ロストケアのレビュー・感想・評価
全104件中、61~80件目を表示
考えさせられる映画ではあるが
社会問題であり、とても関心のある内容ではあるが、映画の感想としては、壮絶な介護に苦しむ家族と、その苦しみから解放するために事件を起こす介護士という観る前からわかっていた内容だった。
その後どんな展開になるのか、どんな判決が下されるのかが気になって映画を観たのに、その前に終わってしまった感がある。介護疲れによる事件の報道が珍しくないから、新鮮味が感じられないのだと思う。映画化の時期が遅かったのかもしれない。
柄本明をはじめ、出演者の演技力が素晴らしかった。
坂井真紀のように、自分の人生を歩めるようになった人。
戸田菜穂のように、介護に苦しんではいたが、返せと叫ぶ人。どちらの側面も描かれているし、それぞれに両方の感情があるのだと思う。
現実的なところでは、
将来自分がどうなるのかも予想がつかないので、家族に迷惑をかけないために、貯金をしっかりしておかなければと思った。
さもありなん
42人を殺した連続殺人犯とその事件の検事が対峙する人間ドラマ。今の日本にとって、切っても切れないテーマの映画でした。
殺人犯の動機が必ずしも間違っているとは言えないのもテーマとして強いものだと思いました。殺した人たちは1人を除き、家族などに介護されている老人たちで、セバは介護士としてその人たちを介護していましたが、ニコチン入りの注射で全員を救ったと謳っています。
これだけ見たらただただ残虐のように思えるのですが、セバの父親も同じように介護していて、自身に限界が来てしまい、殺してしまうけれど、同じように介護で苦しむ人を救うために介護士になり、殺していく…なるほどなと思わされました。
殺し方も決して残虐ではないですし、近年の日本の高齢化問題もあって、こういう先駆者が出てきてもおかしくないのかなとは思いました。
役者陣は文句なしです。長澤まさみさんと松山ケンイチさんの1vs1の対峙は最高でした。柄本明さんはどんな映画でも唯一無二の輝きを解き放っていて、今作でもそれを更新する勢いの熱演に脱帽でした。やすさんが上手すぎるのも良かったです。
少し引っかかったのが、とんとん拍子で進んでいくので、この題材に匹敵するエグさが無かったかなと思いました。
前田監督の作品の雰囲気があまり好きではないので、今作も進め方が合わないなと思いました。自白までのスピードや、元介護士が仕事を辞めて風俗嬢としてチラッと登場したりするシーンや、急に怒鳴り込んで法廷に現れた被害者家族だったりと、どこかしらで伏線を敷いた上で進めて欲しかったです。
オチもそこまで自白しないでも…勿論連絡を無視して見殺しにしてしまったという罪悪感はしょうがないとしても、あの対峙を演出したかったのか…?こればかりは原作を読んでないのであまりとやかくは言えませんが小骨がつっかえて取れないです。
日本がこれから長いこと付き合っていく介護の問題。安楽死という選択肢もありなのでは、とつい考えてしまう自分がいます。自分の両親はまだまだ元気ですが、うん十年と経てばどの様な感じになるのか、またどこかでこの作品を観たら多くを考えさせられるかもしれません。
鑑賞日 4/4
鑑賞時間 17:50〜19:50
座席 H-8
急性ニコチン中毒苦しいぞ~
安楽死や尊厳死の問題はまた別の問題。
斯波は検察官の大友(長澤まさみ)の取り調べの際、社会の穴に落ちた自分と安全地帯にいる大友の状況の違いを引き合いに出し、尊厳死の必要性を盾に自分の犯したことを正当化します。死刑を求刑するアンタも殺人者だと大友を揺さぶってきます。斯波の父親役の柄本明が観るものの判断をあやふやにしてしまう迫真の演技。つい同情してしまいます。高橋伴明監督も「夜明けまでバス停で」でバクダン役の柄本明に「底の抜けた社会」というセリフを言わせて、行政の不備を訴えていました。本当の息子の柄本佑が斯波役だったらよりリアルになるかなと一瞬考えましたが、それではコントになってしまいそう。松山ケンイチはとても適役だったと思います。自分の父親だけでやめておけば、自殺幇助罪止まりで、ある程度正当性はありますが、他人に対して反復大量殺人をやってしまうのは明らかに病的な心理が働いていると言わざるを得ません。