ぜんぶ、ボクのせいのレビュー・感想・評価
全47件中、41~47件目を表示
寂しい目で映画全体を引っ張る
途中から主役の優太、詩織、坂本の3人がメインとなる。母に見捨てられた優太を演じた白鳥晴都の寂しい目で映画全体をけん引、終盤までノンストップに引き込まれる。母親役の松本まりかや仲野太賀など実力派のキャストが脇を固めるなかでも、白鳥晴都の演技力が際立っていた。詩織役の川島鈴遥も心が安定せずパパ活をしてしまう少女を演じ、特に終盤でアップに耐えうる美しい画作りが印象的。
オダギリジョーの坂本は軽トラで暮らすファンタジー感のある役だが、私の子ども時代も近所のおっちゃんが居て、そのふれあいなどから色々なことを学んだものだった。加えて坂本も母親から抑圧された経験があるようで、それもあって優太は実の父のように坂本を慕い付き添うようになる。
終盤に向けての映画のトーンからラストの傾向が思い浮かぶが、想定内の展開。ある程度まとまっていると思うが、もうひと捻り欲しかった気がした。
みんなキャラが際立ってた。 あんまり何も考えずに見たけれど 色々考...
みんなキャラが際立ってた。
あんまり何も考えずに見たけれど
色々考えさせられる映画だった。
記憶に残る映画だった。
真新しさはないです。
オダギリジョーさんは、
本当に地のような演技をするなー。
演技してるように見えないんだけど、
ちゃんと、その人なんだよなー。
片岡礼子さんもだな。
こちらの作品は、
主役の白鳥くんと、女子高生の川島さんとオダギリジョーを筆頭に、
役者たちのファインプレーな気がする…。
ストーリー的には、深そうに見えて浅い気が…。
だから、
ラストは、なんだか、バサッと切られてしまった感じで...
真新しい感じのないストーリーなので、
ハッピーでもバッドでもいいから、もう少しひねりは欲しかったです。
主役のアップとセリフで終わらせるような、
こちらに委ねる感じはやめて欲しかったかな。
子供が可哀想過ぎる…
なぜか子供は母親を神聖化する。私もどちらかと言えば、そうだったのかもしれないが、今回出てくる三名もそう。
母親に会いたいといった目的の為だけに、施設を飛び出すところから始まるのだが、松本まりか演じる母親が男にすがらないと生きていけない、今の高学歴女性から考えると…。(松本まりかさんは好きなんですけど😅)
そんな母親でも諦めずに愛情を求め、最後には…😓
日本の警察のバカさ加減も出てくるけど、本当に税金の無駄遣いのTopは警察。演出も警察に恨みがあるのでは?
細かいことは言わない、 本当に逢いたい人にあえる私たちは幸せですね...
