プアン 友だちと呼ばせてのレビュー・感想・評価
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誰も知らない、生きていられる時間の長さを
キーアイテムとしてカセットテープが印象的に使われる本作。主人公ウードの亡くなった父親の声が納められたテープだけではない。
主役二人の名前の頭文字がA(ウード)とB(ボス)、ウードが訪ね歩く3人の元カノのエピソードタイトルがカセットラベル、カセットテープの回るリールにフェードインするラウンドアバウト(環状交差点)の映像。そして何より、物語の構造にA面(ウード中心の話)・B面(ボス中心の話)があり、B面の回想の終わりがA面の最初の回想に繋がって、リバースするような作りになっている。
A面はありきたりな、限られた余生でやりたいことをやる難病もののようで、ウードの元カノとの邂逅もぱっとしないし、正直ちょっと眠くなった。ダンサー元カノはやさしかったからいいが、基本別れた元彼が自分の都合で訪ねてくるなんて受け入れられなくても仕方ない。女優元カノは撮影の邪魔までされたが、女優魂に火がついたのでオーライ(ジョン・ウー作品みたいになってたのは笑った)として、フォトグラファー元カノは会ってももらえなかった(会って団欒したという幻想がリアル寄りな感じで、しばらく混乱した)。
B面が物語の肝で、話が少しどろどろしてくる。
ボスが未成年だった頃、富豪と再婚する彼の母(「姉が母になった」みたいなくだりがよくわからなかった。後で調べたら富豪と結婚するために息子を弟と偽ったとのこと)、親の金でプリムとアメリカ同棲生活を始めるボス、更に息子を心配するボスの母から彼に内緒でお金をもらっていたプリム。プリムの職場の同僚だったウードはまだボスと面識がなかったが、彼と険悪になったプリムを自宅に住まわせ、ボスに対してはプリムに白人彼氏が出来たと嘘をつく。結局ウードはプリムに受け入れられないが、その後ボスの命を助けたことがきっかけで嘘を隠したままボスと友人になる。金持ちの生活を覗いてみたくて誘われるままボスの部屋に住み、ふたりで始めようとしたマンハッタンのバーが稼働する直前に、ダンサーの恋人のためにウードはボスを裏切ってタイに帰国する。
そして数年後、彼は元カノ巡礼にボスを付き合わせた後に、その嘘を打ち明ける。
A面のロードムービー的な道行きを見ているとふたりは親友そのものに見えたが、こうして振り返ると、患う前のウードはそういう自覚があったのだろうかという疑問が湧く。命の終わりが見えて初めて、ボスの気持ちや、自分の中での彼の存在の大きさに気付いたようにも思える。
彼は、ボスがプリムの不在により心に空いた穴をいまだに埋められずにいることを見抜いたのだろう。元カノに会いに行ったのは自分のためだが、ボスを付き合わせることで最後に彼との交流を復活させたかった。そして、プリムと再会させる意味を確信したからこそ、ボスの幸せを願って告白したのではないだろうか。
ウードは、残りの命を使って友情の帳尻を合わせた。
病気や人間関係のもつれが出てくるわりには、音楽と主演の二人の爽やかさ、タイ各地をめぐる映像の楽しさで、全体的には軽やかな雰囲気になっている。
ウード役のアイス・ナッタラットは17kg減量、ボス役のトー・タナポップはウードが痩せて見えるよう15kg増量したそうだ。二人ともモデル出身だけあってスクリーン映えするし、演技が自然だった。
エンドロールに流れるSTAMPの「Nobody Knows」の歌詞が物語にシンクロして、いい余韻が残る。
人生のA面とB面
非常に興味深い映画でした。
2時間の上映時間の前半1時間は、ボスとウードの友情物語。
そこまでがA面です。
後半は金持ちのボンボンで苦労知らずのバーの経営者ボスへの、
ウードの屈折した思いそして結果としての【裏切り】
そのB面で真逆の2人の関係性や内面が描かれるのです。
A面では白血病で余命僅かのウードからNY住むボスに、
数年ぶりの電話が来る。
自分は死ぬ前に元カノに会って大事な物を渡したい、
だから、ボスにバンコックまで来てくれ!
元カノの所へ連れてってくれ!!
