長崎の郵便配達のレビュー・感想・評価
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「記憶の季節」に見る映画
ほとんど予備知識もなく、とび込みで入った映画館で素晴らしい一本に出会った。
深く、静かな感動に満たされている。
日本とフランスに暮らす2人の女性が亡き2人の男性へ寄せる思慕が、豊かな言葉と映像となった。
エンディングにも感銘を受けた。イザベラさんの長崎のシーンで終わってもよかったであろうが、帰国後の彼女の「その後」が描かれる。彼女自身が「郵便配達人」となって言葉と想いを繋ぐ、伝えていく、この長崎の出会いが彼女の生き方に実を結んだ。
エンドロールにも現れる、軽やかにペダルをこぐ郵便配達人。赤い自転車と少年。どうか二度と爆風に倒されることなく前に前に進んで行ける世の中でありますように。いや、そういう世の中を作れますように。
「戦争は常に無垢な人びとを傷つける。」
「戦争は常に無垢な人びとを傷つける。」
元英国空軍大佐で後に作家となったピーター・タウンゼントさんの言葉。
彼は、戦時中エースパイロットとして加担した。
その自責の念は自分なりに償う術を模索し続けていたのだろうと思う。
その思いが当時長崎で郵便配達員だった谷口さんとの出会いとなり、一冊の本となる。
あの恐ろしき夏の日、一瞬にして奪われたたくさんの命の中、凄まじい火傷を負いながら奇跡的に生き延びた少年 谷口さん。
2015年、核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議に合わせて渡米し、NYの国連本部で被爆者として生の声をあげたあの方だ。
人間が人間として生きていくためには、「地球上に一発たりとも核兵器を残してはなりません。」
谷口さんの渾身の訴えも虚しく
今も世界は壊れた危うさで満ちた悲しいニュースが溢れかえる。
晩年の谷口さんには傷跡のこる体に苦しみの追いうちを与えていただろう。
そう考えただけで張り裂けそうな気持ちになる。
ピーターさんの娘イザベルさんは父亡き後その本を読み使命感を抱き、かつて父が取材に訪れた被爆地へ。
父の活動を知ることは父を知ることであり、その意志を継ぐことが今後の生き方の目標になったと語る彼女。
父の遺品の取材時のカセットテープの声をそのまま使うドキュメンタリー的映画はリアルに胸を突く。
その中でも、大好きだったという自然の音が録音されたものに彼女は涙するが、そのやさしく美しい響きは戦争との対極にあることと非情の怖さを炙り出す。
そして、立場はまるで違えど戦争がもたらす心の傷はどちらにも深くその後代々に渡り永久に癒えることがない事実を教える。
人間同士の戦争ほど愚かなことはないと過去の経験から知りながら、無垢な人こそがこの時も脅かされている世界。
それをとめる手立てがもはやないかもしれない崖のふちになにができるか。
全世界の人々が知るべきは…
谷口さんとピーターさんの言葉の重みそのものだ。
今年の8月9日も
儚く散った魂をのせ青い地球が泣いている気がした。
伝えなければならないこと
長崎で被爆し、核廃絶を訴え続けた郵便配達員谷口スミテルさんを40年前に取材して、「長崎の郵便配達」というノンフィクションを著したピーター・タウンゼンドさん。
娘で女優のイザベル・タウンゼンドさんが長崎を訪れ、スミテルさんが、父が、歩いた跡を辿る。
スミテルさんの遺族と会い、40年前に父の通訳をした人と会い、スミテルさんの初盆に参加し、録音された父の声を聴き、父が聴いたであろう川のせせらぎ・風・鳥の囀りを聴き、、、イザベルさんの長崎訪問は、亡き父と出会う、自分探しにもなった幸せな旅であった。
ドキュメンタリーは、制作者がどうしてもこれを伝えなければならないと思って撮るものと、伝えなければならないものに撮らされるものとがあるんだなぁ。(オリンピックのが響かなかったのはどちらでもなかったからか)
