「祈りとは愛である」女神の継承 ARSさんの映画レビュー(感想・評価)
祈りとは愛である
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祈りの先に救いがなくても私達は祈るしかない、なぜなら祈りは愛だから。
崇めている神は良いか悪いか、月日の流れで神の存在意義は変わるし儀式の意味も変わる。
呪詛でもそうだけど神は良い所と悪い所がある。だから崇めて鎮めて敬って良いところだけ享受出来るように儀式を行い依代を用意し手綱を握る。良いことも悪いことも全て神の采配となる。
最後のインタビューでニムは己が女神の存在を感じられない=自分に女神が継承されてないと嘆いたが、それは違うと思った。ニムに女神が継承されていなくても祈祷師としての能力や技術は持ち合わせていたし、女神をちゃんと愛していた。
ニムはノイによって巫女の役割を押し付けられていた事を知っており、それでも巫女の役目を果たそうとしていたが元からある自分の力への疑念が濃くなり神への信じる力=愛が揺らいだため、女神の御加護が弱まり悪霊たちにより亡くなってしまったのだと思う。
車に貼られたシール、赤という色自体が魔除けの意味があるのは序盤で示唆されていたし各国で魔除けの色だから悪霊達の器となるものを運ぶため、余計な邪魔が入らないようあの車を選んだのかと思ったが、シルバーの車に"この車は赤い"シールを貼り欺く=ノイにミンの服を着せて我々(視聴者や神)を欺くという意味なのかと。
すり替わりにはびっくりしたが靴にお札入れて履かせる描写についても取り憑かれたミンがニムに対して「姉が女神に背くためにニムに自分の服を着せ靴にお札を入れた」と、きちんと語られていたので伏線回収。
とても良かったです。
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