こどもかいぎのレビュー・感想・評価
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こどもらしさに学び、見守りたい
年齢層が保育園児ということで、遊びも交えた形式で進められ、奇想天外な発想も出てくることはある程度予想していた。形式としては、円座となり、一人ずつ話し、他の人の話は聴くというルールはあったけれど、ときどき守れないこともあった。お伽話のような話をする子もいれば、独身男性保育士をからかうような「クレヨンしんちゃん」ばりの発言もあり、楽しめた。喧嘩をして、「ピーステーブル」で気を鎮めて言いたいことを言う場が保障されており、仲直りする場合が多かったが、そうできない場合もあった。場合によっては、一般的な保育場面と同じように、保育者が仲裁することもあった。なかなか発言できない子もいたが、回を重ねるにつれて発言できるようになっていった。特に異性観は、成長につれて変化がみられた。年少者に助言できるようになる年長者も出てきた。卒園式は、さくらさくらんぼ保育園とはまた違うけれど、この園独特の儀式があった。「保育証書」という名称は初めて知った。園長が異動していたので、私立単独園ではないようで、このような独創性のある方法を導入できた背景を知りたいものである。『こどもの時間』『こどもばんぱく』とこの作品、それぞれに特徴があり、印象的である。
人間は変わらない
ユミコ先生が木竜麻生に似てるの。それは、どうでもいい情報だけど。
こどもかいぎの様子は大人の会議と全く同じなんだよね。
みんな自分の言いたいことを言って、聞きたいことだけを聞いて。自分の話を最後まで聞いてくれないと怒って、でも話が長いとやんや言われて。
大人の会議はこうした感情に、色んな理屈を持ち出したり、綺麗なプレゼン資料を作ったりして何かを被せて、感情を見えづらくしてるんだよね。ストレートに出してる分だけ、こどもかいぎの方がむしろレベルが高いと思うの。
子供がケンカをすると ピーステーブル というところで話し合いになるのね。互いの言い分を論理的に解釈するわけではなくて、互いの感情を吐き出すの。そうすると落ち着いて「じゃ、どうしようか?」ってなる。これも多分、大人と一緒。
感情を吐き出して、落ち着くのがまず大事だね。それから相手と「どうしようか?」と考えることができる。論理的には全く噛み合ってないんだけど、解決に向けて進む。
だから大人の会議も、数字作ったりプレゼン資料作ったりする前に、互いの感情を吐き出した方がいいと思ったの。『私は、これが、やりたい。どうしても、やりたい』『俺はヤダ。別にやってもいいけど、なんかお前嫌いだからヤダ』みたいな感じで。
それで互いに落ち着いて『でも、どうしようか?』となってから数字やプレゼンを作ったらいい。
数字やプレゼン資料を隠れ蓑にして『感情的に言ってんじゃなくて、論理的に考えてるよ』いたいなポーズで話し合ってたって始まらない。
あと作品の中で一番感動したのは、会議と関係ないんだけど、三輪車に乗るシーンだったの。
保育園にカッコいい三輪車が何台かあって、それで庭をグルグル回るんだよね。
それで一回乗った子供は、三輪車をゆずらないの。『そりゃ、そうだろうな』って思う。カッコいいし楽しそうだもん。
でも乗りたい女の子が体を張って止めて「一周したんだからゆずって」と懇願すんのね。でもみんな振り切って行っちゃうんだよ。
それで先生と「誰かゆずってくれないかなあ」とみてると、男の子がゆずってくれるの。
女の子は「ゆずってくれた」と何回も驚いたように言うのね。ゆずってもらえると思ってなかったんだよ。
今度はゆずった男の子と先生が「ゆずってくれないかなあ?」って待ってると、一周してきた女の子がゆずるの。そして、その後は、一周ずつかわりばんこに乗っていく。
こどもと大人は全く同じだからね。僕らの中にも、この「ゆずってあげる」感情があるはずなんだよ。
実社会ではね、せっかく乗った三輪車をゆずったら馬鹿って言われるよ。ゆずられた方も二度と譲り返さないよ。
でも、ゆずれる奴はいるの。そうするとゆずり返す奴もいる。
そういうのを、引き出して、生きていきたいと思ったな。
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