EO イーオーのレビュー・感想・評価
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【人間の愚かさをロバの視点から描いた、超シニカル・ロバ・ロードムービー。道中会った、伯爵夫人を演じたイザペル・ユペールが魔女の如く怖いです・・。】
ー ご存じの通り、ロバと言えば愚鈍の象徴である。だが、今作はそのEOとサーカス団で名付けられたロバの視点から、人間の愚かさを喝破した作品である。-
■サーカス団から”動物愛護”の名の下、連れ出され放浪を余儀なくされるEO。人間の愚行と暴力に満ちた夜の街や山で、屡命の危険に晒される。
◆感想
・鮮烈な丹や、ダムの前でのシーン等可なりアーティスティックな作品である。
・だが、スコリモフスキ監督のメッセージは冒頭のシーンで直ぐに分かる。
ー 動物愛護の名の下、サーカス団を解散させるときに、わざわざ写真を撮らせるお偉いさんたちの姿。-
・サッカーで贔屓のチームが勝った事に喜ぶ人達に、偶々いただけなのに、宴会場に連れていかれて、挙句の果ては相手チームのサポーターの殴り込みを受け、EOも傷つくシーン。
・EOが殺処分された狐たちを運ぶシーン。突然止まったEOは係の男の顔面を蹴り、男は失神。だから、要諦類の後ろに居たら、駄目なんだって!危ないから!
■伯爵夫人を演じたイザペル・ユペールが息子に対し、接するシーンは怖かった。皿を割りながら、息子を責めるイザペル・ユペール。いやあ、堪りませんな。
<ラストのテロップが、コレマタシニカルである。
”この映画は動物と自然の愛から産まれました・・。”
嘘つけ!
今作は、愚かしき人間の数々の行為をロバ目線で描いたロードムービーなのである。>
<2023年7月2日 刈谷日劇にて鑑賞>
愛玩動物ではないがゆえに
動物放浪映画は数あれど、大抵は元の家族のところに帰るだとか、新しい居場所が見つかるというストーリーの縦軸がある。本作にはそれがなく、eoは常にアテもなく転々としている。
eoの立ち回り先で垣間見える人間模様を、オムニバス的に繋ぐのが彼の役割なのかも知れない。
経済動物であるが故、放浪していればすぐに人間に拾われ自然の厳しさに晒されることはないが、その身柄はやはりど不安定。必ずしも愛情や親切で拾われるとは限らないeoの役割を、犬や猫のではなく「ロバ」にしたのは絶妙なチョイスだと感じた。
ロバの瞳に映るもの、映らないもの
ただ生きる、その崇高さ、美しさ。
(人)生にストーリーは なくても良い。
映像だけで、眠っている本能が覚醒する、ガツンときた。
世界は厳しくて、優しくて、美しい。
時折挟まれる死の描写。
それは、生あるものが、等しく背負うもの。
ならば何も背負わず、ただ今を生きれば良い。
人間は愚かで、だけど他者を愛する事が出来る。それは物凄い才能だ。
人間の身勝手さが際立つ
ロバのロードムービー
無口なEOに対して人間の身勝手さがより際立つ。
動物がたくさんでてくるが、どれもEOを未来を暗示するかのような不安な描写。
心象風景のような映像と派手な音楽も相まって独特の雰囲気の映画になっている。
ラストの絶望感が心に残る
馴染みはあるのに実物を見ない
wikiでも記載されていたが、日本では200頭という説もあり、多くとも数百頭位だろうと言われているそうだ にしては、小さい頃からよく登場している動物である グリム童話や、ピノキオ、ロバ君、王様の耳はロバの耳、そして、びっくりドンキー等々w 家畜としては懐かないというデメリットを克服すれば、燃費と耐久性がよい、高性能な動物とのことらしい そんなロバがサーカスで飼われていた飼主の女性と離ればなれになり、数奇な運命を辿り、その先には人間のご都合主義の犠牲になったという哀しい寓話である
映像、音声とも、迫力ある演出が散りばめられている レーザー光線や、四脚ロボット等の未来映像も差込まれたり、主人公のロバ、馬やその他家畜の嘶きや鼻息、その発せられる自然の息吹が大胆にスクリーンに映し取られる 人間の都合に依る流転の旅は、それ自体が死の匂いを充分纏わせながら、しかしその運命のギリギリなキワを逸れ続ける強運さは強引なストーリー展開とはいえ、推進力として面白い 行く先々で手痛い巻き込まれに会いながらも、しかし一矢報いるシーンもあって、主人公の意志が観客に染込んでくる 勿論ロバにはそこまでの意識はないから、そう映るだけかもしれない でもそこを演出として編集する監督の伝えたい意図は充分感じるのだ