また、看過できない松山のセリフとして、介護老人の不審な死亡例のほとんどは親族によるものだと大友に言ってのけます。ネグレクトを含む未必の故意のみならず、介護者が隠れて殺人を犯しているのだと言うのです。急性ニコチン中毒はとても苦しいと歌手の山本譲二さんがラジオで言ってました。みちのく一人旅が売れる前、キャバレーのどさまわりをしていた頃、酔客がタバコの吸殻を入れたビンビールを飲まされ、三日三晩のたうちまわるほど苦しんだそうです。この映画を観て、スパイ映画を参考に注射痕が目立たない足の指の間の血管からタバコの葉っぱの抽出液を注射する模倣犯が出ないかとても心配。斯波が被介護者にもそれを行ったのは父親にやった時にバレなかったからだとはっきり言っています。
その背景には確かな検死能力のある監察医がいないことや警察官が遺族や介護者を疑っていてはキリがない現実があります。
映画は在宅介護の話しですので、事業者にとって契約者が減ってしまうことは減益に直結するのでメリットはありません。しかし、民間の有料老人介護入所施設だとしたら、部屋の回転率をあげることは増収につながり、組織的とはいわないまでも犯行の動機になり得ます。所長を含めて施設の被雇用者が手のかかる介護度の高い入居者を忌避する心理が意識的あるいは無意識に働き、医療機関受診のタイミングを遅らせてしまうことは十分に考えられます。親を預ける子供の罪悪感にも訴える非常にセンシティブで多くの人にかかわってくる題材。
介護保険法が建設業界の介護医療産業参入を促しただけとまでは言いませんが、
原作の殺人事件モノのミステリー小説が映画化されるときには、脚本や過剰な演出についてよく吟味、評価する必要があるなと思いました。
蓋をあけ、何をするか
光の照らさぬ穴の中で斯波は父の望みをかなえた。
そして、彼は同じような41の穴の先を照らす光になるべく道を選んだ。
介護士として関わる人への殺害を自供した斯波は、それを〝救い〟と呼び、担当検事・大友は驚愕する。その被害は41人に及び、さらにその前にもう1人、彼が父親を殺していた事実も発覚する。
共に信じる正義をかかげ譲らない取り調べで、斯波が穴と安全地帯とたとえて語る社会への不満は社会的地位を持ち淡々と職務をこなす大友に対する一方的な線引きのようにもみえた。
だが、それは大友が向き合わずにやり過ごしてきた自分の内面にぐさりと突き刺しえぐる言葉の数々だった。
彼女には、長いこと疎遠だった実父の壮絶な孤独死の現場に立ち会った経験と認知症が始まり介護施設にいる母に、自分への気遣いでその暮らし方を選ばせてしまったという後ろめたさがか潜んでいた。
(経済力の差は生きる上で確かに大きく影響する。
しかし、お金があることだけが必ずしも心のバランスをとり、安定をもたらし続けるわけではないようだ。
幾度となくある人生の選択時に誰にどのような理解と納得があったかが色濃くのこるのも事実だということだろう。)
また、介護士としての斯波が優しく感謝されていたこと、遺族の中には、実は自分も助かったと漏らす人がいたこと、斯波が父を懸命に世話した事実、経済的弱者の世の中との隔たりとその孤独、介護に伴う家族の疲弊や崩壊、制度の問題点など、差し伸べる手がない社会の落とし穴という闇の部分が次第に顕になり、大友は激しく惑う。
平静を装いながら斯波と対峙する大友が、ついに「関係ない」と叫び立ち上がった。
斯波の問いかけがプライベートに踏み込んできたからだけではない。
あえてピントを合わさずにいた彼女の心が、安全地帯と穴のどちらの意味も体感しているからこそ自問自答に追い込まれたのだろう。
目の奥を逸さずにみつめて語る斯波により、リアルに。
法側の立場でルールに生きる自分とひとりの人間、一組の親娘としての狭間にある葛藤、動揺。
そして、ついに自覚した裸の本心。
そこで、冷静さを守り、焦りを断ち切ろうと発してしまった自分自身への言葉だったと思う。
法廷でまっすぐ見据える大友と斯波。
その張りつめる空気が突然割れ、被告・斯波を激しく罵しり責める遺族の声が響きわたる。
あの声は、斯波の確固たる信念〝救い〟という正義を覆えすのか?
