エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスのレビュー・感想・評価
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主人公・エヴリンと、マルチバースの描写が好みに合うか否かで感想が変わる。
◯作品全体
主人公・エヴリンのバースは他のバースと違って、あらゆることで失敗をしてきたのだという。そのバースにいるエヴリンが他のバースのエヴリンの力を使って、最終的に愛の力を持って宇宙の危機と家族の危機を救う。
各バースと繋がるときの奇抜な演出は面白かったけれど、そこが一番の見せ場になってしまっていて、家族との和解や、エヴリン自身の物語は二の次になっていた印象があった。
そもそもの話になってしまうけれど、あらゆることで失敗してしまった人物が夫を持ち、子を持ち、人並みに生活していることがすごく疑問だ。エヴリンの他のバースと比較して一番失敗している、としても、幾重にも別れたマルチバースの世界でこれがワースト、というのは正直説得力がない。なにもない人物がなにかを得て、最終的には愛を持って道を拓く…というプロットは凄く好きな部類だけど、出発の地点がイマイチだと終盤のカタルシスも少ない。
エヴリンのキャラクターとしての魅力もあまり感じなかった。ラストを愛の強さを軸にする以上、序盤はそうでない人物として描いているのだろうけど、自分中心に世界を回すことに固執してる感じに嫌悪感を抱く。嫌悪感を抱くということは表現としてリアルだからなのかもしれなけれど、作品を見ていて「上向きの世界に進んでほしいな」と思えないのは少しつらい。個人的には客に向かって中国語で「鼻の大きい人」と声をかけるのがなんか凄い最悪だった。コメディっぽい演出でやってるつもりなんだろうけど、言葉を知らない人間を下に見るような感じが嫌だったな。生活の中でエヴリン自身もそういう目にあってきたのだろうから、マルチバースの世界のエヴリンよりも主人公・エヴリンが前へ進むことを後押ししたくなる深掘りが欲しかった。
アクションのアイデアは凄く面白かった。マルチバースからいろんな能力を手に入れていって、どんどん強くなる。いろんな自分が一致団結して戦っているような見せ方が良い。ただ、それが単純な強さの基準になっていた時間が凄く短かかったのが残念。
他のバースの描写が悪い意味で癖が強い。手がソーセージになってる世界とか、軽く触れる程度であればフフッと笑えるけれど、そこで同性愛も盛り込んだドラマとかやられても、どういう顔して見てればいいのか困惑する。性表現っぽいものをケチャップとマスタードでやってたのが最悪だった。マルチバースのジョイの格好とか強化された小指の表現とか、なんかちょっと品がないというか、気色悪いというか。それが作品の色味として使われてるならまだしも、ちょっと一発芸っぽい感じだった。逆に石だけの世界は作品全体に漂う下品さが削ぎ落とされていて、とても良かった。
今いる世界に憎悪しているエヴリンが、ウェイモンドやジョイ、そして別のバースの自分と向き合うことで世界を愛し始める。その場面はもちろんあったけれど、もう少しそのドラマを見ることができたら、エヴリンというキャラクターも、マルチバースの描写ももっと好きになっていたのかもしれない…という別のバースの『エブエブ』を考えてしまった。
◯カメラワークとか
・この作品がアカデミー賞編集賞を受賞した理由としてマルチバースの世界がそれぞれのドラマとして独立していて、それがカットバックとかで繋がれているからだと思うんだけど、別に整理されているわけでもないし、それぞれの世界が独立してる以上、どう繋ごうが似たような印象になるんじゃないかなあと思ってしまった。
◯その他
・ビッグノーズの人が犬を振り回して戦ってたけど、飛ばされた犬主観のカメラワークが『空飛ぶギロチン』っぽい。「飛ばすべきものでないものが飛ぶ」という意味でもカンフー映画という意味でもパロディっぽい気がする。
・この作品にアカデミー賞が7部門の賞を与えたことは、今の時代に生きてれば理由がわかるけど、後々振り返ると頭にハテナが浮かぶんじゃないかなあと思う。
