「人の頭んなかの解らなさ」ヨーロッパ新世紀 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
人の頭んなかの解らなさ
映画は2020年におきたディトラウ外国人排斥事件というじっさいの事件にもとづいているそうだ。
ルーマニアのディトラウという村で、パン工場がスリランカ人を雇用したことに抗議し、ハンガリー系住民が牧師を陣頭に1,800の署名を集め市役所に嘆願書を提出した。
もともとパン工場の労働条件に不満があったことと移民への差別感情が重なり、嘆願書には労働条件の改善、移民の受け入れ停止、住民への補償や謝罪などの要求が盛り込まれた。
この事件はメディアで大きく取り上げられ、多数派ルーマニア民族と少数派ハンガリー民族の対立へと発展したという。
実話をなぞりながら、ルーマニア人マティアスの境遇について哀傷をつづっていく。
冒頭は出稼ぎ先ドイツの食肉工場のシーン。ジプシーと罵られて上司に暴力をふるい、地元トランシルヴァニアへ帰ってくるところから映画がはじまる。
ルーマニアは歴史上移動型放浪民のロマが流れ着いた地域ゆえにルーマニア人はヨーロッパ他地域の人からジプシーと蔑称されることがあるという。
映画のテーマは他民族・他人種への並々ならぬ嫌悪と人々の閉鎖性だが、環境が複雑で安易なことは言えない感じ。たとえば川口のクルド人問題とは違う。
根っこにあるもの、たとえば歴史や宗教や文化などの深度と、他民族共存環境が違うので、日本の移民問題とは比べようがない。と感じた。
そのことと世界を見る目の大人っぽさがちがう。侵略にさらされてきた地続きのヨーロッパと島国日本の意識には埋めようのない差があるのは当然だが、絵づくりが冷徹で、映画内の季節上の寒さ以上に、冷たさが伝わってくる。
外国映画をみて日本の映画はこどもっぽいなと思うことがよくある。とくにアスガル・ファルハーディーやヌリ・ビルゲ・ジェイランやアンドレイ・ズビャギンツェフ、あるいはこのクリスティアン・ムンジウの映画にもそれを思う。
映画がこどもっぽいというより、日本人は人として相対的にこどもではないか──という敗北感に近いものを感じる。
もちろんこれに勝敗はなく是非もないが、たとえば最近日本映画で意識が高いとされている映画と比べたとき──、例えばうんこのようにあざとい荻上直子の波紋とか、例えばほんとにうんこ映画の阪本順治のせかいのおきくとか、例えば昭和ポルノの化石荒井晴彦の映画とか──とくらべたとき、あっとうてきなへだたりを感じる。
しかもファルハーディやジュイランやズビャギンツェフやムンジウの映画には「おれは意識高いんだぜ」という承認欲求がまったく顕れない。
反して荻上直子の波紋には「わたしはいろいろと問題意識をもっているんです」という承認欲求が顕れまくりの溢れまくりで、そもそも意識高い系の日本映画すべてが監督の承認欲求を見るようなものと言って過言ではない。
すなわち内容だけでなく、画に承認欲求が顕れ出てしまうか・否かは、大人映画と子供映画を分かつ重大な因子といえる。そしてなぜかは解らないが日本映画は園子温みたいに「おれすげえだろ」が画に顕れ出てしまう映画が多い。多いというかほとんどの映画に承認欲求が顕れ出ているから、承認欲求が出ていないだけで加点したくなる。
日本映画をけなしはじめると昂奮状態になってしまうのでこのへんでやめておくがファルハーディやジュイランやズビャギンツェフやムンジウの映画と日本映画を比べたときの絶対的な差はみなさまもご存知だろう。そもそも比べる必要のないこと、とはいえ。
しかし映画内の閉鎖性についてはおおいに異議をもった。人々が不親切すぎる。もちろん前述したように環境も文化も歴史も宗教的背景もちがうので、極東のじぶんが安易なことは言えないのは解っているつもりだが、外国人労働者にたいして非人情すぎる。
日本人でもワーキングホリデービザを利用して外国へ行く若者がいるが、外国へ行って、周りに友人もいないひとりぼっちで、言葉もおぼつかない、その状況下でステイ先からないがしろにされたり、職場でいじめられたら切ないだろうって話。
むろんワーキングホリデーで海外へ行く日本人と、トランシルヴァニアのパン工場に雇用されたスリランカ人では立場にへだたりがある。とはいえ、基本的に遠くから働きにきている外国人労働者にたいして思いやりを持つことは、真っ当な人間感情であり、移民問題にたいする考え方と、じっさいの移民や外国人労働者に対する態度は分けるのが常識だと思われる。
つまり反移民でも移民には優しくしたいという考え。繰り返しになるが、このての理想論は周りにひとりの移民もいない甘ちゃん日本人のお花畑な考え方に過ぎない、ことは解っている。
多くの日本人の移民意識は矛盾している。と思うことがある。
つまり少子高齢化対策が日本の重要課題であることに異議はないが、多くの日本人は反移民を標榜している。わたしもだいたいそんなところだ。
生産人口の目減りが地球一はげしい日本では、いま国史上いちばん産めよ増やせよの局面にある。が、移民には反対したい。しかし、労働力の減少をどうやってカバーするのか、たとえば移民ではなくロボット化を推し進める、といった代替案をもっているわけではない。おそらくこれは我が国の保守層がかかえているもっともポピュラーな矛盾ではなかろうか。
原題は「R.M.N.」でnuclear magnetic resonanceの頭文字NMRをもじってつけられたという。NMRはわたしたちの知っている語に置き換えるとMRI(Magnetic Resonance Imaging、核磁気共鳴画像診断法)のことであって、マティアスの父が脳に病気をもっていることでそのスキャン画像が何度かでてくる。転じて人は何を考えているのか解らない──ということの示唆ではなかろうか。と思われた。
カンヌに出品されたがこの年(2022)のパルムドールはルーベンオストルンドの逆転のトライアングルがもっていった。
imdb7.2、RottenTomatoes97%と97%。