ロストケアのレビュー・感想・評価
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多くの個人が背負っている、また今後さらに多くの個人が直面していく...
多くの個人が背負っている、また今後さらに多くの個人が直面していく社会課題。私は夫婦共両親を亡くしており、そんなことを考えてはいけないと思いつつ、周囲で介護をされている方々を見るとやはり、運が良かったと考えてしまう。ドラマとしてというより問いかけられるテーマに対して考えさせられる、こんな映画もある。
ただストーリー的に千羽鶴の使い方は疑問だ。松山ケンイチが介護対象者に折っていたという事だけが振りだが、鈴鹿央じがなぜ折る、なぜ長澤まさみに渡す、なぜ長澤まさみが礼を言うのか。単にこういう小道具の使い方に憧れちゃったのかな。
どちらの視点に立つのか?
この映画は、松山ケンイチの演じる殺人犯と、長澤まさみ演じる検事のどちら側の視点に観客が立つかが別れますね。
私はどちらかというと松山ケンイチ側で考えてしまいました。もちろん殺人はダメだとはわかっているけど、現場で介護する家族のしんどさを見ているからこそ、「救済」という名の殺人を犯してしまうんだと思いました。しかも自分自身が穴の底に落とされたという経験があるからこその動機だし。
この映画もどちらかというと松山側の視点で進んでいくし、坂井真紀の言葉もあって、ますますそういう思いになりましたが、ラストでの戸田菜穂の叫びがそれらを覆す魂の叫びで、やっぱり当事者にしか本当の想いはわからないんだろうなと思いました。
必殺仕事人なら、殺して欲しいという依頼があるし、その裏もとって悪人を裁くから、仕事人を殺人者だから悪人とは思わず、一種の(闇の)ヒーローとして捉えているけど、この映画ではあくまでも松山ケンイチの独善的な考えではあるので、やっぱり共感はできないなと思いました。
蛇足ですが、後日シン・仮面ライダーで長澤まさみさんを見ましたが、この映画とのギャップが凄すぎてビックリ。よくあの役を受けたなーと思いました。
30代半ばの女性検事・大友秀美(長澤まさみ)は、ある男性の孤独死の...
30代半ばの女性検事・大友秀美(長澤まさみ)は、ある男性の孤独死の現場に立ち会った。
事件性はなく、死後2カ月して発見されたものだった。
それからしばらくしたある日、訪問介護を受けていた老人宅で、介護していたセンターの所長の死体が発見される。
ニコチン注射による老人、階段から転落したとみられるセンター長。
不審に感じた大友検事は、助手の事務官・椎名(鈴鹿央士)の分析で、くだんの介護センターでの被介護者の自宅での死亡事例が突出して多いことに気づく・・・
といったところからはじまる物語で、老人とセンター長の死の前に、当該介護センターに勤める熱心な介護士・斯波(松山ケンイチ)の働きぶりが描かれます。
被介護者の自宅での死亡事例に、斯波が絡んでいることは早々に明らかになり、ミステリー的な関心は薄れるのだけれど、そこからがこの映画の面白さが始まります。
映画冒頭に、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」とマタイによる福音書の一節が映し出され、斯波の犯行は「自分がしてもらいたかったこと」なのだと、信念をもっている。
その確信の背景には、「いちど穴に落ちたら、もとへ戻れない。多くは、安全地帯にいて、"自己責任"の名の下で、穴に落ちた者を救おうとしない、非難する。社会が悪いのだ」と、斯波は大友検事に正面から言い放つ。
あまりのストレートぶりなのだが、そのストレートぶりは胸を打ち、どうしようもない怒り・憤怒がこちらにまで届く。
斯波の言説に対して大友検事は「それは身勝手な正義感」と唾棄するが、斯波は「それこそ、あなたが"安全地帯"にいるからだ」と面罵する。
この映画でもっともスリリングなシーンです。
そのような社会問題を前面に出した映画は、ふたつの被害者遺族を描き、物語を立体的に、かつ奥行きを与えます。