あの声で、大友の検事としての〝法〟にのっとる正義は、本音とたてまえのゆらぎを跳ね除け再び目覚め責任感を増していくのだろうか?
それとも…?と、投げかける。
いや、そんな生やさしさではない。
袋小路の壁の奥でどーんと突きつけられ、これはあなたのことだ、と言われたのだ。
そう、あの法廷に立たされたのは今この超高齢化+少子化社会に生きる私たちだ。
生き抜こうとする家族たちを最後の瞬間まで守れる社会の仕組みが成り立っていなければ、〝救われない〟家庭はあとをたたず〝救う〟ための切ない犯罪は増えていくだけだと。
生ぬるく傍観し停滞している空気、正解を見出しにくい世界にあえてこのショッキングな内容で切り込み、本作は〝蓋〟をあけた。
いつものように母を訪ねた大友が認母がもらす想いにふれ、その膝に泣きくずれる場面。
母は全てをわかっているように優しく頭を撫でる。
大友は、ようやく母に父の死を伝えることができたようだ。
それは、穴をみないようにするための蓋をあけた瞬間だった。
そして、彼女が以前、斯波に問われ敢えてこたえなかった父のことを伝えるために面会にいくきっかけにもなる。
斯波の父が折ったあの赤い鶴を手渡しながら。
そこで彼女の口から出た言葉。
一瞬、変化する斯波のあの表情。
(松山ケンイチの繊細な演技に震えるこの作品の貴重なシーンだとおもう)
斯波が1+41=42の殺害を犯した罪はたしかに許されない。
だが、ひと言でかたずけてはならない意味がそこに確かに息づいているのを見逃すことはもうありえないのだ。
辛いから考えたくない問題😭
見たくない物は、見ない様にする、正に自分だ!時がくれば、対処するしかない、まだ、自分は安全地帯にいるのだな~
両親共に無くしましたが、この映画をレイトショーでポップコーンかじりながら、呑気に見ている自分は貧困だが安全地帯にいたんだなーとこの映画を見て気が付きました。人は、救いがなければ生きていかれないょ、そんなに強くは生きられない。
もう見たくはないが、見て良かったです。
アホ見たいに、生きていないでこれからの事を真剣に、考えよう。
泣けた😭
大事なテーマ
楢山節考を改めて鑑賞したくなりました。
もう少し丁寧に斯波の人物像を描き 介護職に就いてからの葛藤等描いていたら 感情移入できたと思います。
…救ったことにはならないと思います。
誠実で真面目なキャラクターとしての日記の文字なのでしょうが あまりにも美しい文字過ぎて
白けてしまいました。
すみません…。
新人の介護職の女性は ショックのあまり風俗嬢となっていましたが 設定が安易すぎる気がしました。まるで介護職に相反する職業と描かれているようで。
鏡を使った演出もやや過剰に感じました。辛口ですみません…。
10年以上寝たきり 意思疎通が叶わなくなった母がいましたが 療養病院にお世話になりました。
安全地帯にいたのかもしれませんが それなりの葛藤、苦しみはありました。
PLAN75の方が刺さりました。
何が正しいのか解らなくなる。「深く考える」素晴らしい作品
「介護問題」という大きな論題について可視化した様な作品だった。
終始静かな展開で進み、深く深く考える話なので動きや驚きが欲しい方にとってはめちゃくちゃつまらないと思います。(アンチじゃないです)
自分は本当に作中ずっと頭を凝らしよくよく考えるこの時間がとても楽しくて素晴らしい作品を観れたと心から思います。
介護問題、特に自宅介護について。
現実でも起こっている介護の過酷さ、年老いていって身体もボロボロで老人は介護されてもなお生きているのが幸せなのか?
