ロストケアのレビュー・感想・評価
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人の尊厳とは何か、命とは何か、生きるとは、老いるとは、家族とは何か。 人にして欲しいことをするとは、今できることをするとは、どういうことか。 法律は、社会制度は、コミュニティは誰の助けになるのか。
介護疲れと思われる親族による殺人や心中事件の報道を耳にする度、その介護現場がどれ程悲惨な状況だったのだろうかと思う。
この映画で具体的に示された3件の介護現場は、あながち誇張しているとは言えないのかもしれない。
物語は、独居老人の孤独死現場に一人の女性(長澤まさみ)が駆けつける場面から始まる。
女性が検事(大友)であることは、その後のシーンで分かる。
この冒頭の場面で、野次馬たちの囁きが説明的に聞き取りやすく安っぽい感じがしたが、長澤まさみが現場であるアパートの部屋に入るとおぞましい光景が映し出され、一気に怪しげなドラマに引き込まれていく。
場面が松山ケンイチ演じる介護士(斯波)たちの訪問介護の現場に移る。彼が連続殺人犯だということは予告されているのだが、過酷な家庭内介護の様子と、彼の出来過ぎな介護士ぶりが見せられ、観客は犯人側に先に心を寄せることになる。
そして、大友検事は認知症の症状が見え始めた母親を高級老人ホームに入居させていることが分かる。
ある事件で、大友検事と事務官の椎名(鈴鹿央士)が不審点に気づくと、優れた介護士である斯波への嫌疑が浮上し、物語は犯罪捜査サスペンスの色を濃くしていく。
容疑者vs.検事の取り調べの攻防戦と並行して、容疑者斯波と大友検事それぞれの人物的背景、斯波が関わった介護現場の実状が描写される。
松山ケンイチと長澤まさみの会話劇となる取り調べ場面がこの映画の見せ場だ。
介護が人を追いつめ、それを社会は援助しない現実が斯波の口から語られる。
追求しているはずの検事が、徐々に追い詰められていく。
なぜ殺人を繰り返したのかという問いに「バレなかったからですよ」と、あっさり言って退けた斯波に、大友はたじろいだように見えた。
大友検事が抱えるある秘密が、斯波の言葉とともに彼女を責める。
冒頭の孤独死現場には検事として出向いたわけではなかったのだ。
殺人事件の判決文でよく使われる言葉「身勝手な犯行」に斯波の行動は当てはまる。
だからか、自分に極刑を求める検事も正しいと斯波自身が言う。
いかに同情し得る背景があろうとも、直接的にその原因ではない人物への凶行、ましてや勝手に望んでいると決めつけてその尊厳を奪って救済を論じるなど、身勝手な犯行にほかならい。
刑事裁判は、被告人による犯罪の有無、犯罪があった場合の被告人の量刑を決めるにとどまる。
この犯行の動機や、斯波や被害者家族の実状がいかに裁判で明らかになろうとも、根本原因の解決・改善には繋がらない。
相変わらず、役所は事務的に徹し、悲惨な生活を余儀なくされる人は減らないのだ。
現代社会の病巣を炙り出した意欲的な作品であるが、あくまでサスペンス映画だ。
クライマックスを松山ケンイチと長澤まさみに頼りきっているところが、映画的盛り上がりに欠ける。が、それに見事に応えた二人の演技者は立派だ。
脚本は、救われたという被害者遺族と、父を返せと糾弾する遺族の両方を登場させ、理想を抱いていた介護事業に絶望した若者の姿も見せる。
実際の事件・裁判ではないのだから、我々観客は追い詰められて犯行に及んだ斯波に同情してよいのだ。
そして、この映画で知り得た現実に向き合うことが大切だ。
知らなければ何もできないのだから。
大友検事の心境は長澤まさみの口から語られる。
彼女こそが、この事件で幾つかのことに気づいたのだ。
救済者を気取っていた斯波が、傍聴席から戸田菜穂が浴びせた罵声に何を感じたのか、松山ケンイチの冷静を装ったような表情だけで、言葉はない。
完璧にやられました( ;∀;)
今日の名古屋もはれちょります♫
めっちゃ、汗ばむhiro坊です(^^;
気になる映画~♫ロストケアーー!!