とのお願いでした。
ボスは経営するバーを休んで、わざわざNYからバンコックまで、
飛行機に乗り、着いたら車を調達して元カノの住む街に
ウードを送る、運転手役です。
するとウードの元カノはなんと3人も居て、
ボスは3都市へ送るハメになるのです。
まぁ、ボスさんてなんて優しく思いやりのある好青年でしょう。
おまけに韓国人にしか見えないイケ面でスマート。
頭髪が抜けて、眉もない痩せこけたウード。
B面にカセットテープをひっくり返すと、
(ウードの父親は人気DJだった男で、旅のBGMは父親の放送を
ラジカセで録音したカセットテープなのです。
きっちり1時間でテープを裏のB面にひっくり返す念の入れ用です。
後半で分かるのはボスの彼女のプリムの恋路を邪魔して
《裏切り工作》を、
していたのはウードだったと分かる。
「プリムは白人の新しい彼氏とカリフォルニアに行った」
なんて嘘をつく、
(実はウードもプリムを好きになり告白したのに振られた、)
プリムの心代わりにショックを受けたボスが、チンピラに殴られて、
その反動で線路に落ちる。
それを助けたのがウード。
恩に来たボスは、“命の恩人とウードの仕事を与えたり”
2人は親友になる。
プリムとの仲を引き裂いたウードは、最後に仲を取り持とうとするのだが、
ボスはもう聞く耳を持たなかった。
ともかく凝りに凝った映画です。
ウードが元カノと会う場面も、その前に、
ウードが夢見る・・こうだったら良いなあ・・・や、
過去にはこういうエプソードがありましたよ・・
が挟まります。
ボスの母親の再婚話や、連れ子のボスは体よくニューヨークに、
追い払うためにバーを持たせて更に仕送りする、などなど。
そしてバー経営より女遊びに明け暮れるボス。
ウードでなくても、嫉妬や、やっかみますよね。
「恋する惑星」や「天使の涙」などの恋愛映画の名手、
ウォン・カーワァイ監督が製作で手助けしたそうですので、
カメラワークもインテリアなどの美術も
とても美しいし、お父さんが有名DJだったので、
挿入される音楽もなかなかです。
しかしこれだけ複雑なSTORYですが、
それほど感動したかと聞かれると、
うーん、感心はしたのですけど、感動した、
とまでは言えない。
自分がシンプルな人間関係を築くタイプなので、裏切りとか、
隠し事とか、と縁遠いから、
紆余曲折のない平凡な人生なので、
イマイチ乗れませんでした。
ウードを演じた俳優さんは、本当に上手くて病人に見えたし、
ボス役の彼も美しいし15年位の外見の変遷を、上手く演じてました。
失礼かもしれませんが、タイ映画らしくない、
都会的なお洒落な映画でしたね。
タイもいろいろ
金持ちお坊っちゃんで生活に困ったことはないが愛に飢えているvs気のいいやつだが人生ずっとサブキャラ、な二人の友情と嫉妬の物語、というとありがちな話のようだが、最初からそのような話とは分からせない構成がうまかった。/タイの各地を巡るので、光景が楽しい。
ワン・フォー・ザ・ロード
ワン・フォー・ザ・ロード
「プアン/友だちと呼ばせて 」を観た。
Awood(ウード)が友達のBoss(ボス)と、元カノ行脚にでる前半のロードムービーがA面。
B面はBoss(ボス)が旅の打上げでウードの3人の元彼女達のカクテルを造るが、ウードがボスにとって大切な女性の為の4杯目をリクエストする。
「本当の目的は違うんだ。お前に会いたかったのには、訳がある」と語り始める事からもう一つのストーリーがスタートする。
またワン・フォー・ザ・ロードのタイトルが洒落ている。
邦題は分かりやすくする為にタイトルが違うプアンになってしまったのが残念だ。
シナトラが唄うこの歌の一節から映画のタイトルが出来ていて、この歌が挿入されたオリジナル映画(the sky is the limit)の内容(ダブルミーニング)に絡めて仕掛けが出来ている。
タイトルになるこの歌「One for my baby(and One more for the road)」がオリジナルで歌われているのは第二次世界大戦中のフレッド・アステアの映画(青空に踊るSky is the limit )。
因みにブレードランナー2049ではリメイクのシナトラで歌われている。
バーテンダーJoeがいる前でアステアのこの歌が歌われる。
BARでJoeと呑んでいる主人公アステアは戦争に行って死ぬ事を意味してる。
因みにJoeはユダJudasのもじり。
プリムがJoeのBARに習いに行くのもウードの気持ちを裏切ってしまう伏線(ユダの手先?)が張られている。
殆どの人は気がついてい無いけど、ウォン・カーウァイ とバズ・プーンピリヤ二人の仕掛けが流石!
