あちらにいる鬼のレビュー・感想・評価
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広末涼子演じる笙子の“素顔”に迫るクローズアップに魅せられた
瀬戸内寂聴をモデルにした長内みはる(寺島しのぶ)と、作家・井上光晴をモデルにした白木篤郎(豊川悦司)の関係が物語の主軸なのだが、昨今のモラル感覚に照らせば「不適切な不倫」で片付けられてしまいそうな男女関係を、より複雑で興味深いものにしているのが白木の妻、笙子(しょうこ)の存在だ。その笙子に扮する広末涼子が登場する序盤、ごく薄いメイクしか施していない広末の表情をアップで捉える。十代でアイドル然として芸能界デビューした広末も今や四十過ぎ、隠そうと思えばファンデーションなどでつるんとした見た目にできただろうが、敢えて年相応の素肌をさらしてみせる廣木隆一監督の演出にどきりとする。
みはるは本作で描かれる期間の中で出家するのだが、夫の女性関係を受け入れて微笑む笙子の方がなにやら菩薩のようで、色欲の強いみはると達観する笙子の逆説めいたコントラストも効果的だ。
物語の始まりは1960年代後半。篤郎と笙子が暮らす団地がまだ新しい憧れの住宅として描かれており、映像の質感も相まってノスタルジックな気分にしばし浸った。
トヨエツの女形も観どころ!?
寂聴さん好きです
寂聴さんの正直な生き方が好きです。建前として不倫はダメ、妻子が一番と言いますが、それはあくまで建前で、今では離婚も不倫も普通ですしね。私の周りもかなりの人が不倫してますし結婚制度そのものがそもそも人間に合わないのでは?と思います。別に他人の恋愛事情なんてどうでもいいじゃないですか。
寂聴さんが凄いのは今より男尊女卑が強い時代にああいう生き方をしたところですよね。晩年になってもデモに行き自分の意見を貫き通してかっこいいです。男性(社会)からは叩かれまくってましたが、私は女性を自由にしてくれたひとりとして尊敬しています。寺島しのぶの演技も相変わらず良かったですが、トヨエツの井上光晴がハンサムすぎたかな。
以前、井上光晴のドキュメンタリー《全身小説家》を観ましたけど、単なる嘘つきなのか嘘を本当のことだと思い込んでるのかわからなかったですね。私からすると単なるおじさんでしたが、魅力があったからあんなにモテたんでしょうね。ご興味あれば鑑賞してみてもいいと思います。
愛の流刑地ファンが集う映画
うむむ
娘が書いたのかこの原作。なんかその我々は世間の常識にとらわれませんので、的な選民思想とも取れるこの手の人たちがいけ好かないんです。あと寂聴や不倫相手のような好きに生きてます、僕らは根無し草みたいな人々にも共感できない。スローなブギにしてくれの浅野温子とか、時代屋の女房とか、あたし猫なのみたいなキャラがほんとに苦手でこの映画には二人も出てくる。つまらないというよりは好きじゃない映画って評価です。でも寺島しのぶは良い人選でした。彼女のどうしようもないオバ顔のおかげで白木にシャンプーしてもらうシーンがすごいリアルと言うか説得力のある絵面になったと思う。あれ普通に美女の女優さんだったら全然意味が違ってちょっとしたエロいシーンになっちゃってたと思います。
一つだけ悩んだのが白木との最初のセックスシーン、寂聴が安AV女優みたいなキンキン声の機械的な喘ぎ声を出したのは何か意図があっての演出なのか?寂聴はその辺赤裸々にしゃべりそうだし取材に基づく?寺島しのぶほどの女が普段あんなセックスしないと勝手に思ってるんだけど、自分の経験に即してあの演技だとしたら世間に顔向けできないほど恥ずかしい。
原作を読み返した
原作を先に読んでいたので、こんな話ではなかったはずだとの思いが強く、映画を観終わった後すぐに原作を読み返して改めてそう思った。
確かに映画は原作のエピソードの多くを忠実に取り上げようとしている。しかしただそれらの表層を真似て再構成しただけという印象にとどまる。また原作が2人の女性の一人称で交互に語られるのに対し、映画にナレーターがいないのは決定的な違いのように思う。当事者目線での説明がなく第三者の視点で見れば、そこで繰り広げられるのはただの不倫であり、ありがちな嫉妬や愛憎くらいしか想像ができない。