シュールなマルチバースの冒険が内包する普遍的なメッセージ
「あの時違う方を選んでいたら今どうなっていたのかな」という空想が脳裏をよぎったことは、誰しもあるのではないだろうか。単なる思考の遊びか、または痛切な後悔と共になのか、漠然と現在の人生に自信が持てないゆえの気の迷いか、それは人それぞれ。
本作では中年のそんな空想を映像化……どころか、マルチバースには人間の生まれなかった世界も登場し、多元宇宙を救うための闘いが繰り広げられる……主にカンフーで。
しがないクリーニング屋を夫と経営する中年女性のエブリン。ある日突然「別の宇宙のウェイモンド」からのコンタクトを受け、さまざまなマルチバースの自分と接触しては能力を取り込みつつ、宇宙規模の巨悪(娘のジョイ)と対峙する。
マルチバースの他のエブリンたちがメインで動き出すことはないし、おのおのどういう人生を送っているかはあまり深堀りされない。突拍子もない行動をトリガーにマルチバースにアクセスし、並行世界の”自分”の能力(肺活量とかカンフーとか)をゲットして、メイン(物語における)の世界で闘う。
そして、ブラックベーグルの虚無に吸い込まれつつあった娘を救うのだ。
(娘が宇宙のラスボスで虚無に吸い込まれるというのも、反抗期の親子関係などを彷彿させる、なかなか含蓄のある設定)
家族愛やさまざまなギャップ(世代間、ジェンダー、庶民と体制、etc.)の存在と相互理解の必要性といった、俯瞰すればオーソドックスと言っていいテーマを内包したストーリーなのだが、見ている間はマルチバース間の目まぐるしい行き来に目と心を持っていかれる。そのマルチバースのバリエーションがエブリンの「選ばなかった選択肢」だけではなく、意表をつくというかシュールというか、よく分からないものが結構混じっているのだ。
手指がソーセージの世界とか、頭にアライグマを乗せたライバルシェフとか、ポメラニアンをリードでぶんぶん振り回す敵とか、しまいには石とか(石からは何か能力をもらっていたのか、その能力は何だったのかよく分からなかった)。
宇宙の巨悪状態のジョイが序盤で振り回す棒状の武器がもろアレの形とか(そういう用途に使ってなければ、ぼかしもレーティングもなしでいいのか……)、マルチバースへのトリガーとしてお尻にいろいろぶっ差すキャラとか、エブリンが派手にリバースするシーンとかもあったが、最近そういうお下品表現を含む映画が多かったので何だか慣れてきている自分がいた。
それにしても、ミシェル・ヨーはやはり素晴らしい。疲れ切ったクリーニング屋のおばさんも、きらびやかなドレスをまとったゴージャスなスターも同じレベルでさまになっている。カンフーアクションもばっちり。コメディエンヌとしての感覚も冴えている。
その上このキャリアながら奇天烈な格好も厭わない。終盤でさまざまなマルチバースのエブリンの姿が目まぐるしいスピードで流されて、鑑賞中にはひとつひとつを視認できなかったが、パンフレット(本棚で保管しにくい立体目玉付き)に84パターンの写真が載っていた。いやダニエルズ、よくこんなのミシェル・ヨーに頼んだな。
ジェイミー・リー・カーティス、あんな体型だっけ?ボディスーツかな?と思って調べたら、なんとガチであの体型だそうで驚愕した。本人いわく、これまではこの「本当の体型」を隠してきたとのこと。それを本作で解放することに決めたのだそうだ。
A24魂が息づく、表現の癖強めな本作が賞レースを独走している理由はふたつあるのではないか。
ひとつは、意地悪な見方になるが審査員受けのいい要素が多いこと。キー・ホイ・クァンの大復活という物語をはじめ随所に散りばめられたアジア系要素、LGBT、家族愛。ジェイミー・リー・カーティスが晒したありのままの体型は、アンチルッキズム的だ。
年齢の壁を壊しているとも言える。取り柄のない平凡な人間が超常的な理屈で突然無双、なんて話の主人公は、映画ではだいたい若者が相場。
もうひとつは、自分の人生や今いる場所、目の前の誰かを肯定し、愛してみようという、あたたかくて希望を感じるメッセージに帰着することだ。
ナンセンスでぶっ飛んだ冒険譚の後に残る童話「青い鳥」のような余韻。それがこの一見エッジィな作品に、多くの人に共感され得る普遍性をもたらしている。