今作はまさに後者で、撮り始めた時には考えてもいなかったものになっていたんじゃないかな。見えない力に動かされるってことはあるんだ。
イザベルさんの英語はとても聞き取りやすく、私たちの世代が学校で習った英語を映画で久しぶりに聞いた気がした。
近くの劇場は夏休み映画ばっかりで、観たい作品はもう観てしまったし、ミニオンでも観に行くか、と思ってたら、ちょうど8月9日でテレビでこの作品を紹介してたので思い切って観てきました。観てよかった。
一日二回の上映。観客4人。残念。
夏休み映画の同時上映にしてみんなに観てもらえばいいのに。
戦後、イギリス元軍人が残したかった、決して忘れてはいけないナガサキの記憶
この映画は、イギリス空軍のパイロットだった父親(ピーター・タウンゼントさん)が、戦後に著した「The Postman from Nagasaki」という、長崎の原爆で被爆した谷口稜曄(スミテル)さんの体験を綴った、ノンフィクション小説の足跡を、娘が辿るドキュメンタリーです。
この映画の主役は、タウンゼントさんと谷口さんなのですが、お二人とも故人という環境の中で、この映画は誕生しました。
ドキュメンタリーなので、一貫したストーリー性は無いのですが、成長した谷口さんの子供達の証言、タウンゼントさんが遺した取材のカセットテープ等から、生前のタウンゼントさんと谷口さんとの交流を伺い知ることができます。
このドキュメンタリー映画の制作の狙いは、「戦争は絶対に繰り返してはいけない」、「核兵器は人類に破滅しかもたらさない」という、タウンゼントさんと谷口さんのメッセージを、後世に末永く伝え続けることに、尽きるのではないかと思います。
一人でも多くの方が、この作品をご覧頂き、ナガサキの記憶を心に留めて欲しいと思いました。
そして、ご関心を持たれたら、「一般社団法人ナガサキの郵便配達制作プロジェクト」のサイトをご覧頂ければ、さらに理解が深まると思います。
直美ちゃうねん、美香でんねん。
河瀬と川瀬で、漢字も違いますしねw
被爆者のドキュメンタリーとしては、先の「8時15分」と同じく女性監督作品。特にジェンダーを取り上げて話をするつもりは無いんですが、やはり「情緒的」であり「非政治的」と言う共通点は、女性視点ならではなのではないかと思ったりする訳で。
ともすれば。この原爆被害は、政治利用される事がしばしば、と言うか、政治利用しかされないじゃん、ってのがあって。「この世界の片隅に」しかり。政治利用せず、淡々と、そこに生きた人々に焦点を当てる構成が好きです。
ワタクシ、長崎で生まれ育ち、今は広島で生活しています。原爆記念公園も浦上天主堂も、子供の頃の遊び場圏内です。原爆記念像なんて、小学生の頃の写生大会で何枚水彩画を描いた事やら。もうね、滅茶苦茶懐かしい風景の連続ですから。如己堂を通り過ぎ、神学校を右手に眺めながら浦上天主堂に下りて行く坂道。その左手に信愛幼稚園がありました。イヤー、Bloodが通った幼稚園です。被爆マリア像。覚えてます。ただの汚れたマリア像だと思ってました。ヨゼフ像も半壊状態で転がってました。爆風で吹き倒された鐘楼が、天主堂の左手のがけ下から掘り出されたのは、私が小学生の頃でした。海外からの観光客(多くはBackpacker)が天主堂を訪れるのを眺めながら、「こんなツマラナイ場所に何でわざわざ外国から?」なんて思ってました。
大人になり、ミリヲタしている今、思う事は。
世の中、やれ「開戦に至った歴史を」だの、「これはアメリカによる明確な戦争犯罪」だの、「原爆ガー戦争ガー
」だのと騒ぐ人で溢れてますが。今、日本を取り巻く現実を眺めた時の最重要課題は「今、そこにある危機の排除と回避」であることに間違いなく。