ウードはホテルから父のBMWに乗って幸せそうな二人の居るBARを横目に輪廻転生の旅へ、ボスとプリムは二人の一度止まってしまった未来(ワン・フォー・ザ・ロード)へ時計の針を進めていくのだろう。
脚本が良く出来て無いとこういう映画は成立しない。
この作品はウォン・カーウァイ 製作とバズ・プーンピリヤ監督と言う二つの素材が素晴らしいオリジナル・カクテルを創り出した。
レシピは無いが深みの有るとても素敵な味わいの有る一杯。
それでも友達
白血病で余命宣告を受けたウードとかつてNYで共に過したボスがウードの元カノに会いに行くロードムービー。
この映画、前半ウードの元カノに会いにいくという表向きの目的(A面)と、後半2人の出会いとウードがボスを誘った本当の目的(B面)に分かれる。死ぬ前にわざわざ誘うぐらいだからそれはもう特別な友達なんだろうと思いきや2人はウードの酷い"ある行為"から始まった関係。
とはいえウードもボスも未熟だったが故のこと。ウードはプリムにこっぴどく振られた時のウードの振る舞いは最悪だし、自分の夢に向かって進む女性について行くことも出来なければ応援することも出来ない。アリスとの関係が比較的今でも良好だったことを思うと少しずつでも成長してたかもしれないけど結局何者にもなれなかった。
ボスもプリムと別れた時の対応は最悪(2人とも違う方向で典型的なダメなやつの例で面白かった)だったし、その後自分の置かれた立場を理由に成長しようとしなかった。ウードの償いは自分のためでもあるだろうけど、プリムの気持ちを伝えることで結果的にボスの背中も押すことになる。
最終的に前にも後ろにも進めなかった2人が、ウードは前にプリムは後ろに進んだんだなと思った。ウードは過去にケリをつけて前に進み(化学療法を受ける)、ボスは過去へと戻る(プリムに会いにいく)。映画で左か右に進むと過去と未来を示してるっていうけど、ラスト見ればそういうことかなと思った。
ここまで酷い始まりでないとしても、自分にも仲の良い友達の中にウードとボスのような友達は必ずいて、ずっと一緒に過ごしていてもどこかでずっと軽蔑してたり、好きになれないところがあったり、1度は傷つけたりしたことがあったり。これは女友達特有かと思ってたけど男も一緒で安心した。
それにしても余命を知った時に知り合い全員に謝りボスへの償いをしに来たウードは、「恥の多い生涯を送ってきました」という太宰の言葉が聞こえてきそうなぐらい自分の人生を振り返った時に楽しかったことよりも後悔に目がいってしまうタイプだったんだろうな(笑)
スザンヌ似
プリム役のビオーレット・ウォーティアはスザンヌに似ていて、とても可愛くて、ちょっと年上のバーテンダーとしても魅力的だった。ハーフ?
出ているタイの役者さんたちはとても多国籍的な容姿。
途中までは確かに二人のヤリチンが元カノを訪ねるロードムービーで、白血病のウードのアゲちん自慢集のようだったから、これから泣ける展開になるのかと思っていたのですが・・・・・
最後にボスがパタヤの実家にウードを案内する辺りから、ウードはボスにこれまでの恩を仇で返すようなことをしてしまったような気がする。ニューヨークで出会った二人のタイ出身の男の間にあったものは友情だったとは思えなかった。ウードも言っていたが、嫉妬がメインだったような。ボスはいいヤツで、うんとイケメン。男二人の最初で最後のロードムービーを期待していたので、なんだか韓流ドラマを見ているような気分になってしまった。
ヒトじゃなくてウサギだったら、ピーターラビットの話に使えるかも?
最終日前の水曜サービスデーの新宿武蔵野館は女性客が大部分で、ほぼ満席でした。
ウードとプリムの間に肉体関係があったかどうか、はっきりさせないところはウォンカーウァイ風だったような。
監督の前作(バットジーニアス)は観ていません。
カスすぎて共感できない
ニューヨークでバーを経営するタイ出身のボスは、バンコクで暮らす友人ウードから連絡を受けた。ウードは白血病で余命宣告されたため、ボスに最後の願いを聞いて欲しいと言った。バンコクへ駆けつけたボスが頼まれたのは、ウードが元恋人たちを訪ねる旅の運転手だった。そして旅が終わりに近づいた時、ウードはボスにこれまで黙っていた秘密を打ち明けた、という話。
最初、過去と現在を行き来し過ぎて今どこ、みたいな感覚で分かりづらかった。
