ロストケアのレビュー・感想・評価
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彼の本当の目的は語った言葉の外に
(※原作の内容にも触れます)
私自身は、現在親の介護をする状態にない。社会問題としては理解していても、自分の親の近い将来のことについては、顧みれば正直片目をつぶってしまっているところがある。その、どこか目を背けていた「悪い方の将来」の生々しく具体的な姿を、目の前に突きつけられたような気持ちになった。
原作は叙述トリックを用いたミステリー仕立てになっていて、犯人である「白髪の男」が斯波であることは後半まで伏せられている。一方本作は登場人物の名前の変更などをしておらず、プロモーションにおいても白髪のマツケンを長澤まさみに対峙する存在として出している。そのため、原作を読むにあたっては事前にフライヤーや公式サイトを見ただけでも、ミステリーとしては壮大なネタバレ状態になり、ネガティブに言えば原作の叙述トリック部分を楽しむ機会を奪うことになる。
それでも限られた時間の中で、斯波の主張と彼がそこに至った理由をじっくり描くことの方を重視し、優先した。そんな意図だと解釈した。
登場する老人たちがみな印象深い。
序盤で綾戸智恵が出てきて驚いた。彼女の役どころは万引きをしたホームレスの女性だったが、実生活では10年以上実母を介護し、一時は心中を考えるほど追い詰められ、精神安定剤を多量に服用して入院するなどの経験をしている。2021年に母親を見送ったばかりの彼女を起用するキャスティングにもメッセージ性を感じた。
柄本明は、最近邦画であまりに頻繁に見過ぎて、直前に映画館のロビーで見たフライヤー(「波紋」5月公開)にも出ていたので、出てきた瞬間は「またか」などと不遜にも思ってしまった。が、そんなこちらの煩悩を演技で薙ぎ払ってしまうのが柄本明の柄本明たる所以。彼の鬼気迫る演技があったからこそ、斯波が「救い」を続けていこうと決心したことが説得力を持った。
念のために書くが、本作は、認知症の親の介護で家族が崩壊するようならあのように手を下してもやむを得ない、という話でも尊厳死肯定の話でもないし、斯波の理屈が正義という話でもない。
原作では終盤で確定死刑囚となった斯波に大友(原作では男性)が接見し、斯波の「本当の目的」を明らかにする。
「お前の目的は、お前の起こした事件が広く世に知られることだ」
「お前の物語を目の当たりにして、目を覚ました人々が少しでも良い方向にこの社会を、いやこの世界を変える。それがお前の目的だ!」
「お前が本当に望んでいるのは、人が人の死を、まして家族の死を願うことがないような世の中だ」
こう喝破した大友を見て、斯波は「理解者」が現れたことに感動を覚える。
本作ではこの描写はないが、物的証拠がほぼなく、無罪を主張し続けることも出来そうなのに早々に自白するという斯波の態度で「本当の目的」を暗示しているようにも取れる(この目的がなければ、救いの行為を続けるため否認するのではないか)。
また、法廷で斯波を罵倒する遺族の描写で「救い」が時に独りよがりであることを示し、羽村洋子と交際相手のやり取りで人と人が頼りあう絆を肯定している。このことで、斯波が表明した「救い」を肯定する考えとこの物語の言わんとすることの間に線引きをしているように思える。
斯波の理屈が正論に見えてしまうほど、自分が安全地帯にいる限りは「穴」に落ちた者に無関心な私たちひとりひとりと、その寄せ集めで成る社会。
斯波の行為や主張は、そんな鈍感で想像力を欠く私たちへの強烈なアイロニーなのだ。
リアルなお年ごろ
見る年齢によって映画の重さが変わってきそう。
俳優さんたちの名演技もあってリアルすぎて
明日の我が身を投影した。
単に[殺人犯=悪者]ではない現実社会を
切り取った、見えないところで起こっている
現実なのかもしれない。
やたらと鏡やガラスに映る大友(長澤まさみ)は
見えてる部分だけではない姿の現れだったか?
