「ジャンクな見せかけと現代人への優しいメッセージ」エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス N.riverさんの映画レビュー(感想・評価)
ジャンクな見せかけと現代人への優しいメッセージ
参った。
ジャンルからしてどこへ振ればいいのか分からないくらい斬新。
だが間違いなく高度に抽象的で、宇宙愛規模の壮大なヒューマンドラマだろう。
でもナンセンスカンフーコメディーって、どういう位置づけか。
はちみつにマスタードとチーズが合うのを知ってしまった背徳感に似ている。
並行宇宙に存在する自分と繋がる。
こうした設定はさほど珍しくない。
だがたいていはバキバキのサイバーパンクだったり、ゴリゴリのシリアスSFだったり、いや、そうしなければ説得力がないというか、緊張感が保てないことからそうならざるを得ず、パッケージとして常套も、本作にはそのバキバキにゴリゴリがないのだ。あるとしてイヤホンひとつのみ。むしろ真逆を行くアナログナンセンスコメディーだったりする。
しかしながら成立しているのは、ひとえにクレイジー極まる編集のたまものだろう。
もう本当にこれが凄まじい。
瞬き禁止の怒涛のつなぎで、ジェットコースター以上の激しい展開に長丁場があっという間だった。コレ、タイトル通り「あらゆるところの全てを一度に」観きったような体感である。そしてそんなカオスな現代を表現したかった、というなら大成功、と手を叩いて称賛したい。
とにかく「攻殻機動隊」から始まり「インターステラー」「インセプション」もちろん「マトリックス」に近年では「シン・エヴァンゲリオン」もか、多次元を行き来するSFをなぞって来た中、ついにここまで極まったかと興奮しきりだった。
そして本編、そうしたSFに酔いしれるだけのものか、と言えば中心はヒューマニズムで貫かれているのだからニクイし号泣。
選ばなかった人生が同時に存在する。それらをすべて内包しつつ、今を生きる。
諦めるが、どこかの自分は諦めず、成功するが、どこかの自分は打ちのめされて。
その互いが互いを鼓舞し合い、包括して最後に一人の自分として今、この道を選ぶ。
そんな人々があらゆるところで様々、今一斉に生きているんだと地球を眺めてみれば、つまり誰もが自分の選ばなかった世界線という事情(マルチバース)を抱えて主人公同様、奮闘しているに違いなく、その健気というか、切なさに「優しく」の台詞もひとしおで、さらには今、目の前にしている「この瞬間」が、無限の選択が交差する無限のうちの一点だと捉えたあかつきにはもう奇跡さえ感じずにはおれず、ナンセンスなんだけれど号泣しまくりだった。
またこれを、特別な美男美女がけれんみたっぷりに演じていないところもいい。
ごく普通の、むしろ移民アジア人女性とくれば今や弱者の象徴だ。
ありふれた弱々しい人々の背景、としてマルチバースが展開されるところに「誰しもが」という感情移入の余地の大きさを見る。
(エッセンシャルワーカーやいわゆる主婦など、日々忙殺され、黙々と仕事をこなす、だからこそ実際、世界を回している重要だが無視されがちな声なき人々へスポットを当てたとも)
むしろもう、美男美女があたかも…、な展開にシラけそうなほど。
中盤、最悪を選び続けたということは、選ばなかった世界線を生きるもう一人の自分を幸せにしている。というセリフがたまらなかった。
石問答もシュールかつ、とても東洋を感じており、大好きなシーンだ。
ともかく、かっとびすぎて映画を見慣れていない人にはハードだろうな、としか思えないがこれぞ今、現在を切り取った旬の映像作品、で大満足。
そういう意味で現代アートですらあると感じており、評価が後々、どう変化してゆくかも楽しみである。
まあ、唯一、難点を挙げるならば、
これを見た後、どんな作品を見てもしばらくは圧倒されてしまうだろうことと、物語そのものがマルチバースに解体されてしまうことだろうか。
「スイスアーミーマン」をなにげに見て、コレすごいんじゃなかろうか。
と思ったことは忘れがたい。
結局ナンセンスなんだけれど。
そういう照れ隠しの向こうに、光るナイフの切っ先のような狂気を見たというか。
鑑賞後、同監督の作と知ってヒザを打ちまくって腫れた。
また同じく鑑賞後、公式ホームページの監督のメッセージを読んで、
自身の感じ取ったことが間違いではなかったことを確信している。
と同時に、あの展開でそれを受け取り手へ送り届けたこの作品の
凄味に、凄味に、ただただ圧倒されている。
(3.18. 加筆修正)