ウードがカス過ぎて全く共感できず、途中から興味が無くなり寝落ちしそうになった。
ボスの彼女に手を出そうとしたり、両方にウソを言って別れさせようしたりで、ホントカス。
タイの女優で綺麗な人もいたが、特別魅力的な人もいなかった。
Do you believe in your LOVE after 10 years' solitaire
個人的には久々のタイ映画でしたが、製作総指揮はウォン・カーウァイと言い事で泰中合作感あり。と言うか、ウォン・カーウァイ色は感じました。
タイ滞在歴4年のbloodです。たった4年しか居なかったワタクシでも、ロケーションが分かると言う親切さw
いきなりの脱線です。
タイは政府を上げて映画撮影を誘致していました。と言うか、今もしてるかも知れませんが。平山監督・竹野内豊主演の映画が、bloodのタイ在住中に撮影されたりしました。
でですよ。
ちょっと驚いたのがですね。パタヤの南側の、無茶苦茶綺麗なビーチが、タイのアーミーのキャンプになってるんですが、この広大なキャンプの敷地を映画撮影に貸してくれるんです。巨大なセットの設営OK、撮影のために民間人が立ち入る事ももちろんOK。軍事機密はないのか?って言いたくなるw
この映画のラストのビーチのバーは、そのアーミービーチのうちの一つで、一般の海水浴客に開放されている場所です。その後、BMW E24のクーペが走り去るシーンはコラートじゃないかと。
ちなみに、パタヤのアーミービーチは日本のCMの撮影地にもなっていて、長澤まさみさんが某飲料メーカーのキャラクターだった時期、パタヤのレストランでの目撃情報がチラホラでした。
脱線終わり。
物語りの方は、元カノを訪ねて回る、男2人のロードムービーにございます。短期間に3人ですよ。全員NY滞在中ですって。それだけじゃなくって、更にプラス1 ですよ。お盛んだねー、って言うのは昭和世代の感覚でしょうか。
なんだかんだと言いたくなるし、お前はどんだけ性悪なんや?と毒付きたくもなるけれど、終わり良ければ全て良し、って事で。
良かった。
割と。
死よりも恐ろしいこと。
死を悟った人間は何を考えるか。人間にとって死よりも恐ろしいこと。それは自分の存在が人々から忘れ去られることだろう。
かつてボスとプリムに横恋慕したウードは死を前にして自分の罪をボスに告白して、プリムと再び結びつけようとする。
一見、死ぬ前の贖罪の行為とも思えるが、ウードは二人の恋愛が成就することによって自身の存在を二人の記憶に残したかったのかもしれない。二人の恋愛が成就されれば、それに大きく関わった自分の存在が二人に忘れ去られることはないから。
元カノたちに会いに行ったのも自分の存在を彼女らの記憶に残したかったからかもしれない。
人は生きていれば互いに傷つけあって二度と会いたくない人もいるはず。でもいくら相手を否定しようがそんな人間との出会いが今の自分を構成していることは間違いない。
監督の隠れメセージ
ストーリーは他の方が詳しく書いてるので割愛しますが、一度落としておいて最後持ち上げる展開はちょっと安直な感じもしましたけど、観た人が幸せな気分になれるならまぁ良いか。
タイ国内を回るんですけど、コラートの女傑ターオ・スラナーリー像、サムットソンクラムの大聖母教会、チェンマイの城壁跡、パタヤの海岸など観光案内的なところもあって楽しんで見てました。仏教国タイでヌーナーの撮影場所が教会なのは何でと思ったけど名所紹介もしたかったのかな。
50年以上前に作られたBMW2000Cがエレガントで美しかったですね。タイは日本と同じ車は左側通行なんで右ハンドルです。輸入車もベンツであろうがポルシェであろうがフェラーリであろうが右ハンドルです(しか見た事無い)。日本は50年位前は外車は左ハンドルという概念があったと思いますが、タイではそんな昔から右ハンドルだったんだなあと実感。
ナンバープレートの最初のタイ2文字『วก』が日本語だと「曲がりくねる」とか「蛇行する」と言う意味があり、辞書によっては「引き返す」と言う意味もあるので、この映画のメインテーマそのものであり、監督の隠れメッセージを発見した思いで一人納得。
上手そうなタイ料理屋に入ったら味がそれ程でもなかったみたいな・・・でもトム・ヤン・クン食いてえ!
