「カオス」エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス U-3153さんの映画レビュー(感想・評価)
カオス
A24って事で一筋縄では終わらないとは思っちゃいたが…これほどとは。
やりたい事はなんとなーく分かりはするが、あまりにシンプルな主題だけに、ここまで入り組まなくてもとデコレーションの多さに胃もたれが酷い。
導入のエレベーターのクダリを結構すんなり受け止める主人公が謎だ。
器は同じで内容をアップデート出来るって設定は面白くはあるが情緒不安定な状態との共通点が多すぎるし、面倒なのは周囲の人々もアップデートしているとこだ。
どこの世界の誰が何の目的で、現在に憑依してきたのかまで考えが及ばない。
おそらくならば主人公の主観が反映されてはいるので、彼女が感じるストレスの具現化なのであろう。
結局のところ、子供が最大の心配事であり、厄介極まりない存在でありながらも、母性の発露なのか護りたいし、離れてほしくないのであろう。
ジレンマ、なのかな。
まぁ、物語はホントによく分からない。
1+1=2を「リンゴ」で説明されるわけではなく、「物理的法則における因果律を素数もしくは因数的な解釈を含めた場合の解」なんてチンプンカンプンな用法で説明されてるような気分なのである。
ただ
ミシェル・ヨーは流石であった。
演じ分けは勿論なのだが…アクションの癖まで使い分ける。彼女が功夫の構えをした時の威圧感ったら…胸が躍ってキュンとする。
また、素人同然の構えをちゃんとやってるのが驚異的だ。ああ、人殴った事がない人の構えだ、と、直感的に理解する。
そんなわけないのにっ!w
体得してるわけだから、体が勝手にやっちゃうのに、そこをしっかりコントロールしちゃえる能力の高さよ…素晴らしいです。
すでに達人。
そのまま、生きる伝説的な存在だ。
そんなミシェル・ヨーのアレやコレやが見られる本作。
彼女が主演でなかったならば…俺的には過去に類を見ない程の罵詈雑言で埋め尽くされたレビューになっていたかもしれない。
▪️追記
劇場では睡魔に完敗したのでNetflixで再戦。
やっぱりよく分からない。
ただ…マルチバース的な要素は可能性の具現化である事がなんとなく把握できた。
そして、クソみたいな日常はほんの些細なキッカケで変える事もできると。
作品を観ながら思ったのは「人類補完計画」のようなモノで…不完全で不寛容な人間だからこそ諍いが起こるみたいな事であり、娘の狂乱ぶりはまさにソレにあたる。親からしてみりゃ、いや、本人以外にしてみりゃその感情なり反応の論理的な起点が不可解でしかなく…何をもって共感するべきかの方針も方法も分からない。
ただ、それでも根底には愛情があるので断絶する事はなく、なんとなく修復していく。
破裂と修復を繰り返すわけだ。
親父が言う「優しさ」みたいな事は第三者の目線であり、希望的観測に過ぎない。
本人達は至って前向きに愛を叫びあっているのだ。
睡魔にフルボッコにされながらもしたためた初見のレビューは覆る事はなく、やっぱり主題はシンプルで、クッソ面倒くさい遠回りをしているような印象。
哲学的になりがちなメッセージをマルチバースに置き換えたのは新鮮ではあった。
本人に一貫性はあっても、その思考なり思想が理解できなければ分裂症にも思うわな。
むしろ、理解できると思う方が傲慢かもね。
人の立場と同じ数だけ異なる意見があると言う事で、それは家庭においても同じ事。同じ時間を長く過ごすから多少の類似点は出てくるものの、基本的には違う宇宙に住んでる人型の生物って事に変わりはない。
分かったような気になってただけ。
分かってると思い込みたいだけ。
全宇宙の崩壊ってのは大袈裟でもなんでもなく、何かを間違えば、または違う選択をすれば、その後の世界は変わっていくので、選択前の世界は破壊される。
それが日常なわけだ。
皆、それを繰り返して生きている。破壊された世界だから戻ってくる事はなく、故に後悔も落胆も諦めもする。
主人公が巻き込まれるのは特別な事ではなく、その日常の視点を捻っただけの世界なわけだ。
まぁ、くそ面倒くさい脚本だわ。
俳優陣はよくぞこんな世界観にダイブできたと感心する。
そして、2回観てもコレがアカデミー賞を総ナメにした事に疑問しか抱かない。ミシェル・ヨーを擁した中国マネーの成せるワザかと勘繰ってしまう。
バカげてる。
お邪魔します。
私も観ててまったく楽しくなかったです。
猥雑過ぎるし、マルチバースと石の関係とか・・・
ちんぷんかんぷんでした。
ラストの5行・・・心から同感です。