想像するに、映画の作り手もまた、一般的な常識人の目線しか持っておらず、だからゴシップ記事かメロドラマのような凡庸なストーリー以上になりようがなかったのではないかと思う。原作の丁寧な心理描写の足元にも及ばない。これだけの豪華なキャストを使って勿体ないと思う。
女優陣の演技は星4つ以上だが…
ちょっと退屈か
廣木監督はとても幅広いジャンルで作品を残していると思うのですが、やはり、こんな感じで荒井氏と組んだりするのがいいのでしょうか。
全部は観てませんが、「ヴァイブレータ」は傑作ですし、「やわらかい生活」とか、雰囲気変わって「きみの友だち」とか、マイナーかもしれませんが「ラマン」とか大好きです。
わたし、基本的に瀬戸内さんを余り好きではないんです。井上さんも「明日」と「地の群れ」くらいしか知りません。だから、どうも入ってこないというか、勝手にやってろ! みたいな感じで退屈してしまいました。
ただ、出家のあたりからは俄然盛り上がって、最後の逢瀬の場面、髪を切るところとか、トヨエツさんも寺島さんも素晴らしい見せ場だったと思います。
50年位前の設定から始まりますが、屋外シーンとか、どうみてもその辺で撮影した感が強くありました。〈現在に置き換えても成立する恋愛だ〉と言いたいのかと勝手に想像しました。作家という天才の方々にしか通用しない恋愛だろうなとは思いました。
瀬戸内寂聴のイメージが元々悪い私には…
徳島県出身で何かしらで名前が出てくる瀬戸内寂聴。県の施設に専用の展示室まで出来ている。しかし彼女の辿ってきた生き方はどうにも好きになれなくて、映画化って何だよ!って認識で観たらまるで違った作品だった。
原作者井上荒野はモデルになった作家の娘がその様を書いたってだけで衝撃だ。
R15指定があるだけになまめかしい濡れ場が何度か登場し、不倫相手の作家白木(豊川悦司)のクズっぷりが酷い(笑)
よくもまぁ、あんな夫と一緒に居られたと思う。
結婚、出産、子育てとか渦中にあの様は今の時代ではあり得ない。
しかし時代が…そんな時代だったのか、こんな落とし処が赦されたのか?赦されるのか?
妻と浮気相手がクズ夫を中心に戦友みたいな感覚を共有する様な…。
昨今の若い人にはあまり受け入れられそうにない感覚を見せる展開を見ると、自身が参加した上映会で集まった観客は高齢女性が大半で男性は僅かだった。
様々な人生経験を経ておられる年齢の方々の思いは分からないけど、皆何かしら解った顔をされて帰っていた。
淡々としすぎて感情が見えない
ひたすら淡々と、感情の揺れも無く物語が進んで行った映画でした。
映画としては退屈。何度か眠りそうになるのを堪えました。
唐突に不倫関係が始まって、お互いを求め合う”熱”のような物が、感じられなかった。
濡れ場はあったけどそーゆーのではなくて。
いうなれば泥沼不倫劇だと思うのだが
全てが淡々としすぎて何の感情が見えない中、いきなり出家します。と言われても「ほーん」としか思わない。
すべて結果のみの映像で、経過が乏しい。経過が観たいんです。
脚本は☆1だけど
演者さんは素晴らしかったので☆2つ
気持ち悪い
娘井上荒野の眼
井上光晴(本作のモデル)といえば、原一雄監督の「全身小説家」のイメージが強すぎる。
お世辞にもいい男とは言えないが、口だけは上手くて、女性を自宅にはべらす。
いまどきはハイボールなのに、ウイスキーの銘柄にこだわって、昼飲み三昧。
すべてが昭和調のムード歌謡の映像で、しまいには暑苦しくなる。
男と女がうごめく昭和文壇の世界。それが「全身小説家」だ。
その世界を観てしまうと、焼き直された感のある本作は、ある意味嘘くさい。
こんな爽やかじゃない。豊悦、寺島、広末が眩しすぎてくらくらする。
だけど、破天荒の井上と瀬戸内を正当化する映像ではない。
井上と井上の妻と瀬戸内の、長い親友関係を美化するものでもない。
なにげなく登場する、娘井上荒野の眼が、どこかで光っている。
その眼は優しくもなく冷たくもない。
親への愛も憎しみもない。
だからかえって、違和感のある映像に見えるのかもしれない。
娘の視点が、映像を令和風に変えたのだ。そう実感した。
自由奔放