①本場タイでタイ料理は食べたことはない。それで今までで一番美味しかったのはシンガポールで食べたタイ料理。汗かきなので普通のタオルではなくバスタオル持参しました。②さて、そんなことはともかく、久しぶりに東南アジアの空気を感じられたし優しいお話なので好ましくはあるが、何せ話が長い。脚本に問題があって、もっと刈り込めるだろうし、話の流れが平板でもう少し捻ったり伏線を張って伏線回収とかしたら長さを感じなかったかもしれない。③アリスのエピソードは良かったが(看板が倒れたりボスのダンスの相手が声をかけてきた女の子の母親・・・しかもこの男でいいわ、というドヤ顔、とか可笑しい)、ヌーナ&ルンと同じような調子で続くので(ヌーナーのエピソード自体は悪くないのに)飽きてくる。DJだったウードの父親のラジオ番組を録音しており、その中から元カノ毎にテープを作っていて、違う元カノに会いに行く度にテープを変えるという趣向はロードムービーらしくて良い。④ところが、中盤で唐突に新事実が出てくるわ、新しい登場人物が出てくるわ、如何にも此れからが本筋感ありあり、ということで此れまでは長い前振りだっのかい、とまた映画の長さを再認識させられてしまった。⑤特に気になったのは、ウードは白血病にならなかったら“あの秘密”を墓まで持って行く気だったのか、ということである。白血病になったということでその当たりのモヤモヤ感が中和されているみたいだが、親友(と自分で言ってる)を10年間近く騙していたとは、元カノに謝罪するところではない背信行為ではないだろうか。親の金でNYでバーを出させて貰い高級マンションに住み女にももてるボスへの妬みや恋敵であること(此方の方が主だろうけど)がその動機として説明されているが数年間ならともかく10年間も黙っている(しかもボス・プリマ両方の気持ちも分かっている)のは余りに手前勝手の謗りを免れない。もっと説得力のある理由・背景を用意すべきである。一見プレイボーイ風のボスが抱えていた闇、バーテンダーになった動機等も此処で明らかになるので、もう少し工夫が欲しかった。脚本の弱いところである。⑥最後、友情は戻ったような描き方だが、どうしても私にはウードの自己満足だった印象が免れない。⑦プリム役の女の子が可愛かったので⭐一つオマケ。
物語の美しさと身勝手な真実のきびしさ、
久しぶりに同じ映画を劇場で2回観ました。初回観終わって、ラジオのDJ、カセットテープやカクテルと言った意味ありげでおしゃれな映画的小物の演出や、最後に全てが繋がっていく大団円に圧倒させられて、(いや、むしろ騙されたとも言えるくらい)混乱し何も考えられず、どちらかと言うと分かりやすい娯楽映画ぐらいの印象だったのですが、頭の中で反芻していくうちに、少し引っかかるものがあって、翌日また観ることになりました。
やはり一筋縄ではいかない映画でした。まず、A面ウードと元カノ達の物語が、B面のボスとプリム、ウードの衝撃的な物語の前に色あせて見えますが、B面との対比においてA面はやはり重要なパーツです。A面は二人の主人公の心情に寄り添え安心して味わえる映画的な虚構の物語、陳腐とも言える内容を凝った演出で観客は飽きることなく楽しめたのに、かたやB面に於けるウード、親友を裏切り続けた彼に、観客は感情移入出来なくなります。現実の厳しさを突きつけられて居心地が悪くなります。遠い世界の物語が、突然身の周りで起こりえる身近な現実の世界に引き戻されて、自分が試されているような感情に心がざわつくのです。登場人物のエゴや偏狭、裏切り、嫉妬、幼稚さや弱さ、貧富の差までも容赦なく描きながら、バックの音楽やDJがノスタルジックに夢や希望の人間賛歌を唄う。これはパラドックス、それとも、全てを容認するアジア的(仏教的)諦観なのか。もっと直情的にわかり易く感動的に描くこともできたのに、この監督は複雑で屈折したこの作品を創りました。結果観客は戸惑いモヤモヤしながら、それぞれの経験に則した解釈を試みます。良い映画とは多様な解釈を容認し、監督の意図を超えて広がっていくものですが、僕には混乱するだけで、新たな解釈を加える程の力量はありません。しかし、この映画の大きな可能性はわかります。
この映画のラストではまた、おとぎ話に戻ります。おしゃれな海辺のオープンバーで抒情的に幕を閉じます。そして Nobody Knowsのタイトルバック。
もうひとつ、この映画の重要なキーワードは謝罪。ウードの死を前にした元カノや亡父、ボスへの自分勝手な悔恨の謝罪。ボスの母からのボスへの初めての謝罪、相手は突然のことに戸惑いながらそれぞれの方法でメッセージを返します。このそれぞれの描写はとても印象的でした。
