プアン 友だちと呼ばせてのレビュー・感想・評価
全83件中、41~60件目を表示
友情の押し売りだ!(笑)
始まりはニューヨークのBAR。
オリジナルのカクテルがとても美しく映し出される。
私の様なBAR好きはそこでワクワクしたわ〜〜。
真夜中に昔馴染みからの突然の電話。
聞けば病気で余命幾許も無いとか
最後に頼みたいことがあるのでタイに帰ってきて欲しい。
で、帰ってみると本当に痩せこけた元友達。
俳優さん、何キロ痩せたんだろうか?
本当に病人に見えるほど。
そこからはタイを年代もののBMWで走るロードムービー。
車も音楽も中々におしゃれな作りだけど
病気の彼の本当の目的は何なのだろうか〜
タイとニューヨーク時代の回想シーンが
結構いったり来たりするので
少々とっ散らかるけどいいシーンも多いので
楽しめると思います。
で、月に8回ほど映画館で映画を観る中途半端な映画好きとしては
死を前にした男が昔、傷付けた元カノに
最後に赦しを乞うて回る。
長い人生ならそんなこともあるだろうが、
たかだか30過ぎで
何人も謝らないとならない元カノがいるって
それ、クズ野郎だろう〜〜(笑)
しかも最後に飛んでもない隠し球まである。
友達だから、最後に〇〇とかって、
私には友情の押し売りに観えるんですけど〜〜
最後にカッコ良いセリフがあったので
忘備録として書いておきます。
バーテンダー 「あなたの人生最初のカクテルに
私が最初に覚えたカクテルを〜。」
物語の美しさと身勝手な真実のきびしさ、
久しぶりに同じ映画を劇場で2回観ました。初回観終わって、ラジオのDJ、カセットテープやカクテルと言った意味ありげでおしゃれな映画的小物の演出や、最後に全てが繋がっていく大団円に圧倒させられて、(いや、むしろ騙されたとも言えるくらい)混乱し何も考えられず、どちらかと言うと分かりやすい娯楽映画ぐらいの印象だったのですが、頭の中で反芻していくうちに、少し引っかかるものがあって、翌日また観ることになりました。
やはり一筋縄ではいかない映画でした。まず、A面ウードと元カノ達の物語が、B面のボスとプリム、ウードの衝撃的な物語の前に色あせて見えますが、B面との対比においてA面はやはり重要なパーツです。A面は二人の主人公の心情に寄り添え安心して味わえる映画的な虚構の物語、陳腐とも言える内容を凝った演出で観客は飽きることなく楽しめたのに、かたやB面に於けるウード、親友を裏切り続けた彼に、観客は感情移入出来なくなります。現実の厳しさを突きつけられて居心地が悪くなります。遠い世界の物語が、突然身の周りで起こりえる身近な現実の世界に引き戻されて、自分が試されているような感情に心がざわつくのです。登場人物のエゴや偏狭、裏切り、嫉妬、幼稚さや弱さ、貧富の差までも容赦なく描きながら、バックの音楽やDJがノスタルジックに夢や希望の人間賛歌を唄う。これはパラドックス、それとも、全てを容認するアジア的(仏教的)諦観なのか。もっと直情的にわかり易く感動的に描くこともできたのに、この監督は複雑で屈折したこの作品を創りました。結果観客は戸惑いモヤモヤしながら、それぞれの経験に則した解釈を試みます。良い映画とは多様な解釈を容認し、監督の意図を超えて広がっていくものですが、僕には混乱するだけで、新たな解釈を加える程の力量はありません。しかし、この映画の大きな可能性はわかります。
この映画のラストではまた、おとぎ話に戻ります。おしゃれな海辺のオープンバーで抒情的に幕を閉じます。そして Nobody Knowsのタイトルバック。
もうひとつ、この映画の重要なキーワードは謝罪。ウードの死を前にした元カノや亡父、ボスへの自分勝手な悔恨の謝罪。ボスの母からのボスへの初めての謝罪、相手は突然のことに戸惑いながらそれぞれの方法でメッセージを返します。このそれぞれの描写はとても印象的でした。