2020年、中国が公言した日本を標的にした中距離ミサイルの数は160。核弾頭付きICBMは30。今後10年で10倍にする、とまで言い放ちました。だから台湾・尖閣には口出しするな、と。今、台湾を取り囲んだ中国軍船により、与那国島は事実上、海上封鎖状態。日本のEEZ内にはミサイルが撃ち込まれました。報道機関によると「落下」らしいですけど。ミサイルの「落下」って何よ?いい加減、正しく報道せよ。更には、この有事において、「国会で国葬の是非を審議せよ」、って騒いでる人もいると言う。
そんな暇、ねーよ。
話の通じない相手が核で脅しに来ている中、どうやって命を守るのかについての話をしなければなりません。邪魔すんな。って言いたい。
一言「次に伝える大切さ」
公開中なので、ざっくり。
最初惹かれたのは、「父が残したテープを聴きながら、娘が長崎を訪れる」。
そうすることで、父が何を思い考え、長崎を訪れたのかを感じる場面。
作品中では、父の声をそのまま使っているのも、余計リアリティUP。
父の取材対象だった、被爆者・谷口さんの話や。
クリスチャンが2万人いた長崎に、原爆が投下されたこと。
この映画で知ったことが、まだまだあったなあ。
ドキュメンタリーだけど、主人公=娘は現役の女優さんなので。
語りや言葉も、なお心にグッときました(何回かホロリ)。
90分ほどです。各地で公開されているので。
観て、あなたの言葉で、次の人に伝えてほしい。私はブログ。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「NO MORE HIROSHIMA、NO MORE NAGASAKI、
NO MORE HIBAKUSYA(被爆者)、NO MORE WAR」(谷口さんのスピーチ)
「no more nagasaki」 「no more war」
父の記憶を辿る娘が平和への願いを込めたドキュメンタリー。被爆者が語る言葉のは重みがあり全てを物語っている。
「no more nagasaki」 「no more war」
2022-126
いろいろな方も、そして広島県に在住・出身の方も(参考知識入れてます)。
今年230本目(合計506本目/今月(2022年8月度)6本目)。
18歳まで広島市にいた事情、および行政書士合格者レベルの目線です。
この映画はタイトル通り長崎の原爆を扱う内容ですが、先行する広島への原爆投下と似た事情、違う事情がそれぞれあります。この映画はもっぱら長崎のそれに焦点をあてて描かれた内容です。
日本の教科書では小中、そして高校ともに、「広島、長崎に原爆が投下され…」程度で、この2つの出来事は同列に扱われますし、一般的な理解はそうですが、それぞれ同じ経緯であるもの、たどったものもあれば、違う経緯や違うその後も存在します。
映画内で扱われているように、長崎はその歴史の性質上キリスト教文化が広島より盛んであったため、原爆に関しても一定程度キリスト教(や、教会その他)に関することが出ます。ただし、これらのことは、長崎県・長崎市などの公式ホームページ等で拾える範囲です。
この手の映画は概して、そして特に当事者(広島県・長崎県在住、出身者)の立場だと「原爆はダメ、戦争はダメ」という立場「だけ」になりやすいのですが、そもそも論として「なぜに日本は第二次世界大戦に突入するに至ったのか」という論点を忘れてはならない、そう思います。その点を考えないと、当然、一定程度、また一般常識として「原爆・戦争はダメ」という考え方に流されやすいところ、結局は「日本はそれまでに何をしたのか」という逆の論点(加害論点)がすべて消えてしまうからです(被害論点ばかりを論じても、加害論点が消えるわけでもない)。
なお、映画内ではちゃんと、「広島・長崎の原爆投下の事情における事情の異同」については描写がありますが、長崎県・市の公式ホームページ等を見ておくと有利です。また、この映画はエンディングロール等がローマ字表記が併記されているようで、この観点でも高く評価できます(どちらに偏ることなく、事実のみを淡々と述べる映画は海外でも見られるべき)。
