トリとロキタのレビュー・感想・評価
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観客に対する信頼
ダルデンヌ兄弟の映画は、いつも心が痛くなる。しかし、心が痛くなる現実があるのだからこの兄弟監督はカメラを向けないわけにはいかないと思っているのだろ。私たちもきちんと向き合う必要があるし、向き合ってくれると観客を信頼しているからこういう映画を作れるのだ。本作では、難民の少年少女が親元を離れてヨーロッパへ渡らざるをえない現実が背景にあり、なおかつ、そんな彼らが制度の欠陥た差別などで苦境に陥る姿を突き付けている。
トリとロキタは、姉弟と偽ってビザを申請するが、認められない。しかし、二人の絆は本物だ。ビザがないので非合法な仕事をする以外に生活する術がない。姉のロキタは故郷に仕送りに加えて、渡航ブローカーに金を払わねばならず、危険な麻薬ビジネスに利用される。救いのない現実が容赦なく見せつけられるが、これがこの社会の現実だ。
トリとロキタ役の2人の少年少女の芝居は素晴らしい。ダルデンヌ兄弟はティーンエイジャーを描くのが本当に上手いと思う。「イゴールの約束」でも不法移民の物語を描いていた彼らだけど、その眼差しは一貫して変わらない。本当に芯のある作家だと思う。
装飾を削ぎ落とし、二人の動線と感情を見つめ続ける
ダルデンヌ作品はいつも飾り気がなく、素朴な演出によって形作られているかに見える。この監督の凄さはまさにそこに尽きるのだろう。つまり、劇映画というフィクションでありながら、我々の意識は現実と地続きの世界であるかのように映像の中へと引き摺り込まれる。それも強引ではなく、いつの間にか、自ずと境界線を超えている自分に気づくのだ。今作はさらに演技経験のない二人を起用しており、ただひたすら彼らの日常や行動をカメラが見つめる。全編を通じて全く説明的な言葉や描写はないのに、なぜこれほど状況や感情がダイレクトに伝わってくるのか。血のつながりのない二人が互いを支え合い、一緒にいたいと思い続ける気持ちになぜこんなに胸が締め付けられるのか。技巧を微塵も感じさせず、それでいて我々の意識を見ず知らずの二人に寄り添わせるこのタッチ。ダルデンヌ作品を観続けて20年以上が経つが、最近その凄さがようやくわかってきた気がする。
コンゴ民主共和国が彼女たちの祖国だと思う。
彼女たちを日本に呼べば良いと思う。
裏社会であっても、社会を回しているのだから、昨日見た『アシスタント』のア●ビー・リーグの高学歴才女よりもまともな裏社会のコマになっている。裏社会のヤバい仕事であれ、『AIの導入』がすすめば、彼女は宗主国の白人よりもまともな仕事することになる。言い方を変えれば、『AIの導入』がすすめば『宗主国の白人に明日はない』と言う事だ。白人女性はこのあと指摘するグループ(裏社会の様な物-それが表社会なのだ)でお金を稼ぐ事になるかもしれない。しかし、奴隷の如き彼女達が自滅したら、旧宗主国の白人達はヤバい裏社会の運営を諦めざるを得なくなる。従って、ひょっとしたらその方が社会が浄化されてよいのかも知れない。
だから、労働力が不足しているなら、彼等を日本に呼んだ方が良いと考える。彼らは生きるために真剣に働くと思う。75歳以上に10万円やるくらいなら、そっちの方が生産性の向上も見込める。
さて、ここからが、本題である。
ベルギーに限った事では無いが、西側諸国(?)の民主主義国家と言っても荒唐無稽だと知るべきだ。白ロシアやロシアを野蛮な国家と言っている事に異論は無いが、西側(?)の諸国であっても、ヨーロッパの国々はこの映画で描かれた様な社会なのだと思う。そして、大麻を違法とする事に全く異論は無いがその露営に伴った犯罪が行われる。誇張された犯罪だが、もっと身近な犯罪が横行している事に気づくべきだ。
それは『売春』である。ドイツ、フランス、オランダ、デンマーク、イタリアは売春が『合法化』されている。色々な理屈は語られるが、それで良いのだろうか?大麻を栽培する事と犯罪の程度はどちらが社会的に影響を及ぼすのだろうか?
