ロストケアのレビュー・感想・評価
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ナガクイキル
紡がれる言葉は辛辣だ。
でも、俺は斯波が間違ってるとも思えない。
長寿大国と呼ばれて久しい日本。
長生きは良い事だとされてきた。それはおそらく歴史との対比であろう。生きたくとも生きられない理由がたくさんあった時代。戦争や栄養失調や事故や流行り病やら…途絶えてしまった命が多かった時代。
誰でも近しい人との別れは辛い。
なのだが、長く生きる事で出てくる問題があるのも事実。癌による死亡が多くなったのは長寿によるものとの記事を見た事がある。なんでも癌細胞は皆持っていて、それが高齢化すると発症率が上がるのだとか。人口が増えすぎない為の自爆装置だとの乱暴な意見もある。
正直、キツかった。
斯波の台詞は本音のように聞こえてくる。
容認も推奨もできないし、共感や賛同をしたら人として間違ってるようにも思う。
だけど、否定しきれない。
俺の子供には言っておきたい。
「ボケてまで生きたくはないので、寝たきりとかになったら殺してくれ」と。
これから死んでいく命よりと、これからも生きていく命の方が大事なのだから、と。
とは言え、そんな決断を子供にさすのも残酷だ。
自死は…単純に怖い。幼き頃より刷り込まれている、自らの命を自らで断つ愚かさや、それ以降の魂の所在やら。事実かどうかも確認できないのに恐れてる。
大友の台詞には建前を感じる。
お節ごもっとも、そんな事は分かりきってる。
けれど、それだけでは背負えきれない問題はどうする?何か対処法を教えてくれるのか?
突き詰めて議論したら、その価値観は破綻したりしないのか?
そんな双方の観点が絶妙に描かれていた。
自分にどんな決断が待っているのかは分からない。
そのタイミングが訪れるのかも定かではない。
けれど遠くない未来に、そこそこな確率で起こるような予感はある。
祖母は老衰で亡くなった。
最期は病院で息をひきとった。寿命を全うしたようにも思う。ただ母からは相談されてた。
「延命治療はやらんとこうと思う。どう思う?」
俺は同意した。
「ばぁちゃんも、多分望んではないと思う」
ある意味、実行しなかっただけだ。
医師に、法に、慣習に委ねた。
自分の生命に連なる者たちを殺すなんて十字架を、現代では背負いきれない。
斯波の「絆って何ですか?」の後に続く台詞が強烈だった。それすらも見失っていく事や、意味合いが変わっていく事があるのだろう。
裁判のシーンで斯波の独白がある。斯波よりな意見で終わる流れに得心もしてる。だけど「人殺し!」との絶叫が入る。凄いバランス感覚だと思う。最後まで白黒をつけさせない。斯波の観点からしたら、それすらも自衛行為なのかもしれない。
本年度のアカデミー主演男優賞に松山氏を。
助演男優賞には柄本明さんを。
助演女優賞には戸田さんを。
個人的に進呈したい。素晴らしかった。
にしても鈴鹿氏は、とてつもなくニュートラルで、そこそこ作品とか出てるのに素人臭が抜けない。最早、それが彼の武器であり素養なのだと思われる。
不思議な存在感を醸す役者さんだ。
大友は言う。
「人には見たいものと見たくないものがある」と。その通りなのだけど、この作品が地上波で流れないような事態になるのなら、その推論の裏付けにはなるのだろう。
説教くさいと思う人達はいるのだろうけども、松山氏の変遷を見るだけでも、じゅうぶんな価値はある。
「バレなかったからですよ」
あの演出に、制作サイドの温情を感じてたりする。
あの一言に、斯波のサイコパスな一面を見たような気がした。それによって、コイツは異常者なのかもしれないと思え、普通とは違うのだと思えたから。
もし、そんな意図があったのなら、監督なのか松山氏なのかは知らんが、恐れ入ってしまう。
誰もが一度は観るべき作品
これは日本が抱える重大なテーマの一つです。
日本は医療水準が非常に高く平均寿命が長いため超高齢化社会となりました。
それ故に日本社会にもたらす影響も大きいです。