最後にボス、彼はより単純なキャラクターとして描かれます。彼のバーテンダーとしてのシェイクさばきを印象的に描いたシーンは冒頭から何度も登場しますが、僕にはただスタイリッシュな画を狙ったとは思えず、かっこ良さだけではなく、なんとなくダサく泥臭い印象を受けます。これは彼の幼稚さを表すために監督が意図したものなのか。同様に風光明媚なタイ各地の風景、スタイリッシュな構図、ハッとするようなカメラワークがちりばめられているのに、時としてそれが過剰すぎて、ダサく感じてしまう瞬間があるのは、 これもまた監督の作為なのでしょうか。
【"贖罪の旅、そして再びの出逢い・・。"郷愁に満ちたロードムービーと、色鮮やかに色彩が変化するNYとタイの観光地の時間軸を巧みにコントロールした対比も見事な、心に沁みる逸品である。】
◼️ニューヨークで、バーを営む資産家の息子ボスの元に白血病で、余命宣告を受けた友人のウードから電話が入る。
ウードの願いは元カノ三人(アリス・ヌーナー・ルン)を訪ねる事だった。
だが、彼の真の願いは別にあった・・。
◆感想
・今作の時間軸を行き来しつつの、倒叙形式の脚本が秀逸である。
観ている側は、”郷愁のロードムービーかな?"と思っている内に、ボスとウードが友になった経緯を知り、更にボスの抱える哀しみと、ウードが抱えるボスに対する贖罪の念の理由を知って行くのである。
・BGMのカセットテープが、A面(ウード面)からB面(ボス面)に切り替わるシーンも上手い。(ついでに言うと、アリス、ヌーナー、ルンとカセットは変わって行くのである。ウードは、温かく迎えられたり、引っ叩かれたり、居留守を使われたり・・。)
ー そして、その切り替わりと共に、ボスとウードを結びつけたバーテンダーを目指すプリムの存在が明らかになっていくのである。
裕福な家に生まれながらも、居場所のないボス。
そんな彼に未成年と知りつつ、一杯だけプリムが作ったカクテル。
そして、二人は恋に落ちていく・・。-
・NYで働くウードが積年の想いをプリムに告白するシーン。だが、プリムはボスへの想いが忘れられず・・。
ー このシーンのウードの表情が、実に切ないのである。そして、ウードがボスについてしまった”嘘”。”彼は、白人と共にこの地を去ったよ・・。”ー
・更に言えば、年代物のBMWに乗った、長閑なタイのロードムービーシーンと大都会ニューヨークのカラフルな色彩のシーンの対比も見事である。
ー これは、資料によればプーンピリヤ監督の”色の魔術師”と呼ばれている、巨匠ウォン・カーウァイに対するリスペクトだそうである。-
<原題の"One for the Road"が粋な作品である。
ウードの”嘘”により、一度は離れ離れになってしまったボスとプリムが、ウードの魂魄の導きにより、プリムがオープンなバーを構えるタイの海岸で再会するラストシーンの爽やかさは、忘れ難い作品でもある。>
コテコテの恋愛映画
「バッド・ジーニアス」が大変面白かったので期待して観たが、ウォン・カーウェイ色が強い気がした。あのあざとい感じはあんまり好きじゃないんだよなー。WK好きな人は良いかも。
ガン末期で余命幾許もない青年ウードが、直接会って別れを言いたい元カノ3人に、友達に同行してもらって訪ねる。彼女たちのやっと閉じかけた別れの傷痕を広げる行為でもあるが、その後の彼女たちの頑張る姿を知らせることにもなり、再会によって癒しにもなるのだった。
最後に携帯のアドレス帳に残ったのは同行してもらっている友達ボスで、実はこれまでの3人の元カノは前振りみたいなもので、ここに話の全てが詰まっている。ボスは知らないが、トリンドル似の激カワの彼女と2人は、いわゆる三角関係なのだったのだが、ウードはボスに嘘で騙していて、罪ほろぼしを考えていた。