日本には曲がりなりにも1958年に売春防止法がある。憲法9条と共に世界的にも異例な法律と言えるかも知れない。彼らには是非、日本に来てもらいたい気がする。
【”ビザを得る事を願い、支え合う偽りの姉弟の強い絆を描く極力過剰な演出を避けたダルデンヌ兄弟ならではの作品。トリとロキタがお互いを想い奮闘する姿が沁みる作品でもある。】
ー 今作は、ダルデンヌ兄弟ならではのBGMがなく、演技未経験者を主演させ、作劇を削ぎ落とした先の読めないサスペンスである。
尚且つ、世界が直面する人間の尊厳のあり方を問う作品でもある。
■アフリカのどこかの国からベルギー(と思われる。)へやってきたトリとロキタ。
ロキタは祖国にいる家族のため、ドラッグの運び屋をして金を稼いでいる。
偽りの姉弟としてこの街で生きる2人は、どんな時も一緒だ。
正規の仕事に就くため、ロキタはさらに危険な闇組織の大麻栽培の仕事を始める。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・ダルデンヌ兄弟の作品は、常に弱者の視点で描かれる。
今作も同様で、必死に生きようとするトリとロキタの厳しき日々を(多分、手持ちカメラで。)写し出している。
・資料によると、トリとロキタは演技は素人であったそうであるが、全くそうは見えない。
ー 特に、大麻栽培施設で働くことになったロキタを案じる小さなトリが必死に大麻栽培施設に潜入する姿や、必死に大麻を売る姿が、観ていてハラハラするし、とても切ない。
彼が、夜の街を施設の自転車で疾走する姿・・。ー
・ロキタは母国の母親に送金するために、危険な仕事や人間として尊厳を失うことまでやっている。
ー ロキタは呟く。”私は、汚い・・。”
汚いのは貴女ではないよ!そんなことを遣らせる、優越的地位に居る愚かしき人々だよ!。-
<ラストは、哀し過ぎる。ロキタの葬儀でトリが葬送の言葉を述べるシーンは観ていて涙が溢れる。
エンドロールが無音になった後に、今作を観たモノは何をすべきかを、ダルデンヌ兄弟が強烈に問いかけてくる作品である。>
ああ無情
Xを見ると政治家や政府に罵詈雑言が飛び交っているが、さてじぶんをかえりみると食べ物や服や家がないわけじゃないし迫害されてもいない。とはいえ紛争地帯や途上国と比較しても仕方がない。飯時にいちいち飢えた難民のことを考えはしない。われわれは成熟した社会に生きていていまさら衣食住みたいなプリミティブなことを心配する必要はないが、それでも問題は山積みで人々は政府に怒っているし不満もある。
政府や政治家に対してしっかりと怒りたいとき、ダルデンヌ兄弟なんか見るべきじゃない。ダルデンヌ兄弟の映画の中で真剣に生きる人々はわたしの甘さのようなものを教えてくれる。ロゼッタやサンドラを忘れられず、じぶんの不満が些細なことに思えてしまう。そもそも映画に感化されるような弱っちい奴は政治なんかやらないだろうけど。w
ロキタとトリはほんものの姉弟じゃないがそれ以上に強く結ばれたソウルメイトといえる。ロキタはベルギーで就労ビザを取得しようとしているが認められない。働けないのに移民ブローカーやカメルーンに残してきた母兄弟の仕送りに対処しなけりゃならず、仕方なく大麻プランテーションの闇バイトをする。
ふたりに闇バイトをあっせんする男は表向きレストランで働いていてフォカッチャをくれるがしばしばロキタに性的接待を強いる。
トリは11歳、ロキタは16歳だが世界は過酷で誰も助けてくれない。行政に見放され、移民ブローカーは二人を監視し、カメルーンの家族も冷たい。生存したければ悪事か性搾取との対価だ。そんなトリにとってロキタだけが、ロキタにとってトリだけが癒やしになっている。という状況が淡々と描かれる。エモーショナルな表現はゼロ。お涙ちょうだい型演出の真逆──なのはいいが淡々過ぎる。結末もダルデンヌ兄弟の映画のなかでも一二をあらそえるくらいに救いがなかった。