ひとつは坂井真紀演じる羽村洋子、もうひとつは戸田菜穂演じる梅田美絵。
ただし、介護をしていた者の視点がこのふたりしかおらず、やや奥行きに欠けるかなぁ、というのが残念なところ。
で、裁判の末、斯波の刑は確定するのだけれど、その後に、冒頭に描かれた孤独死にまつわる大友検事の後悔・告白があり、このエピソードは「うーむ、どうしてここで喪われた親子の絆、みたいなものを入れちゃうのかしらん」と、個人的には鼻白む思いがしました。
(安全地帯からの家族の絆幻想みたいな感じ。あいまいなカタルシスの提示みたいで。)
ということで、最終盤で大きく失速。
問題を問題として提示するだけでもよかったのではありますまいか。
それだと、観客にそっぽを向かれると思ったのかしらん。
介護問題と法的殺人のジレンマ
松山ケンイチさん演じる訪問介護員による高齢者殺害による救い論と長澤まさみさん演じるサソリオー…検察官側の自己判断殺人の法違反論の対峙が本作の見どころ。介護という誰しもがする、される、を迎える事象に避けては通れない。現役世代の時間を奪い、生活の全面支援、認知症などの会話上のストレスなど老害という側面がある一方、それが肉親ともあれば自分を愛してくれた育ててくれた暖かな過去の側面もある。殺人は犯罪だし、ましては他人の家に入り老人を殺めるのはもってのほか。しかし、いつまでも停滞し続けていい問題ではない。
本作は現実社会訴え向け作品で、一度はどの世代にも見てほしい。松山×長澤の陳述調書のシーンはとても鮮烈された言葉、会話で見入ってしまいました。
劇場はざっと見ると60代以上が多かった印象。どういう心情で見ているのか時折気になりました。
さもありなん
話はシンプルで、介護士の男が認知症の高齢者を何十人も殺したというものです。
認知症患者を殺した当人は全く悪くないと思っているところは、相模原障害者施設内殺人事件の犯人が、意思疎通ができない者は生きていても仕方ないので殺した、自分は悪いと思っていないというようなことを言っていたのと、本質的には同じように思います。
しかし、実際のところ、暴力・妄言・糞尿に塗れる・徘徊等、認知症が原因で日々起きる出来事への対応に疲れ、暴力を奮ってしまって後悔したり、介護で時間を取られ生活もままならなくなったりと、体力的にも精神的にも経済的にも追い詰められたら、弱い自分は早くこの状況から抜け出したいと思い、この介護士の存在を願うかもしれません。
この映画の検事のように、親が自力で入居した高級老人ホームに月に一度好物を持参しているだけの人間に、正論吐かれたらウンザリしますね。
だから、犯人がこの検事にペラペラ説明してたのには驚きました。益々、植松と近い気が。
検事の正義感面にもいい加減飽きてきたところ、映画の最後のほうで、自分に会いたがる父親を無視していたら独居死していたという後悔があったことがわかります。その自分への責めを介護士に行っていた?いや、待てよ、20年も会っていないなら携帯番号もやり取りしてないはず。長い間会っていないというのは嘘で、実は検事も父親を自然死に見せかけて殺していたとか?…と深読みしましたが、そのままエンドになってしまいました。つまらないぞ。
どうせなら、殺された人は全員、家族に迷惑にかけたくないと介護士に依頼した人だった、つまり全員嘱託殺人だったとかいう話だったら、介護される者の気持ちに重きが置かれたかなり感慨深い話になった気がします。そこにさもありなんの綺麗な曲が聞こえてくると泣けます。そして、そうだとしても介護していた家族が犯人を罵るというシーンであったなら、更に深みを増すのになと思いました。
蛇足ですが、身近に、映画の状況そっくりな、小学生の子供がいながら認知症の姑を9年間看続けきった女性がいます。
「後悔なく精一杯親を介護したと、自分自身に言えるか?って話よ」
その通りだなと思っています。
身内の介護はきれいごとだけではない
身内の介護はきれいごとだけではない。
身内だからこそのどうにもできないことごある。
人を殺めることは決してよいことではない。