家族間のいざこざを最大限に拡大解釈する試み。
親子のいざこざを描くためには、これだけの大風呂敷が必要である!というダニエルズの居直りが素晴らしい。家父長制や古い文化の継承、親に認められたいというコンプレックス、クイアへの不寛容などなど、この家族もさまざまな問題をはらんでいるが、ひとつひとつは決して特殊なものではない。しかし当事者にとっての苦悩は、他人の目には取るに足らなくても、全マルチバースの存亡と同じくらいのレベルでデカくて深い。正直、所見のときは王道の家族ドラマとしてまとまっているので、ダニエルズのメジャー化戦略かと疑ってしまったが、見返すほどに真摯さや細やかな配慮が伝わってきて、ケツネタに代表される悪ふざけメインの作品ではない。
カットされた未公開シーンを見ると、ダニエルズが完成形に落とし込むためにどれだけ大鉈を振るったのかがわかる。ハチャメチャでやりたい放題に見えるかも知れないが、編集段階で考え抜き、物語を伝える上でノイズになるものを慎重に排除している。映画は完成形で判断すればいいが、製作の過程を知ると、ダニエルズがこの物語にいかに真剣に向き合ったかがわかる気がして、作品のことがさらに好きになった。
岩の場面も son luxのサントラも 素晴らしい
son luxにハマって映画を知りました
岩の場面は好きだな〜
チーズベーグルが伏線だったとは(ベーグル食べたくなりましたw)
インターステラ級の抜群に面白いSFでした
ヨーは次作ブレードランナーに出るらしく、そちらも楽しみです
son luxのcdジャケットは全作ともに好きですが、このサントラ盤のジャケットも最高です
こりゃ最低最悪!酷い・酷い・酷よ、駄作やん (。-`ω-) ★0 だわ~
TV予告見て、”エブエブ~”って 石に目が有って
少し話してるの見た時、嫌な予感は既にしていたのだが。
こんな作品がアカデミー賞11部門ノミネ-トってさ
完全に各賞本命の当て馬じゃん。オッズ操作としか思えんなぁ。
今日は そんな思いを抱きながら
「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」を
観たよ。 "(-""-)" タイトル長げ~んだよ!
(ノミネ-ト枠)
・作品
・監督(ダニエル・シャイナート&ダニエル・クワン氏)
・主演女優(エヴリン・ワン・クワン役/ミシェル・ヨーさん)
・助演男優(ウェイモンド・ワン役/キー・ホイ・クァンさん)
・助演女優(ジョイ・ワン役/ステファニー・スーさん)
(ディアドラ・ボーベアドラ役/ジェイミー・リー・カーティスさん)
・脚本・歌曲・作曲・衣装デザイン・編集
配給:A24
この中でまあ有るかもと思えるのは、編集ぐらい。
こんな内容で脚本は無理だな。
またしても 怪しい闇パワ-仕掛けを感じるよ。
チャイナマネ-がハリウッド権力を買い込んでそう。
特筆すべきは、キー・ホイ・クァンの復帰ぐらいだろうか。
メッチャ大人になっててビックリ。51歳だとさ。
昔、日本に来て本田美奈子さんと
「パッセンジャー 過ぎ去りし日々」で
共演してたのが懐かしい。 今作 彼が出てたから★1に。
後は ミシェール・ヨーさん(60歳)ぐらいかな。
久し振りに観たかな。”シャン・チー”以来かな。
まあ、しかし 全体的に酷いねコレは。
何やってるんだ~の心の怒りが 4回出たわ。
こんなの初めてかも。
”プリズナーズ・オブ・ゴーストランド”でも2回までやったけど。
まず説明が杜撰すぎて。色んな所からのマルチバースで
本人が入れ替わってるとか、分かりにくいよ。
並行世界の出入り口の絵も無いし。まるで霊魂乗り移り替わり描写。
特別な演出も無く俳優の演技変化だけで 分かれと言われてもね。
雰囲気で感じろ~っていう強制力が頂けない。
マルチバース 時間の変化描写も メッチャ微妙っすわ。
アメリカ人はどうか知らんが、日本人はアニメとかで斬新な
話展開に慣れ過ぎてて、今作程度のやり込みでは全く動じないと思う。
あと、カーティスさんはOKなんやけど、ステファニー・スーさんは
あれでは全く魅力を感じんね 残念やけども。
