「男性性の暴力と連鎖」MEN 同じ顔の男たち Pocarisさんの映画レビュー(感想・評価)
男性性の暴力と連鎖
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期待したよりずっと面白く見ました。
奇抜ともいえる表現に戸惑われている方も多いようですが、私にはこの上なくストレートな表現に見えましたし、そう解釈していいと思います。
死後に至るまで女性に暴力を振るい続ける男性と出会ってしまった主人公が、さまざまな形の男性の暴力に苛まれつつける。
それは(最初で人間の始祖とされている)アダムからすでに始まっている。裸の男はアダム。
(もちろん、暗にキリスト教の家父長主義が批判されている。教会の石の浮き彫りで女性は性と繁殖の道具として描かれている点)
アダムから延々と男性原理が再生産されて、主人公の死んだ夫にまで連鎖している。
(過去の男たちは具体的な顔を持たないのでとりあえず村で最初に会った男の顔になっている。顔が同じという点にあまりとらわれると話が見えなくなると思われる)
そうやって連鎖していく男性原理を前に主人公がうんざりした表情を浮かべるのが印象的。
※ただし、男性原理の連鎖があのような形で描かれることには、男性性は男性自身のことも苦しめているという含意がある。
男が自分への(相手へのではなく)「愛」(客観的に言えば甘やかし)ばかり求めているところでこの「うんざり」は最高潮に達しているのだけど、そこで出るタイトル。
「もう愛は捧げられないわ」という歌が流れて……
そんなにわかりにくい映画ではないですね。
しかしこれをそんなふうに描くのかという面白さがありました。
※ドアと部屋の使い方が上手ですね。
※トンネルの使い方も工夫されていて、通常は非日常への入口のはすが……
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