でも不謹慎ながらそういう結末になってしまう(しまいそうになる)人を責めることはできないと、自分の経験を振り返りながら観ていた。法廷で「検事さんは正しい、でも俺も正しい(的なセリフ)」が述べられたとき善悪だけでは片付けられないものが見えた。
非常に考えさせられる内容だった。
ただ自分の理解がうまいこと追い付かなかったのかわからないが、コンパクトにまとめられた感があって、なんとなく気がついたら裁判のシーンになっていた。
斯波がどう考えてこの結末に至ったのかの部分と殺人事件を解き明かしていく部分が、並行して進む展開だが、もっと前者がクローズされているのかなと思っただけに、ちょっと予想と違った。あくまで個人の見解ですが。
よかった
マツケンは。笑
長澤まさみはやはり好きになれん。
柄本明の鬼気迫る演技も悪くないけど、ちょっと引いてしまったのは、隣の席の人(知らない人)が泣くからだけではないはず。
あんな風に言葉を発するものかなと。すみません、水をさして。
長澤まさみの演技も、力が入り過ぎてこっちの肩が凝るんだよ〜。
施設を訪ねる服装もパリッとしてるね。
もっと力を抜いて〜。
トイレの介護、来た時くらいはやろうよ。
ゆきちゃん、すぐに辞めてしまったのは斯波さんのせい?
あそこの描写がわかりやす過ぎて笑えるほどだった。
雑だったね。
坂井真紀、幸せになれるといいな。
戸田菜穂、本当に死んで欲しいと思ったことは一度もなかったのか?
と、いろいろ気づいたことを書いたけど、人は見たくないものを見ないようにするもの。
実話じゃなくてよかったけど、日本での検事さんの取り調べってああいうものなの?
若い子斯波さんの話を聞いて泣いてだけど…それもありえないような。
最近介護施設で亡くなると周りの目がすごく厳しいみたいだけど、訪問看護の場合は抜け道だらけってことか。
最後のシーン。
それを斯波さんに言ってどーする?
斯波さんも何のためにに?と言ってたけど。
言うべき相手は彼ではなかった気がするよ…。
それから、鏡やガラスの映り込みを効果的に使った(と思ってそう)シーンが多かったけど、多用過ぎると鼻につく…すみません、天邪鬼で。
親の介護問題をテーマにした作品。私の祖母も認知症になって、殆ど母が...
親の介護問題をテーマにした作品。私の祖母も認知症になって、殆ど母が面倒をみていたのだけど大変そうだった。
犯人の斯波(しば)と検事の大友。二人がメイン。二人共に親が認知症を患ったことが共通であるが、斯波は自分の生活を捨てて父を介護したが、大友は母を老人ホームに入居させている。低所得か高所得かを対比しているのだろう。
斯波の親族は父のみ。高卒で就職するも父の介護のため会社を退職。その後資金不足となり生活保護申請するも受け付けてもらえず、食事がまともに取れないほどに貧困化した。父は寝たきりになると、息子へ面倒をかけたくないことから息子に自身の殺害を願った。斯波はその願いを受け入れて父を殺害。以降、斯波はケアセンターに勤務し、自身と同様に介護で苦しむ家庭を見つけると、その要介護者を殺害してきた。これまでに自身の父を含めて42人を殺害。斯波は殺人ではなく救い(ロスト・ケア)だと述べる。
大友は斯波の主張を否定するも揺れているようだ。大友自身は経済力があり親を老人ホームに入れているので、私生活には殆ど影響がない。大友は斯波の言う安全地帯にいる。
単に大友を正義とすると、どうしても親の介護問題がお金で解決出来てしまうので、おそらく大友にもマイナス面を作ったと思う。それは大友の父の存在だ。大友の両親は離婚していて父は孤独死。死後発見まで2ヶ月掛かっている。おそらく貧困であったと思われる。大友の父のエピソードがあることで、大友があまりにも強い立場に置かれてしまうのを防いだのだと思った。
斯波による殺害で救われた人がいる一方で、殺害を許さない人もいる。結果として、議論を呼ぶようなストーリーになっている。
単なる復讐劇になってしまった。
