「【”弱き民族が更に弱き人たちを差別し、排斥する。”今作は民族間対立の根底に潜む格差と差別意識と狂気を小さなルーマニアの村を舞台に描いた作品である。】」ヨーロッパ新世紀 NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”弱き民族が更に弱き人たちを差別し、排斥する。”今作は民族間対立の根底に潜む格差と差別意識と狂気を小さなルーマニアの村を舞台に描いた作品である。】
■出稼ぎ先のドイツで、雇い主からジプシーといわれた事で、暴力で反撃し首になったマティアスがルーマニアの寒村に帰って来る。
妻アナとの関係は冷え切っていて息子のルディは通学途中の森で”何か“を見て以来、口がきけない。マティアスは、仕方なく元恋人のシーラの元を訪れ、最初は拒絶されるが、直ぐに関係を持つ。
だが、シーラが責任者を務めるパン工場が、人手不足のためにスリランカ人を二人雇った事から、小さな村に波紋が広がって行くのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・冒頭のシーンから、この映画は”民族間対立の根底に潜む格差と差別意識と狂気”を延々と映し出していると言っても、過言ではない。
・マティアスと言う男も、息子ルディに対しては”男らしくあれ!”と接し、猟銃を持ち歩く古い思想の男だが、そのルディがドイツ人に差別されるのである。
・村では医者が”外国人が新しいウイルスを持ち込む”と非科学的な主張を平気で述べるし、民族間対立に全く動こうとしない教会の聖職者の態度も、何とも名状しがたいが、これが現代ヨーロッパの経済的小国ルーマニアの実態なのであろうか。
村には若者が居ない。皆、海外に出稼ぎに行っているからである。
そこに、スリランカから最低賃金でパン工場に2人がやって来る。工場長の女性は、それがEUの補助金を得る為と説明をするのである。
■見せ場としては、終盤に村人たちが公民館と思しき所に多数集まり、論戦を交わすシーンである。スリランカ人が作ったパンは食べられないと主張するルーマニア人達。では、彼らを辞めさせたら誰がパンを作るのか、誰も意見を述べないのである。
ここでは、各人が経済的弱者のルーマニア人や国内で更に少数のハンガリー人達が、更に経済的弱者の言葉の通じないスリランカ人を差別・排斥しようとするのである。
それは、ヨーロッパでは比較的立場の低い彼らが、更に立場が低い出稼ぎにきた弱者を叩く事で、自分達の優位性を保とうとしているように見えるのである。
繰り返し書くが、差別・排斥しようとする意見を述べるのは、出稼ぎに行っていない高齢者たちである。
”井の中の蛙大海を知らず”の典型的なシーンであるが、この風景がヨーロッパの田舎では、普通なのであろうか・・。
ー このシーンは、レイシストたちが跳梁跋扈する現代世界を容易に想起させるのである。ー
・ラストシーンも、意味深である。
父が森の中で縊死したマティアスは、妻と息子が実家に帰り、再び猟銃を持って彼の元を去ったシーラの家を訪れるのである。
詫びながら逃げるシーラに発砲するマティアスだが、そんな彼を森の中の多数の熊の被り物をした人たちが“幽鬼のように浮かび上がり”彼を見るのだが、彼らはマティアスを襲わないのである。
ー このシーンは、マティアスも”加害者”であるというメタファーであろう。ー
<今作は民族間対立の根底に潜む格差と差別意識と狂気を小さなルーマニアの村を舞台に描いた作品なのである。>
