「喪失を経験した人々の選択」CLOSE クロース 志ぐまさんの映画レビュー(感想・評価)
喪失を経験した人々の選択
なんとなくどちらかが自殺することは察していたけど、思ったより呆気なさすぎて全然序盤すぎて驚いた。しかしこれは"レミがレオに傷つけられる物語"ではなく、"レオ含めたレミの周囲の人間が喪失をどう経験し生きていくかの物語"だからなのだと気づき、ハッとした。
それはつまり、この映画は「思春期特有の曖昧な関係性故の危うさ」と、「少年時代における喪失」、そして何よりも「取り残された人がどう生きていくのか」をテーマに描いたのだと言える。これは恐らくレミに関しても同じでレミの行動は、レオに「取り残された」と感じた故のひとつの答えだと言える。
環境が変化するに連れて、何も気に留めず慣れ親しんだ服や鞄、自分の振る舞い、家族や友人の言動など何もかもが気になって、そして誰かを傷付けてしまう。それは誰にでもある事で、誰のせいでもない。それが分かっていても自分のせいだと思ってしまいたくなる感情は罪というよりも責任に近い。
ラストシーンにて、自分の罪を告白したレオ、そしてレオを抱き締めたレミの母はそれぞれレミの喪失を受け入れる。レミの母は、家を引っ越して「忘れる」という方法で前へ進もうとし、そしてレオは(別の友人や兄でレミの喪失が生んだ間隙を埋め合わるという選択ではなく)レミとかつて駆け抜けた花畑で立ち止まり振り返って「痛みを抱えながら生きていく」という選択で前へ歩み出す。
喪失は不可逆的な事実であり、その苦しみや悲しみは何かで埋め合わせられるものではない。それでも生きようとする人々の姿はとても儚くてどうしようもなく非力でだからこそ美しいのかもしれない。私自身の過去における少年期の喪失を思い出して辛い気持ちになりつつ、それでも見てよかったなと思える映画だった。
こんにちは。
〝罪というより責任に近い。〟
おっしゃるようにあの日を境に、レオだけでなくまわりの人々も皆、自分についての責任を考えていたようにみえました。それぞれの心情が、それ以前と変わらぬ美しい自然の景色のなかで、どうにもならない哀しみに溺れているのを苦しくなりながらみつめていました。
この作品が多くのひとに観られることで救われるひとがたくさんいるのではないかとおもいます。