imdb7.1、RottenTomatoes88%と71%。
カンヌでパルムドールは逃したが創立75周年記念特別賞という栄誉賞をとった。ダルデンヌ兄弟のキャリアにたいする功労賞だったのだろう。
余談だが、現実には移民に情は禁物というか所謂“かわいそうな移民”と国家の移民問題というものは区別して考えたい。情にほだされていたらどこも川口みたいになっちまうぞ。
不安定な世界が創る闇のなかに飲み込まれる移民・難民の現実
この映画は全く夢も希望もない世界があるという事実を淡々を強く訴えかける。アフリカから仲介業者を頼ってベルギーに行き着いた二人の姉弟が主人公だ。この二人を受け入れる社会はどこまでも冷たく暗いのである。約1時間半のこの映画は、見るものをこの暗い世界のなかにどっぷり浸らせてしまう。
主人公である姉ロキタと弟トリは本当の兄弟ではない。しかし実の姉弟以上に二人は固い絆で結ばれている。二人に決して大きな野望はない。姉ロキタは偽りの弟トリを学校に行かせて、家族に送金し、自分は家事ヘルパーになることを目標にしている。彼女はパニック障害を持ち、その心を支えていたのは偽弟のトリとの絆だけなのだ。
健気にそして必死にお互いを支え合って生き抜こうとする二人を表社会は受け入れない。代わりに闇社会だけがこの二人を迎え入れる。こうした人々に闇社会が提供する生きる術とは、薬物の売人、児童ポルノ、汚れた手段ばかりである。
純粋な二人に差し伸べられる僅か支援は、友だちが自転車を貸してくれるとか壁をよじ登るのを助けてくれるとか銀行で家族への送金手続きを代わりにしてくれるとか、あまりにも些細だ。そんな場面でしかこの映画の中の二人と喜びを共有することができない。
二人が唯一手にしている幸福は二人が一緒にいられること。この世界は二人のそんなはかない幸福さえも容赦なく奪ってしまう。政府からのビザが下りないロキタは、法外な価格の偽造ビザに光を見出し、更に深い闇に入っていく。そしてその闇は二人の絆さえも引き裂こうとする。奪われた絆を取り戻すために行動を起こした二人を待ち受けるものはあまりにも辛すぎた。
戦乱や貧困が無くならないこの世界にいったいどのくらい多くのトリやロキタがいるのかと思うと心が張り裂けそうになる。光が明るくなるほど、その影は暗くなる。二人を飲み込む闇社会を作っているのは輝かしい経済発展を希求する社会の仕組みなのかもしれない。
この映画を見て、筆者は短絡的に移民や難民を我が国も受け入れるべきだと言えない。かと言って、今の厳格な難民審査を支持する意図もない。難民・移民を受け入れることで日本の少子高齢化や人材不足の処方箋になり得る可能性はあるかもしれないが、そんな単純な問題では片付かないはずだ。
問題に答えを教えてくれそうな日本人がかつていた。アフガニスタンに医師として渡って命を落とした中村哲氏だ。彼は、医師として一人一人の治療に取り組むことよりも、病気の根本的な原因である衛生環境を改善することが最善の治療だと気づいて、用水路の工事に奔走し、アフガニスタンがアメリカの対テロ戦争の主戦場になった時もアフガニスタンにいて、そのアフガニスタンで命を奪われることになってしまった。
目の前の移民・難民に対する人道的支援が大切なのは間違いではない。ただ、これからも長く語り継がれるであろう中村哲氏を輩出した国として、なぜそのような人たちが発生してしまうのかという根本的な問題解決に対する取り組みに目を向ける国の国民でありたいと願う。
アフリカ難民、見ず知らずの少年少女。ベルギーに辿り着き、姉弟として...