人間の愚かさや自然の美しさ驚異を、あのつぶらな瞳に映し続ける事で、観客は理不尽で厳しい、しかし運命のダイナミックさを体感できるのではないだろうか 主人公は唯々、飼主であり、パートナーである女性に逢いたかった しかし彼女は男の方を選び、そして主人公は牛と一緒に屠殺場へ・・・ なんと人生の苦みが迸る、辛いエンディングだろうと、その逃げようのない循環構造に、唯々自分の人生を重ね合わせるシンクロ性の高い作品であった
素晴らしい
スコリモフスキーは超人だ。キレッキレのショットと熟練技で、現代の最先端の映画を見せてくれた。現役バリバリの85歳。
「生き返る芸」を披露するサーカスを上から映し、その円環から“EO”の文字が現れるオープニング。EOの瞳の大写し。空中散歩をするようなドローン映像。動物を人格化せずEOの目線で世界を見る、こんな映画は初めてだ。
神は実に様々な形で存在する。宇宙や太陽、流れる透明な水、風、空を飛ぶ鳥、森の生き物、家畜や人間。万物はそれぞれが神が表現する様態のひとつだ。可愛いEOの無垢がそれを見事に物語る。
神は“自然の法則”そのものだから、超能力のような仕方では存在しない。宗教も奇跡も、サーカスの芸と同じでインチキだ。
そして人間は、インチキな神や王のように、動物たちにポジションをわりふって支配しようとする。
誰もかれもが抜きつ抜かれつ一方向に走り続けさせられる虚しい人間社会。科学の発展も止まることを知らない。人間の営みも自然方則のひとつだとすれば、もはやなすすべもないのか。
人間たちに酷い目にあったときにEOが見た4本足の機械の幻覚は、地上から動物がいなくなってしまい、機械が代用品として動き回る恐ろしい世界のイメージを思った。
動物愛護
主役は、人間の娯楽の為サーカスで酷使されていたロバです。
この映画はロバの視点で描かれます。
毛皮の為や狩りで殺されるキツネ、トラックで屠殺場へ運ばれるブタ…
心が、綺麗だったら、優しかったら、感じるはず。
撮影に使われたキツネは、毛皮農場から救いだされたキツネだそうです。
人間が着飾る為だけにキツネを殺すなんて腐った行為、毛皮なんか着たって心が腐ってるのに。
最後エンドロールで、
“本作は動物と自然への愛から生まれました
撮影で、いかなる動物も傷付けていません”
と出ます。
撮影中、動物達がストレスを感じず楽しく快適に過ごせるよう、獣医がケアし、適切な休憩を取り、気を配ったそうです。
本当に動物を虐殺した、最低最悪ゴミクズ映画『食人族』とは大違い。
ほのぼのと凄惨と。
赤の光が点滅する世界はEOの記憶なのかなぁ。赤の光ではないけど心象風景みたいな映像もあってあれらはなんだったのか…
サーカスが破産して、動物愛護団体にサーカスは責められ、EOを可愛がってくれた女の子と別れさせられ、EOは馬がいっぱいいる牧場に連れて行かれる。そこで馬が何頭か叫びまくってて、EOが棚倒して多分売られた。次はロバばっかりの牧場で、EOはニンジン食べないしなんか一人にされて外に繋がれてたら、サーカスの女の子がにんじんマフィンを持ってきて誕生日を祝ってくれた。でも、彼氏と去ったので、EOは柵を壊して女の子を追った。車に轢かれかけたので森に入ったらなんか野生動物でおどろおどろしかったけど、レーザーポインター的なのが光って、オオカミ?がEOの近くで撃たれた。人間のが怖かった。
で、夜があけてどっかの町のガラス越しに水槽みて叫んでたら消防車的な車が来て、防火服みたいなん着てる公務員的な二人に確保され、消防車的な車に連れられたけど、酔っ払いに綱外され一人で彷徨ったら、草サッカーの試合にでくわし、なんか勝ったチームのサポーターに勝利の神扱いされて、パーチーに連れて行かれたけど、負けたチームのサポーターにパーチー会場が襲われて、EOも、怪我させられる。
どうやら一命を取り留め、治療され、今度は狐みたいな動物を感電死させる(毛皮採取される動物かと思ったがわからん)施設で働かされる。音だけだけどギーギー鳴いてる狐的な動物がビリビリ音で黙らされる演出はきつかった。EOもきつかったんやろうね、飼い主の人間蹴っ飛ばして多分殺した。
人を殺したからか、わからんけど馬たちと一緒にEOは車に積まれた。サラミにできると言われているから、馬もEOも食肉にされる体なのかも?ギャンギャンうるさいロケンロールを流す運転手が、ガソリンスタンドで見繕いして(脇を手で拭き上げてデオドラント塗り込むのでケアしたことなるんか疑問)後ろからついてくる女の人を食べ物で車に連れ込む。
ポーランドの食べ物があると英語で言ってた。どうやらイタリアに入ってたらしい。ついてきた女性はアフリカ系。地中海渡ってきたんかな?食いもん与えてセックスどう?とゆったら女性は逃げた、下卑た感じでザーンネンって運転手が独りごちたら、いきなり喉を切られた。さっきの女性に!びっくりした!