あの件を境に一気に白髪になった斯波(マツケン)
は無垢に救いと思って殺人を繰り返していたのか。
画面のあちらこちらに考えが張り巡らされていた。
彼はなぜ42人を殺したのか
感想
松山ケンイチ、長澤まさみ、初共演の二人が入魂の演技で激突する社会派エンターテイメント。
第16回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作を、「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」、「そして、バトンは渡された」の前田哲監督が映画化。
殺人犯VS検事 運命の激突ー。
自分はまだ安全地帯にいる側ですが穴の底を這う側を考えると観ていて苦しく辛かったです。
高齢化社会、介護を巡る事件と考えさせられる社会問題です。
綺麗事や正論では解決できない難しい問題です。
家族は絆にもなるし呪縛にもなる。
喪失の介護、ロストケアの斯波宗典は殺人者なのか救済者なのか…
個人的にはちょっと斯波肯定派です笑
松山ケンイチと長澤まさみのお互いの正義をかけた激突は見どころかと思います。
柄本明の脳梗塞で身体が不自由&認知症の演技は印象的すぎました。
※人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい マタイによる福音書7章12節
斯波「これはもう人間の生活じゃない」!!
自然な台詞読みと丁寧なストーリー展開で、出だしから没入し易かったです。誰にでも当てはまる、現代日本の難しいテーマ(斯波の言う社会の「穴」の存在)を見事に映画にしていました。斯波が知的で冷静な人物で好みでした。認知症と怪我で寝たきりになったお父さんが、「殺してくれ」と言うシーンで泣きました。まあ私もそうなのですが、大友が自分も父を見殺しにしたと振り返るのも良かったです。長年に渡り親が良い関係作りを放棄した場合、子が進んで面倒を見ると言う事は無いと思います。何かイイハナシダナーで終わりますが(2002年の「サイレントヒル2 最期の詩」もこのような終わり方でした)、判決はどうなったのでしょうか。どうぞ冷酷な現実を突き付けて下さい。煙草を2本直接食べると死ぬらしいので、注射器は不要だと思います。
喪失の介護
優秀な介護士が喪失の介護で人々を救う話
ケアセンター職員が盗みに入って死んでいた事件から介護士と検事のやり取りを通し殺人か救いかを問う。検事が被告に自分の罪を語り互いに共感END。
安全地帯から語る人間と穴に落ちた人間の違いから本当の正しさを問いかけている。
やまゆり園事件が思い浮かぶが、京都伏見介護殺人事件から影響を受けている。
深夜の鑑賞は‥
2025年の幕開けを『あんのこと』で飾ってしまったことを後悔したのも束の間、お正月気分も抜け日常に戻って週末のお楽しみ、(最近とんと映画館に足を運べてないため)日付が変わってからAmazon primeで前から観たかったこの作品に臨みました‥が、またやってしまいました!
二作品とも素晴らしい映画であることは全く間違いないのですが、やはり観る時間帯は重要ですね!?重い気持ちでこれを書いています。
まず大友検事(長澤まさみさん)がお母さんに頭をよしよしされたあたりから伏線回収のエンディングまで涙腺崩壊でした。
毅然とした安全地帯の検事さんがある意味殺人鬼(?)である斯波(松山ケンイチさん)に論破されて珍しく感情的になった理由も回収してましたし、判決後と思われる面会室で大友の告白(懺悔?)に斯波が涙するあたりも二人の抱えていた重いものに納得させられました。
私ごとですか母は60代半ばで父も70代半ばも他界し介護の経験はないのですが入院中、痴呆が見られ始めた直後、あっさり亡くなったしまった父には哀しい半面、心の深いところでは少しホッとしてしまっていたような気がしてなりません。
また離婚してもかつての連れ合いを想う大友の母親(藤田弓子さん)の気持ちもよくわかります。結婚当初から仲の良かった友人夫婦がちょっとしたすれ違いから離婚してしまったのち元旦那さんの方が仕事先で急に亡くなり、その知らせを聞いて愕然としていた彼女を目の当たりにしたこともありましたので。
それにしても松山ケンイチさん、長澤まさみさんの素晴らしい演技には圧倒されましたし、いつも一癖も二癖もある柄本明さんにもやられましたね。淡々と進む話の流れの中表情で多くを語る長澤まさみさんには「ただのダー子やスオミではないな」っていつもながら感心してしまいました。「出た〜クボタ〜!」のCMでは新年から帰国されてホッとしています。松山ケンイチさんも『NANA』で初めて見て『DETH NOTE 』では「なんだかわからない若者だな」って思ってましたが、今や様々な役どころを演じ分けられる素敵な役者さんになられて小雪さん同様お父さんは嬉しい限りです。(誰のお父さん?)
