O2作戦のレビュー・感想・評価
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エストニアの諜報史研究者らが総力を挙げて監修に協力した映画。 その...
エストニアの諜報史研究者らが総力を挙げて監修に協力した映画。
そのため、大はオフィスのセットから、小はエストニア軍情報部内の書類までほぼ監修は完璧。惜しむべくは、タリン市内に現存するエストニア軍旧参謀本部の建物内(現在は一般人向け高級アパート)での撮影が出来なかった点か。
序盤から中盤にかけて、在エストニア・ソ連大使館参事官の密告でその存在が判明した、エストニア軍情報部内の裏切り者「スフレ」を探して部員らが右往左往するが、結局そんな人物は最初から存在しなかったという設定。
これも史実を基にしており、第二次世界大戦後の1972年に東ドイツ(当時)のジャーナリストであるユリウス=マデル(Julius Mader)が、戦前のエストニアにはエストニア軍情報部との合意の下で、ナチス・ドイツの国防軍情報部(Abwehr)が設置した「グループ6513」という秘密工作支部が1936年からあったと暴露したが、
マデルは東ドイツ国家警察の工作員であり、グループ6513は2000年代になって、エストニアの諜報史研究者が「実態はドイツ人外交官1名だけの組織で、しかも活動開始は大戦勃発後の1940年」と明らかにした。これはほぼ存在しない組織だった。
映画内では「スフレ」の捜査にかかりきりになったエストニア軍情報部はソ連の罠に引っかかり、ソ連軍によるエストニア侵攻作戦の察知が遅れたという設定だったが、
史実としては独ソ不可侵条約の附属議定書によるフィンランドやバルト三国の独ソによる極秘裏の分割占領(映画冒頭でも出てくる)は、エストニアは察知しておらず、フィンランドは独ソ不可侵条約締結後に急速に自国と距離を置き始めたナチス・ドイツの態度から、ソ連との密約を疑っていた。
また、史実との兼ね合いで言えば、終盤にエストニア軍情報部がソ連軍の最高機密である"OKK-5"の暗号表を盗撮するために、危険を冒してソ連軍基地に潜入するシーンがあるが、
史実では1939年9月中旬、ソ連軍がポーランドへ侵攻した際、侵攻に際してソ連軍の大量の暗号通信を傍受・解読したエストニア軍情報部がOKK-5の解読に成功し、ソ連軍の位置情報や配置など、協力関係にあったフィンランド軍情報部へこれら情報を提供していた。
1939年11月末、ソ連はフィンランドへ侵攻するが、この際に用いられた軍事暗号もOKK-5で、フィンランド軍はエストニア軍から提供された暗号情報などを元に適切な反撃を行う事が出来た。
当時、フィンランド軍参謀本部とエストニア軍参謀本部の間には、総延長100kmを超える海底ケーブルによる直通の専用電話線が敷かれており、1939年秋にソ連軍がエストニアへ進駐した後もこの秘密回線を用いて、フィンランド軍にソ連軍事情報が提供され続けた。
こういった史実を踏まえ、ストーリーも展開も素晴らしい、まさにエストニアを代表するスパイ映画として推したい。(最後の展開はさすがに雑すぎるが…)
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