出だしから ワクワクして見ようとしたけども、
ずっと同じような 撮りと、カット編集繋ぎが多く 目が飽きる。
しかも パッパと素早く切り刻んで 連続的に。
しかも 色だけ変えてたり。
内容と絵と 遣りたい事が一体化処理できてないかな。
だから 情が湧いてこない。
笑いを創ろうと お尻に棒入れるとか・・・
指長人とか、アダルトおもちゃ出したり
アクビと失笑しか湧いてこないよ。
総てに措いて 丁寧さが欠けてると思う。
雑過ぎる展開と撮りと編集とで 観てる方は
疲労感しか残らない。
まだ、YoutuberとかTikTokのノリの方が
シッカリしてる感じと思うよ。
終盤際に 涙っぽくさせようと、アザトク時間が延ばして有って
娘の傷んだ心を修復して 家族の絆が戻ったように
見せてるけども 何も感情も感動も起こらない。
急にそこだけ ロングカット入れて持ってきてもね。
こっち側の観ていくリズムってのを
どう捉えてるんだか。
極め付けは 石2個 同士の会話。
あれ見て もう終わった~と 思ったネ。
劇場側に損失出なきゃ良いけども
早期に別プログラムにチェンジが
宜しいかと感じました。
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(追記:)
「エブエブ事変」
2023年3月12日 映画は死んでしまった!
私達の人生を励まし何度も勇気付けてくれた 敬愛なる映画が
無残にもその命を奪い取られてしまった様だ。とても悲しい。
驚いた事に、そうしてしまったのはオスカ-そのものだった。
血塗られ汚れてしまったオスカ-。彼をそのように仕向けたのは
世界を牛耳る少数の評論家達であった。
映画は何時も同じでつまらない。時代を変える革命が必要だ!
そうさせた彼等は既に病にかかってしまっていた。
ポリコレ病だ。
数年前から摂取していたが とうとうポリコレ中毒になってしまっていた。
もはや取り返しがつかない。100年近い神聖なる歴史に
彼等はオスカ-を投げつけてしまったのだ。
恍惚なまばゆい光が世界全体を輝くように照らし
やがて ス-っと 静かに陰が 外縁から包み始めた。
そして・・・静寂となった薄暗い世界に、取り残された数多くの民。
涙も流れない やりきれない思い。
私は そこに 一人たたずんでいた。
3月12日は「映画の命日」として
毎年、この日は映画鑑賞をする事を取りやめ
映画に感謝し哀悼の意を表したい。
宇宙規模の陰謀が渦巻いてる?
ミシェル・ヨーとキー・ホイ・クアンの顔合わせがすべて。この二人が出てなかったら、まず見てない。
どぎつい下ネタの辺りでだいぶ集中力が失われた。
なんで鉄板ステーキ職人がナイフ使いの達人になるのか納得できなかった。
生物が進化できなかった星で、丸い石同士で字幕で会話するシチュエーションでは、石の周辺に草が生えている。
生物が進化できないのに?
石が丸いということは、水が豊富にあるということで、植物は生い茂るであろう。
とにかく細かな矛盾が気になりすぎる。
要は、「受け入れたくない人生の蹉跌を受け入れることで道が開ける」という教訓を中国系アメリカ人の家族を題材にして描いただけのことなのだが、マルチバースというSFチックな設定を駆使して、なにか強大な宇宙規模の陰謀を阻止するかのような錯覚を抱かせるという、個人的には大嫌いな味付けだった。
人生がうまくいかないのは、裏で糸を引いている見えない力の影響だと思いたい人がどんだけいるんだよ。基本的に人のせいにしておけば、何も頑張らなくていいもんね。
それと、映画賞を総なめしたのも納得がいかない。特にアカデミー賞は、投票方式を本気で見直した方がいいと思う。あれだけ場面展開がたくさんあったら、俳優たちは自分が何のためにソーセージの指で演技しているか理解できてないはずだ。
編集賞はアリだとしても、主演女優、助演男優は無いだろう。
2024.4.11
とても面白かっただけに惜しい。
穴を突けばキリがありません。突くのもヤボと思うほど穴だらけです。
なのでそういうSF的緻密さを要求するようなものではないのだと思います。
むしろテーマ自体は単純で、
自分の人生こんなはずじゃなかった!