介護されてる側もする側も…それが幸せと呼べるのでしょうか。
法律が正義なのか。命に対して何が正しいのか。
表面上では善人で居る事が当たり前の世の中ですが
本質はどうなのか、本当に幸せになれる方法はどの手段なのか。
作中の検事と介護士の掛け合いはとても息を呑みました。
松山ケンイチの演じる介護士、斯波宗典(しば むねのり)の検事への返しのひとつひとつが凄まじく重みのある言葉で、介護する側は無理して自分が苦しまなくても自分の人生をもっと生きれるし、介護される側も無理して生きていても苦しい
本来このように思ってる人はたくさん居るんじゃないか…と思います。
このシーンは一言一言なんて答えるんだろうと凄く見入りました。
実際、母を亡くしたスーパーで働く娘さんは余裕が無く子供への接し方も酷くなってしまっていたが
最後には子供と楽しく会話したり、新しいパートナーとも出会えたりと全てがうまくいって自分の人生を生きれていました。
自分は感情論を抜きで斯波の方に共感しました。
ただ、父の最後には斯波も父からの家族の絆(折り鶴の中のメッセージ)を受け取っていてこのシーンには胸がギュッとなりました。
ただただ、現実問題に立ち向かう
【悲しい】という感情を味わえる名作だと感じました。
あからさまに感動させようとしてくる映画と違い、ちゃんと自分なりに考えて噛み締めれる作品で本当に観てよかったです。
あと松山ケンイチの演技ホント好き
タイトルなし(ネタバレ)
多くの個人が背負っている、また今後さらに多くの個人が直面していく社会課題。私は夫婦共両親を亡くしており、そんなことを考えてはいけないと思いつつ、周囲で介護をされている方々を見るとやはり、運が良かったと考えてしまう。ドラマとしてというより問いかけられるテーマに対して考えさせられる、こんな映画もある。
ただストーリー的に千羽鶴の使い方は疑問だ。松山ケンイチが介護対象者に折っていたという事だけが振りだが、鈴鹿央じがなぜ折る、なぜ長澤まさみに渡す、なぜ長澤まさみが礼を言うのか。単にこういう小道具の使い方に憧れちゃったのかな。
どちらの視点に立つのか?
この映画は、松山ケンイチの演じる殺人犯と、長澤まさみ演じる検事のどちら側の視点に観客が立つかが別れますね。
私はどちらかというと松山ケンイチ側で考えてしまいました。もちろん殺人はダメだとはわかっているけど、現場で介護する家族のしんどさを見ているからこそ、「救済」という名の殺人を犯してしまうんだと思いました。しかも自分自身が穴の底に落とされたという経験があるからこその動機だし。
この映画もどちらかというと松山側の視点で進んでいくし、坂井真紀の言葉もあって、ますますそういう思いになりましたが、ラストでの戸田菜穂の叫びがそれらを覆す魂の叫びで、やっぱり当事者にしか本当の想いはわからないんだろうなと思いました。
必殺仕事人なら、殺して欲しいという依頼があるし、その裏もとって悪人を裁くから、仕事人を殺人者だから悪人とは思わず、一種の(闇の)ヒーローとして捉えているけど、この映画ではあくまでも松山ケンイチの独善的な考えではあるので、やっぱり共感はできないなと思いました。
蛇足ですが、後日シン・仮面ライダーで長澤まさみさんを見ましたが、この映画とのギャップが凄すぎてビックリ。よくあの役を受けたなーと思いました。
タイトルなし(ネタバレ)
30代半ばの女性検事・大友秀美(長澤まさみ)は、ある男性の孤独死の現場に立ち会った。
事件性はなく、死後2カ月して発見されたものだった。
それからしばらくしたある日、訪問介護を受けていた老人宅で、介護していたセンターの所長の死体が発見される。
ニコチン注射による老人、階段から転落したとみられるセンター長。