まずは私は福祉業界が長い医療者なので、デイサービスや施設、訪問などにも携わっていたことがある。この映画のキャッチフレーズである”自分がした行為は「殺人」ではなく「救い」であるという主張”について。ここが今回の映画で知りたかった重要な点。だけど斯波(松山ケンイチ)における「救い」と述べる点については説得力があまりになさすぎた。これでは救いではなく単なる復讐劇。国の問題、生活に困窮して苦しく追い詰められた挙句に父親を殺してしまったことへの単なる正当化。
そこら辺り…現実にはこういう事件を起こした人がいる中で、ぜひ映画ではここをもう少し偶像化してほしかったん。せっかく聖書の言葉までエピソードに挙げたんだからもったいない。
斯波の人物像がぼやけてしまったせいか、松山ケンイチさんも演じるにあたって残酷なのか、いい人なのか、その狭間をどうやって演じたらいいのか迷っているようにも見えました。元々人柄的にイイ人だしね。ちょっとこの役難しそうに見えた。
流浪の月で松坂桃李さんが最後まで役が掴めなかった、という発言を言われていたのを聞いて本当にそうだな、と思ったのです。人物像が中途半端だと役者さんも自分の中の役を作り上げられないと思うから。
その中で次のアカデミー賞候補になるんじゃないか、と思えるほどの演技をされたのは柄本明さん。麻痺もリアル。虐待をされたあとの表情なども涙を誘う。
この映画を観た時は平日で満員。ほとんどが中高年以上の方々で私の両隣の方も嗚咽をもらすほど泣いていたのはやはり柄本さんのシーン。
老年期に思うように体が動かなくなった時、家族に迷惑をかけることを想像して胸を痛める方もいた。それくらい重い題材だったしメッセージ性も強くなるのが当然のような作品。映像化するまで何年も時間をかけたそうですが、私は現場人間なもので、もう少し斯波に肩入れできるような(現実ではしちゃいけないんだけど)作品を期待していたので到達できなかったのが残念。私の中ではPLAN75の方がリアリティがあった。
心臓ぎゅーってされる感覚だった。
予告の時点で悲しい結末になることは予想が着いていたのですが、開始5分でしんどい内容になると確信しました。
私に介護の経験はありません。祖父が介護が必要な時があったのですが、身内に介護職が多いので、基本的に見ていることしか出来なかったことを覚えています。
他人事では無いなと、わかってはいるけれど、将来どうしようかなんて考えたことがまだないです。
見ている側としては、殺人に対して"確かに救いの面もあるかな"って感情を抱いたまま見ることになります。そして、それを自分や家族に当てはめたりもします。
だから、検事(長澤まさみ)としば(松山ケンイチ)の会話で精神的にすごく揺さぶられて、心臓グイグイされている感覚になりました。
2年くらい前に、"護られなかった者たちへ"という映画がありましたが、考えさせられるものとしては近しいものがあります。
考えながら、主要登場人物すべてに自分を重ねながら見て欲しいです。
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終盤、法廷にて、松山ケンイチに対して、「人殺し!お父ちゃんを返せ!」と女性が叫ぶシーンがあります。
そこまでのストーリーで、"確かに救われている面もあるな"と思いながら見ていた自分はそこで、ハッとしました。
作品としては、殺人を擁護する終わりにすることは出来ないので、"松山ケンイチが悪ですよ〜"って私たちに示す必要があったのだと思いますが、ちょっと無理やりに感じました。
新米の女の子が松ケンの書類送検をきっかけに介護職を辞め、風俗(キャバクラ)で仕事している様子が写ります。あれは信じていた人に裏切られたことによる失望だと思うのですが、今作に何が関係しているのかはちょっと分かりません。
正直このように良くできた映画になるとは思わなかった。殊に柄本明の父親役は原作超え。(帰りに母親に美味しいものを買って帰りたくなった。我ながら甘い。)
(原作既読)