現代社会の直面している重い課題に切り込んだ作品ですが遺族の二人、戸田菜穂さんと坂井真紀さんのそれぞれの対比がこの課題の難しさを物語ってました。
ドクターデスは未見ですが尊厳死・安楽死で戦うドクターキリコ(斯波)とブラックジャック(大友)のようにも見えてきました。
いつ自分たちも安全地帯から穴に落ちてしまうかもしれないこと、考えさせられますし、大友が語る「見えるものと見えないものではなく、見たいものと見たくないもの」は真実ですね!見たくないものをあえて見ようとするようにしなければと思った次第です。考えさせられるいい映画でした。
※でも深夜に観ることおすすめできる作品ではないこと、やはり間違いありませんでした!
サイコパス映画。彼を極刑にするな。安全地帯へ追い込め!
なんか朝からこんな映画見てしまって、つくづく陰鬱になる。日本は民主主義国家である事をもう一度認識すべきだ。
共感を多発させていただいたが、虚しいだけだね。
過酷な現実を見せつけ、司法制度の『死刑制度』と言う隙間を狙って、殺人鬼に検事が言い負かされる。それがこの映画の主旨なのだが、それが問題を提議する事に繋がるのだろうか?
死刑制度を廃止すれば、安全地帯はなくなる。そして
あの、相模原での事件を思い出すがそれで良いのだろうか?
サイコパスな快楽殺人鬼が『暗い穴の中に愛情と負担の間で、もがき苦しんでいる人が沢山いた。しかし、世の中はそう言った人達を助けるどころが、“自己責任”とか言って、自分達の勝手な理屈を振りかざして、さらに追い詰めて行く』とのたまう。
『でも、貴方がやった事は誤った正義感による殺人です』
彼女はさらに続ける。
『死による救いはまやかしです。死を望んだのではなく、あなたは、あきらめたのです。』
しかし、サイコパスは力強く
『なるべく、苦しまない様に送り出すのは当然でしょ』
しかし
さらに
『貴方は僕の父のような状態になっても生きていたいですか』
サイコパスの本領発揮。
僕なら速攻で答える。
『生きていたい』
司法制度を安全地帯と例える事自体が稚拙。
ましてや、検事がそんな話で取り乱す訳が無い。
日本は曲がりなりにも民主主義国家である。
リテラシーの無い相変わらずの大日本帝國MOVIEのDNAが破裂する。
”自己責任と言って”と言う言葉が出て来るが、その言葉を発して福祉の予算を削ったのは、立法の議員たちである。『妖怪の孫』をご覧あれ。正にその言葉を発している。
PLAN〇5と同じ、福祉予算を削る為のプロパガンダ映画である。この様な映画を見ている若者諸君!これはあなた達の未来ですからね。僕はもう安全地帯なので。
生きてるのに
介護の辛い現実を世の中は、まだまだ知らない事の方が多いと思う。僕自身が実際に介護に関わる事がほとんどないからです。
認知症の方を見ると少しだけ、家族の方が大変で気の毒だなって思う反面、家族なんだから当然の義務でしょう!と押し付けてしまっている部分もあります。
自分の家族が自分の事を認知出来なくなっても自分が同じように考える事が出来るのか?