最後にボス、彼はより単純なキャラクターとして描かれます。彼のバーテンダーとしてのシェイクさばきを印象的に描いたシーンは冒頭から何度も登場しますが、僕にはただスタイリッシュな画を狙ったとは思えず、かっこ良さだけではなく、なんとなくダサく泥臭い印象を受けます。これは彼の幼稚さを表すために監督が意図したものなのか。同様に風光明媚なタイ各地の風景、スタイリッシュな構図、ハッとするようなカメラワークがちりばめられているのに、時としてそれが過剰すぎて、ダサく感じてしまう瞬間があるのは、 これもまた監督の作為なのでしょうか。
【"贖罪の旅、そして再びの出逢い・・。"郷愁に満ちたロードムービーと、色鮮やかに色彩が変化するNYとタイの観光地の時間軸を巧みにコントロールした対比も見事な、心に沁みる逸品である。】
◼️ニューヨークで、バーを営む資産家の息子ボスの元に白血病で、余命宣告を受けた友人のウードから電話が入る。
ウードの願いは元カノ三人(アリス・ヌーナー・ルン)を訪ねる事だった。
だが、彼の真の願いは別にあった・・。
◆感想
・今作の時間軸を行き来しつつの、倒叙形式の脚本が秀逸である。
観ている側は、”郷愁のロードムービーかな?"と思っている内に、ボスとウードが友になった経緯を知り、更にボスの抱える哀しみと、ウードが抱えるボスに対する贖罪の念の理由を知って行くのである。
・BGMのカセットテープが、A面(ウード面)からB面(ボス面)に切り替わるシーンも上手い。(ついでに言うと、アリス、ヌーナー、ルンとカセットは変わって行くのである。ウードは、温かく迎えられたり、引っ叩かれたり、居留守を使われたり・・。)
ー そして、その切り替わりと共に、ボスとウードを結びつけたバーテンダーを目指すプリムの存在が明らかになっていくのである。
裕福な家に生まれながらも、居場所のないボス。
そんな彼に未成年と知りつつ、一杯だけプリムが作ったカクテル。
そして、二人は恋に落ちていく・・。-
・NYで働くウードが積年の想いをプリムに告白するシーン。だが、プリムはボスへの想いが忘れられず・・。
ー このシーンのウードの表情が、実に切ないのである。そして、ウードがボスについてしまった”嘘”。”彼は、白人と共にこの地を去ったよ・・。”ー
・更に言えば、年代物のBMWに乗った、長閑なタイのロードムービーシーンと大都会ニューヨークのカラフルな色彩のシーンの対比も見事である。
ー これは、資料によればプーンピリヤ監督の”色の魔術師”と呼ばれている、巨匠ウォン・カーウァイに対するリスペクトだそうである。-
<原題の"One for the Road"が粋な作品である。
ウードの”嘘”により、一度は離れ離れになってしまったボスとプリムが、ウードの魂魄の導きにより、プリムがオープンなバーを構えるタイの海岸で再会するラストシーンの爽やかさは、忘れ難い作品でもある。>
コテコテの恋愛映画
「バッド・ジーニアス」が大変面白かったので期待して観たが、ウォン・カーウェイ色が強い気がした。あのあざとい感じはあんまり好きじゃないんだよなー。WK好きな人は良いかも。
ガン末期で余命幾許もない青年ウードが、直接会って別れを言いたい元カノ3人に、友達に同行してもらって訪ねる。彼女たちのやっと閉じかけた別れの傷痕を広げる行為でもあるが、その後の彼女たちの頑張る姿を知らせることにもなり、再会によって癒しにもなるのだった。
最後に携帯のアドレス帳に残ったのは同行してもらっている友達ボスで、実はこれまでの3人の元カノは前振りみたいなもので、ここに話の全てが詰まっている。ボスは知らないが、トリンドル似の激カワの彼女と2人は、いわゆる三角関係なのだったのだが、ウードはボスに嘘で騙していて、罪ほろぼしを考えていた。
夢を追う彼女、お金の問題、夢と恋愛、恋愛と友情の兼ね合いなど、テーマは手垢まみれだが、そこに死も絡んで、ラストは上手い。音楽も良かった。
甘い映像と音楽の魔法にかけられ、いつの間にか2人の旅の同行者になることでしょう。
タイの娯楽映画がいかに洗練され、優れているか。世界に知らしめた作品の一つが、ナタウット・プーンピリヤ監督の長編2作目で予測不能なカンニングの〝裏ビジネス〟を描いた「バッドージーニアス 危険な天才たち」(2017年)でした。
続く本作は、才能にほれ込んだ香港の巨匠ウォン・カーウァイが製作総指揮を買って出ました。これもタイ映画の新時代を切り開く、情感豊かな青春映画でありつつも、また先の読めないエモい(感情が揺さぶられる)展開。何しろ面白いし、人生のあるある感に共感できました。邦題の「プアン」とは、タイ語で「友」の意なのだそうです。