①着地点の難しい話だから(原作もその点では成功していない)、どう締めるのかと思っていたら、冒頭のシーンの伏線回収をすることで検事をなぜ原作の男性から女性に変えた理由を明らかにするという捻り技で幕を下ろした。
②他人事ではないが、身につまされる程ではない塩梅。
胸にズンと来る程の社会派ではなくエンタメとのギリギリの境くらいに位置しているかな。
そういう時代なのか、着地点が難しいせいなのか分からないけれど。
③映画化すると聞いた時点で原作の持つミステリーとしての面(叙述トリック)は無くなるだろうな、と思っていたが、最初の四分の一くらいの間で上手くミステリーの味わいを残した脚色になっていて、ちょっと感心した。
特に犯人を炙り出すくだりは原作に負けず劣らずスリリング。
④冒頭の刑務所に入りたいがために軽犯罪を繰り返す老婆役に何と綾戸智恵。原作ではもっと身につまされる感じだったが、綾戸智恵の怪演で此処は笑ってしまった(私も年を取ったら刑務所暮らしも良いかな、と思ったことがあるクチなので本当は笑えない話だけれども😅)。
⑤長澤まさみは、役のせいもあるだろうけれど『涙そうそう』の頃からすると、だいぶん年を老けたなあという印象。
だが表情で演技できる良い女優になってきた。特に中盤、雨の日に椎名との二人芝居の時に大変良い表情を見せる。
⑥柄本明はどの出演作でも上手いが(最近では『ある男』でも短い出演シーンながら強烈な印象を残す)、本作でも、半身不随になり認知症になり挙げ句寝たきりになって、”死んでくれたらどんなに楽か”と思いながらも手に掛けられなかった(普通はこちらが当たり前)息子に、“自分が自分でなくなる前に殺してくれ”と頼み、とうとう息子が一線を越えてしまうのも納得の父親の姿を「これこそ演技だ」と云える芝居で見事に造形している。
⑦その息子役の松山ケンイチは一線を越えるシーンを粘り強く熱演して感心した。但し、そのあと赤い折鶴の裏に書かれていた父親の遺言(?)を読んで泣き崩れるところはありきたりの演出でもう一つ胸に迫らず。
⑦刑務所で検事と死刑囚が面会するラストシーンは原作にはないが、向かい合う二人をまるで鏡で自分を見ているような演出で描く(そういえば、あちこちに鏡や窓に映るreflectionが多い映画でしたね)。
勿論、二人は社会的には相反する立場だし、人間として似ているわけでもないが、片方は実際にその手で父親を殺し(物的に殺し、しかし心の中からは消していない⇒後悔していない)、もう一方は父親を見殺しにしたことを後悔している(物的に殺したわけではないが、自分の人生からその存在を亡いものと思っていた)という法や倫理を超えたところで共有する物がある人間として対峙させている。
何かを解決しているわけではないが、映画らしい終わり方だったと思う。
⑧
自分がして欲しい事は、他人にしても良いとは限らない
最近何でもかんでもSDGsじゃないですか。
17項目ありますよね。
なんか中途半端に感じません❓
奇数だからかな❓
実は、ハッキリと宣言できない、
「第18項目」があるらしいのです。
それは、
「生死の選択」
と言われています。
最近、成田某氏が
「集団自決」云々と言ってたのも、
強ち間違いではないのです。
確かに、それをメディアで表すれば、
あんなのTVに出すな❗️💢
となるのは当たり前。
斯波宗典へのデモと同じ。
日本は世界に類を見ない、
超超高齢化社会。
老人に手厚い国です。
その割に、高齢者介護事業には
手厚く無いです。
恐らくは介護事業に手厚くするには、
被介護者が限界突破してるのだと思います。
私は介護の現場に近い者です。
様々な被介護者がいる中、
認知症は一番手が掛かり、
精神的な負担も大きいです。
昔はドリフのコントでしか聞いたことのない
「あたしの夕飯はまだかい❓」
「おばあちゃん、さっき食べたでしょ」
というやりとりを、
30分置きに5回、
しかも真顔でやられると、
正直手を出したくなります。
「お金を取られた‼️」と
騒ぎ出す方もいます。お金持ってないのに。
今では慣れましたが、
「アンタが犯人かぁ⁉️」
なんて言われたら、
微かな殺意も覚えます。