今の自分が一ミリも想像が及ばなく、自分の浅はかさを思い知らせる気がしました。
生きているのにこれほどまでに辛い現実ならいっそのこと殺してしまえばいいんじゃないの?と悪魔の囁きにも自分は、思っているよりも簡単に転がってしまうかもしれない。
社会という歯車の中で見えてない部分にこそ、スポットライトを当てていかないといけない現実がある事を改めて感じました。
誰かを救いたいと安易に考えて、その人に手を伸ばした所でどれだけの力になるか分からない。
見たいものばかりではなく、知らないといけない事を常々に増えていくばかりなんだと考えさせられる作品でした。
考えさせられる
現代における問題で、身近なストーリーだと思う。
犯人の気持ちも分かる。自分も同じ立場なら、同じことをしかねないかもしれないと色々と考えられさせた。誰も悪くない、ぶつけようのない悲しみや怒り。辛い世の中。助け合える輪があれば、もう少し違う未来があったのかな。
役者さんたちの演技がこれまた素晴らしい。余計なものはなくて、引き込まれる。柄本明さんがやはり大ベテランということもあり、さすがだった。最後の折り紙は泣くしかない。刑務所面会で、斯波が泣けたのが少しでも救いになっていますように。
ご飯作りで途中で止めて分けて観てしまったけど、ちゃんと時間とって2時間で観ればよかったーーー。
単なる身勝手な殺人
親の介護による家族の疲弊を扱った重いテーマの映画。一部の介護には家族の疲弊を伴う社会問題にもなっているケースもあるが、別に介護がみんな悲惨な疲弊を伴うとは限らない。この映画は、介護に関して紋切り型の印象を与えている。認知症の人の描写が、わがままで怒鳴り散らして手がつけられないというのも紋切り型の発想だ。
内容も深そうで、そうでもない。過酷な介護を経験した松山ケンイチ演じる犯人も救われない被害者だとでも言いたいのか。自分の父親を殺したあの状況までは同情するが、「(介護で疲弊した家族を)救うために」と多くの老人(他人の親)を殺したのは同情の余地はない。親がどんな状態になっても、どんなに介護が大変でも、親に生きてもらいたいと多くの人が考えるはずだ。こんな身勝手な殺人と介護疲弊の問題とを結びつけるのはおかしい。最後長澤まさみ演じる検事が犯人になぜあんなに感情移入するのかも理解できない。
メッセージ性が強い傑作品
1.俯瞰の重要性と社会課題
人は経験したことや見る視点によって、考えることや感じることに影響を与える。
作中でも、角度が微妙に異なる4-5の鏡に大友(長澤まさみ)を映し出すシーンがあったり、机に反射する表情を映し出したりと、細かい描写でそれを論じていた。
つまり、種々ある人生観において、正しいとか正しくないということだけでは語ることができないこと。そして、それを表出できる場があったり、受け皿があれば結果は変わったかもしれないという社会課題を浮き彫りにしている。
2.介護問題の解決
8050問題もそうだが、介護の選択肢としては、在宅介護(ヘルパーも一部介助)もしくは施設介護のどちらかであるが、その選択は本人が望むというよりは金銭事情が絡んだり、そもそも選択肢が少ない状況である。
介護における選択の幅が広がっていくことを願っているメッセージ。
3.思い通りにはならない人生に対する悲観
要介護者(柄本明)は認知症で、息子(松山ケンイチ)を忘れる前に殺して欲しいと願う。
しかし、殺される直前に「どちら様ですか」と息子を忘れて殺されるという残酷な現実。
思いどおりにはいかない人生に対して嘆いているように受け取った。
生きる自由と死ねる自由