減点対象はまるで見当たらないのでフルスコアにしています。
なお、「広島と長崎が戦後歩んだ歴史」について下記に書いておきます。
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▼ 参考 広島と長崎が戦後歩んだ原爆投下の被害に対する対応の違い
・ 程度の差はあっても、現在も今も、広島のほうが居住者が多かったこともあり、広島のほうが多く語られやすいのですが、この2つは等しく扱われるべきものです。
さて、広島と長崎が戦後歩んだ、原爆投下に伴う福祉行政(被爆者に対する福祉の扱い)について。
この点は長崎と広島は大きく分かれ、広島は現在にいたるまで被爆者と行政との闘いが存在しますが、その過程として、「被爆者援護法に基づく被害者への援助」に関して、広島県・広島市のムチャクチャな対応が存在したことが背景にあります。
「被爆者援護法」はそもそも、被爆者として認定された方に対して健康手帳など福祉サービスを提供する趣旨の法です(広島・長崎に対して通常は適用される。そもそも、場所を限定していない)。一方、広島長崎を含め、東京大阪など、戦後の混乱期にはそもそも「職業につく」という概念すら存在しえなかったほか、居住すらまともに確保できないという戦後の混乱期が存在します。そのため、海外(特にブラジル)に移住した方もいます(国籍を日本に残したままで)。
ところが、「被爆者援護法」にはどこにも「外国にうつると支給認定に伴う福祉サービスの支給がなくなる」などという趣旨は存在しないのに、通達(広島の原爆では「402通達」と呼ばれます)でなぜか「海外になると打ち切りになる」という趣旨のものが出され、それが下級行政庁(ここでは国→都道府県その他なので、広島県・広島市)を拘束し、その通りになってしまい、その運用がしばらく続きました。
ところが法にそのようなことは書かれておらず、元の通達そのものが法に基づかなかったため、海外(大半はブラジル)に移住して戻ってきた人達が援護法に基づいて福祉サービスを求めたところ、時効(地方自治法に定められているもの)にかかったものの大半について「時効にかかっている」として支給しなかったという経緯があり、これが問題になり最高裁まで争われています。
結局(平成19年)、「そもそも通達自体が違法で、その通達に基づいて運用した下級行政庁(ここでは、広島県・広島市)が、それに基づいて運用すれば、その通りに運用する限り当該当事者は申請すらできないし、しないのが普通なのに、今度は通達が違法だという判断でその通達が廃止されたとたんに、また時効を援用するのは支離滅裂で信義則に反する」という最高裁判例であり(いわゆる「402号事件」「 在ブラジル被爆者健康管理手当等請求事件」などと呼ばれるもの)、これにより一律救われるようになりましたが、このような経緯があったため、広島と長崎とでは行政(ここでは、原爆に関する福祉行政を指す)に対する不信感の違いが決定的になり、それが今日に至る「黒い雨訴訟」などにもまで影を落とします。
※ 高裁判決(平成18年)でさえほぼ同趣旨のことを述べており、明らかすぎて広島県・市に勝ち目はなかったものの、結局お金の出どころは国になるため、国が上告(高裁→最高裁への控訴は「上告」)すれば広島県・市もそうせざるを得なかったという事情もあり、この点では広島県・市は「そもそも違法な通達に拘束されたという点で被害者」でもあります(現在(2022)は、国と地方は対等な立場」で、国防など特殊な事案以外は、通達に拘束されないため、こういった論点は発展的に解消されています)。
