「怒りに震え、ぞっとした」聖地には蜘蛛が巣を張る REXさんの映画レビュー(感想・評価)
怒りに震え、ぞっとした
貧困ゆえに身を売る売春婦を、浄化と称して殺害した連続殺人犯サイード・ハナイの実話を元に描かれた作品。
怒りにふるえ、ぞっとした。
この映画の核心は、サイードが捕まった後半からといえる。
そもそも淫らな欲求を満たしているのは男性の方で、女性側ではない。売春婦を堕落した存在で死に値するというのならば、買う男も堕落しているじゃないか。
商売としてセックスが男女対等に成立している場所はあるにはあるし、好んでそれを選ぶ女性は皆無ではないだろうが、売春を生業とする女性はほとんどの場合、生活の術としてそれしか選択肢がないのではいか。
女性の登校を禁止→文盲、知識の低さ→働けない→売春業に身をやつす。
この悪循環を生んでいるのは絶対的男性優位社会であり、ひいては売春婦を生む原因となってるのは男性側にあるといえる。
そのことに何故多くの人が気づかないのか?
いや、気づきたくないのだろう。自分たちは「正しく」権力を振るう側の存在で居続けるために。
恐ろしいのは、犯人が捕まった後。殺人犯を讃える世論。殺害された女性の家族に対する、脅迫。夫は正しいことをしたとのたまう妻。
基本的人権の欠如と、神の名を口にすれば赦されるという構造の社会の精神性の恐ろしさ。
中でも嫌悪を感じたのはハナイの妻を筆頭とした、自分の保身しか考えない女たちである。殺された女性たちにも人生があり、悲しむ存在がいることをつゆとも考えない。彼女たちにとって、殺されたのは生まれつき「売春婦」という生き物であって、唾棄すべき存在。
事情があり一時的に体を売ったのでは、などと同情することすらない。自分の娘も、同じように虐げられる可能性のある社会だとも気づかずに。実際、選択の自由がないことに不自由を感じず、偏見を偏見と思わない保守的な女性たちも、イラン女性の内なる敵なのだろう。
本物のハナイは、こう言ったという。
「彼女らは私にとってゴキブリと同じくらい役に立たなかった」
ふざけるな。命はその人自身の物で、生殺与奪権など誰にもない。
以前別の機会で知ったが、ヒジャブの起源は不明とのこと。日除け、民族衣装、土着信仰にイスラムの教えがミックスして今に至るとされる。
元々、古代ローマ時代から十字軍、そして現在に至るまで中東は戦争の歴史。本来は主不在の時、敵による拉致やレイプなどから妻や娘を守るために、美しいところを隠しなさいとしたのでは、という史料見解があり、コーランにはヒジャブそのものの記述はないという。しかし今や、イランではヒジャブ一つで殺されてもおかしくない国になっている。
いつしか教えは権力を振るう者の都合のいいように行使され、女性や子どもを所有物のように扱えるものとなった。
選択の自由を誰もが行使できる世界の実現は遠いと感じる。外からできることは僅かだからだ。