アフリカ難民、見ず知らずの少年少女。ベルギーに辿り着き、姉弟として励ましあう様子。
というと、聞こえがいいですが、
現実には、ビザが得られないとか、闇商売で生計をたてたり、などなど
いやあ... 久しぶりに、ここまでキツイものにお目にかかってしまいました。
一呼吸して痛感したこと。
このような、どぎつい課題提起ができる、ベルギーに、拍手を送りたくなりました。
悲劇がなくなってほしいと願う一方で。
この映画にこそ、出かけて欲しい。
アフリカから渡航する途中で出会ったトリとロキタは、たどり着いたベルギーに移民として定着するために姉弟と偽って精一杯生き抜こうとする。12歳のトリは、故国でも迫害されていて、しかも学童であることから、滞在ビザが取れた。しかし、17歳のロキタは、渡航が労働のためと見做されるので、既にビザを持つトリの家族(姉)であると偽って、滞在ビザを取得しようとするが、なかなかうまくは行かない。しかたなく偽造ビザの入手と引き換えに、裏社会の誘いに乗らざるを得ず、その結果、違法大麻の栽培工場に3週間の約束で閉じ込められる。トリは、そんなロキタの精神的な支えになっている。
ヨーロッパで頻発している暴動やテロの背景には、こうした移民たちの偽造パスポートやビザ、不法就労が見え隠れし、映画でも多く取り上げられてきた。しかし、彼らの悲惨さのみを強調したら、極右政党(とは言え、政権にも近い)の移民追い出しキャンペーンの格好の材料にされてしまう。それでは、ダルデンヌ兄弟はどのようにこの映画を作り上げたのか。まず徹底して弱者の側に立つ。次に、フランス語圏のベルギーの街、リエージュでの短い時間の物語として、ドキュメンタリータッチで描いた。二人がベルギーにたどり着くまでの背景が詳細に語られるわけではないので、映画を見ている私たちは彼らに感情移入できる。ダルデンヌ兄弟がキャスティングした対照的な二人の好演が目立つ。小柄で俊敏なトリの働きにより、裏社会と二人との駆け引きがミステリーの形でスピーディーに展開される。
ダルデンヌ兄弟の映画には、通常、BGMがない。しかし、この映画では、二人の歌が大きな救いとなっていた。二人の表の仕事であるピザ屋で、カラオケで歌われたシャンソンとイタリアの民謡。それから、繰り返し出てきたアフリカの子守唄。特に、身体が大きく動きはゆったりしているが、物事を受け止める力があるロキタの豊かで暖かい声が印象的。トリの歌はぎこちないが、この子守唄が、普通の家族以上に、支えあって強く生きた二人の姿を象徴していた。移民を犠牲にする裏社会を告発するためには、ストーリーは過酷なものとならざるを得ない。しかし、いつまでも、心に残る映画だ。
半分ドキュメント
冒頭のシーンで、移民の立場を理解させた演出は素晴らしいが、あの秘密基地からどうやって帰ってきたのか?とか、用意周到な犯罪集団が、そんなリスクを犯すのか?とか、素朴な疑問が複数あったけども
勝手に、暗黙の了解をしながら見続け、まぁ、この作品は『承』の部分が『結』よりも大切なんだろう。知らんけど。
このシビアさには言葉を失う
共にアフリカから移民してきたトリとロキタは同じ養護施設で暮らしながら本当の姉弟のような深い絆で繋がっている。そんな彼女らの”子供らしい”やり取りを見ていると自然と心和むのだが、同時に裏ではドラッグの運び屋をやっており、その事実を知ると何ともやりきれない思いにさせられる。
彼らは親元から離れて、あるいは引き離されて異国の地へ渡ってきたいわゆる社会的孤児である。移民が抱える問題はどこの国でも見られるものだが、様々な制約の中で彼らは理不尽な暮らしを強いられている。いくら真面目に働こうとしてもそれを許さない社会的事情。そのあたりのことが本作のロキタの置かれている状況から伺える。
