WANDA ワンダのレビュー・感想・評価
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どこにも行けない、ワンダの旅
最後のシーン、途方に暮れたワンダが、楽しそうなパーティーに混ぜてもらう。その同じ空間にいる一員のはずなのに、とても孤独に見える。人間が最も孤独を感じる時は、たいてい、大勢のなかにいて、自分だけがその誰とも違う、と感じる時だ、とおもう。そんなとき、周りの人はみんないい人で、意地悪なんかしたりしない、だけど、あの、どうしようもない疎外感、わたしの居場所はここではない、でも、どこかにはあるのだろうか、どこにもないかもしれない、というはてしのなさ。だけれど、そのうちどうでもよくなって、考えることもやめてしまう、ワンダの目の前の酒とタバコのようなものだけが、じぶんの全てみたいに見えたりもする、
ワンダの感情とは真逆に楽しい音楽が流れ続ける、ワンダだけが、ストップモーションで止まってしまって、音楽は流れ続ける。ワンダは世界に置いていかれる、
ワンダは、なにも成してこなかった人生で、はじめてなにかを成し遂げる(それが犯罪だったのだけれど、)。嘔吐を繰り返していて、自身が変化することに拒否反応があることがわかる。普段は感情なんてほとんど表出しないのに、「できない、できない!」と激しく抵抗する。それでも、自分と似ている男のために、はじめてやり遂げる。それによって、男も死んでしまうのだけれど。そうすると、いままで、男たちに簡単に身体を預けてきたのに、激しく拒否することができるようになる。
それでも、最後はもう、何かを成すことも何かを拒否することも、ワンダにとって何の意味も持たないみたいだ、もうワンダには、目の前の酒を飲むこととタバコを吸うこと、しか残されていない、ワンダがこれからどうするのか、わたしには皆目検討がつかない。それでも、ワンダは死んだりはしないような気がしている、
映画館をでて、渋谷の街を歩いていると、この街から疎外されているような気がした、わたしとはぜんぜん生き方も空気感も違う人々の中に、ひとりだった。ゴミが散らばっていて汚かった、水溜りのなかでぐちゃぐちゃになったタバコの吸い殻をみて、またワンダを思い出した、
タイトルなし(ネタバレ)
60年代末頃の米国ペンシルベニア。
大型ダンプが行き交う炭鉱の外れの粗末な小屋に大家族と暮らすワンダ(バーバラ・ローデン)。
夫との間に子どももあるが、家事は疎かで、夫からは離婚されることになった。
行く当てのないワンダは、ちょっとしたことで知り合った男と懇ろになるが、男にはすぐに棄てられ、寝る場所に困って入った映画館では、寝込んでいる間に有り金すべてを盗まれてしまう。
トイレを借りようとして閉店間際のバーに入るが、そこでまた怪しげな男(マイケル・ヒギンズ)と知り合う。
「叩き」に入った小悪党だということが後々わかるが、ちょっといい男だし、行く当ても金もなく、そのまま盗んだ車に同乗してついていくことにした・・・
といった物語で、16mmの低予算製作で、冒頭の炭鉱場の長廻しからワンダの暮らす小屋への繋ぎなどドキュメンタリー映画風で、なかなか良いところもあるが、中盤、男と知り合って、夜中に玉ねぎその他全部抜きのパテとバンズだけのハンバーガーを買いに行けと男に命じられるあたりから、ちょっとまだるっこしくて退屈します。
その後、男に同行したワンダ、男は父親とカタコンベ(地下墓地)で再会し、父親に金を渡そうとするが、金の出どころを察した父親は受け取りを拒否・・・という一幕を挟んで、終盤になだれ込む。
男が計画したのは、第三ナショナル銀行の支店の支店長を拉致し、彼に金庫を開けさせて大金を奪おうとするもの。
ひとりでは無理と思った男がワンダに片棒を担がせようとするあたりの口論のシーン(男「You can do it.」 ワンダ「I can't do it.」の繰り返し)は、ジョン・カサヴェテス映画のワンシーンのよう。
支店長を拉致した男の車の後を、ワンダが運転する車が尾けていくシーンは、ヒッチコック作品でもありそうなシチュエーションなのだが(間に別の車に割り込まれ、道を知らないワンダは先行車からはぐれてしまう)、エンタテインメント作品と違って、ハラハラという感じではない。
どちらかいえば、「ありゃりゃ、はぐれちゃったのね・・・」と呆れる感じに近い撮り方。
支店長を盾に行内で強盗行為に及ぶ男と、道に迷ってUターン禁止の場所でターンして警官に停められるワンダのクロスカットは、Uターンシーンを俯瞰で捉えていて面白い効果を発揮しています。
続く、男の強盗失敗、銀行へ走って駆け付けるワンダのクロスカットもうまく撮れています。
その後、バーのテレビで男の死を見、知り合った警官と町はずれまで同乗。
警官に襲われ、逃げ出すワンダ・・・
というところで終わる手もあったかもしれませんが、あまりにも映画映画していると感じたのか、もうひとつ日常描写を描いて映画は終わります。
70年製作なので、米国ではアメリカンニューシネマの時代で、主人公が最後に死んだりする映画も増えて来ており、それすらも「映画の虚構」というのがバーバラ・ローデンの思いだったのかもしれません。
リアルを追求した結果として、映画としてはまだるっこしい部分も多々あり、感心しないところもあるのですが、後のカサヴェテス作品、初期のスコセッシ作品に通じるところがあり、シン・アメリカンニューシネマといった位置づけの作品でしょう。
個人的には、ワンダという女性には共感できないなぁ。
若い女性観客も多かったのですが、若いひとの眼にはどのように映ったのかしらん。
『わたしは最悪。』の主人公よりも、「最悪」感が強かったです。
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