「映画は終わっても、物語の迷宮からはしばらく抜け出せそうになることでしょう。」別れる決心 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
映画は終わっても、物語の迷宮からはしばらく抜け出せそうになることでしょう。
刑事と容疑者が、男と女としてひかれ合う。いかにも陳腐な話が、パク・チャヌク監督の手にかかるとこれほど面白いのかと驚きました。
サスペンス、ブラックユーモア、ミステリー、ハードボイルド、アクション。様々な顔を持ちながら、それらはすべて切なく出口の見えない大人のロマンスに収束されていく。練りに練った脚本と凝りに凝った編集、そして巧妙な語り口。まさに鬼才の逸品です
。
「オールド・ボーイ」など、暴力や官能描写が際立つ刺激的な作品で名高い人ですが、今作では「古典的スタイルの映画」を志向したというのです。
物語は、ある男が岩山から転落死する事件で始まります。男の妻ソレ(タン・ウェイ)が夫の死に全く動じないことに、刑事のヘジュン(パク・ヘイル)は疑念を抱きます。
取り調べが進む中で、お互いの視線は交差し、それぞれの胸に言葉にならない感情が湧き上がってくるのです。いつしかヘジュンはソレに惹かれ、彼女もまたヘジュンに特別な想いを抱き始めます。やがて捜査の糸口が見つかり、事件は解決したかに思えました。しかし、それは相手への想いと疑惑が渦巻く“愛の迷路”のはじまりでした。
妻がいて仕事熱心。生真面目に生きてきた刑事が、美しく謎めいた女に魅了されて深みにはまってしまいます。運命の女に人生を壊されていくのです。
女のアリバイを刑事が崩そうとする推理劇的な面白さもあります。情感たっぷりの韓国歌謡が流れ、韓流フィルムノワールとしての見どころは多いとは思います。ただそれだけではありません。細部が実に面白い!
例えば、何げないセリフが後になって重要な意味を持ってくるのです。セリフに限りません。刑事の革靴、ポケットに入れたリップクリーム、取り調べのときに出前でとる寿司、スマホの翻訳ソフト、緑にも青にも見える女のドレス。
それらは繰り返し登場し、場面によって意味が変わることで、愛の迷宮に入り込んでしまった2人の複雑な心模様を雄弁に物語るのです。その見事さに舌を巻きました。
なかでも中国出身で韓国語が苦手な女との言葉のすれ違うところは出色です。
本作の主人公たちの間で重要な役割を果たすのが、「言葉の壁」です。もともとは、中国出身のタン・ウェイを起用するために生まれた設定だったそうですが、見事に物語に活かされたと思います。
パク監督は、「言葉の違いは、大きな障壁だが、逆の効果もある。相手が言わんとしていることがよくわからないからこそ、きちんと耳を傾け、表情にも注意を払う。不慣れな言語を使うことにより、言葉遣いに独特のユーモアや感動が生まれたりもする」と解説しています。
特に、翻訳アプリを使う場面では、相手が言葉を発してから、その意味がわかるまでの「時差」が劇的な効果をもたらしたのでした。
さらに本作では「マッチカット」という技法を効果的に用いています。
連続していない二つの場面を同じような映像でつなぐ手法を「マッチカット」というのです。例えば、ジャングルの猿の目の大写しから、都会の人の目へと場面をつなぐような場合です。
この作品ではマッチカットに次ぐマッチカットが続きます。それが、そこはかとないユーモアや笑いを生んでいるので、鮮やかな対比を見せて、物語をリズミカルに進展させるのです。
あり得ないアングルだったり、現実と想像が入り交じっていたり。話は深刻でも、刑事の心の中を視覚的に表現する映像は奇妙でおかしかったです。
事件の捜査が終わると刑事は女と別れます。しかし第2の事件が起こって再会するのです。破滅に向かって進むしかない2人の恋の行方は切ないものでした。ラストは暮れゆく海辺の風景。映画は終わっても、物語の迷宮からはしばらく抜け出せそうになることでしょう。