トリはロキタとはまた違った出自を持っているため、ロキタほどの悲惨さはないものの、今のような暮らしをしていればいずれは裏社会にその身を落としてしまうことになるだろう。
映画を観ながら、彼女たちに誰か救いの手を伸ばせないものか…と思ってしまった。
監督、脚本はベルギーの巨匠ダルデンヌ兄弟。
彼らはよく子供を主人公にした作品を作っている。例えば、「ロゼッタ」や「少年と自転車」は、いずれも主人公の少年少女が人生の泥沼に陥っていくドラマだった。本作のロキタとトリも然り。周囲の大人たちに、ある種食い物にされながら絶望的な末路を辿っていく。
また、移民問題もダルデンヌ兄弟の過去作には多く登場するテーマである。「イゴールの約束」、「ロルナの祈り」、「午後8時の訪問者」は、いずれもそのあたりに焦点を当てた作品である。
今回はこうした彼らの作家性がよく表れており、ある意味で集大成的な作品になっているような気がする。
演出は手持ちカメラ主体のドキュメンタリータッチが徹底されており、BGMも一切なし。極限まで削ぎ落された簡潔な語り口が緊張感を上手く醸造している。相変わらず見事な手腕で、デビュー時から一貫したジャーナリスティックな視点も健在で揺らぎがない。
ただ、今回は存外ストレートな作劇になっており、やや物足りないという感想も持った。養護施設を含めた周囲の大人たちとの関わり合いをもっと見てみたかったし、ロキタはともかくトリのバックボーンが薄みでキャラクターとしての魅力が今一つ伝わってこなかったのも残念である。今回はどちらかと言うと犯罪絡みに主点を置いた作りになっており、サスペンスとして観れば確かに面白く観れるのだが、従来のダルデンヌ作品のような深みは余り感じられなかった。
尚、ラストのオチに関しては賛否あるかもしれない。確かにダルデンヌ作品は容易にハッピーエンドを迎えない傾向にあるが、今回はこれまで以上にシビアな結末となっている。それだけダルデンヌ兄弟の社会に対する憤りが強かったということなのかもしれない。
情けは人のためならず
ダルデンヌ兄弟による移民問題を題材にした作品です。前作「その手に触れるまで」では、郷に入って郷に従わぬイスラム原理主義、その教義に感化された少年を軸に、3人の女性が登場。女性たちは「恋愛」「無償の愛」「赦し」を象徴する存在。根底には移民に対する暖かいまなざし、ってのがあります。
その基本的なスタンスは、今回も同じですが、登場人物の「象徴性」はやや希薄。ドラマ性を強調しつつ、ダルデンヌらしい淡々としたストーリー運びを、長回しのカメラと過剰演出無しの描写で、89分にまとめています。
欧州における移民政策は、中東から流入する紛争難民の増加で岐路に立たされています。元々、数世紀に亘るアフリカの奴隷支配に対する贖罪の意味合いから、人道的立場に立ち移民を受け入れてきた欧州諸国。アフリカからのボート・ピープルは、仮にイタリアに上陸したとしても、旧宗主国へと移送され支援施設に収容されます。中東からの紛争難民、アジアからの違法難民の増加は、こうした人々への支援に危機的な影響を及ぼしていると思われ。
特にフランスに関しては、これ以上の移民受け入れを拒絶する世論も高まっており、Objectionとして移民に対して同情的な映画が毎年のように製作され日本でも公開されています。その中で、ダルデンヌ作品は過度に左に振れることもなく、あくまでもニュートラルな立ち位置を崩しておらず、まるでドキュメンタリーでも見ているような感覚にとらわれてしまいます。
正式な手続きを経ていないがゆえにビザが取れない。就学も働くこともできないがゆえに法に触れる違法行為に手を染めるしかなくなる。ブローカーには際限なく集られ、裏社会からは都合の良い捨て駒として使われる。欧州に限った話ではなく、程度の差はあれども世界の先進国の、どこにでもある話のように思われ。
さあ、この問題、どうする?
