を超えていて、あれやこれはどういう意味だったのか、そもそもこの作品は一体全体何だったのか、頭の中の整理が付かない。そして、ラストの衝撃たるや!
『エクス・マキナ』『アナイアレイション 全滅領域』の鬼才アレックス・ガーランド×『ミッドサマー』のA24製作。そりゃそうだわ。
不条理、衝撃、奇抜、不気味、怪作…どんな言葉を形容してもいい。いい意味で、何じゃこの映画は!?
一応話の入りは普遍的。
ロンドン郊外の田舎町のカントリーハウスに越してきたハーパー。
広くて贅沢なハウス、自然豊かで美しくのどかな雰囲気…新たな家、町、暮らしに満喫。
…が、いいのはそこまで。癒されほのぼのムービーは最初だけ…いや、開幕から本作は不穏な雰囲気を放つ。
開幕シーン。夫が自殺する場を目撃。マンションから落ちていく夫の視線と自分の視線がはっきりと見合ったように…。
これがきっかけで越してきた訳だが、精神状態は不安定。
それに拍車をかける出会いや奇々怪々な出来事…。
ハウスの大家。
面を被った少年。
司祭。
警官。
バーのマスターや客…。
皆、異様。大家はフレンドリーだが馴れ馴れしい。少年には罵倒され、司祭には夫の死の原因は自分にあると責められる。
極め付けは、家の周囲をうろつく全裸の変質者。この男は何者…?
逮捕されるが、警官はすぐこの男を釈放。
何か気に障ったり、あからさまにクソ野郎だったり…。
一体何なの、この町の男どもは…!?
さらにこの町の男たちは、皆が“同じ顔”をしている。
メイクや髪型や付け髭などで、個人個人印象は変えているものの、“ベース”は同じ。
これは一体、何を意味するのだろう…? 劇中でヒロインがそれを指摘する描写はナシ。
ヒロインにもそう見えるのか、別々に見えるのか…? 何かの暗示で、我々にだけそう見えるのか…?
女性を貶し、下に見る男どもの傲慢、欲…。男なんて誰も彼も“同じ顔”をしている…という事なのか??
作品は一気に奇妙な世界へ入り込む。まるで、出口の無い迷宮に迷い込んだように。
“同じ顔の男たち”は現に存在しているのか…?
終盤の男たちがハウスに侵入し、ヒロインに襲い来るシーン。あれもヒロインが実際に体験している危機なのか、それともヒロインが見ている恐怖の幻なのか…?
そもそもこの家、この町は“現実”なのか…? 仮に異空間に迷い込んだとしたら、それはいつ…?
あのトンネル…? 町に来た時、家の庭の“禁断のリンゴ”をかじった時…?
一体自分は何を見ているのだろう…? 何を見せられているのだろう…?(って言うか、ここまでで“?”を幾つ使ったろう)
もはやこの悪夢を見ているような奇妙な世界に、成されるがままに身を委ねるしかない。
もうどんなに常識と理解を超えて展開しようとも、こういう作品なのだ…と甘んじて受け入れる覚悟でいたのだが、それすら破壊してしまうあのクライマックス。
この衝撃と驚愕をどう言い表したらいいのか…。いやもう、言葉では例えようが出来ない。
不条理スリラーではない。SFホラー。
強いて言うなら、気持ち悪いものやグロい描写、訳が分からないものが苦手な方は見ない事をオススメする。トラウマ必至!
“復活と再生”“生と死”を象徴しているらしいが、何度でも言う。私の常識と理解を超えている…!
その果てに、まさかの誕生。その口から発せられるは、愛の欲し。
何度でも言う。私の常識と理解を超えている!
本作を好きか嫌いか問われたら、それすら返答に困る。
この作品は何を伝えたかったのか説明しろと言われても、答える事が出来ない。おそらくこの作品のほとんどを理解していないだろう。
が、アレックス・ガーランドがまたまた構築した美しく幻想的で、恐ろしく異様な世界観。映像、装飾、ビジュアル、音楽…。
ジェシー・バックリーの難演、ロリー・キニアの怪演…。
これらは特筆に値する。
特に同じ顔の男たちを演じ分けたロリー・キニアの怪演は強烈! オスカー級でしょう。やるじゃん、ミスター・タナー!
あのラスト、この作品そのもの…。
そうそう忘れ得ない。いつまでも脳裏にこびりつく。
またしてもアレックス・ガーランドに誘われたと言えよう。
全58件中、1~20件目を表示