「「正義」とは「私自身」」MEMORY メモリー R41さんの映画レビュー(感想・評価)
「正義」とは「私自身」
暗殺者にアルツハイマー病を掛け合わせた作品
ただ、物語上にアレックスのアルツハイマーが影響している部分は極めて少ない。強いて言えば、彼の「流儀」に反する依頼と病気の進行が、アレックスが行動する原動力になっているのかもしれない。
この作品は、
世界中いたるところで蔓延っている悪に対する解決手段の最終形態を描いている。
暗殺者にも「流儀」はあるのだろう。
13歳の少女などターゲットにできない。
アレックスは家系的な病気だと思われるアルツハイマーの発症を自覚、同時に暗殺の仕事を引退するつもりだった。
旧友のごり押しで引き受けたものの、まさかターゲットが13歳の少女だとは思わなかった。
彼は裏切り者とみなされ、その旧友が仕事の引継ぎと後始末を任される。
「悪の法則」 「カルテル」
アレックスが狙われるのはよくわかる。それがカルテルだからだ。
そして悪の象徴が「白人富裕層」
その女ボスがダバナ 不動産王
しかし、
息子の趣味のためにダバナが力を貸しているのは理解できるが、ダバナ自身の動機が見当たらない。
おまけにダバナは「寂しい」 「側近の誰も信用できない」
単なる組織の原動力
だが、
おそらくFBIの上司2名は、カルテルの「お世話」になっているのだろう。
ダバナに何かあれば、顧客情報の中に自分の名前があるかもしれない。
これこそがこの作品の「上司」の姿だろう。
最後の大どんでん返しは、マルケスの行為とリンダが囁いた祈り。
大勢の被害者が出たメキシコの人身売買で殺された少女たちへの祈り。
最後にできるのが「復讐」という悲しさ。
芋づるにはならないが、悪の根源を除去するための最後の手段。
これが現実なのかもしれない。
マルケスがメキシコで見てきた世界は、汚職まみれの汚い世界。
すべての組織が上層部でつながっている事実。
それは、アメリカでも同じだった。
マルケスは「仕事」を「使命」に置き換え遂行し続けた。
彼には異動も何もない。自分の「正義」を貫くだけ。
この作品はきれいごとを描いていない。
底辺で生きる者たちの最後の祈りのために描かれている。
以前、マイケルサンデル氏の「正義の話をしよう」が流行った。
生徒に質問を投げかけ答えを求める。そのケースごとに意見が分かれ、どちらがいいのか自分自身で考えることを求めるものだったと記憶している。
私は、正義とは「私自身」だと思っている。
今まで生きてきたバイアスに従って今を選択しているのが人だろう。バイアスとは、自分が信じる正義だ。
そしてみな自分が正しいと思うことをしているだけだ。その違いに対峙が起きるだけだ。
さて、
マルケスを支持し、ビンセントを無理やり連れだしたリンダも、腐りきった組織に対する最終手段に加担した。
それは、間違いなく彼らの正義の根幹だった。
アレックスはどうだろう?
そもそもカルテルのために働いてきた。
雇い主は知らないが、白人富裕層の後始末が目的だ。
アレックスの「流儀」 それは、彼が人間としての尊厳のかけらを持っている証だろう。
その流儀に反することはできない。狙われる前に叩くだけ。
カルテルからは逃げきれないこともよく知っている。
だが、少女の人身売買の実態を知ったからには後戻りできない。
殺されるまでやる。
これがアレックスの「正義」
ビンセント
彼はアレックスに例え話をする。
彼の家族に起きた悲劇と、正義など保証されないと絶望した過去。
腐った組織
それでも一縷の望みを持ち続けている。
その蜘蛛の糸のように細くなってしまった望みの先に見た「復讐」という手段。
それは決してビンセントの考える「正義」ではない。
ただ、
リンダの祈りの言葉を聞き、「それしかなかった」ことを知る。
腐り果てた中にあった唯一の手段の実行。
その時ビンセントは、マルケスの心の痛みに初めて触れたのだろう。
彼がメキシコからカルテルを追いかけてきた理由を理解したのだろう。
そしてビンセントはもう一度自分自身の「正義」について考えることになるのだろう。
「正義など保証されない」と落ちぶれた過去 禁断の最終手段を使った仲間…
長期休暇を強いられた彼は、FBIでまだ自分が信じる正義を遂行できるか考えるだろう。
同時に「使命」についても考えなければならない。
しかし彼のような人物が一人でもFBIにいてくれるのを願うばかりだ。