認知症の方の親族に会う事もあります。
携帯電話の使い方は覚えているので、
毎日の様に電話がくるそうです。
ここはどこ、家に帰りたい、
いつ来るんだ、お金はどこだ、
あたしは親だぞ、
ほぼ毎日同じ内容の電話。
皆さん揃って疲弊してます。
斯波宗典は、
自分が手を下さなきゃいけない
こんな世の中間違ってるよ、
とでも言いたいのだろうが、
本当にどうしたら良いのか、
行政は分かっているのか。
案外斯波は間違ってないのかも、
と思う自分が怖い。
その分、裁判で叫ぶ戸田菜穂と、
公園で手を繋ぐ坂井真紀、やすには、
「救われた」気がした。
「PLAN75」が礼賛されたのは、
世界では、
微かにその流れはあるのかもしれない。
一つ言いたい。
柄本明は白眉の演技。
セリフシーンは字幕が欲しかったけど。
良くも悪くも“問題提起”映画
最後に大友の信念が揺らいだところで終わっており、物語としては尻切れトンボな印象。
そこはそれぞれで考えて、ということなのだろう。
両親とも介護が近い歳なのに、方法やお金のことなど何も準備ができてない自分には堪えた。
しかし、脚本面で余計な描写も多い。
所長の空き巣や刑務所入りたがりおばちゃんなど、別の問題が入りすぎて気が散る。
遺族の恋愛描写も、意図は分かるものの全体の中では浮いていた。
由紀の不自然な発狂と、唐突で無意味な風俗転身カットには愕然。
「早めに処理しろ」とか「数学科出の変わり者」とかも活かされていない。
父親が懸命に折ったであろう鶴をいきなり開くなど、物語のための不自然な行動もいくつか。
また、台詞がモロに文語体のままなのが非常に気になった。
作品によっては問題ないが、せっかくリアルな題材を扱っているのに現実感が薄まってしまい、残念。
原作があるとはいえ、そこは上手く口語に直してほしかった。
しかし、圧巻だったのは柄本明の演技。
表情や仕草は元より、リアルさと聞き取りやすさを両立した台詞回しは絶妙過ぎる。
松山ケンイチも良かったが、アタマ二つくらい抜けていた。
個人的には、本人・親族双方の合意があれば、安楽死は認められてもよいと思う。
ただ、どちらの意志も無視した斯波の行為は肯定できない。
日本の未来
検事に殺人を続けた理由を聞かれた主人公が「バレなかったから」だと答えたことがとても引っかかった。
積極的に殺人を犯したい精神性ではなかったのに、バレなかったことがなぜ殺人を続ける理由になったのだろう。
また同時にバレないように絞殺などの痕の残る方法を選んだのではなく、純粋に父親を苦しめたくなくて毒殺を選んだ主人公の優しさがとても悲しかった。
この時もし殺人に気付かれていたらきっと、彼は素直に罪を償ったし、殺人を救いだとは思わなかったのではないか。
でもバレなかった。
それで介護殺人とは正しいこと、殺人によってもたらされた平穏は救いだと錯覚してしまったのではないだろうか。
(これが錯覚かどうかというところに議論の余地があるのが日本の現状の社会問題でもありますね)
彼の行った殺人によって、本当に救われた人もいて……でも裁判の場面では最後、家族を返せと力の限り叫ぶ人もいた。
他人の心は目には見えないですね。
幸せそうに見えても本当は辛い思いをしてる人もいるし、辛そうに見えても実は幸せを感じている人もいると思うんです。
彼の大きな罪は他人の幸不幸を自分の物差しで勝手に判断したことではないだろうか。
絆は呪縛。
またもや柄本明さんの迫真の演技が光る作品でした。
ある男、シャイロック。。どこにでも出演されているけれど、毎回違う人物なのに本当にいそうな人達ばかり。そして、
今回の役どころ、脳梗塞に倒れ、片手が動かしづらくなり骨折で寝たきりになって認知の進んだ高齢のおじいさんを見事に演じられていました。
話もだんだん上手くできなくなる老人、だけど映画だから本当に聞き取れなくては映画にならないから、観客が聞き取れるギリギリのセリフ回しで話していて見事でした。