夢を追う彼女、お金の問題、夢と恋愛、恋愛と友情の兼ね合いなど、テーマは手垢まみれだが、そこに死も絡んで、ラストは上手い。音楽も良かった。
「A面」と「B面」
今年の春、シネスイッチ銀座で見るともなく見ていた本作のトレーラー。「これは?」と気にはなったものの、監督の前作『バッド・ジーニアス 危険な天才たち(18)』が個人的にはあまりハマらなかった(作品の主要素である「カンニング」の方法があまりに非現実的なのが引っ掛かり、物語も陳腐に見えてしまった)こともありそのまま忘れかけていたのですが、その後よく聴くラジオ番組で何度か取り上げられていたことで興味が復活して鑑賞してまいりました。
ラジオDJだったAood(ウード)の父の放送を録音したカセットテープをBGMに、プアン(友達)のBoss(ボス)と共に元カノに会いに行くロードムービーとして始まるこの作品。前半は主にAood側の背景で語られる「A面」、オートリバースで切り替わり後半はBoss側の背景で語られる「B面」として構成されています。
「A面」序盤はAoodの病気、音楽、酒、そして彼女(オンナ)で過去が語られ、割とクラシックで(どちらかと言えば)男性好みのするロマンティックロードムービーといった感じなのですが、Aoodの体調と共に徐々に雲行きが怪しくなってきます。
そして「B面」に入るとどんどんと暗雲が立ち込め、サスペンスフルな展開から時に一触即発な状況など、序盤の雰囲気など何処へやらと言った内容で、観ている我々を最後まで飽きさせません。
ヘアメイクや衣装など、ちょっとした変化で過去と現在のBossを演じ分けるトー・タナポップの演技が良かったこともさることながら、白血病患者を演じるため17キロのダイエットで挑んだAoodを演じるアイス・ナッタラットの意気込み、凄みが感じられます。そして、周りを固める女性陣も皆さん、それぞれのキャラクターが光り、二人の過去、性格と経験を重層的に感じさせてくれています。素晴らしい。
各シーンに合わせた選曲もセンス良く、さらにタイの国民的ポップ・スター、STAMP(スタンプ)の『Nobody Knows』がエンディングに心沁みる作品に仕上がっています。
甘い映像と音楽の魔法にかけられ、いつの間にか2人の旅の同行者になることでしょう。
タイの娯楽映画がいかに洗練され、優れているか。世界に知らしめた作品の一つが、ナタウット・プーンピリヤ監督の長編2作目で予測不能なカンニングの〝裏ビジネス〟を描いた「バッドージーニアス 危険な天才たち」(2017年)でした。
続く本作は、才能にほれ込んだ香港の巨匠ウォン・カーウァイが製作総指揮を買って出ました。これもタイ映画の新時代を切り開く、情感豊かな青春映画でありつつも、また先の読めないエモい(感情が揺さぶられる)展開。何しろ面白いし、人生のあるある感に共感できました。邦題の「プアン」とは、タイ語で「友」の意なのだそうです。
米ニューヨークでバーを営むタイ出身のボス(トー・タナポップ)に、友人ウード(アイス・ナッタラット)から数年ぶりの電話がかかってきます。ウードは白血病で余命宣告を受けたので、最後の頼みを聴いてほしいというのです。
駆けつけたボスは、ウードからかつての元カノたちを訪ねる旅の運転手を頼まれ、ウードの思い出をたどり心残りに決着をつける手助けをすることに。
バンコクからコラートやチェンマイ、パタヤヘ。ウードの父の形見である古いBMWに乗って、2人の旅が続いていきます。2人が訪ねるのは、ダンス教師、俳優、写真家という3人の元カノ。タイ各地を巡る謝罪の旅の中に、ウードが傷つけた女性たちの過去と現在が交錯します。