作家の井上光晴をモデルにした小説、妻も子もいる作家白木、白木と不倫関係になるみはる。みはるも自由奔放だが、白木は自由奔放すぎる。妻がよくここまで許せるものだなあ。自殺未遂の愛人の入院先に謝罪に行ったり。白木よ、自分で行け!結局白木は大きな器の妻に甘えていたって事。最後死ぬ時は妻とみはるに看取られて死ねたんだから、本人は幸せだったよね。
映画ではひたすら耐える良い妻だったけれど、実生活の広末さんは奪い取った側。真逆だから皮肉だなあ。まあ、人としてはどうなんだろう〜とも思うけど、犯罪者ではないので、せっかく素敵な女優さんなんで、辞めないでほしい。
みはるが冒頭一緒に暮らしていた男性は、「夏の終り」での男性と同じ人物?それにしても瀬戸内さんも自由奔放ですね。
豊川悦司も寺島しのぶもハマり役。この2人以外思いつかない。
ここまで愛されたら幸せだな
作家とその妻と愛人、よくある三角関係で愛憎渦巻く話かと思ったら、妙に爽やかな感じなのが不思議だ。
おそらくこの妻がなんともいえない雰囲気がある。
浮気ばかり繰り返す夫の尻拭いまでするのだが、これは夫は自分がいないとダメだという自負が支えている気がした。そして愛人も、2人の関係を尊重するからこそ、生きながら死ぬ、出家という選択をするのだ。どちらかが死なないと別れられない、男が死んでしまうのは嫌だ、だから出家する。究極の愛があった。
臨終の床でその2人に看取ってもらうなんて、めちゃ幸せな男だなぁと思った。
瀬戸内寂聴役の寺島しのぶ、素晴らしかった。
映画としては、星5つなのかもしれないけど。
作家・井上光晴と瀬戸内寂聴をモデルにした小説の映画化。
その小説は、井上光晴の実の娘さんが書いたんですね、非常に驚きました。
小説家、特に昔の人は、自分をモデルにして、実体験をもとに書くという
人が多かった。疑似体験では、いい作品は書けないと言って、
この映画のようなことを繰り返すわけですね。
まあでも冷静に考えると、それはただの言い訳。小説家という立場を
利用して、好き勝手やってるわけですよね。
大先生二人に向かって失礼かもしれないけど、この二人も、そう。
どっちもどっちだし、性欲のかたまりにしか見えなくて、イライラしました。
それを、見事に描いてるわけなので、映画としては素晴らしいと思います。
主要人物である3人の演技も、すごい。
鬼は本当はどちら側に?
<映画のことば>
「あなたは、私への情熱なんてもうないんでしょ。どうすれば終わりにすることができるか分からないでいるんでしょ。」
「情熱をなくしたのは、そっちの方じゃないのか。」
「そうかも知れない。」
お互いに小説家という、芸術家として、何よりも(文学的な)美や真理を第一として追い求めるということでは、必ずしも社会の既成概念には束縛されない長内と白木の二人のことですから、情念の赴くままにお互いがお互いに関係性を求めるというのも、察するに難くはないと思います。評論子にも。
自分にも講演会出演の仕事があると偽って白木が出向いた京都のホテルの長内の部屋での「抱きに来た」「待っていたわ」という会話が、何よりも雄弁にそういう背景を物語るのだろうと思います。
そういう関係性の二人だからこそ、なおのこと常に「あちら」の側に、追い求めている自分の欲求を阻害する鬼はいるものだと考えたのでしょうし、市井の生活をしている評論子らも、人はそう考えがちということなのでしょう。
その醜さに気づいた長内は出家を決心し、また自身の醜さにも気づき始めていた白木は、そう言う長内を引き留めもせずに「そういう方法もあるね」と受け止めたのだと、受け止めました。
そして、そういう受け止めをしてみると(無責任に長内を引き留めずに)「そういう方法もあるねと言ってくれたあなたは、私たちの付き合いのなかで、今いちばん誠実なのかも知れない」と返した長内の心情も、素直に理解ができるように思います。評論子は。
結局、本作の邦題の意図(意味)は、そんなところにあったのでしょうか。
また、本作は、寺島しのぶ、広末涼子のお二人の女優さんの演技が出色の一本でもあったと思います。
前掲の映画ことばの会話シーンの際の長内の鬼のような険しい表情、自宅で来客(白木の原稿を扱う編集者?の二人)か、白木と関係のあった初子の非業の死を話題にしたときに(来客からは見えない)キッチンに向かっていた笙子の、やはり鬼のように険しい表情は、評論子は、きっと永く忘れないだろうと思います。