安全地帯、他人事、自己責任、孤独死、見て見ぬふり。映画の中に出てきた言葉を並べると日本の国民性そのものを表している。現代ではそれらがニュースや週刊誌などで取り上げられて表面化してきたけど、実態はもっと昔から問題視されていたに違いない。作品は介護を通して生死について表現していて《ぁあ、将来の自分だな》と虚しさと絶望さえ覚える。映画に登場する弁護士の母は軽度の認知症を患いながらも悠々自適に広々と清潔感があり、心にも余裕がありそうな介護士スタッフに支えられながら暮らしている。一方、田舎暮らしの主人公の父は狭い古びたアパートで重度の認知症があり、室内で腰を痛めて寝たきり。父の介護をしつつアルバイトと父の年金でなんとか生活をやりくりしていたが、介護の方が煩雑化していき、とうとうアルバイトまで辞めざる終えなくなり生活保護を受けようにも門前払いされる。主人公の父は自身のせいで苦しんでいる息子と自身のやるせない姿に耐えかね、「俺を殺してくれ」と頼む。頼まれた息子は自ら編み出したニコチン注射を父親の左腕にうつ。
映画の中で出てきた言葉も含めて思ったのは日本人は生きる事ばかりに光を向けていて、死については影ばかり観ている。ただ、"ふつう"に暮らしていくのも手一杯で生き地獄さえあるのに、押し付けるのように生きる事だけに拘り過ぎている。生きる事が立派な選択肢なら死も立派な選択肢にしないと世の中どんどんオカシクなるのは当たり前。世間で起きている事件で結果的に殺人になってしまった、自殺してしまった事に対して、非難するのは誤り。昔も今も日本人は起きた出来事に対して結果論だけに目を向けて経緯を知ろうとしない。本作も日本社会をよく描いているなあと思いました。
介護のことを考えさせられる内容
家族の介護をしながら、介護職をしています。
介護は子育てと真逆で、昨日できたことが今日できなくなる。
元気でいてほしいがいつまでこの状態が続くのか、急に不安が襲いかかる。
松山さんと柄本さんのやり取りは、実際にいるであろうと思いながら観ていました。
殺した後にこの折り紙の内容を見たらやりきれないです。
生活に困窮し勇気を出して相談に行ったのに、門前払い。生活福祉課は、こんな風にそっけない対応の人がいますね。働きたくても働かないのではなく、事情があり働けない現状。
訪問介護の事業所が利用者の鍵を預かることはほぼないし、利用者が亡くなった後も預かっているのはおかしい。
鍵を預かる必要があればそれなりの対応が必要だし、キーボックスを利用する等しています。
新人が風俗の世界に転職する描写はいらないかな。
たった3ヶ月の介護現場で何がわかるのか。
上記の内容はどうなのかなと思ったけれど、介護という現実問題を考えさせられる内容にはなっていると思います。
どうなんだろう?
斯波が色々理屈言ってたけど、大勢の老人を殺したのは単に父親を殺した罪の意識を薄めたいだけにしか見えない。それに対して、検事が告解の様に自分と父親の話をするシーンが「死刑にいたる病」を連想させた。別に斯波は誰かに何かをさせようとはしてないけど、淡々と語る男に洗脳されたかの様な姿が気持ち悪いかなぁ。
なんか、このシーン要る?って言うのが多かった。
難しいな
人間らしく死ぬって、どういう死に方なんだろうか。
歳をとって出来ていたことが出来なくなっていくのも、記憶から消えて行くことも、受け入れ難い苦しさがあるかもしれないが、その苦しみや情けなさも引っくるめて生命の一部だ。それ自体は悲惨な事ではない。
でも、そこに、日常生活が脅かされるという状況が発生すると、途端に悲壮感が出現する。衣食住が満たされない、衛生が保持されない、必要時に医療を受けられない、ろくに休息や余暇が取れない。かと言って、病院で管だらけになっているのも生き地獄である。野垂れ死が絵になるのは野生動物だけだが、人間の尊厳というのは色々塩梅が大事なのだ。
いずれ、近い将来、私はまずは親の介護に直面するタイミングが来るだろう。その頃高齢化社会は益々加速し、明るい展望は微塵もなく不安がつのる。他人事とは思えない。恐怖過ぎて、思わず本棚から「ペコロスの母に会いに行く」の原作を引っ張り出して読み直してしまった。ま、どうにかなるだろ。言い聞かせてみる。
柄本明は凄かったー、ちょっとしゃべらせ過ぎだけど。主演2人はなんか大袈裟な芝居だった。
介護と家族という切れない絆について考えさせられる
介護で苦しんでいる人がいる。
その現状は分かっている。
いや、分かっているつもりでいる。
介護する当事者でもない。