だから死のうと思う人と、
だけど幸せって思う人と、
2種類いるよねという話。
マルチバース云々は飾りに過ぎないと思います。
マルチバースを知らなくても、あり得たかもしれない人生を夢想することは誰にでもあると思うからです。
それがマルチバースだろうがパラレルワールドだろうが素人にはどうでもよい話です。
劇中でも一切説明はありません。
主人公エブリンの、本当はあったかもしれない別の人生が次々に登場します。
それぞれの人生において、生まれてから大人になるまでの記憶が走馬灯のように流れ、やがて現実に引き戻されます。
正直このあたりは泣きそうでしたが、そこに次々と放り込まれるネタに笑わせられて、感動と笑いの混じった何とも言えない幸福感に包まれました。
これ系の映画は過去にも腐るほどあったと思います。
『スライディング・ドア』とか。
ただこのデタラメさとジェットコースター展開は見ていてとても気持ちが良く、今まで見た中でもトップクラスに面白いと思いました。
唯一解せなかったのはエブリンやジョイが改心する過程です。
あれほど人生に絶望した人間が、あの程度のことで戻ってくるのでしょうか?
セリフで説明されればされるほど、改心の動機が嘘臭く聞こえてきて、ゲンナリさせられました。(エヴァンゲリオンを思い出します。)
あれで納得するのは元からよっぽど幸せな人だけではないでしょうか?
しかしそこさえ目を瞑れば、とても良い映画だと思います。
コインランドリーを経営する一家が確定申告に悩まされるという設定なんかはなかなか良いところをついてくるなと思いました。
個人的にはとても好きな映画です。
対決ではなく、対話を
経営するコインランドリーは業績が芳しくなく、レズビアンの娘ジョイは反抗期、父親のゴンゴンはボケが始まっており、優しいだけの夫ウェイモンドとは離婚寸前と、何もかもがうまく行かない中国系アメリカ人のエヴリン。 冒頭から中国語が飛び交う様を観て、改めてアメリカ映画も流れが変わったのだと実感した。 特に最近は多様性を認める社会を象徴するように、マイノリティをテーマにした作品が増えたように感じる。 そしてマイノリティにとってはまだまだ生きづらい世の中は続いている。 エヴリンとウェイモンドは税金の申告のために国税庁を訪れるが、そこで不備を言い渡されてしまう。 現実から目を背けているのか、エヴリンは係の話を聞かずに妄想の世界に入り込む。 『虹を掴む男』という気がつけば妄想の世界に入り込んでしまう男の映画があったが、この映画はただ妄想の世界に逃げ込むだけの話ではない。 いきなり夫のウェイモンドが、自分はマルチバースからやって来た、世界の崩壊の危機を救うのは君しかいないとエヴリンに告げる急展開。 予備知識なしで観に行ったので、何が何やら分からないまま映画の世界観に引きずりこまれた。 マルチバースという概念をすんなり受け入れられないと楽しめない作品だと思ったが、映像の面白さとシナリオの緻密さに衝撃を受けた。 最初は世界観を理解するのに頭を使うが、きちんと物語を追っていけばその世界観に入り込めるようにシナリオが出来ている。 脳が追い付いた中盤あたりから俄然面白くなった。 世界を滅亡させようとするジョブ・トゥパキの正体が娘のジョイだったという衝撃の展開。 マルチバースが舞台になっているので、この映画の主人公エヴリンが存在する世界ではまだジョイはただの反抗的な娘のままだ。 しかしいずれはその本性を現すと、マルチバースからトリップしてきたゴンゴンや、ウェイモンドはエヴリンに警告する。 そして世界を救うためにジョイを消し去れと。 同じ人物でも存在する宇宙が違えば人格もまったく異なる。 その異なる人格がトリップによってコロコロ変わるのが面白い。 