と言う投げかけ。問題提起。
そうなんですよ。問題提起で、特に強く何かを主張しているわけじゃない、ってところがダルデンヌらしくて好き。
奇しくも。つい先日、入管法修正案が衆議院法務委員会で可決され、5月にも衆院を通過する見通しです。一部野党は強硬に反対しており、メディアも「数々の事実」を報道しないまま、反対側に偏重した報道を続けています。特定野党は「改悪」って言ってますが、他国に比べても、まだまだ甘いです。某TV局なんて「入管施設での長期収容の解消を目的とした入管難民法改正案」なんて言ってますから。もう滅茶苦茶です。そんな話じゃないです。「出入国管理の形骸化」を招きかねない「ザル部分」を手遅れになる前に補修しよう、ですから。「補完的保護対象者」制度も新設されます。在留資格がない子どもらに「在留特別許可」を与える方向での修正も加わりそうです。更に並行して、「事実上の奴隷制度」だった外国人技能実習制度が廃止となり、完全な新制度への移行が推進されます。要するに、「ちゃんとした手続きを経て日本へ来て、ちゃんと働いて日本で自活していける人達は、受け入れていきますし、そうでなくても、もはや本国に帰ることができない子供たちについては柔軟に対応していきます」、ってのが大きな方針な訳で。メディアには、全体感を持った報道をして欲しい。
情けは人のためならず。根本的に、んな不幸な人々を生まないような法整備をすること、それを要求していくことが重要、って事で。
映画にとって虚飾を排するということ
ダルデンヌ兄弟の『ある子供』を公開当時はじめて観たときは衝撃的だった。いまの時代にこんなヒリヒリするような映像を、まだ劇映画の枠組みのなかで撮れる人が居たんだ、と凄くびっくりした。ドキュメンタリー出身で、素人の役者しか使わないのはもちろん関係しているだろうけど、作品がいつも特別な輝きを持っているのはそれだけが理由じゃないだろう。今回は恐らく彼らの最高傑作のひとつ。映画の作り手として純粋であるためには「大人」でなければならないこと、まがいものを削ぎ落としていくことでしか、そこに到達できないことをみごとに証明した傑作。主演の二人が魅力的だし、何より編集の切れ味が圧倒的に凄い。
苦しい
ポスターの美しさとintroductionに惹かれ鑑賞。
まず始めに、本作を鑑賞する際にはメンタルが
健康である時をおすすめします。
個人的にはかなりの胸糞作品であり
でもそれが現実なのだという事をこれでもかと
痛いくらいに突きつけられます。
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89分と短い作品でありながら終始、
胸が締め付けられ心が痛くなる…。
ある程度想定していた、いやできるラストでは
あったけれど、思わず声が出るほどに衝撃的でした。
(この日劇場にわたしだけ)
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どこか頭の片隅で描いていたトリとロキタの行く末は、
それこそ考えが甘く、それまでにこの世界観を
見ていたにも関わらず、現実が見えていない
そしてこのような事象に遭遇したこともない
(現実としてはあるのだろうけど表面化していない)
ぬるい国日本に住んでいるからなのだろうと
痛感しました。
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トリとロキタ役の2人がとても素晴らしかったです。
トリ役 #パブロシルズ( #pabloschils )と
ロキタ役 #ジョエリームブンドゥ ( #joelymbundu )は
本作が演技初経験というから驚きです。
本当の姉弟ではない2人が、生きるために
双方を強く思いやり支え合う姿もまた胸が締め付けられます。
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全国では3月に公開だったこの作品を
広島ではいま上映していて、それを劇場で観ることが
出来た事に感謝します。
そしてまだ劇場で観る機会が残されている方々は
ぜひ劇場で…。
そうでない方はぜひ配信で鑑賞してください。
ただし、元気なときにね。
こんな事して生きてる子どもがたくさんいるんだろうな
アフリカから地中海をわたってベルギーにやって来た少年トリと少女ロキタ。実際は違うが、姉弟として生きる2人はどんな時でも一緒で、年上のロキタはトリを守り、トリは時々不安定になるロキタを支えていた。ロキタはビザがないため正規の職に就くことができず、麻薬の運び屋をして金を稼いでいた。ロキタは偽造ビザを手に入れるため、さらに危険な仕事を始め・・・てな話。
アフリカのブルキナファソからベルギーへやってきた少女と少年、という設定だったと思うが、国外に脱出しなければならないほどブルキナファソの情勢が良くなかったという事なのだろう。麻薬で稼いだお金を親に送る、ってロキタが言ってたが、自分が生きていくのに精一杯なのに、離れてても親に送金しないといけないなんて、過酷だなぁ、と思う。
ラストは・・・悲しかった。
でも、こんな事して生きている子どもたちが世界にはたくさんいるのだろう、とは思った。
楽しくはないが、一見の価値あり、だと思う。
このところ、よく作られる難民もの。
後味は良くない。たぶん、結末はハッピーエンドにはならないだろうなとは推測したら、その通りだった。まぁ、現実を反映するとこうなるのも仕方がないか。私が好きな作り方ではないが、説得力はある。ストリーもちょっと首をかしげる。秘密の場所を知られたら全て抹殺ではないか。それともトンズラしたか。まぁ、細かい点をついても、仕方がないか。
とても切なく、罪悪感を抱かせる
とても切なく心が痛く、罪悪感を抱かせる作品です。
ロキタを呼ぶトリの声が頭から離れません。
レビューを書きながら思い返してまた涙があふれます。
フィクションだけれど、飾らない演出で過剰な説明もなく、トリとロキタの日常を切り取ったドキュメンタリーのようです。世界のどこかに二人が存在しているようです。
アフリカから移民としてやってきたトリとロキタ。
二人に近寄ってくるのは非道な大人ばかり。
頼れる人も帰る場所もない二人は、不条理を受け入れるしかありません。
トリとロキタは、二人でいれば苦難を乗り越えられる・笑顔でいられると、懸命に生きています。
互いを思いやり支え合う健気な姿に切なくなります。
そして、彼らの問題に無関心だった自分自身を省みました。
もっと二人の物語を知りたくなり、初めて映画館でパンフレットを買いました。
ストーリー 5 芸術 5 演技 5.5 エンタ 5.5 総合 5....