忘れられなかった恋人への心残りに決着をつけたウードを、ボスがオリジナルカクテルで祝って、旅を切り上げるはずだったのです。しかしここからの後半はガラリと場面が転換します。ウードがボスを呼んだ本当の目的であるニューヨークでの出来事、秘密の告白へと転調していくのです。それはまるで、親友だったボスの過去も未来も書き換える〝秘密〟をウードが暴露するというサスペンス調となって引き込まれていきました。そこからボスの運命を大きく変えたもう一つの物語が始まるのです。
旅の途中、カーステレオから流れる思い出の曲をバックに、切り取られるタイの風景がとてもノスタルジックです。テーマの重さに反してロードムービー的な面白さがありました。巨大な金の仏像がビル群にこつ然と顔を出すような、エキゾチックなタイの風景が様々に楽しめます。
このカーステレオから流れる曲も重要な小道具のひとつでした。ウードの父はDJで、車には番組を録音したカセットテープが積まれていました。カーステレオから流れるエルトン・ジョンやローリング・ストーンズの曲が、ノスタルジックな雰囲気をかき立ててくれるのです。テープが変わるたびに、元恋人だちとの物語も変わるのです。
他にもボスの作るカクテルが物語の節目で登場し、その甘みや苦みが人物の感情と巧みにシンクロするのです。
彼女らと再会する旅は、若い男女の傲慢さや嫉妬、傷ついた日々を浮かび、カクテルのように甘くて苦いものばかり。それらを通してウードの人生が鮮やかに浮かび上がります。
旅が終わり、テープがA面からB面にひっくり返されると、前途したように物語もひっくり返ります。ここからはボスが中心の新たな話にチェンジ!物語の見え方がそれまでと変わっていく仕掛けが面白いところ。小道具たちが、とてもうまく使われていると感じました。
〝死ぬまでにやりたかったこと〟を描く映画は数多いなかで、本作はバンジージャンプの挑戦とか、そういう類いのチャレンジではありません。男の嫉妬、友情、羨望が複雑に絡みあっていて、その糸を丹念にほどいてゆく展開。そのなかで、ノスタルジックで甘さと苦さがほどよく混ざり合った感情を軽快なテンポで見せるところが魅力的な作品です。シンプルだがさりげないラストも心地よかったです。
ただ全編、特に後半に行くほど男目線のストーリーラインが気になり、男性の恋愛観が幅をきかすようになっていきます。ボスとウードの友情もひねりはきいているものの、女性は置き去りににされたような気持ちになるかもしれません。
それでも甘い映像と音楽の魔法にかけられ、いつの間にか2人の旅の同行者になることでしょう。
タイ映画といえば、特異なアート系か、「マッハー」のような肉体を駆使した泥臭いアクションが従来のイメージでした。プーンピリヤ監督は全く違います。洗練され、娯楽性豊かで感動的という点で、ハリウッドに近いものを感じさせてくれました。しかも今回はカーウァイの映像美や感傷的なムードも取り入れています。加えて韓国映画のナ・ホンジンの粘着質な不気味さも取り入れていた感じがしました。このハイブリッドな味わいは実に魅力的です。
アジア映画は、タイを中心に回り始めたのかもしれません。
スタイリッシュな映像と、思いがけない展開は楽しめるが・・・
前半のエピソードが、「お前も元カノに会いに行けよ」という流れに持っていくための「前置き」だったとは・・・。その絶妙な語り口に、そういうことだったのかと唸らされる。
ただ、後半は、確かに物語の核心部分ではあるものの、ダラダラと冗長な感じがして、せっかくの驚きや感動が薄まってしまったように思えた。A面とB面という2部構成(これはこれでお洒落だが・・・)にしたのでバランスを取ったのかもしれないが、B面は、もっと怒涛のクライマックスのような見せ方をしてもよかったのではないだろうか?
ストーリーにも、疑問に感じる点がないわけではない。
ボスとプリムが真実の愛で結ばれていたのなら、どうして、いとも簡単に別れてしまったのだろうか?別れた後に、なぜ、一度も会おうとしなかったのだろうか?そして、そんな二人が再開しても、果たしてうまく行くのだろうか?