加えて、長内(寂光)から、今ここにいるあなたは笙子の何の使者なんだろうと問われたときの白木の、やはり鬼のような険しい表情も。
地元有志による上映会で取り上げる作品ということで鑑賞した一本になります。本作は。
予備知識もなく、そんな偶然?で鑑賞することになった一本ではありましたけれども、佳作であったと思います。評論子は。
鬼のいる間に
瀬戸内寂聴と作家の井上光晴。
不倫関係にあった二人をモデルにした小説の映画化。
驚きなのは、著者は井上光晴の娘で同じく作家の井上荒野。つまりは、親の不倫話を娘が書く。
普通に考えればスキャンダラス。でもただの下世話な暴露話にならなかったのは、監督・廣木隆一と脚本・荒井晴彦の手腕、そして役者の魅力によるものだろう。
あの瀬戸内寂聴を演じる。(正確には寂聴をモデルにしたみはる)
個性的で、波乱万丈の半生を体現しなければならない。相当の難役。
一人の女性としての愛の遍歴、出家に至る覚悟。坊主頭さえ様になる寺島しのぶの好演。
井上光晴をモデルにした白木。妻子ある身でありながら、不倫。しかも堂々と臆する事なく。
よほどの厚顔無恥なのか、自分に正直なのか。
そんな男の色気、ちょいちょいの傲慢さや滑稽さや哀愁を、豊川悦司が滲ませる。
幾度も共演経験がある二人だから出せる絶妙な雰囲気、関係性。
キャストで大金星は、広末涼子だろう。
白木の妻、笙子。良妻賢母。
夫はそんな奥さんを裏切り…いや実は、妻は全てを知っている。夫の不倫、その相手。
全てを知りながら、夫と家庭を続け、時には相手とも会う。
どんな胸中であっただろう。全て容認の懐深さ…だけではなかろう。複雑な胸中も秘めていただろう。妻として、一人の女性として。
離婚するのは簡単。が、自分が選んだ人生を共にすると決めた伴侶。見捨てるんじゃなく、支え、添い遂げる。その覚悟。(何だかいつぞやの、愚夫のあんなゲス浮気があったのにも関わらず、離婚せず添い遂げ続けている佐々木希を彷彿させた)
おそらく主演二人より遥かに難しい役所。それを見事に演じ切った。広末はまだアイドルの時から見ているが、いい女優さんになったなぁ…。
みはると白木の不倫愛だけに留まらない。
二人と、白木の妻。その不思議な関係。
なかなかに理解し難い関係。
だからと言って一概にヘンとは言い切れない。
この3人だけの特別な関係。
こんな言い方が合ってるかどうか分からないが、みはると白木も“健全”な不倫関係ではない。
お互いにお互いだけではなく、白木は他にも女性が。
みはるも同棲しているパートナーが居ながら白木と不倫。ある時知り合った年下の男と関係を持つ。
白木は他の女性と関係したくせに、みはるが他の男と関係したと知るとあからさまに不機嫌に。
どっちもどっち。
それでも元サヤに戻り、関係続けるのは、お互いにとって不可欠な存在。
作家としてのインスピレーション、己の人生への影響。
みはる…即ち寂聴が出家したのも井上の影響と言われている。彼との関係の精算。
自分の人生の大局面に、彼がいた。
本当は不倫という関係ではなく、人生共に添い遂げたかったのだろうか…?
しかし、それは叶わない。あちらには“鬼”がいるから。
自分たちの関係を知りつつも、離婚せず、この関係を続けていく。
寛容なのか、それとも本妻として肝が座っているのか。
一方の笙子もあちらの“鬼”をどう思っていたのか。
言わば、自分から夫を奪った“鬼”。
しかし何故かこの鬼と親交を深めていく。臨終の時も二人で。
この鬼が持つ人を虜にする不思議な魅力なのか、どうしようもないけど愛おしい同じ男を愛した何か共通するものが分かり合えるのか…?
忌み合うより相手を受け入れる。好きにさえなる。
鬼のような強か。
一筋縄ではいかない関係が、男と女!
瀬戸内寂聴と井上光晴
瀬戸内寂聴と井上光晴をモデルに、井上の娘が書いた小説の映画化で、それぞれ寺島しのぶと豊川悦司が演じる。
小説家として知り合った二人は妻子がいたにも関わらず、不倫に走る。
瀬戸内は夫とすぐに別れるが、井上の妻(広末涼子)は全く気にしない。
一番印象に残ったのは広末涼子で、静かだが確固とした信念が感じられた。
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