この点が大きな違いで、結局「人口の差」に来る「当事者の数、福祉行政の差(サービス量の差)など」にあるとしても、「行政に対する不信感」は広島・長崎で大きく異なったもので、この点は意外に忘れられやすいです(各種国家試験では、司法試験と行政書士試験では必ず触れる内容です)。
【”被曝の実態を語れるのは、被曝者だけ”と長崎の元少年郵便配達員で、世界に核廃絶を訴えていた被曝者の男性は言った。英国男性の心意気が沁みる。が、現代世界の状況に、焦燥感を覚えたドキュメンタリー作品。】
ー 今日は、広島に原爆が落とされて77年目の日である。
そして、9日には、長崎に原爆が落とされた。それにより、無辜なる日本の民の多くは一瞬にして、命を奪われた。
辛うじて生き残った長崎の少年郵便配達員だった谷口スミテルさんの様に、長年放射能の影響に脅かされて来た方々も多数いらっしゃるのは、周知の事実である。
が、現代社会の情勢を見ていると、人類の滅亡は寸前まで来ている気がする・・。
◆感想
・今作が、他の原爆ドキュメンタリーと明らかに違う点は、英国の元空軍大佐で、ジャーナリストだったピーター・タウンゼンド氏が遺した小説を基に、彼の娘のイザベルが、父の足跡を追うという構成である。
英国人元空軍大佐が、日本人被爆者と交流を深めていた事実を軸に展開される物語が、イザベルが鎮魂の想いを抱きながら、父の足跡を追う抒情的な雰囲気を醸し出している。
ー それにしても、ピーター・タウンゼンド氏が、マーガレット王女と恋仲になっていた事は知らなかった。そして、彼がその恋が、成就せずに世界へ旅立った事も・・。
随所で語られる、ピーター・タウンゼンド氏が如何に人道的な男性であったか・・、と言う部分も作品に風合を与えている。-
・16歳の時、郵便配達中に被爆し、背中に大やけどを負いながら、生涯を賭けて世界に核廃絶を訴える故、谷口スミテル氏の姿は、尊崇でさえある。
そして、ピーター・タウンゼンド氏はそんな彼の姿に、感銘を受けて取材し、小説にしたのだ。
ー 若き、谷口スミテル氏が背中に大やけどを負い、治療してもらっているシーン。
よくぞあのような映像が残って居たモノだ、と驚くとともに、ロシアと中国を統べる男二人と、その側近には、正座させて観させたいシーンでもある。-
・来日したイザベルは、父が遺したボイスメモを頼りに、谷口さんの家族や関係者に話を聞いて回る。そして、長崎平和公園や、浦上天主堂など、原爆の爪痕が残る場所も、丹念に訪れる。
ー 被曝したキリスト教徒の人々が、”死ぬなら“浦上天主堂の中で・・”と思いながら途中で息絶える話や、谷口さんが、世間の偏見の眼の中、漸く結婚し家族を作り、海水浴に行った時に、彼の背中のケロイドを見て子供たちが泣き出した・・。そして、谷口さんが子供たちに話した言葉など、胸に沁みる。-
<毎年、夏になると「黒い雨」「野火」「ひめゆりの塔」と言った反戦映画が、ミニシアターで上映されるが、戦争の悲惨さを後世に伝えるためにも、大切な事であると思う。
きな臭い世の中の中、戦争を実体験した方々の存在は、確実に減っているのであるから・・。
今作は、現況下を見ても未来を担う子供たちに、平和な世界をどう残すか・・、という重い課題を静かなトーンで、観る側に問い掛けてくるドキュメンタリー作品である。>
イザベラさんの心の美しさ
生前の父の背中を追い、長崎へ念願の来日。
父ピーター・タウンゼントさんが書いた小説で、原爆や被爆者に強い興味を持ったイザベラ・タウンゼントさん。
お父様への深い愛、平和への強い思い、そしてイザベラさんの美しい心、を感じました。
映画館では、すすり泣いている声が響いてました。
最新の調査では、アメリカ人の56%が原爆投下は正しかったと思ってるらしいです。
(ちなみに、ピーターさん、イザベラさん、はイギリス国籍です)
加害者の方は大したことないと思っているけど、被害者の方は傷が深いんですよね。
我が国、日本は、どうだろか?
被害者コスプレ?
被害の思い出ばかり、加害の自覚は?