気付けば~上映・・・しゅ~りょ~~~ってΣ(゚д゚lll)ガーン
最寄りの映画館・・・今日まで。。。で・・・もう一つ行ける所は~・・・。
明日朝が最終っぽい。。。
という事で~~♫本日、朝一で~行ってきました。
いや・・・ほんとに最後の20分ぐらいまで・・・。
うわ!!このパターン・・・観なきゃ。。。良かった・・・。
・・・って・・・この映画・・・又、国がお金だしてたりするのかなぁ・・・。。。
・・・って勝手に思っていたんですが・・・。
・・・・そこも~♫すべて・・・計算なのねΣ(゚∀゚ノ)ノキャー
予告も含めて・・・騙されました。。。
なんせ・・・個人的な妄想ですが・・・終わりの20分迄は・・・。
にほんのおくにが絡む~福祉系映画でやる最悪な演出のオンパレードで・・・。
(´Д`)ハァ…・・・。ブルータスお前もか!!って感じだったんですが、、、
最後まで観ると~。。。
『監督・・・あんた!!わざとあの演出のオンパレードをーーーやったわねーーー(≧◇≦)』
・・・ってhiroの脳内は~勝手に祭りになってました。
最後のシーンまで観ると。。。この監督・・・性格悪っ!!
・・・最後この・・・観せかたをとるって事は・・・ここまでの撮影技法は・・・。
・・・すべて・・・敢えてかぁぁ・・・。だから、予告もあんな感じだったのかぁ・・。
※多分、この映画におくには関わってないと感じたhiroなのです。
『前田哲監督!!』この名前・・・遅まきながら覚えました(≧◇≦)
だけども~・・・そこ・・・もっと・・・
わかり易くアンチテーゼですよって・・・※エブエブみたいに。。。
・・・コメディー色を前面に出してくれたら~。。。僕的には☆5つ。。。
すなおじゃなさすぎだったので~今回、個人の星は~4つです(≧◇≦)
※あくまで個人の妄想です。
※まぁ・・・でも原作あるから~コメディー色は出来んかなぁ~(^^;
いやぁ~結構、良かったわーーー。
※福祉職の視点から観ると・・・
・・・認知症への理解や対応はツッコミどころが満載ですけど~(^^;
※脳梗塞の演技自体には??でしたが・・・柄本明の演技はやっぱり心にきます。
死こそが救いなのか
社会派映画の存在意義
予備知識は殆どなく評判が良さそうなので観に行きましたが、いやぁ~引き込まれましたよ。私好みの作品で当たりでした。
原作は未読ですが、原作はもう少しサスペンス寄りの作品だそうで、映画は社会派寄りに敢えてしたという情報を見たのですが、それも私の好みに合っていました。
で、95歳の母親と二人暮らしである68歳の私には切実過ぎる物語というか生々し過ぎる作品なので、作品自体の感想(自分の感情)は書けそうにもないのでパスしますが、その代わりにこういう作品の社会的意義の様な事を今回は書いて行こうと思っています。
まず本作の前田哲監督作品って、あまり多くの作品を鑑賞した訳ではありませんが、本作の尊厳死も含め『ブタがいた教室』の食文化とか『こんな夜更けにバナナかよ』の健常者と障害者の日常での関係性とか、倫理観だけでは解決不可であり、本来答えのない人の考え方や対応に対しての少し意地の悪い問題提起をする監督という印象があります。
誰しもが人生に於いて逃げられるのであれば逃げたいし、見たくも考えたくもない問題を、だからといって有耶無耶にも出来ず、人間として生まれた限り必ずぶち当たる問題であって、こうして映画として突きつけられ考えさせられることの意義は大きいと思います。
本作では主人公が「社会の穴」という言葉を使っていましたが、私も今後この言葉を頻繁に流用しそうな深く的を得た表現の様に思えました。
“理想の社会”というのは、本来この穴は少なければ少ないほど良い筈なのですが、逆に言うとこの穴がなければ社会は成立しないという捉え方も出来るのかも知れません。
“社会の穴”の他にも“社会の隙間”という言葉も社会ではよく使われています。
あくまでも、私の考え方ですが、“社会の隙間”というのは“悪事の隠れ蓑(場所)”だと思っています。
理想の社会というのは悪のない社会ということですが、現実の社会には悪が充満しています。何故かというと権力者や成功者の悪事は見逃さないと人間社会は成立しないからです。
そして“社会の穴”というのは、社会の矛盾であり不条理であり、真面目に生きようとする人間を不幸にする落とし穴です。