米ニューヨークでバーを営むタイ出身のボス(トー・タナポップ)に、友人ウード(アイス・ナッタラット)から数年ぶりの電話がかかってきます。ウードは白血病で余命宣告を受けたので、最後の頼みを聴いてほしいというのです。
駆けつけたボスは、ウードからかつての元カノたちを訪ねる旅の運転手を頼まれ、ウードの思い出をたどり心残りに決着をつける手助けをすることに。
バンコクからコラートやチェンマイ、パタヤヘ。ウードの父の形見である古いBMWに乗って、2人の旅が続いていきます。2人が訪ねるのは、ダンス教師、俳優、写真家という3人の元カノ。タイ各地を巡る謝罪の旅の中に、ウードが傷つけた女性たちの過去と現在が交錯します。
忘れられなかった恋人への心残りに決着をつけたウードを、ボスがオリジナルカクテルで祝って、旅を切り上げるはずだったのです。しかしここからの後半はガラリと場面が転換します。ウードがボスを呼んだ本当の目的であるニューヨークでの出来事、秘密の告白へと転調していくのです。それはまるで、親友だったボスの過去も未来も書き換える〝秘密〟をウードが暴露するというサスペンス調となって引き込まれていきました。そこからボスの運命を大きく変えたもう一つの物語が始まるのです。
旅の途中、カーステレオから流れる思い出の曲をバックに、切り取られるタイの風景がとてもノスタルジックです。テーマの重さに反してロードムービー的な面白さがありました。巨大な金の仏像がビル群にこつ然と顔を出すような、エキゾチックなタイの風景が様々に楽しめます。
このカーステレオから流れる曲も重要な小道具のひとつでした。ウードの父はDJで、車には番組を録音したカセットテープが積まれていました。カーステレオから流れるエルトン・ジョンやローリング・ストーンズの曲が、ノスタルジックな雰囲気をかき立ててくれるのです。テープが変わるたびに、元恋人だちとの物語も変わるのです。
他にもボスの作るカクテルが物語の節目で登場し、その甘みや苦みが人物の感情と巧みにシンクロするのです。
彼女らと再会する旅は、若い男女の傲慢さや嫉妬、傷ついた日々を浮かび、カクテルのように甘くて苦いものばかり。それらを通してウードの人生が鮮やかに浮かび上がります。
旅が終わり、テープがA面からB面にひっくり返されると、前途したように物語もひっくり返ります。ここからはボスが中心の新たな話にチェンジ!物語の見え方がそれまでと変わっていく仕掛けが面白いところ。小道具たちが、とてもうまく使われていると感じました。
〝死ぬまでにやりたかったこと〟を描く映画は数多いなかで、本作はバンジージャンプの挑戦とか、そういう類いのチャレンジではありません。男の嫉妬、友情、羨望が複雑に絡みあっていて、その糸を丹念にほどいてゆく展開。そのなかで、ノスタルジックで甘さと苦さがほどよく混ざり合った感情を軽快なテンポで見せるところが魅力的な作品です。シンプルだがさりげないラストも心地よかったです。
ただ全編、特に後半に行くほど男目線のストーリーラインが気になり、男性の恋愛観が幅をきかすようになっていきます。ボスとウードの友情もひねりはきいているものの、女性は置き去りににされたような気持ちになるかもしれません。
それでも甘い映像と音楽の魔法にかけられ、いつの間にか2人の旅の同行者になることでしょう。
タイ映画といえば、特異なアート系か、「マッハー」のような肉体を駆使した泥臭いアクションが従来のイメージでした。プーンピリヤ監督は全く違います。洗練され、娯楽性豊かで感動的という点で、ハリウッドに近いものを感じさせてくれました。しかも今回はカーウァイの映像美や感傷的なムードも取り入れています。加えて韓国映画のナ・ホンジンの粘着質な不気味さも取り入れていた感じがしました。このハイブリッドな味わいは実に魅力的です。
アジア映画は、タイを中心に回り始めたのかもしれません。
スタイリッシュな映像と、思いがけない展開は楽しめるが・・・
前半のエピソードが、「お前も元カノに会いに行けよ」という流れに持っていくための「前置き」だったとは・・・。その絶妙な語り口に、そういうことだったのかと唸らされる。
ただ、後半は、確かに物語の核心部分ではあるものの、ダラダラと冗長な感じがして、せっかくの驚きや感動が薄まってしまったように思えた。A面とB面という2部構成(これはこれでお洒落だが・・・)にしたのでバランスを取ったのかもしれないが、B面は、もっと怒涛のクライマックスのような見せ方をしてもよかったのではないだろうか?
ストーリーにも、疑問に感じる点がないわけではない。
ボスとプリムが真実の愛で結ばれていたのなら、どうして、いとも簡単に別れてしまったのだろうか?別れた後に、なぜ、一度も会おうとしなかったのだろうか?そして、そんな二人が再開しても、果たしてうまく行くのだろうか?
