「エロスの汐」別れる決心 Fractleさんの映画レビュー(感想・評価)
エロスの汐
『オールド・ボーイ』や『お嬢さん』を撮ったパク・チャヌク作品とは思えないくらいに,性や暴力の描写が影を潜めている。しかし,その欠如が逆説的なことに観客の想像力を刺激する。ジョルジュ・バタイユは『エロスの涙』の中で,「エロティシズムは禁忌と侵犯の中にあり,それは死と切り離せない」と言っているが,今作では刑事チャン・へジュン(パク・ヘイル)と容疑者ソン・ソレ(タン・ウェイ)がその境界を侵そうとする。刑事と容疑者という関係を超えるのは「禁忌」である。その禁忌を侵犯しながらヘジュンとソレは互いに惹かれあっていくが,母語が異なるという点が二人の関係を発展させる動機になるプロットはコミュニケーションの本質を抉り出していると言えるだろう。十全なコミュニケーションが成立しないからこそ「相手のことをもっと理解したい」と思う気持ちが亢進するからである。物語が進んでいくと,容疑者ソレのアリバイが崩れ,彼女への嫌疑がヘジュンの中で確信に変わる。ヘジュンはソレを逮捕しないが,事件は彼の中で「解決」し,刑事と容疑者という2人の関係は終わってしまう。しかし,彼と別れたくないソレはある覚悟を決める。夕暮れ,海辺でソレの名前を呼び続けるヘジュンの姿がある。が,彼女は見つからない。ソレは観客が見てる前で浜辺に穴を掘り,その中にそっと身を沈めているのだ。あたりは暗くなり,汐が満ち,海水がソレの横たわる穴を侵していく。その後,カメラは視線をソレから逸らすため安否は不明だが,結果的に行方不明となった彼女は自身が「未解決事件」となった。刑事であるヘジュンは対象である彼女を永遠に記憶することになるだろう。それが復讐か愛かというのは難しい問題である。しかし,映画を見終えた私の脳内からは,刑事と容疑者として手錠で繋がれた二人の姿が焼き付いて離れなかった。