ストーリー 5
芸術 5
演技 5.5
エンタ 5.5
総合 5.5
クレイジージャーニー、丸山ゴンザレスがカメラ回してるのかな。リアル感ありました。
不法移民?の切実な〰️
日本でも最近問題となっている、違法移民(中には本当に迫害等有るんだろけど…)フランスの就労(フランスのビザについては全くですが)ビザを取得する為に、入管の面談を受けたり…
ビザが無いため就労できず、アングラな仕事に 流石フランスアングラ仕事でも50~200ユーロが一仕事のフィーになっていたことにはビックリ(結構美味しい)
最後の終わり方にはがっかり😞💨だが、先進国がそれぞれ抱えている問題なのかも
搾取され、使い捨てられる人々。
いまや移民の数は世界で2億5千万人以上いると言われている。多くは国内紛争や貧困から逃れてきた人々だ。
彼ら移民は時には遭難により海上で命を失ったり、あるいは人身売買の対象となったりとその生命や人権が侵される事態が後を絶たない。
彼らを守るため国連による国連移民協定が採択されたが、世界は一枚岩とは行かず弱い立場の移民にとってはまだまだ受難の時は終わらない。
アフリカのベナン共和国から移民としてベルギーに渡ってきたトリとロキタ。トリは虐待を理由にビザが下りたがロキタにはなかなか下りない。真の姉弟かを疑われたためである。
何とかビザを手に入れて家族に仕送りしたいロキタだが、密航業者からの仲介料の取り立てや家族への仕送りのために麻薬の売人のような非合法な仕事や性的搾取に甘んじなければならない。麻薬密売業者も彼らの弱みを知ったうえでいいように利用している。
ある日ロキタは違法にビザを手に入れられるという誘いで大麻栽培工場で働くこととなる。しかし、まだ十代な上にパニック障害を抱える彼女はトリと共に逃げ出して結局は業者に殺されてしまう。
共に異国の地で姉弟のように助け合って生きてきた二人は無残にも引き裂かれることとなる。
この移民の受難の物語は欧州が舞台だが、これは日本を舞台にしても成り立つ話だ。
なにかと問題のある外国人技能実習制度は途上国への技術援助などとは名ばかりであり、実質途上国の人間を安い労働力として搾取しているのである。
日本に来る実習生たちは仲介業者に多額の借金をして来日する。そして安い賃金から借金を返しつつ仕送りもしなければならない。
だが、職場環境は劣悪で差別から虐待を受けることも多い。あまりの過酷さから逃げ出す実習生は後を絶たず、そのまま在留期間が過ぎれば不法滞在となり入管に収容される。そしてその入管でも酷い扱いをうけ、最悪死に至ったケースもあるのは周知のとおりだ。
自国優先主義、排外主義が台頭するいまの社会。富めるものが貧しいものを搾取するこの社会構造がなくならない限りトリとロキタのような悲劇は永遠になくならないのだろう。
けして目を背けてはいけない問題を知らしめてくれる良作だった。
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