不審に感じた大友検事は、助手の事務官・椎名(鈴鹿央士)の分析で、くだんの介護センターでの被介護者の自宅での死亡事例が突出して多いことに気づく・・・
といったところからはじまる物語で、老人とセンター長の死の前に、当該介護センターに勤める熱心な介護士・斯波(松山ケンイチ)の働きぶりが描かれます。
被介護者の自宅での死亡事例に、斯波が絡んでいることは早々に明らかになり、ミステリー的な関心は薄れるのだけれど、そこからがこの映画の面白さが始まります。
映画冒頭に、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」とマタイによる福音書の一節が映し出され、斯波の犯行は「自分がしてもらいたかったこと」なのだと、信念をもっている。
その確信の背景には、「いちど穴に落ちたら、もとへ戻れない。多くは、安全地帯にいて、"自己責任"の名の下で、穴に落ちた者を救おうとしない、非難する。社会が悪いのだ」と、斯波は大友検事に正面から言い放つ。
あまりのストレートぶりなのだが、そのストレートぶりは胸を打ち、どうしようもない怒り・憤怒がこちらにまで届く。
斯波の言説に対して大友検事は「それは身勝手な正義感」と唾棄するが、斯波は「それこそ、あなたが"安全地帯"にいるからだ」と面罵する。
この映画でもっともスリリングなシーンです。
そのような社会問題を前面に出した映画は、ふたつの被害者遺族を描き、物語を立体的に、かつ奥行きを与えます。
ひとつは坂井真紀演じる羽村洋子、もうひとつは戸田菜穂演じる梅田美絵。
ただし、介護をしていた者の視点がこのふたりしかおらず、やや奥行きに欠けるかなぁ、というのが残念なところ。
で、裁判の末、斯波の刑は確定するのだけれど、その後に、冒頭に描かれた孤独死にまつわる大友検事の後悔・告白があり、このエピソードは「うーむ、どうしてここで喪われた親子の絆、みたいなものを入れちゃうのかしらん」と、個人的には鼻白む思いがしました。
(安全地帯からの家族の絆幻想みたいな感じ。あいまいなカタルシスの提示みたいで。)
ということで、最終盤で大きく失速。
問題を問題として提示するだけでもよかったのではありますまいか。
それだと、観客にそっぽを向かれると思ったのかしらん。
介護問題と法的殺人のジレンマ
松山ケンイチさん演じる訪問介護員による高齢者殺害による救い論と長澤まさみさん演じるサソリオー…検察官側の自己判断殺人の法違反論の対峙が本作の見どころ。介護という誰しもがする、される、を迎える事象に避けては通れない。現役世代の時間を奪い、生活の全面支援、認知症などの会話上のストレスなど老害という側面がある一方、それが肉親ともあれば自分を愛してくれた育ててくれた暖かな過去の側面もある。殺人は犯罪だし、ましては他人の家に入り老人を殺めるのはもってのほか。しかし、いつまでも停滞し続けていい問題ではない。
本作は現実社会訴え向け作品で、一度はどの世代にも見てほしい。松山×長澤の陳述調書のシーンはとても鮮烈された言葉、会話で見入ってしまいました。
劇場はざっと見ると60代以上が多かった印象。どういう心情で見ているのか時折気になりました。
さもありなん
話はシンプルで、介護士の男が認知症の高齢者を何十人も殺したというものです。
認知症患者を殺した当人は全く悪くないと思っているところは、相模原障害者施設内殺人事件の犯人が、意思疎通ができない者は生きていても仕方ないので殺した、自分は悪いと思っていないというようなことを言っていたのと、本質的には同じように思います。