毎日の様にニュースで家族や介護士による虐待や殺人、無理心中といった記事を見かけます。
そのためPLAN75や今作のような作品が次々と作られては、話題となり観客の興味や共感を集めていると思われます。
私は医療従事者なので常日頃からこの問題に直面しています。国内では約100万人が寝たきりであると言われています。日本人の平均寿命と健康寿命の間には8〜12年の差があります。つまり多くの方が寝たきりなど要介護となった状態でその期間を過ごして最期を迎えています。
そこには家族の精神的、肉体的、金銭的負担が計り知れず、その苦悩を上手く描いた作品だなと感じましたね。
自分語りになってしまい恐縮なのですが‥
絶縁していた親の介護が突然始まりました。その時は鬱病にもなり親の介護、援助を拒否するべきか悩みました。
しかし、作中の大友の様に親を見放し死亡してから再会するのを危惧して介護を了承しました。この決断が正しかったのか未だに分かりません。恐らく、正しい答えは今後も出ることはないと思います。だけど後悔をしていないのが、また難しいところではあります‥
人間の感情とは複雑で、その事柄が実際に起こるまでは所詮、机上の空論でしかありません。
誰しもが、親の介護問題に悩む可能性があります。
全ての親が大友の母の様に老後に向けて貯蓄をして、自らの意思で介護施設や老人ホームに入所してくれる訳ではありません。
「安全地帯にいる人の言葉」だというセリフがとても心に響きました。そういう方々は自分が仕事を退職して介護をしたり金銭的困窮の中、介護をする可能性が低いと自分でも分かっているため理想論ばかり並べるというのは実際によくある話です。私も経験してそう感じました。
彼らは介護施設に入居する難しさ、生活保護の申請や受理までの苦労を知りません。
作中にもありましたが実際に福祉課の窓口で同じ対応を受けました。何度も足を運んで話を聞いてもらわないと申請書すら頂けません。家族の職業や生活などを調査し、全てを手放してからでないと生活保護は受けられないと言われます。税金から生活保護費を賄うため当たり前の話かもしれませんが、預貯金までも見せないといけませんでした。
在宅介護については言葉に形容できないほど皆が疲弊します。
「殺してくれ」と口にする親を家族みんなで泣きながら介護するのが日課となります。これは要介護のレベルによって差はあると思われますが寝たきりになると本人も将来に対する希望がなくなり絶望して、こういう言葉が目立ってきます。
要介護となる主な原因である認知症や脳梗塞の後遺症に対する根本治療は現段階では存在しません。
また、排便排尿コントロールができなくなることで本人や家族を悩ませます。赤ん坊のおしめとは違い、いつかオムツが外れることもありません。そして次第に家族みんなが生きている価値を見出せなくなっていきます‥
もちろん嘱託殺人を推奨している訳ではありませんが、それを容認してしまうくらい在宅介護は大変だということは間違いありません。
今作を観ていて、こういう被害に遭ったとしても介護が終わるのであれば救わるかもしれないと考えてしまいました。医療従事者らしからぬ意見ですが、これが本音です。
仕事では人の命を救うのが最優先であり、その後のことは家族や介護事業に丸投げです。
日本も安楽死に対して向き合うべきではないかと日々感じています。
家族の誰かが手を下しニュースにならないことを願いながら生活している自分にとっては非常に考えさせられる作品となりました。
何が悪で何を正義とするか、まさにその通りです。
人の尊厳とは何か、命とは何か、生きるとは、老いるとは、家族とは何か。 人にして欲しいことをするとは、今できることをするとは、どういうことか。 法律は、社会制度は、コミュニティは誰の助けになるのか。
介護疲れと思われる親族による殺人や心中事件の報道を耳にする度、その介護現場がどれ程悲惨な状況だったのだろうかと思う。
この映画で具体的に示された3件の介護現場は、あながち誇張しているとは言えないのかもしれない。
物語は、独居老人の孤独死現場に一人の女性(長澤まさみ)が駆けつける場面から始まる。