最近観たばかりの作品では『夜明けまでバス停で』、『夜を走る』や多くの社会派映画は全部“社会の穴”に落ちてしまった人たちの物語ばかりです。
というか、最近の日本の社会派映画の殆どが、そのような“社会の穴”を見つけ出し問題提起しているという事なのですが、現実社会は穴ぼこと隙間だらけで、それを埋めようともしない(いや、出来ない)
恐らく、今の社会力(造語)の限界であり、隙間や穴が埋められないのは何かのバランスを保つ為の必要悪としての存在であり「人は見たいものしか見ない」という、それは政治だけなく人間としての限界なのかも知れません。
ただ、本作にもありましたけど、役所などの対応の不親切さや不備などについても様々な作品で取り上げられ、パッと思いついた作品だけでも『生きる』『恋人たち』『護られなかった者たちへ』『岬の兄妹』等々で度々見かける光景ですが、溺れかけた人間に対しての命綱であるべき部署の現実は、何度か役所に行った人間なら決して誇張ではないと理解は出来る範疇の演出であって、“社会の穴”が最も可視化し易い場所というのも哀しくも皮肉な話です。まあ個人としては、穴に落ちないことを祈るしかないのですけど…
だからこそこういう問題を知らない(見ない)ままにせず、知らせる(見せる)媒体が必要であり、それを自ら見ることも重要で、それが出来るのは今や映画や小説くらいしかない様な気がしています。本来なら報道機関がすべき仕事なのでしょうが、そこが隙間だらけで腐ってしまっているので仕方ないですね。
尊厳について考えたい
犯罪なのか…?
メンタル鬱の時に見る映画じゃねえ笑
みんながどの立場で見たのか気になる。
親の介護とはまだ縁がない年齢なのと毒親持ちなのでロストケア側に救われたい立場で見たけれど、
帰り道重たすぎて心がしんどくなった。
絶対に避けて通れない親の介護とその子のしんどさ。
監督がコメディ寄りの方で終わった後びっくりしましたが、中学生が介護をしていたり、服が徐々に汚れていったり、部屋が散らかっていったり風俗落ちてたり、女性の髪がボサボサだったりリアリティありすぎてびっくりしました。
もう本当に現実突きつけられた。
年金7万円だと家賃と必要経費で消えるよね。家族の絆は強いからこそしんどいよね。
日本の福祉にあやかっている側なので年金は涙出た。
本当に現実。メンタルやられてる時に見るもんじゃねえ笑
追いつめられた人々。本作が訴えてるものとは。
本作を観て思ったのは、いったい斯波はどうすれば良かったのか、どうすれば彼はあのようにならなくて済んだのかである。
介護疲れで年老いた夫が介護していた妻を殺害して逮捕、あるいは無理心中したなんて事件をニュースで見るたびに思う。他に方法はなかったのだろうかと。
間違いなく言えることは斯波が大友のように父親の介護を他人に任せられる境遇であればこのようなことは起こらなかったということだ。
介護に限らず、誰にも悩みを打ち明けられず、一人で問題を抱え込み孤立化することはかなり危険だ。
以前自宅の小屋に精神疾患の息子を長年監禁していた両親が逮捕されるという事件があった。息子の精神疾患の度合いはかなりのもので、暴れると手が付けられないほどであり、両親は役所などに何度も救いを求めた。しかし、施設でも預かってもらえず苦しんだ末の監禁だった。長い監禁で息子は失明し、体も変形していた。世間はそれを酷い虐待と非難した。
村社会の伝統が色濃い日本では家族のことは家族で何とかすべしというのが暗黙の了解としてまかり通って来た。しかしそのせいでおこる悲劇、家族間での殺人は殺人事件の中で一番多い。
他者に頼ることもできず追いつめられた果ての悲劇は今でも起こり続けている。大切なのは一人で抱え込まず助けを求めることだが、今の社会はそんな助けをよしとしない風潮がある。本作でも語られる自己責任論である。
貧困や家族の問題は自分たちの至らなさが原因、だから人様に頼るなということである。日本人にはこういう考え方が昔からあった。それをうまく政治家が利用し、生保のネガキャンが行われた。