この世界のエヴリンは最低な人生を送っているが、他の宇宙では女優や歌手やカンフーの達人として成功している。 それはこの世界のエヴリンにもあり得たかもしれない世界だ。 そして最低な人生を送って来たこの世界のエヴリンは、どんなエヴリンにもトリップすることが出来る。 くだらないことを考えれば考えるほど、強い力を持つマルチバースの世界にトリップ出来るという設定がかなり面白い。 両手の指が全部ソーセージの世界のエヴリンには笑ってしまった。 息つく暇のない怒涛の展開。くだらないけれども、哲学的なテーマを感じる不思議な世界観。 中盤にかけてグッと心を掴まれるが、それを突き放すように終盤からはまたややこしい展開になっていく。 斬新なスタイルの作品だが、描いているのは愛という普遍的なテーマ。 そしてこれはやはり多様性を受け入れる物語でもあるのだろう。 対決ではなく、対話を。 アクション映画なのに、最後はバトルを繰り広げる度に人が傷つくのではなく、快感に包まれていくのが面白い。 とても練られた作品で感心させられたが、心から楽しめたかどうかは疑問だ。 頭で想像出来ることは現実に起こり得ることだ。 人間の頭ではまだまだ理解できない世界がたくさんある。 そして今後ももっともっと想像を越えるような設定を持った映画がたくさん作られるのだろう。 この映画は変化していく世界の過渡期にある作品だと思った。
なんじゃこりゃ
なぜ世界各地で色々な賞を取っているのか!その理由を、ネット上でわざわざ色んな人が解説せざるを得ないってことは、もう分かるよね。
自分史上、最低。感動の欠片もない映画だった。
結局、人には優しく!で全て解決なのかぁい。
今、人類史上かつてない程の巨悪が、リアルなこの世界に存在し実効支配してるのに、対抗しちゃダメ!優しくしなさい!って洗脳したいのかともとれる。
最近はアニメもヒーロー物も何でもかんでも……。マルチバース症候群。辛いこのリアルな現実から逃避させたいのだろうか。
映画の視覚技術等は、確かに凄いレベルだし、異世界との複雑な構成を脚本でも映像でも緻密に練り上げてはいた。
でも、巨大ディ●ドで戦ったり、ピンチを脱するのにア◆ルプラグを使ったりしてまぁ下品。子供には見せられないレベル。そもそも彼女がマルチバースの全ての世界を救うべく選ばれた理由も陳腐。
多様性を映画の中に入れてさえおけば賞が取れる時代なのか。
アジア系に大量に賞をあげてさえいれば、様々な人が感謝感激して、抵抗することは少ないだろうって?。そんな臭いのプンプンする映画だった。
見やすい
「別の宇宙(世界)とつながる」ためには、大きめイヤホンつけてる・緑色のランプ・奇抜な行動が条件。マトリックスの場合だとそのきっかけは、首の後ろに極太ケーブルを挿すですけれども。別世界を見せる演出には『インパクトが重要』なのだなと思いました。
スタイリッシュSFカンフー映画。
カオスだなぁ。笑
家族の問題をマルチバースという宇宙という想定の中で解決していく物語。とにかく言えるのは、全てがカオスで着想が面白いと思った。当たり前のようなストーリー展開を期待しいると、すぐに置いてかれしまうような物語のテンポの良さもあって良かった。ミステリーのように難解でありながらちゃんとしたメッセージを残してるのは、すごいなと感じた。
それぞれの世界では、並行して同じように違う自分が存在する。その世界では、それぞれが特質的な能力に目覚めたり、今の自分とは、違った世界に生きている。
この映画をどう表現したらいいのかと悩む所だけど、
全ておいてこれだと枠組みの囚われている事が今の自分というものの存在の否定になっているのではないか?
自分がもっと別の世界で生きているとしたら、もっとこんな事もあんなことも出来るのではないか?
そんな力強いメッセージを受けました!