祖父もそうでしたが、やはり加齢などにより手がうまく動かせなくなり、細かい作業などがおぼつかなくなると、若い頃の上手く色んな作業が出来ていた頃の自分を思い出してやるせなくて高齢者はかんしゃくを起こしてしまいがち。。だけど見守る家族にはその手などを治してあげることも出来ないので、何もしてあげられないもどかしさと、高齢の親や祖父母の苛立ちを感じて周りの家族も苦しい。
そんな家族のやるせなさを、柄本明さんと松山ケンイチさんが見事に演じていました。
最後に父親を手にかける主人公の場面で、松山ケンイチさんが泣いていても涙の量はあまり多くなく、代わりに喉の辺りが激しく震え、本当に嗚咽にあえいでいる人物になっており、喉の動きだけで主人公の全ての悲しみを表現していた松山さんの演技力もやはり凄い、と圧倒されました。
そして「絆は呪縛」という言葉が深く胸に沁みました。。
絆は普段なら喜びを感じるものだけれど、場合によってはそのために苦しみや耐え難い苦痛を伴うこともある。
絆を断ち切ることが場合によっては救いになることもある、というのは腑に落ちました。勿論断ち切ってほしくない人にとっては主人公は悪なんでしょうけど。。
悪には思わない、救われたと思う遺族もいて、とても難しい問題でした。
穴に落ちた人と安全な所にいる人
一度穴に落ちたら二度と這い上がれない境遇にいた犯人(松山ケンイチ)と安全な場所にいる検事(長澤まさみ)。
人としての優しさを感じたのは犯人斯波でした。
彼は脳梗塞で倒れ認知症になった父を介護するために一緒に住みバイトも辞め貯金も底をつき三食食べられない状態で生活保護を申請するも断られてしまう。
一方検事の長澤まさみは母親を老人ホームに入れて月に一度だけ母親に顔を見せるだけ。母親(藤田弓子)は認知症にかかっており娘に「そんなに毎週来なくていいのよ」と。子供時分に離婚して離れて音信のない父親を捜そうともしない。
決して許されることのない殺人ではあるが、斯波の行いにより救われた人が何人もいた。検事が斯波を極刑にするために遺族に問うと「救われました」と。また、小さな女の子を一人でパートで働き育てている女性には新たなパートナーが見つかり幸せな道を歩み始める。
斯波の父親役柄本明が素晴らしい。脳梗塞を患った人をよく研究してると思った。亡き父の事を思い出し涙が溢れました。
鈍感な社会
高齢化社会の裏で、福祉の穴からこぼれ落ち、誰にも気付いてもらえない人々は確実にいる。殺すことでそれを救ったと主張する介護士斯波(しば)と、対決する検事大友の、どちらが正義なのか。もう目を背けてはいけないテーマです。
自身の辛い経験から、確固たる信念を持っている斯波(松山ケンイチ)に対して、正義と法の遵守精神で断罪しようとする大友(長澤まさみ)の方に迷いがあります。
当人の意思を確認せずに大量殺人を行なった斯波に正義など無い、はずなのに、本当にそうなんだろうか、と観る者に思わせてしまう松山さんの説得力ある演技でした。
映画としては、演出にわざとらしさもあって、残念でした。
由紀ちゃんの取り乱し方が中学生みたいだったし、風俗嬢になっていたのには、はぁ?と思いました。戸田菜穂さんも、表情だけで分かるのに、食器をひっくり返したり、ヒステリックに叫んでましたね。
大友は裁判の後で斯波に面会して自分の胸中を告白します。父親と連絡を取らなかった後悔はあるにしても、大友の自己責任のように罪悪感を持たせるのは違うかなと感じました。それに、検事が被告に告白をして楽になりたいのだろうか、とすっきりしませんでした。
図らずも浮き彫りになる「人の一生」ってやつ
いきなりの脱線からスタートで、しかも政治の話からです。
セキュリティ・クリアランス制度(法)の今国会成立を目指す高市早苗経済安全保障担当大臣への、野党とマスコミの執拗な攻撃には、さすがに怒ってます。作成者も作成時期も不明な「行政文書」なんつー、仰々しく呼ばれている、ショボいメモを盾に取り、辞任要求。マスコミは関係者の証言を切り取って、逆の意味にしか理解できないであろう内容で報道を続ける。今のネット時代、そんなんに騙される有権者が、どんだけいると思ってます?