いや、二人が別れた理由や、うまく行くかどうかは問題ではなく、二人を再び引き合わせることこそが、ウードにとって必要だったということなのだろう。
それから、もし、ウードが、余命いくばくもなかったら、ボスに、真実を打ち明けることはなかったのだろうか?おそらく、そうなのだろうが、その一方で、友に謝罪し、その穴埋めをすることができたウードは、短いながらも、人生をまっとうできたということなのだろう。
おそらく、多くの人は、謝りたくてもそれができずに、後悔しながら人生を終えることになるのだろうから・・・
4つの短編小説のような
4つの短編小説を読んでいるような気分だった。あれは、会いに行った順番に思い出を遡っていたのかなと思う。
それにしてもプリムの存在がすごかった。思い出を遡っていたとしたらプリムの存在がなければ3つの恋はなかったかもしれないし、それ以上にウードとボスが出会い友達になることはなかったんだろう。
ウードがそれまで秘密を明かさなかったことは、大きな罪だけど、それ以上に友達だった時間がボスが最後に許せた理由なんだろう。
(先入観があると)展開がわかりにくくなるので注意
今年240本目(合計516本目/今月(2022年8月度)16本目)。
ここの特集や公式HPから「(タイ映画でよくある)ごく軽いボーイズラブもの」という解釈もでき、実際前半はそのテイストもありますが、後者は全然違う雰囲気に飛んでしまいます。よってその「タイ映画で時々ある軽いボーイズラブもの」という観点でいくと途中からハマリが生じます。
また、映画内では「プアン」という語も出ないし(登場人物の名称でもない)、原題タイトル名も違うのですが、どうもタイ語で「友達」の意味であるようです(タイ語を書くとスマホ等で文字化けしかねないので省略)。
この前提で見ると、全般はごく軽いボーイズラブもの、後半は女性をめぐってバーを舞台にいろいろなお話が飛び交うという1つの映画で2つのテイストが楽しめる展開になっていて、ボーイズラブものといっても「ごく軽いもの」ですので(行為そのものは描写すらされない)、タイ映画といえば珍しいところもありますし、迷ったらおすすめ以上です。
採点に関しては下記を考慮しました。
--------------------------------------------
(減点0.2) この映画はその性質上、タイとアメリカのシーンが交互くらいに登場しますが、妙に字幕が変で、アメリカのほうでいえば「HOTEL」だの「BAR」だの、英検3級レベルの単語にすら全部翻訳があるのに、タイ編のほうはほとんど翻訳がなく、タイ語なんて誰でも読めるものでもないので、一部の展開がよくわからない部分があります。
ただ、この点に関してはアメリカ映画等ではなくタイ映画の翻訳の字幕担当者というのは桁の数で違うことは十分理解できるので、引いてもこの程度かなと思います。
--------------------------------------------
▼ (参考/ストーリー最後のほうで地下鉄に落ちた人を助ける行為について)
・ 場所はアメリカで、日本とはそもそも法律が違うので一概に言えませんが、日本においては、「緊急事務管理」と呼ばれるもので「生命を救うなど急迫の場合」は、悪意(ここでは法律用語ではなく、通常の意味。「積極的悪害」に近い)か重過失がない限り責任を負うことはありません。
脚本が好きです。
映画的魔術で乗り切った物語
「バッド・ジーニアス」がとても良かったので今回も鑑賞。ウォン・カーウァイがプロデュースだというのは直前に知る。最近全然情報を収集できていない…。
当然予告編も一切見ていない。完全に「バッド・ジーニアスの監督の作品」というだけで観た感想。
正直、粗筋だけひととおり喋ってしまうとえらく陳腐な物語ではある。余命僅かな友人、元恋人(たち)への思い出返却の旅、所謂よくあるロードムービーがA面である。ただし、皆が苦い記憶を甘い思い出に変換してくれるわけでもなく、その辺も陳腐といえば陳腐ではある。
後半でその筋の裏をなぞるように(だからB面なのか)、物語の核心が語られる。
主人公ふたりには特段共感できるところがなかった(!)。ふたりとも複雑なものを持っているはずなのに、その辺の描写を雰囲気で乗り切っているところが…。
…と観た後ならいくらでも細かい部分をごねられるのだが、「お父さんのラジオの録音が息子へのメッセージとして機能している」のがぐっときてしまった。本筋じゃないにしても要所要所でぐっとこさせるのがよい。
あと、観ていると、お互い複雑な感情はあるけれど、主人公2人の間には、確かに友情があったように思えるのだ。友情の育まれる過程をほぼ捨象しても描ける自信があったのだろう、と思う。
理屈ではない何かが映画の物語の中にあって、振り返ればとても陳腐な「お話」な気がするけれど、映画の中に入り込んでいる間はその物語を信じられる。これこそが映画というものの魔術的な部分、と感じた。
そういう意味では描写は足りないが映画的魔術で乗り切った物語、なのだろう。
演出はおしゃれというよりは…古き良き?というか、アングルなどはハッとさせられる部分もあるのだが、全体的に新しさは感じなかった。雰囲気で場を保たせているというか…、いや、まあ、もっとどろっとざらざらとしたら全然違う映画になっちゃうとは思うのだが。雰囲気第一だから…。
いる〜?