しかし、実際のところ、暴力・妄言・糞尿に塗れる・徘徊等、認知症が原因で日々起きる出来事への対応に疲れ、暴力を奮ってしまって後悔したり、介護で時間を取られ生活もままならなくなったりと、体力的にも精神的にも経済的にも追い詰められたら、弱い自分は早くこの状況から抜け出したいと思い、この介護士の存在を願うかもしれません。
この映画の検事のように、親が自力で入居した高級老人ホームに月に一度好物を持参しているだけの人間に、正論吐かれたらウンザリしますね。
だから、犯人がこの検事にペラペラ説明してたのには驚きました。益々、植松と近い気が。
検事の正義感面にもいい加減飽きてきたところ、映画の最後のほうで、自分に会いたがる父親を無視していたら独居死していたという後悔があったことがわかります。その自分への責めを介護士に行っていた?いや、待てよ、20年も会っていないなら携帯番号もやり取りしてないはず。長い間会っていないというのは嘘で、実は検事も父親を自然死に見せかけて殺していたとか?…と深読みしましたが、そのままエンドになってしまいました。つまらないぞ。
どうせなら、殺された人は全員、家族に迷惑にかけたくないと介護士に依頼した人だった、つまり全員嘱託殺人だったとかいう話だったら、介護される者の気持ちに重きが置かれたかなり感慨深い話になった気がします。そこにさもありなんの綺麗な曲が聞こえてくると泣けます。そして、そうだとしても介護していた家族が犯人を罵るというシーンであったなら、更に深みを増すのになと思いました。
蛇足ですが、身近に、映画の状況そっくりな、小学生の子供がいながら認知症の姑を9年間看続けきった女性がいます。
「後悔なく精一杯親を介護したと、自分自身に言えるか?って話よ」
その通りだなと思っています。
身内の介護はきれいごとだけではない
身内の介護はきれいごとだけではない。
身内だからこそのどうにもできないことごある。
人を殺めることは決してよいことではない。
でも不謹慎ながらそういう結末になってしまう(しまいそうになる)人を責めることはできないと、自分の経験を振り返りながら観ていた。法廷で「検事さんは正しい、でも俺も正しい(的なセリフ)」が述べられたとき善悪だけでは片付けられないものが見えた。
非常に考えさせられる内容だった。
ただ自分の理解がうまいこと追い付かなかったのかわからないが、コンパクトにまとめられた感があって、なんとなく気がついたら裁判のシーンになっていた。
斯波がどう考えてこの結末に至ったのかの部分と殺人事件を解き明かしていく部分が、並行して進む展開だが、もっと前者がクローズされているのかなと思っただけに、ちょっと予想と違った。あくまで個人の見解ですが。
よかった
マツケンは。笑
長澤まさみはやはり好きになれん。
柄本明の鬼気迫る演技も悪くないけど、ちょっと引いてしまったのは、隣の席の人(知らない人)が泣くからだけではないはず。
あんな風に言葉を発するものかなと。すみません、水をさして。
長澤まさみの演技も、力が入り過ぎてこっちの肩が凝るんだよ〜。
施設を訪ねる服装もパリッとしてるね。
もっと力を抜いて〜。
トイレの介護、来た時くらいはやろうよ。
ゆきちゃん、すぐに辞めてしまったのは斯波さんのせい?
あそこの描写がわかりやす過ぎて笑えるほどだった。
雑だったね。
坂井真紀、幸せになれるといいな。
戸田菜穂、本当に死んで欲しいと思ったことは一度もなかったのか?
と、いろいろ気づいたことを書いたけど、人は見たくないものを見ないようにするもの。
実話じゃなくてよかったけど、日本での検事さんの取り調べってああいうものなの?
若い子斯波さんの話を聞いて泣いてだけど…それもありえないような。
最近介護施設で亡くなると周りの目がすごく厳しいみたいだけど、訪問看護の場合は抜け道だらけってことか。
最後のシーン。
それを斯波さんに言ってどーする?