2021年9月、主演女優は決まっていなかった。それがキーポイントだ♥
『海辺の映画館―キネマの玉手箱』見たいなロマン、ノスタルジー、イデオロギーがもう少しあっても良かったような気がする。但し、イデオロギーの面では、我々日本人が見ても、アメリカの事や、華僑の事が分からない。だから、100%この映画のイデオロギーが理解出来ない。『キネマの玉手箱』を中国の方が見てもピンとこないのと同じだと思う。だから、この映画にも我々日本人の知らない華僑の方々のアイデンティティが描かれているのだと思った。
しかし、ミッシェル・ヨーさんを使ったからには、ジャッキー・チェンの存在を無視してもらいたくなかった。
村上春樹先生の『1Q84』なんかもリスペクト視点じゃないかなぁ。だから、もう少し文学的であっても良かったし、最後も上手くまとめ過ぎのような気がする。そう、映画で言えば、
『スローターハウス5』なんかもリスペクトしているね。
公式には2021年9月にはミッシェル・ヨーさんが主演女優やると決まっていなかった様だ。それが決まり、一気にアカデミー女優♥エクセレントだね。
日本の映画も韓国、中華をみならえかもね。作品の良し悪しは別にして、そのうち良い作品が現れるかもしれない。
皇家戦士のミッシェル・キングはカッコよかった
1987年の香港映画で皇家戦士という真田広之とミッシェル・キング(ミッシェル・ヨー)
のアクション映画があった。それを見た時のミッシェル・キングのカッコよさは今も忘れない。やっぱり美貌とカンフーを兼ね備えた女優は少なくグリーンディスティニーでチャンツィーとの美女功夫対決は最高だった。
そういった理由もあってこのエブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスは
結構期待していた。
まあ、ミッシェル・ヨーのアクションはあまり見れなかった訳だけど、
彼女も流石に歳をとった訳だし。。
面白いといえば面白いが、前半のコメディに対して
後半のひとりよがりの家族愛は相当微妙。
このままコメディで通してくれればよかった思うのだけど。
この世界に生きてきたエブリンは結局違う世界を選んだってことだよね。
だってエブリンが本来生きてきた世界ではエレベーター前でバトルして終わったはず。
であれば今頃?警察でなんらかの対応をしている訳だったし、
そうならなかったとう事はそれは無しの世界を選んだ訳だし。
どの世界にもエブリンは居て、というか居る世界を選んでいる訳だけど、
その世界のエブリンをこの世界のエブリンが乗っ取るわけで、その世界のエブリンは
どうなったのかなと。一体になっちゃったのか?その辺なんかずるいかな。
また、ジョイはこの世界ではただの不良娘程度だったけど、マルチバースで
繋がったジョイは大量殺人をした訳だし、それがなかったかのようにエブリンが
受け入れるのは親としてどうなのか?
マルチバースはタイムスリップではないので同じ軸の別の時間に戻る訳ではないので
ジョイがやったことは全て過去の事実としてどの世界のも残るはず。
その全ての犯罪がなかった世界にやってきて一番いい形で生活するのはおかしいと思う。
また、娘であっても大量殺人を繰り返したジョイを娘だからというだけで、
受け入れるというのは難しいと思う。実際問題自分の子供が大量殺人やってたら
間違いなく警察に突き出すでしょ?それがせめてもの親の勤めだと思うし。
そして何より無限にある選択肢の中で最良のチョイスを現状でするとは思えない。
なのでどうかな?と思う。無限にあるんだよ、、、それが現状のベースであって、
収入が高いとか夫がオシャレとか、様々なより良いマルチバースを選ぶはず。
まあ既に選んでいる訳だけど。
それを全部まともて今ある生活に本当の愛を見つけよう!的にまとめるのは強引。
そうしたところが気にならなければ、なぜ功夫?と思いながらも
そこそこ面白いのかもしれない。
ループに眠る
コインランドリー、チャイナタウン。夫婦の断絶、綾子の断絶、移民の世代問題、背景は面白く魅力的で引き込まれたが、マルチバース、どっち?そっち?マルチバース、どっち?そっち?て見てるうちに、うとうとしてしまい、最後あら、ハッピーエンドとなった。夫のマルチバース往来はなんか面白くもあり、てもこんなに何度もバースしなくてもよいかなあ、、
ごちゃごちゃのカオス
流行りのマルチバースを持ってきて、あの世界線の私、この世界線の私、そしてその家族。
母と娘、妻と夫、妻と父親による家族の物語ではあるものの、娘はガールフレンドを連れておりこれも今時のテーマか?
事前情報ゼロで変にカンフーアクションを期待して観てしまった私は「あれ?」となってしまった。
観ていて惹き込まれるほどじゃなくお芝居と言う感じ。
共感出来るキャラクターも居なかったし、シーンが変わっても同じ顔の人物たちが大挙してゾロゾロ出て来て、ちょっとしたアクションを繰り返す。正直映像的な処理がショボければB級作品と言う人が多いんじゃなかろうか?