その苦しみから脱却する方法は果たしてあるのだろうか…
国からの制度に断られ、頼る人も居ない時にどうすれば良いのだろうか…
当事者になった時、極限状態で冷静な判断は出来るのだろうか…
家族という絆は切りたくても切れない。
無理矢理切れるのかもしれないが、絆という綺麗事のような言葉が邪魔をする。
切ればそれは逃げになるのだろうか…
主人公の行った行為で救われた人も居るだろう…
でも、家族の確認が無い行為は身勝手と思われても仕方ない。
主人公が過去の自分を重ねた主観的考えは家族と違うのかもしれない。
一人でも身勝手と思われた時点で主人公の正義は家族にとっては悪になる。
介護の現状について調べてみようと思える作品でした。
タイトルなし(ネタバレ)
松山ケンイチ演じる斯波(しば)が、妙に落ち着き払い、説得力をもって殺人の正当性を訴えてくるので、皆だまされて、同情や共感に少し傾き過ぎているのではないかと感じました。
自分のした行為に「ロストケア」などと格好よさげな名前を付けているのが醜悪きわまりないです。
勝手な思想と言い分で人を殺しておいて何を言っているのか…。
最初は大友(長澤まさみ)検事も怒りをあらわにしていましたが、だんだんと斯波に言いくるめられていき、最後には自身の打ち明け話をして涙を流すありさま。違和感がありました。
事件に至る心理を深堀りするあまり、42人殺害の証拠は? すぐに死刑判決? 自白が早すぎるのでは?など数々の疑問は解き明かされないままでした。
斯波は、父親を殺してから老人介護職に就きます。これは当初から、老人たちを殺害していく計画の上だったことが推測できます。
殺した父親に対する罪悪感や罪滅ぼしの意味があるのかもしれないと一瞬思いましたが、そんな奥深さは見受けられませんでした。(淡々と殺人を続けていたため)
全体的に、斯波に優しい物語になっていて、情状酌量の余地ありと考えている鑑賞者もいます。
さらには実際に安楽死できたらいいとか、老人は集団自決すればいいという成田悠輔のような人も世の中にはいます。
本来口もはばかられるようなことを平気で言えるような、なんだかおかしな時代になってきたと感じます。
ただ、主演二人の演技は本当に素晴らしくて、特に松山ケンイチってこんなに上手かったっけ…と思うほどでした。
実際の連続殺人鬼であれば、表情や言葉の端々に異常性が垣間見えるはずですが、普通に演じていたようですね。
それが良かったのかどうなのか…今の段階ではよくわかりません。
老人だろうがなんだろうが、大量殺人犯がこんなに普通のわけないだろうという気もします。
かたや長澤まさみは、いつ見てもいつもの長澤まさみという感じでしたが、シリアスな役の方が私は好きです。
でもどうしていつも髪型が同じなんでしょうね。たまにはロングヘアが見たいなと思いました。
あと、柄本明の演技がちよっと生々し過ぎて、やり過ぎではないかと訳もなくヒヤヒヤしました(笑)
他の役者さんたちも皆さんとても良かったですね。
重いテーマの映画でしたが、こんなことが容認される時代にならないことを切に望みます。
ものすごく現実に迫っていると思う
介護にも関わる仕事をしているからか、ロストケアという言葉は重く、決して悪とは思えなかった。
最後の法廷でゴネた家族の人になにか偽善的な人間性を垣間見た気がした。
悪とは一体何なんだろうかと改めて考えさせられた。
見て見ぬふり、心抉らえる…
自身、介護の実体験は無いが、親族や周囲の声など間接的に体感し、この映画にある介護の過酷さは想像に難くない。する方、される方、双方にとって絆は呪縛であり、映画にある迷惑掛けない人なんて居ないも確かにそうだが、そうではない状況も現実にはある。共倒れし、沼に堕ちていく。そんな人々にとっては斯波の行為は救いだとも思う。当然殺人を肯定する訳では無いが、綺麗事では済まない現実を突き付けられた作品だった。介護施設の斯波を慕っていた彼女のその後の在り方は要らぬ演出で残念。
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