激甘口。
友だちって呼んでいいと思う。
元カノに会いにいくロードムービーと思いきや、後半の意外な展開がよかったし、女優さんそれぞれとても魅力的でした。
何より主演の2人のことをどんどん好きになりました。
それぞれの人を表すカクテルがとってもおしゃれでカクテルが飲みたくなる映画です。
カクテルは綺麗な色だったり甘かったり酸っぱかったり苦かったりするけど、それぞれがよい思い出でありこれからの関係も表しているのでしょう。
カセットテープというレトロなアイテムが風情があり良いスパイスになっています。
音楽にもう少しインパクトがあったらもっと良かったかも。
撮影が始まるまでは、ウォン・カーワイがプロデュースして関わっているとの事で何となくその雰囲気は伝わってきました。
友だちかどうかは相手がどう思ってるかにもよるので、友だちと呼ばせてという謙虚な副題はちょうどいい感じに思えました。
サントラほしい。。
元カノめぐり映画の新境地
元カノたちのところを訪ね歩く映画は、男が考える物語って印象がある。「ハイ・フィデリティ」とか好きな映画なのだが、男のウジウジした感じが全開の、でもとても愛おしい映画だった。そう、やはり男はこんな感じで元カノの思い出を頭の中に大切に置いていたりする。
本作はそんな元カノめぐりの映画と思わせて、意外と後半のどんでん返しメインの話だった。ウードの父が持っていたBMWでかかるラジオ番組の録音テーブ(流れる曲もいい)や、カセットテープのA面(ウード)とB面(ボス)の構成はなかなかいい演出だった。元カノめぐり映画の新境地だ。
でも、ウードの行動と女性の描かれ方がどうにもしっくりこない。ウードは自分が死にそうなときにいろんなことを告白していたが、それは自分がNYからタイに戻るときに言うことなんじゃ?って気になってしまう。そして自分からフッた女性がいつまでも自分のことを待っててくれると思うのはなんて図々しい考え方だろうとも。
だから本来もっと感動するラストなのにまったく心が動かなかった。そうなんですか、へぇ、そりゃよかったですねって感じ。それでも点数を3にしているのは、自分でもよくわからない。やはり元カノめぐり映画が好きだからなのかも。
#61 前半はオマケで後半が本題
ニューヨークでチャラいバーを営むボスと余命わずかな友人ブーンが元カノたちに会いにタイを旅するお話。
後半になってブーンが元カノ達に会いに行く理由が明らかになるとこの物語の意味がわかる。
正直前半は何故わざわざ元カノに会いに行くのか意味不明でさらに何故元カノ達は一様にブーンを嫌っているのかわからなかったが、全てが1人の女性が原因なのだ。
これまで観たタイ映画と違ってやたらスタイリッシュなのは、ウォン・カーウェイ製作だから?
全83件中、41~60件目を表示