ミシェール・ヨーが主演女優賞とかもろたらしいけど、自分の中では“これで賞なのか?”と言う気持ちが出てきた。
万人受けする作品だけが良いわけじゃないが、自分が思うに万人受けしそうにないこの作品が評価を受けている理由がわからない。
この作品は普遍的な家族の心の内側を過剰に広げて見せている。この家族の感覚や繋がりが感動を呼ぶのだろうか?
しかしながら共感出来ないと「だからどうした?」的になりがちで、コメディにしても下ネタだし笑えなかった。
後、娘が渡辺直美+神田うのっぽくて、各シーンで衣装を替えて出てくる度に「コスプレっぽいな」と余計にショボさを感じてしまった。
もう一回は観てみようとは思うが自身の評価はそんなに上がらない気がする
この映画は実写版少年バトル漫画です
世の中に少年バトル漫画は数あれど、毎回色んな敵が現れて、やっつけると更なる強敵が現れる。毎回敵にボコボコにされ、毎回絶対絶命である。敵にやられて仲間はボロボロ、世界中の誰もがもうダメだと思ったその時、主人公はただ1人「まだだ!」と言って立ち上がる。めちゃ熱い展開な訳だが、どうして主人公は立ち上がれるのか。なぜ1人諦めないのか。私は少年バトル漫画のテーマはニヒリズムとの闘いだと考えている。その意味でこのテーマをほぼバトルのみで表現し切った、鬼滅の無限列車編は素晴らしいのだが、それは置いといて、突き詰めて考えると虚無(ニヒリズム)に理屈で太刀打ちできるわけがないのだ。世の中全てに価値が無いというなら、闘う価値も理由もない。それならどうして主人公は立ち上がれるのか。
前置きが長くなったが、本作ではマルチバースの中であらゆる可能性のおばちゃん(エヴリン)が無数に登場する。そして何かみんなキラキラしている。主人公のおばちゃんはその中で1番しょうもない人なのだが、つまりあらゆる選択肢の中から1番しょーもない選択をしてきた人間なのだ。これだけでもかなりの絶望なのだが、実は夢みてきたあらゆる選択肢の先にある未来、マルチバース全てが自分の世界と同じ、しょーーもない無価値な世界だと知ることになる。これは虚無る。虚無らざるおえない。では、どうやっておばちゃんは虚無と闘うのか。これは個人的な考えなのだが少年バトル漫画の主人公も本作のエヴリンも、果てはニーチェの永遠回帰まで、虚無に立ち向かう方法は一つ「根性」なのだ。結局根性論かーいと言われそうだが、人間全部ダメになって何も無くなった時、最後の最後は意地が残るのではないだろうか。この映画の脚本の優れているところはとことん理詰めで物語を組み立てて最後に理屈抜きの熱い展開で解決しているところ。さらに母と娘の関係が主人公本意にならない深みを作品に与えている。
SF+コメディ+カンフー+ファミリー=???
簡単に言うと、
詰め込みすぎ
ということになるのかな?
マルチバースの存在が認定されていく動機が弱いよね。結局あの家族内のことのみだから。B級好きな俺からみても、やや苦しい感じが。
ミシェルヨーにコメディやお下劣をさせようという意図はわかるけどね。意外性はあるかもしれないけどそれがうまくハマるとは限らない。
序盤は「うわー、ついに★2以下の作品見ちゃったかなあ」と思ったけどね。中盤畳み掛けるようなマルチバースの連続が少しおかしかったから★3でもいいかあ、と思って。
でもこれがアカデミー賞候補っていうのは、、、、どうかな?色々しがらみがあるんだろうけど、もっと純粋に作品の出来で判断してほしいよなあ。
あまり有名な俳優を使わないって言うのはB級テイストで好きだけどね。
とりあえず寝ないで鑑賞できたけど、気分的には「★2.5」かなあ
下ネタに爆笑してしまった。
下ネタに大爆笑。
マルチバースはSF弱者なのでよくわからんかった。
指がソーセージもウケた。
アジア系だからなのか、娘の外見を貶すのがすごく嫌だった。
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