斯波さんも何のために?と言ってたけど。
言うべき相手は彼ではなかった気がするよ…。
それから、鏡やガラスの映り込みを効果的に使った(と思ってそう)シーンが多かったけど、多用過ぎると鼻につく…すみません、天邪鬼で。
タイトルなし(ネタバレ)
親の介護問題をテーマにした作品。私の祖母も認知症になって、殆ど母が面倒をみていたのだけど大変そうだった。
犯人の斯波(しば)と検事の大友。二人がメイン。二人共に親が認知症を患ったことが共通であるが、斯波は自分の生活を捨てて父を介護したが、大友は母を老人ホームに入居させている。低所得か高所得かを対比しているのだろう。
斯波の親族は父のみ。高卒で就職するも父の介護のため会社を退職。その後資金不足となり生活保護申請するも受け付けてもらえず、食事がまともに取れないほどに貧困化した。父は寝たきりになると、息子へ面倒をかけたくないことから息子に自身の殺害を願った。斯波はその願いを受け入れて父を殺害。以降、斯波はケアセンターに勤務し、自身と同様に介護で苦しむ家庭を見つけると、その要介護者を殺害してきた。これまでに自身の父を含めて42人を殺害。斯波は殺人ではなく救い(ロスト・ケア)だと述べる。
大友は斯波の主張を否定するも揺れているようだ。大友自身は経済力があり親を老人ホームに入れているので、私生活には殆ど影響がない。大友は斯波の言う安全地帯にいる。
単に大友を正義とすると、どうしても親の介護問題がお金で解決出来てしまうので、おそらく大友にもマイナス面を作ったと思う。それは大友の父の存在だ。大友の両親は離婚していて父は孤独死。死後発見まで2ヶ月掛かっている。おそらく貧困であったと思われる。大友の父のエピソードがあることで、大友があまりにも強い立場に置かれてしまうのを防いだのだと思った。
斯波による殺害で救われた人がいる一方で、殺害を許さない人もいる。結果として、議論を呼ぶようなストーリーになっている。
単なる復讐劇になってしまった。
まずは私は福祉業界が長い医療者なので、デイサービスや施設、訪問などにも携わっていたことがある。この映画のキャッチフレーズである”自分がした行為は「殺人」ではなく「救い」であるという主張”について。ここが今回の映画で知りたかった重要な点。だけど斯波(松山ケンイチ)における「救い」と述べる点については説得力があまりになさすぎた。これでは救いではなく単なる復讐劇。国の問題、生活に困窮して苦しく追い詰められた挙句に父親を殺してしまったことへの単なる正当化。
そこら辺り…現実にはこういう事件を起こした人がいる中で、ぜひ映画ではここをもう少し偶像化してほしかったん。せっかく聖書の言葉までエピソードに挙げたんだからもったいない。
斯波の人物像がぼやけてしまったせいか、松山ケンイチさんも演じるにあたって残酷なのか、いい人なのか、その狭間をどうやって演じたらいいのか迷っているようにも見えました。元々人柄的にイイ人だしね。ちょっとこの役難しそうに見えた。
流浪の月で松坂桃李さんが最後まで役が掴めなかった、という発言を言われていたのを聞いて本当にそうだな、と思ったのです。人物像が中途半端だと役者さんも自分の中の役を作り上げられないと思うから。
その中で次のアカデミー賞候補になるんじゃないか、と思えるほどの演技をされたのは柄本明さん。麻痺もリアル。虐待をされたあとの表情なども涙を誘う。
この映画を観た時は平日で満員。ほとんどが中高年以上の方々で私の両隣の方も嗚咽をもらすほど泣いていたのはやはり柄本さんのシーン。
老年期に思うように体が動かなくなった時、家族に迷惑をかけることを想像して胸を痛める方もいた。それくらい重い題材だったしメッセージ性も強くなるのが当然のような作品。映像化するまで何年も時間をかけたそうですが、私は現場人間なもので、もう少し斯波に肩入れできるような(現実ではしちゃいけないんだけど)作品を期待していたので到達できなかったのが残念。私の中ではPLAN75の方がリアリティがあった。
心臓ぎゅーってされる感覚だった。
予告の時点で悲しい結末になることは予想が着いていたのですが、開始5分でしんどい内容になると確信しました。
私に介護の経験はありません。祖父が介護が必要な時があったのですが、身内に介護職が多いので、基本的に見ていることしか出来なかったことを覚えています。