で、車が壊れたイケメンが、殺人現場で繋がれてるEOを気に入って、家に連れて帰った。その道すがら、これまで肉を食べた、サラミも食べたとゆってたから、ロバをサラミにするのは一般的みたい。知らんかった。
んで、イケメンはなんでか聖職者らしくて、いきなり出てきたイザベル・ユペールの前で儀式?をしてた。どうやらイザベル・ユペールはイケメンの父の後妻?っぽかった。イケメンはなんでか仕事クビになったっぽかって、その理由を全然言わんのやけど、いわんままユペールの頬から耳、首に触れ、顔を近づけたので、禁断の愛的なやつなんやと思う。
EOはイケメンの家(豪邸)の庭で、草をはんでいたが門が開いているのに気づいて、出ていってしまった。そして、牛の群れに紛れてしまって、なんでかついていったら、どうやらこれから屠殺される牛の群れだったらしく、大きな切断音的な音で映画は終わった。
多少間違ってるかもだけどあらすじはこんなんだった。間の赤白点滅と、よくわからん丸いところを馬の走ってる映像とかがあった。セリフ少なめで時々眠くなったけど、急に誰かが死んだり殴られたりするからそこで目が覚めた、の繰り返しだった。人間蹴っ飛ばして死なせたところからは眠くならなかった。
ロバってぬいぐるみみたいに毛がホワホワしているんだなぁと思った。近くで見ても思うかはわからないけど、可愛いなぁと思った。
ぽてぽて歩くEOはかわいかった。でもあの子が何考えて何を求めてたかはわからんよね。
つか、ロバを媒介にして、描いているのは人間だから。EOは(演じた実物のロバはいるだろうけど)現実にいるロバじゃないから。人間の作った世界を映す何か、だもんね。
人間の美醜を見せたんだと解釈した。
人間って勝手よねって思った。
穿った見方なのかもしれないけど、動物愛護って、肉を食べるなってことを含んでいるのかな?って思った。
わたしは肉食をやめないと思う。美味しいし。肉だけ食べたいわけではないけど、肉も魚も食べ続けると思う。それが虐待と言われると、否定はできないけど、生き物が生きるって、他の生き物の生命を喰らうってことを含むんだから、動物愛護を完成するためには人間は滅びますってことじゃないの?
動物は食べちゃダメで、魚はいいの?植物は?命を喰らわず何食べんの?人類は存続させたい、でも動物は食べちゃいけないって何なん?何したいん?って思う。
そんなかんじで、肉食否定を掲げられてるのだったら、受け入れ難いなぁ。勉強不足なだけかもだけど。
ドラマチックなロバの目を通して見る人間は
ロバは愚か者を表すことが多い気がするが、本作を見るとそんなことはない。ロバの憂いを帯びた表情、目に引き込まれそう。
サーカスで暮らしていたが、あちこち連れ去られ、様々な人に出会う。
人間の良い面もあるが愚かな面が多く描かれている。EOの体験する人間の独善的な正義や、不条理さは観ていて辛かった。
ラストもなんでよ〜とちょっと嫌な気持ち。
動物に、そして人に優しくあれ
ポーランドのイエジー・スコリモフスキ監督の7年ぶりの新作。
ロバの目を通して人間の愚かさを描くということでブレッソンの『バルタザールどこへ行く』を思ったがテイストは全く違った。
こちらはインパクトが強い映像と音でグイグイ押してくる感じ。圧が凄かった。
だだしブレッソン作品の淡々とした容赦のない悲劇に軍配が上がった。
およげたいやきくん
その昔、「およげたいやきくん」という歌が流行って、それを初めて聞いたときの物悲しさを思い出した。
人間にとってのロバは、使役するか、(頻度は低いが)ペットにするか、食肉にするか。その3つしかない。
ロバのロバ生は、自ら進んで選べるものではなく、遭遇する人間次第で決められてしまう。サーカスでは使役、相棒のカサンドラに愛される幸せな生活だったが、別の、「人」の手でその生活を奪われる。
人にされるがままのEOが、カサンドラのところに戻るべく、自らの意志で旅に出る、広い世界に出ていく。
だが、行く先々でも、会う人次第で境遇が変わり、最後に託された人の選択は「食肉」。
たいやきくんは、自分の意志で広い海に出ていくが、結局人に食われる。
しょせんたいやき、たいやきとはそもそも食われるために存在する。
