「視覚で感じるアートと痛み、クローネンバーグが観客に仕掛ける前衛的プレイ」クライムズ・オブ・ザ・フューチャー ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
視覚で感じるアートと痛み、クローネンバーグが観客に仕掛ける前衛的プレイ
クローネンバーグ作品は「M・バタフライ」くらいしか見ていない私、いかにもシュールそうなあらすじを見てハードルの高さをMAXにして観に行ったら、意外と退屈せず話を追えたので(その意味するところを理解できたというわけではありません)、そういう意味ではちょっとホッとした。
とはいえ、案の定の癖つよ映像。
痛みと感染症がない状態に進化した結果、臓器摘出や人体改造のショーがアートとして流行る。プラスチックを食べる子を母が殺し、父は遺体をそのショーに提供する。性的なプレイの一環として、相手の肉体を切り刻む。
腹部が切開されるシーンなどは、あえてなのか分からないがいかにもなCGっぽさや作り物感がありグロさが緩和されている。どちらかというと、オディールが頬に刻んだ傷をグリグリされるシーンの方がむずむずした。
それでもグロ耐性低めの私には、変態的な世界観と子供の臓器摘出など含めてR15+でも不思議ではないくらいに思えたのだが、映倫的には「簡潔な肉体損壊の描写(映倫サイトより)」なのでPG12ということらしい。この作品を小学生が観る時、親はどういう指導・助言をするのだろう。私は指導出来る自信がないぞ。
エイドリアンのショーに出てくる、目と口を縫い合わされて身体中耳だらけのダンサーは「ゴールデンカムイ」の江渡貝くんを思い出した(江渡貝くんは人皮コスチュームを着ているだけで自分に直接縫い付けているわけではないし、そもそも感性の源泉が違うが、アウトプットが似ていたのでちょっと笑ってしまった。すみません)。
しょっちゅうハエの羽音がしていたのは、感染症がない世界なので清潔を保つ意識が低くなっている、ということだろうか。
痛みがない世界と言いながらソールが何らかの痛みを感じているらしかった理由、彼をスパイにしてコープ刑事はラングを捕まえようとしていたが(子供を解剖させようとした罪で?)結局その顛末がどうなったのか、その辺はよく分からなかった。
一番分かりやすかった要素は、ひたすら渋カッコいいヴィゴ・モーテンセンと完璧な裸体のレア・セドゥ。一方で痛そうな(設定上本人は痛くないんだけど)映像の乱れ打ち、もう飴とムチという感じである。本作の鑑賞自体がある意味その手のプレイなのかも知れない。
テーマのひとつはやはり環境問題なのだろう。オープニングでの、廃墟のような構造物が浮かぶ海辺。ラングは自分の体を異食が可能な体に改造し、常人にとっては毒である紫のチョコバー状のものを製造して食べる。息子のブレッケンはプラスチックを消化する体で生まれる。この辺りは廃棄物による環境汚染や、マイクロプラスチックの問題を連想する。
人々が痛みを感じなくなるという「進化」を遂げるのは、人間が環境の危機に対し頑ななほど鈍感であることの暗喩にも見える。実際は監督の趣味、というか表現方法が、見る側に痛覚を意識させるものに偏っていて、痛そうな場面を盛るための設定なだけなのかもしれないが。
プロダクションデザインは、有機的でとても魅力があった。サークのリモコンの、ガマガエルみたいにぶにゅぶにゅした感じの不気味さが絶妙。
ただ、あのブレックファスターチェアだけは、どういうメリットがあるものなのかよく分からなかった。食べにくいだけやん?
こんにちは❗️
レアは、『それでも私は生きていく』でも極上の背中とお尻を惜しげもなく披露していました。
ご本人も若いうちの自分を残しておきたいという思いはあるのかもしれないですね。
脱ぎッぷりという意味では、『レッド・スパロウ』のジェニファー・ローレンスも凄かった記憶があります。
コメントありがとうございました。😊有料パンフ、紙を開くまでの若干の期待が 普通でガッカリ😞。しかしパラパラめくると結構 「普通の」正統派で内容充実みたいでビックリ🫢‼️でした。私は気力が続かず・・・読んでいません。ありがとうございました。失礼します。