本来、生保などのセイフティーネットは我々の納めた税金を原資とするもので、なにか生活に支障ができた時には誰でも利用できるはずだった。これは憲法25条で当然保障される権利である。しかし、近年ごく少数の不正受給者を殊更に取り上げて国民同士の憎悪を煽り、制度自体が標的にされた。まるで生保は怠け者が税金を使って楽をするための制度だとネガキャンが張られたのだ。
生保はあくまでも保険と同じだ。みなが保険料を出し合い、誰かが困ったときには保険金で助けてもらうという。だからこそ国民は税金や保険料を支払うのである。保険金が誰かに支払われてそれが無駄遣いだという人がいるだろうか。不正受給は生保に限らず補助金でも保険金でも起こっている。それ自体は制度とは何ら関係ないのに不正受給イコール生保は悪とされてしまったのだ。
悩んだ末に頼ったセイフティーネットからも見放されてしまい、社会から孤立して追い詰められてしまった斯波は自分の手で父を殺めてしまう。しかし彼はその後、介護士の資格を取り更に多くの高齢者を殺めてゆく。
愛する父を殺めたことで彼は苦しんだはずだ。自死にまで追い詰められるほどの強い罪悪感。だから聖書の中の一節に彼は救いをみいだしたのかもしれない。罪悪感に押しつぶされそうになる自分を守るため、自己防衛本能から自分の行為を正当化する必要があったのだ。自分のした行為は正しかったのだと、あるいは本当に自分の行為は正しいと思っていたのか。
ただ、彼は父を殺めたとき涙を流した。やはり彼はあんなことをしたくなかったはずだ。自分にあんなことをさせた境遇、社会を恨んでいたかもしれない。
本作は斯波の行いが正しかったのか間違っていたのか単純に判断するのではなく、彼がなぜそうせざるを得なかったのかを観る者に突き付けてくる作品。
確かに斯波の行為は法的に殺人である。だが、もし彼が被害者や被害者の家族の依頼でやっていたならどうだろうか。国によっては尊厳死が認められている国もある。
斯波の父がもし尊厳死を利用できたなら、死を自分で選択できたなら、そもそも斯波は罪をおかさずにすんだのではないか。
フランス映画「すべてがうまくいきますように」でも描かれていた尊厳死の問題。日本もこの問題を避けて通れないのではないか。
私自身は介護の経験はまだないが、高齢の両親がいる身としてはある程度覚悟しながらも一人で抱え込むことはないよう心がけようと思っている。使える公共サービスや周りの手を借りて自滅しないようしなければならない。介護で自滅するならば、ゆくすえは本作の斯波となる。
介護の問題、尊厳死の問題、本作が観る者の心を打つのは誰しも他人事ではない問題を描いているからだろう。主演二人の演技も素晴らしかった。ただ、セリフで自己責任とか出てくるのは少々唐突。作品テーマをセリフで言わせるのではなく、そこは観客に感じ取らせるべきだった。この辺は日本映画の悪いところ。
正しいか正しくないかの問題ではない
ロストケアを肯定的に捉えてしまうが…果たしてそれで良いのか…
小説を読んでから映画を鑑賞。小説と相違点はかなりあったが、メッセージのコアの部分はしっかり残しながら、周辺エピソードを削ぎ落とした感じか。小説ではグッドウィル事件を題材にした介護業者の不正問題も物語の重要な部分を占めていたが、映画ではその話は一切なかったため、国策の間違いに対する指摘は映画ではだいぶ薄れていた。その分、ヒューマンドラマとしての印象が強くなり、介護する側とされる側にとっての「救い」としての殺人であったというところがより強調される結果になっていたように思う。
松山ケンイチと柄本明のベッドでのシーンは迫真の一言。どちらも表情を1分間以上カットを入れずに流し続ける演出で、登場人物の心の葛藤や心情の変化などをじっくりと感じながら見ることができた。
裁判のシーンを見て、「ロストケア殺人」を小説よりも批判的に表現しているのかと思った瞬間もあったが、最後のシーンを見て、原作よりも「この殺人は仕方のないもので、介護する側もされる側も幸せな結果になった」という肯定的なメッセージ性を残していたように思う。でも見終わった後、「果たしてその感想で良いのか?」と悩んだ。きっと誰かと議論してもずっと平行線をたどりそうな答えの出せない問題だと気づいた。
私は、介護する側、される側⁉️
貧しき者は介護においても救われない
演技に魅せられる
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