ロバも、ロバである限り食われるもの。
どうあがこうと結局持たされた役割の通りになっていく(当然に!)、という摂理が哀しい。
EOが、つぶらな瞳が可愛いおとなしいロバさんなので、なおさら哀愁がつのります。
イエジー・スコリモフスキ監督が意図したことかどうか分かりませんが。
EOが放浪する中で、様々な「人が生き物を殺める」バリエーションが出てくるが、虐待目的でしているもの以外は簡単に善悪に区別はできない。ニンゲンも生きているからには害になるものは排除が必要だし、食料にするためにそうする必要もある。生産農家は家畜の命をいただくのが生業だ。どれなら許せてどれが許せないか、当事者でなく、切実でもない人たちが線引きすべきではないと思う。
あの人のもとへ。
共に過ごしたカサンドラ(女性)と離ればなれになってしまうEO(ロバ)の話。
サーカス団の男一人がEOに荷車を付け荷物を運ばせてた処を動物愛護団体に見られ動物保護としてEOを連れていかれてしまいカサンドラと離ればなれになってしまう、カサンドラとの再会を夢見るロバEOの冒険ストーリー。
カサンドラを求めてEOの旅というストーリーは嫌いじゃないんだけど途中のサッカー試合後の酒の席の乱闘や、EOの荷台に乗せてたトラックの運ちゃんの首を切られる描写はちょっと個人的にイヤだったかな、ストーリー上しょうがないにしても。
あと基本動物好きな私なんですが、EOがバットで殴られるシーンはいくら作品とはいえ観ていて気持ちのいいものではなかった。去年、一昨年に公開された「ハウ」って作品を思いだしてしまった。
ラストのシーンの牛に紛れてEOはどうなったんですかね?
青と黒も勝利を掴んでほしいなぁ…
人間が犯すありとあらゆる愚行を嫌という程見せつけられる訳だが、それを擁護も糾弾もせずロバ目線で淡々と描写し、人間が何かやらかす度に憐憫・軽蔑・驚愕など様々な表情を見せているようにうまく撮影されていて,こいつはちょっと一本取られましたな。
他評者も御指摘の通り、音楽と音響効果が独特で、実時間と体感時間が乖離したような不思議な体験をさせて貰った。
動物もさることながら、演出が魅力的
動物を通じて人間の滑稽さを描くというテーマから惹かれるわけだが、それ以上に映画として印象的な作品だった。
派手な照明、カメラアングル、演出など、動物が話せない以上に映像で表現している割合が多く、どれも芸術的なものだった。
すべてを理解できているわけではないが、単に人間を愚かに描くのではなく、良い人悪い人、いろんな人がいて。
最後はわかりやすいし、想像できるが、あっけなさもある。
2023年劇場鑑賞69本目
オルタナティブな世界に酔う
好き。入り口が「アレ」だからこそのあの「出口」、素晴しいや。そしてイーオーの可愛さたるやね。ちょっとだけ「LAMB」を片隅に置いていたので、思いの外ストレートで安心しました。人のエゴという都合を淡々と描いた快作だと個人的には思います。点数は受け入れられ難そうだからガマンしました笑
人間とロバ
イエジー・スコリモフスキ監督作品は『エッセンシャル・キリング』というものを10年以上前ミニシアターで観た。アラブ人テロリストが逃走するシーンを一切のセリフなしに描いた作品だったが、今回もロバが主人公ということで、そもそもセリフが少ない。監督いわく、ロバの目を通して人間のおかしさや愚かさを描いたという。
ロバはよくウマと比較されるようだ。ウマは社会性があり、繊細であるのに対して、ロバは新しいことを嫌い、唐突で駆け引き下手で、図太いといわれる。ロバには頑固で気分次第で動かなくなるような融通の利かないところがあるため、西洋においては愚鈍さの象徴とされている。騎士はウマに騎乗し、富農は牛馬を育て、ロバは貧農が育てていた。この映画ではEOが動物愛護団体によってサーカス団から引き離され最初に連れてこられる厩舎でウマは大切に扱われるのにEOは邪険にされるというシーンが描かれていた。
その後、農場、サッカー場、ドライブイン、司祭の自宅など場所を転々とする中で、動物愛護法によって守られるはずのEOが逆に人間に弄ばれるという様相を呈していく。そして、最後は屠殺場へと導かれる。セリフも発することなく、内面を代弁するナレーションもなく、EOはいつもその大きなつぶらな瞳で人間社会を観察している。その佇まいがなによりも雄弁であった。