細かいことは言わない、
本当に逢いたい人にあえる私たちは幸せですね
素晴らしい映画でした。
夢で逢えたらを聴きながら余韻に浸って帰ります。
おそらく今週では本命。多くの方に見てほしい映画。
今年236本目(合計512本目/今月(2022年8月度)12本目)。
ずっと前から注目していた1作でした。あの物議をかもした「大怪獣~」と同じ「文化庁の補助金枠」の映画で、映画の特集や公式HPなどから「福祉行政(子供・ホームレスなど」にターゲットが強くあてられていることはだいぶ前から理解していたので、行政書士資格持ちとしては意識的に選択して見に行きました。
まだお1人しか感想を書かれていないのでなかなか核心まで触れにくいところがあります。ストーリーとしてはよくある、最初に「結末の一部」が描写され、映画内でその「結末の一部にどう収束していくのか描く」タイプの映画であり、この点に触れると一発アウトかなというところです。
そうですね…。タイトル通り、そして映画内で主人公の子がいっている「全部、ボクのせい(なんです)」というのは、そりゃ違うかなというところです。確かに一部においては「ボク」の責任を問われる部分もありますが(いわゆる「当たり屋」行為をするシーン等)、全体的にみれば彼はれっきとした被害者と解するのが妥当です。一方で「悪意の遺棄」(ここでは、日常用語)をしたと思われる謎の母親の責任追及の話はいっさい出てこず(もちろん、生活に困窮している等理解ができるならまだしも、そういう動機ではないことは映画内からでもはっきりわかる)、その前提、さらにホームレスの方との交流も行政(ホームレスの方に対する福祉行政)が追い付いていないままいろいろなトラブルを起こしており、それもそれで一義的には本人の責任ですが、ホームレスの方に、タイトルならぬ「全部「お前」のせい」というのも無理で、本人が嫌がらない程度に福祉行政は働くべきであって(それらを想定できるシーンは一切存在しない)、結局「誰もが救われない」映画になってしまっています。
どうしても作話の範囲なのでそうせざるを得ない(逆に、適切な福祉行政につないでしまうと、ストーリーが10分で終わるというほど)のはわかるのですが、これで「全部、「あなた」のせい」というのも酷な話であり(作話の範囲だとはしても、これに類するような事件は日本でも起こりうるし、過去にも差はあっても存在はした)、この観点で「全部「あなた」のせい」だというのも今日の福祉行政のあるべき姿があるのに「何もしていない」というところを見ると、作話の範囲で、涙を誘うように「全部「ボク」のせい」というのは理解はしても、それはどう考えても違うだろう、というところです。
願わくば、こういった不幸な子が0(ゼロ)になるように…それはいきなりでは難しいでしょうから…少しずつでも減らしていける取り組みを国、地方自治体がしっかりととること、それが暗に求められているのだろう(それをせずに、「ぜんぶ、「あなた」のせい」、というのは支離滅裂がすぎる)、それがこの映画をみた、一人の行政書士合格者レベルの視点です。
採点に関しては下記が気になりましたがフルスコアにしています。
----------------------------------------------
(減点0.2) 上記に書いた通り、「全部、「ボク」のせい」だとは私は思いませんが、一方で明確に民法上まずい行為(不法行為や占有権の侵害など)を行っている部分もあります。
また、これは本来的には(法の運用上)正しくないですが、警察の取り調べを受けているシーンもあります。
しかし、日本では取り調べの段階から国選弁護人を呼ぶことは憲法上保障されていません(憲法内では「被告人」とあり、取り調べを受けている「被疑者」とは違う)。
ただし、それは憲法上の文理解釈(文字通りに解釈する立場のこと)の考え方であって、特にこのような事件の場合(対象が明確に少年とわかる場合)や、ほか、明確に知的・精神障害などが疑われる場合に関しても、なお「国選弁護人をよぶ権利を付与することを禁止するものではない」ので(最高裁判例は、取り調べの段階から国選弁護人を呼ぶことは憲法の保障するところではない、というものであり、「つけるな」とは一言もいっていない)、こういった特異なケースに対しても国選弁護人を呼ぶのは当然、警察行政としては「やりたくない」のかもしれませんが(いわゆる「手柄」ないし「実績」ができない)、こうした「弱者」に対しては当然、判例が「保障はしない」とはしても国選弁護人の権利を与えずに(そもそも、10~11歳の子に権利「だけ」与えても実効性が確保できないので、警察のほうで保障すべき)、その前提で取り調べをやったのであれば、後から「自白の妥当性」や「違法な長時間取り調べ」などをもとに「元の自白に効力なし」と裁判などで言われても仕方がないのは明白で(これは、実社会でも起きていることです。特に知的・精神の方の場合に早期に国選弁護人をつけなかったケース)、ここは「やや描写が足りない」(判例のとる立場も理解はできるが、冤罪や違法な取り調べを防ぐため、いわゆる法の弱者を守る観点から国選弁護人をつけることはどこの都道府県の弁護士会も要求しているし、それは当然のこと)という部分です。
---------------------------------------------
全47件中、41~47件目を表示