いや、二人が別れた理由や、うまく行くかどうかは問題ではなく、二人を再び引き合わせることこそが、ウードにとって必要だったということなのだろう。
それから、もし、ウードが、余命いくばくもなかったら、ボスに、真実を打ち明けることはなかったのだろうか?おそらく、そうなのだろうが、その一方で、友に謝罪し、その穴埋めをすることができたウードは、短いながらも、人生をまっとうできたということなのだろう。
おそらく、多くの人は、謝りたくてもそれができずに、後悔しながら人生を終えることになるのだろうから・・・
4つの短編小説のような
4つの短編小説を読んでいるような気分だった。あれは、会いに行った順番に思い出を遡っていたのかなと思う。
それにしてもプリムの存在がすごかった。思い出を遡っていたとしたらプリムの存在がなければ3つの恋はなかったかもしれないし、それ以上にウードとボスが出会い友達になることはなかったんだろう。
ウードがそれまで秘密を明かさなかったことは、大きな罪だけど、それ以上に友達だった時間がボスが最後に許せた理由なんだろう。
この手の話ではいつも思う
癌で死んじゃうから、その前に元カノたちに返したいものがあるって、ウードがボスを呼ぶの。
それで、元カノに順番に会って、思い出の品を返してくんだよね。《ハッピー・オールド・イヤー》っぽい。チュティモンも出てくるし。
一通り返し終わるとウードがボスにも返すものがあると言い始めて、映画の本題はここからだね。
ボスの運命の相手、プリモとの仲を、ウードが嘘ついて引き裂いちゃったごめんねって話なの。
それでプリムはまだボスを待ってるから、行ってねって。ラストは行って終わるんだけど。
この手の話はいつも思うんだけど、ボスとプリムが互いに運命の相手と思ったのは、二十代初めなんだよね。いまはボス30歳。
ウードが邪魔しないで普通に付き合ってたとしても、なんでもないことから別れてたとも考えられんの。
それで30歳になって再開してね、映画はここで終わるからいいけど、付き合ってみたら「あれ、なんか違うな。まあ20のときと今とは違うからね」ってなる可能性もある。
その辺、見ないふりして、良い話になってるけど、どうなのかな。過去に事情があって別れてしまった人と再開したらうまくいくって思いたいのか、みんな。
書いてて思ったけど、前半のウードの話で「再会したってうまくいかないこともあるよ」ってやってるね。深いな。
タイトルは原題の《One For The Road》が絶妙で、そっちの方がいいね。
ただ、この映画観るまでは、One for the roadの意味知らなかったから、馴染みがないってことで変えたのかな。
あとは色んなところで使われる文字のフォントが良かった。あれなんていうフォントなんだろ。
丁寧に紡がれた物語を一頁ずつめくりながら知るような。
亡父と同じ病で余命宣告を受けたウード。
死ぬ前に心の清算をしようと、友人ボスに旅の運転手を頼む電話をかける。
病のことを聞いてなお淡々として軽いボスの様子で暗い雰囲気はない。
それどころか彼のハイでpopなイメージで旅は始まる。
それを貫いたのは電話口で一瞬固まったボスの思いやりだったのかもと。ボスの華やかさの裏にあるものがわかってからふと気がついた。
ウードの父が遺したBMWに流れる古いカセットテープA面。
DJだった父の意味深い言葉とレトロな音楽が車内を包む。流れていく美しい景色や採光は生き生きとしてまばゆいばかり。
ウードにとって命あってこその堪能と父への愛、懐古の表現だろう。
3人の元カノたちとの再会。
幸せなときだけではなく哀しみや傷みも呼びもどす過去との対面。
視線や声の抑揚や動作に感情のみなぎが浮き彫りになる彼女たち。
忘れているようにしてて、皆、忘れることのない昔の心情に一瞬で還るのだから動揺は無理もない。
対して、すべてを受け止め波のない夕陽の浜に佇んでいるような面持ちのウード。
それはおそらく彼女たちの知るかつてのウードではないとおもう。
今、その目にゆらぎのない強さと穏やかさを宿らせているのは、命の限りと決心を実感しているからか。
車と残りの時間は進み続ける。
カセットはB面へ。
巡礼の旅を遂げうちあげにと、ボスがバーでウードにカクテルをつくる。
それぞれの彼女との思い出に由来させて名前をつけながら。なるほどなるほど、、洒落たネーミングで唸らせる。(どこかで不味いと言われてたけどほんとにちょっと不味そうな見た目^^;)
そして4杯目は、ウードがボスにリクエスト。
その名もOne for the Road 別れの一杯だ。
ここから大変。
ウードの告白によりボスの過去に焦点があたる。
ウードとのまさかの運命が交差する。
接点はプリム。
はじめてわかる真実でB面は嵐を呼び渦を巻き感情をのむ。
脈があがるクライマックス、味わったことのない感覚が降り注ぐラスト。
ウードがボスとの旅でいちばん成し遂げたかったこととは。。。
Nobody Knows
愛おしい今を生きていることを忘れないで。
君は君の大切な人生を生きているんだから。
脚本を書いた監督の自伝的要素が静かに語りかけ、問う。
エンドロールの黒い画面に浮かぶ白い歌詞、滲んでしまっても無理はなかった。
素敵でした。
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