他人事では無いなと、わかってはいるけれど、将来どうしようかなんて考えたことがまだないです。
見ている側としては、殺人に対して"確かに救いの面もあるかな"って感情を抱いたまま見ることになります。そして、それを自分や家族に当てはめたりもします。
だから、検事(長澤まさみ)としば(松山ケンイチ)の会話で精神的にすごく揺さぶられて、心臓グイグイされている感覚になりました。
2年くらい前に、"護られなかった者たちへ"という映画がありましたが、考えさせられるものとしては近しいものがあります。
考えながら、主要登場人物すべてに自分を重ねながら見て欲しいです。
~~~~~~~~~~
終盤、法廷にて、松山ケンイチに対して、「人殺し!お父ちゃんを返せ!」と女性が叫ぶシーンがあります。
そこまでのストーリーで、"確かに救われている面もあるな"と思いながら見ていた自分はそこで、ハッとしました。
作品としては、殺人を擁護する終わりにすることは出来ないので、"松山ケンイチが悪ですよ〜"って私たちに示す必要があったのだと思いますが、ちょっと無理やりに感じました。
新米の女の子が松ケンの書類送検をきっかけに介護職を辞め、風俗(キャバクラ)で仕事している様子が写ります。あれは信じていた人に裏切られたことによる失望だと思うのですが、今作に何が関係しているのかはちょっと分かりません。
正直このように良くできた映画になるとは思わなかった。殊に柄本明の父親役は原作超え。(帰りに母親に美味しいものを買って帰りたくなった。我ながら甘い。)
(原作既読)
①着地点の難しい話だから(原作もその点では成功していない)、どう締めるのかと思っていたら、冒頭のシーンの伏線回収をすることで検事をなぜ原作の男性から女性に変えた理由を明らかにするという捻り技で幕を下ろした。
②他人事ではないが、身につまされる程ではない塩梅。
胸にズンと来る程の社会派ではなくエンタメとのギリギリの境くらいに位置しているかな。
そういう時代なのか、着地点が難しいせいなのか分からないけれど。
③映画化すると聞いた時点で原作の持つミステリーとしての面(叙述トリック)は無くなるだろうな、と思っていたが、最初の四分の一くらいの間で上手くミステリーの味わいを残した脚色になっていて、ちょっと感心した。
特に犯人を炙り出すくだりは原作に負けず劣らずスリリング。
④冒頭の刑務所に入りたいがために軽犯罪を繰り返す老婆役に何と綾戸智恵。原作ではもっと身につまされる感じだったが、綾戸智恵の怪演で此処は笑ってしまった(私も年を取ったら刑務所暮らしも良いかな、と思ったことがあるクチなので本当は笑えない話だけれども😅)。
⑤長澤まさみは、役のせいもあるだろうけれど『涙そうそう』の頃からすると、だいぶん年を老けたなあという印象。
だが表情で演技できる良い女優になってきた。特に中盤、雨の日に椎名との二人芝居の時に大変良い表情を見せる。
⑥柄本明はどの出演作でも上手いが(最近では『ある男』でも短い出演シーンながら強烈な印象を残す)、本作でも、半身不随になり認知症になり挙げ句寝たきりになって、”死んでくれたらどんなに楽か”と思いながらも手に掛けられなかった(普通はこちらが当たり前)息子に、“自分が自分でなくなる前に殺してくれ”と頼み、とうとう息子が一線を越えてしまうのも納得の父親の姿を「これこそ演技だ」と云える芝居で見事に造形している。
⑦その息子役の松山ケンイチは一線を越えるシーンを粘り強く熱演して感心した。但し、そのあと赤い折鶴の裏に書かれていた父親の遺言(?)を読んで泣き崩れるところはありきたりの演出でもう一つ胸に迫らず。
⑦刑務所で検事と死刑囚が面会するラストシーンは原作にはないが、向かい合う二人をまるで鏡で自分を見ているような演出で描く(そういえば、あちこちに鏡や窓に映るreflectionが多い映画でしたね)。
勿論、二人は社会的には相反する立場だし、人間として似ているわけでもないが、片方は実際にその手で父親を殺し(物的に殺し、しかし心の中からは消していない⇒後悔していない)、もう一方は父親を見殺しにしたことを後悔している(物的に殺したわけではないが、自分の人生からその存在を亡いものと思っていた)という法や倫理を超えたところで共有する物がある人間として対峙させている。
何かを解決しているわけではないが、映画らしい終わり方だったと思う。
⑧
全104件中、61~80件目を表示