「小さい村の小さいなりの苦悩」ヴィレッジ talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
小さい村の小さいなりの苦悩
<映画のことば>
子供の頃、この風景が怖かった。
全員が同じ表情で、同じところに向うの。
何の疑問も抱(いだ)かずに。
不自然で、この世の世界じゃないみたい。
小さな村落であるが故に、村民同士の結びつきも強く、一筋縄ではいかないことも少なくはないのでしょう。
そして、その「同調圧」も、半端ではないことでしょう。
個々の村民の本心とは別に、それが本作の「能面」につながってくるのかも知れません。
前傾の映画のことばは、そんな意味だったかも知れないと思います。評論子は。
そのことを浮き彫りにする優と美咲の姿は、一編のドラマとして仕上がって、充分な良作だったと思います。評論子は。
(追記)
そして、小さな村落ではあっても、浮世の風は吹いてくるようで、人間関係のさざ波も立てば、事件も起こる。
そして、小さな村落であるが故に、それらを飲み込むキャパシティも決して大きくはなく、その都度、その都度、翻弄される―。
清濁併せ呑むようなスタンスで、その波風に立ち向かう大橋村長の演技も、際立っていたと思います。
<映画のことば>
ぜんぶ美咲が一人でやった。それで終わり。な?
…あとは俺が何とかする。二人で、この村を立て直そう。
(追記)
人が日常で暮らしている限り、ごみの排出は避けて通ることのできない問題です。ごみの処理の問題は。
(ごみという概念は、人間が地球上に存在するようになって生まれたものであって、自然界にごみというものは存在しなかったと言われますし、家庭から排出されるごみは消費文化のバロメーターとなるという研究もあります。)
そこで、くだんの霞門村は、廃棄物の受入れと処理に起死回生の「夢」を託したーざっくり言えば、そういうことなのだろうと思います。評論子は。
そういえば、別作品『海炭市叙景』でも、かつては基幹産業の地位を占めていた「海」=造船産業、「炭」=石炭産業の斜陽化から、大型ショッピングセンターの開発に乗り出した海炭市当局の政策転換に翻弄される市民の姿が描かれていたようにも記憶します。
実際、「将来的には消滅の可能のある自治体」などが発表されると、正直、心中穏やかでは、ありませんし、評論子としても。
まして、そういわれる自治体が、たくさんある都道府県に住まう者としては。
それだけに、観光開発に乗り出したりする自治体もなくはないことも理解ができないわけではないのですけれども、その、いわば反面として、多額の投資に失敗して、2006年には、計算上の「返済可能額」の8倍を超える借金を抱えて財政破綻した市町村も出てきてしまったりしているのもまた事実です(毎年、国際的な映画祭を開催していた、映画ファンには「お馴染み」の市町村でもありますけれども)。
反面、そういうリスクも冒(おか)しながら、小さな村落は頑張っていると言えます。
小さい村でも…否、小さい村であるからこそ、それなりに。
その点、廃棄物ビジネスに村の命運を賭けること自体を、のっけから「邯鄲の夢」と決めつけるかのような印象も与えかねない本作のエピグラフは、いかがなのもでしょうか。
その点は、少しく、気になってしまいました。
本作を観終わって。評論子は。
(追記)
不法投棄やら、暴力団員の暗躍やら、その業界には「さもありなん」というダークな面ばかりが、本作では描かれてはいるのですけれども。
しかし、今の実際の廃棄物業界に少しでも取材してもらえれば、そういうことは、いわば「過去の遺物」で、今は業界を挙げて適正処理、そしてその適正な処理を可能とするような適正な処理料金の設定(業務の適正化と、適正な業務を継続可能とするような正当な利潤の確保)に努力されていることは、すぐにも分かることですし、もちろん、廃棄物処理業者の免許基準も、暴力団などの反社会的勢力を閉め出すこととしているところです。
そして、人が日常で暮らしている限り、ごみの排出は避けて通ることのできない問題であることは上に触れたとおりで、その意味では、この業界は社会的には欠くことのできない産業であることには、多言を要しないと思います。
ひところの廃棄物業界には、必ずしも社会的に適正ではない面があったことは否定はできないのではありますけれども。
しかし今になっても、そのイメージに引っ張られて…否、そのイメージだけに乗っかってしまって、ずいぶんとステレオタイプ的な視点から本作は製作されているといったら、それは、映画の評としても「厳しすぎる過ぎる」との批判があるでしょうか。
(確かに映画は製作陣の「知的創造の産物」で、必ずしも常に現実とイコールでなければならないものではないことは、百も承知、二百も合点はしているのでは、ありますけれども。)
当該の業界の人が本作を観たら、けっして良い気持ちはしないだろうとも思います。
その点は、残念というほか、ないかとも思います。
トミーさん、いつもいいね&コメントありがとうございました。
確かに、多くのレビュアーの感想を見ると、邯鄲の夢は優の人生の浮沈のメタファーのようですけれども。
しかし、本作での廃棄物処理業界の描かれ方をみると、「裏稼業もあるような虚業に村の浮沈をかけるのは、いかがなものか。裏稼業が表に出たら、見学ツアーもいっぺんに吹っ飛んでしまうのに」というメタファーも含まれているような印象を、どうしても払拭できませんでした。
あくまでも、私の個人的な印象としては。
それで、私のレビューも「決めつけるかのような」という表現にさせてもらっていました。
香川県の豊島(てしま)で大きな事件が発覚して以来、廃棄物行政も大転換しています。
当の業界に適正操業を働きかけるほか、関係行政にも、排出業界に対して、適正な料金を支払うよう(ざっくりと言えば、発注元としての立場を笠に着て値切らないように)指導してもらったりしているのが実際だと思います。
あと、美咲は何も考えていなかったように思います。
それだけに、優に対しては、結果としては「罪」が深いかなぁとも思いました。
(これからも、よろしくお願いします。)
共感ありがとうございます。
自分が“一炊の夢”と感じたのは、主人公が一瞬村での居場所を得た! と思った事。色々な思惑から水泡に帰するのですが、一番の味方の筈の彼女が火種になるとは・・ちょっとは彼女に罪の意識有ったんですかね?