ウマと比べて虐げられているロバであるが、粗食にも耐え、厳しい環境下で働くことができ、また力も強いという立派な特性もあるらしい。EOの瞳が憂いを帯びているのは人間に使役され続けたからなのか。なにか自分もEOに見られているようで、身を正さなくてはいけないという気持ちになった。
彼(ロバ=EO)を通して自分を見つめる(光点滅注意)
映画の冒頭で光の点滅について注意がされていたが
今までの注意で最も注意しないとだめだと思った
冒頭から激しい赤の点滅で目を閉じてしまった
作者は彼(EO)が主役と言い切っているので
それに踏まえないといけないが
優しかった彼女との別れ
流されるように生きるEO
黙って働くEO
そして・・・
流されるように生き、そして働く
身につまされる感覚がありました
結構インパクトあります
*ちなみにEOの他に代ロバ?が5頭いて
皆カワイイです
オーイ!
大作『TAR』(158分)を見た後だと、上映時間たったの88分という本作のスケールの小さがやたらと気になってしょうがない。長けりゃいいというわけでもないが、内容的にも本作はかなりスカスカだ。オマージュ元の『バルタザールいきあたりばったり』は、主人公のロバ君に悪逆非道の限りをつくす人間の愚かさを、ブレッソンらしく宗教的演出で描きあげた作品だ。バルタザールのしっぽに火をつけたり、お尻の皮が剥けるほどムチで何度も打ちつけたり.....今の時代、そんな演出をしようものなら一発アウト。動物愛護団体からの即クレームで上映禁止のおとがめを食らうこと必至なのである。
では、ポーランドの巨匠イエジー・スコリモフスキーがロバのEOに何を見せたかというと、現在のポーランドが抱えるいろいろな社会問題である。くまのプーさんに出てきたロバの名前が確かEOだった。ロバ特有のいななき「イーオー」から名付けられたと思われるのだが、本作のEOにはおそらく別の意味が被せられている。EUに加盟したポーランドという意味を別途背負わされているのではないだろうか。ポーランド国旗をイメージさせる“赤”を基調としたライティングが、尚更そう感じさせるのである。
お約束の動物愛護団体の反対でサーカス団から解放されたEOは、そこでサラブレット(特に葦毛)たち=EU先進国から差別的待遇(LGBTQ差別国家としてもポーランドは有名)を受け脱走。「青と白(ウクライナ侵攻のロシアに対する抗議シンボル)が俺たちを強くする」と歌うサッカーチームのマスコットにされるが、親ロ派と思われる敵チームの襲撃を受けEOもついでにボコられてしまう。ウクライナを指示するポーランドが、ロシアを指示するハンガリーよりも逆に困窮している現実を反映したのだろうか。ここで登場する○○○○○EOがなんとも不気味。頭の欠損したその姿は、思考を捨て悪の凡庸に染まってしまったポーランド人を揶揄したのだろうか。
再生可能エネルギーとして期待されている風力発電の羽根にあたって野鳥が激突死、森にすむ狐たちは密猟のターゲット。そんな環境破壊への懸念や、外国からの移民流入によりポーランドの治安が悪化する様子を、荷台につまれたEOはつぶらな瞳でただ静かに見つめるのである。そして問題は、フランスの名女優イザベル・ユペールとイタリア人俳優ロレンツォ・ズルドロが登場するシーン。なぜかここだけ他とはまったくトーンが異なっていて、映画の雰囲気を目茶苦茶にしてしまっているのだ。
おそらく、出資を受けるにあたり2人をキャスティングすることが前提条件だったと思われるのだが、ほとんど気合いの入っていないユペールの演技もさるとこながら、これほど本編から浮いているシークエンスが含まれた映画というのをこれまであまり見たことがない。加盟はしたもののどことなくEUから浮いた存在のポーランドのメタファーというわけでもないのだろうが、何をどうしたらあんなどうでもいいシークエンスをぶちこもうなんで気が起きるのか。皆目検討がつかないのである。
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