思い起こせば。
2009年の夏に政権を取った民主党。その年の秋、某在日外国人のための「社団」の会長は、その年次のパーティの壇上で、「これで、日本社会は裏も表も我々が牛耳った」と高々に宣言。さすがに、このカミングアウトのインパクトたるや。夏の総選挙以降、O一郎の「私の母は済州島出身の海女」をはじめとした、数々のカミングアウトで、その正体が明らかになった、と言うか、自爆的に明かしてしまった彼らですが。さすがに「まずいぞ、これは」って事で、大慌てで放送法を改正。「偏向報道したら停波」ってことにしてしまったのは、その直後と記憶。
暴力団潰し・パチンコ潰し・K国への援助の停止・NKへの制裁、などなどは暗殺された安部元首相を憎悪するに十分だったでしょうが、セキュリティ・クリアランスは、更にインパクトがあると思われ。だってですよ。特定機密保護法と組み合わせれば、国会議員すら出自を明らかにしなければ、安全保障委員会への参加が認められない、ってことになりかねませんから。
で、なんで、こんな話からになるのかと言うと。
こういう人たちが作った、製作に名を連ねた映画が多すぎるんですよ。事実に基づかない虚偽にあふれたドキュメンタリーもどきはもとより。でたらめ内容の社会派の物語も乱発。手を変え品を変え、よくもまぁ、これだけの嘘を思いつくもんだと。
と言うわけで、特定の新聞社・特定のTV局・特定の広告代理店が絡む映画の大半が、大嫌いなワタクシですが。
この映画、製作に、それらが入ってないんですよ。
日活と東映&東映の関連会社のみ。
映画屋が作った、社会派の映画。
もうね。それだけで好感度、爆上がりなんだけどw
生活に行き詰まり、生活保護の申請を行うも、冷淡な態度で追い返される斯波。京都で起きた、母と息子さんの心中未遂事件と重なります。制度運用の問題点を、改めて突きつけます。共産党に付き添われた者や、暴力団が持ち込んだホームレスには簡単に生活保護を認めていると言われており、現実に、そうした実態を暴露する人も多いという、今の世の中。本当に支援を必要をしている人たちを、救えていない行政に憤りを覚えつつ。
親の世話になり成長し、年老いた親の面倒を見る。自分も年を取れば、誰かの世話になる。親子と言う関係は、途切れることが無い。いかなる事情があれども、いかなる状況であっても、それだけは忘れてはならない。人として生きていくのならば。
って言う結び。
それでもなお。
斯波の主張する「救済」が必要だというのも、真っ向から否定できないところはある訳で。
私たちは、どんな答えを出せばいいのでしょうか?
って言う映画でした。
でですね。「しんかめ」鑑賞直後に、これを観たんですよ。
もうね。このGAPの凄まじさですよ、長澤まさみのw
日本アカデミーが、まともに機能するのであれば、と言うか、まともな選は期待しちゃいけない代物にはなってるけどw
もしも、まともに選ぶのであれば、主演女優は、ここ数年の邦画で圧倒的だったと確信できる、この長澤まさみに確定ですわ。
良かった。
とっても。
そこで一つ。真面目に質問したいんですよ。
長澤まさみさんに。
「サソリオーグは楽しかったですか?」
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