当たり前の事を、改めて色々と考えさせられました。
素晴らしいドキュメンタリーです。
ぜひ観て下さい。
普通の「当たり前」メッセージ作品。当たり前だからこそ「ワンピース」よりは一億倍見る価値あり。
今日は「ワンピース」公開日だがら、烏合の衆を避けたくて
早朝と夜に席を予約した。
ジェネレーションギャップというやつで
初老のジジイのワシ
ワンピースのガチャガチャした絵面、冒険の「ボ」の字も知らない
人が作ったように見える
低俗な作品は、観客動員力は認めるが、受け付けない(俺にとって個人的に「低俗」という意味だから誤解なきように・・
まあ人気作だからそれは良い、ただ劇場が、「烏合の衆で満載は確実だから」早朝この作品を見た。
私もあと30年若ければ「ワンピースの良さもわかる」のだと思う。
話題変えて
この作品は見る前の期待値と結末が一ミリもブレていない。
イギリスも🇬🇧原爆投下したアメリカ様と🇺🇸連合してたはず・・・
ただ私の持論は「原爆投下したアメリカ様と🇺🇸同様、その原因を作った日本の軍部も悪い」だから・・
(ちなみに私はやや右よりの防衛力増強論者です、誤解なきように・・
原爆の非人道性、許すべきでない戦争
井伏鱒二ではないが
「いわゆる正義の戦争より 不正義の平和の方が良い。戦争は嫌だ。勝敗はどちらでも良い。ただ早く終わりさえすれば良い」を体現する作品。
ドキュメンタリーとはいえ少し矛盾はある。
「空軍パイロットのエースだったら・・相手の死ぬ様を見ることなく、相手を撃ち落とし、地上の罪のない民を殺戮してたんでないの?」という大きな矛盾が上映中頭から離れなかった
【実際には一文だけ「私も空軍パイロットとして戦争に加担」という小さな小さな声が入る。
ただ「小すぎて、言い訳がましく、共感には至らなかった。」
もちろん「戦争はやるかヤられるかであるから、軍人としての行動は仕方がない」相手をやらなければ自分の死に直結するから・・】
近くの席の女性、感動して泣いていた。二人の老人の死【郵便配達中に被曝した少年、とイギリス空軍パイロットのちにジャーナリスト】と原爆の悲惨さ「背中の爛れた少年。良く生き残ったねぇ。」の悲惨さの混合。
それはよくわかる。
共感できる「説教くさくない」作品。こういう作品は興行は難しいだろけど
「作ることに意義が大きい」敢えて本作上映に踏み切った映画館に拍手だ。
日本人の息子と娘が控えめで「大袈裟なエピソードを否定」
イギリス人の娘が🇬🇧家族と主役で「堂々大画面を支配」は国民性の違いだけではないだろう。
当たり前だがイギリスは原爆投下したアメリカ様と🇺🇸連合してた・・
観客が多いとは言えないが、予告編段階で、話す人ゼロ。ツレの同伴の人もいたが「シーン」としてた。
わざわざお金払って「平和の大切さ」観に来ている「選び抜かれた精鋭等」
甲子園が始まったが、甲子園レギュラー出場クラスの精鋭なのであった。
元軍人が長崎で被爆者に会い平和を願う
第二次世界大戦戦でイギリス空軍の英雄となったピーター・タウンゼンド大佐は、マーガレット王女との恋が報じられたが、家柄から恋は実らず、ジャーナリストになり世界を旅し、長崎で被ば者の谷口スミテルさんを取材し、ノンフィクション小説「THE POSTMAN OF NAGASAKI」を書いた。
谷口さんは16歳の時に郵便配達中に被ばくし、背中に大火傷を負いながらも奇跡的に命が助かり、その後は核廃絶を世界に訴え続け2017年に亡くなった被ばく者だった。
本作では、タウンゼンド大佐の娘で女優のイザベル・タウンゼントが2018年に家族と長崎を訪れ、父の書いた本とボイスメモを頼りに父と谷口さんの交流を追って、感じたことをドキュメンタリーで映した作品。
元軍人が悲惨な被ばく体験を持つ谷口さんと会ったことで、戦争反対、平和の大切さを伝える人になった事を伝えたかったんだんだとわかった。
イザベルさんがフランス語と英語が流暢に話せて、素敵だった。
広島に住んでるから被ばく者の話は聞く機会も多いし、資料館も何度も行っているが、この作品を観て、長崎の資料館にも行ってみたいと思った。
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