女性が検事(大友)であることは、その後のシーンで分かる。
この冒頭の場面で、野次馬たちの囁きが説明的に聞き取りやすく安っぽい感じがしたが、長澤まさみが現場であるアパートの部屋に入るとおぞましい光景が映し出され、一気に怪しげなドラマに引き込まれていく。
場面が松山ケンイチ演じる介護士(斯波)たちの訪問介護の現場に移る。彼が連続殺人犯だということは予告されているのだが、過酷な家庭内介護の様子と、彼の出来過ぎな介護士ぶりが見せられ、観客は犯人側に先に心を寄せることになる。
そして、大友検事は認知症の症状が見え始めた母親を高級老人ホームに入居させていることが分かる。
ある事件で、大友検事と事務官の椎名(鈴鹿央士)が不審点に気づくと、優れた介護士である斯波への嫌疑が浮上し、物語は犯罪捜査サスペンスの色を濃くしていく。
容疑者vs.検事の取り調べの攻防戦と並行して、容疑者斯波と大友検事それぞれの人物的背景、斯波が関わった介護現場の実状が描写される。
松山ケンイチと長澤まさみの会話劇となる取り調べ場面がこの映画の見せ場だ。
介護が人を追いつめ、それを社会は援助しない現実が斯波の口から語られる。
追求しているはずの検事が、徐々に追い詰められていく。
なぜ殺人を繰り返したのかという問いに「バレなかったからですよ」と、あっさり言って退けた斯波に、大友はたじろいだように見えた。
大友検事が抱えるある秘密が、斯波の言葉とともに彼女を責める。
冒頭の孤独死現場には検事として出向いたわけではなかったのだ。
殺人事件の判決文でよく使われる言葉「身勝手な犯行」に斯波の行動は当てはまる。
だからか、自分に極刑を求める検事も正しいと斯波自身が言う。
いかに同情し得る背景があろうとも、直接的にその原因ではない人物への凶行、ましてや勝手に望んでいると決めつけてその尊厳を奪って救済を論じるなど、身勝手な犯行にほかならい。
刑事裁判は、被告人による犯罪の有無、犯罪があった場合の被告人の量刑を決めるにとどまる。
この犯行の動機や、斯波や被害者家族の実状がいかに裁判で明らかになろうとも、根本原因の解決・改善には繋がらない。
相変わらず、役所は事務的に徹し、悲惨な生活を余儀なくされる人は減らないのだ。
現代社会の病巣を炙り出した意欲的な作品であるが、あくまでサスペンス映画だ。
クライマックスを松山ケンイチと長澤まさみに頼りきっているところが、映画的盛り上がりに欠ける。が、それに見事に応えた二人の演技者は立派だ。
脚本は、救われたという被害者遺族と、父を返せと糾弾する遺族の両方を登場させ、理想を抱いていた介護事業に絶望した若者の姿も見せる。
実際の事件・裁判ではないのだから、我々観客は追い詰められて犯行に及んだ斯波に同情してよいのだ。
そして、この映画で知り得た現実に向き合うことが大切だ。
知らなければ何もできないのだから。
大友検事の心境は長澤まさみの口から語られる。
彼女こそが、この事件で幾つかのことに気づいたのだ。
救済者を気取っていた斯波が、傍聴席から戸田菜穂が浴びせた罵声に何を感じたのか、松山ケンイチの冷静を装ったような表情だけで、言葉はない。
完璧にやられました( ;∀;)
今日の名古屋もはれちょります♫
めっちゃ、汗ばむhiro坊です(^^;
気になる映画~♫ロストケアーー!!
気付けば~上映・・・しゅ~りょ~~~ってΣ(゚д゚lll)ガーン
最寄りの映画館・・・今日まで。。。で・・・もう一つ行ける所は~・・・。
明日朝が最終っぽい。。。
という事で~~♫本日、朝一で~行ってきました。
いや・・・ほんとに最後の20分ぐらいまで・・・。
うわ!!このパターン・・・観なきゃ。。。良かった・・・。
・・・って・・・この映画・・・又、国がお金だしてたりするのかなぁ・・・。。。
・・・って勝手に思っていたんですが・・・。
・・・・そこも~♫すべて・・・計算なのねΣ(゚∀゚ノ)ノキャー
予告も含めて・・・騙されました。。。
なんせ・・・個人的な妄想ですが・・・終わりの20分迄は・・・。
にほんのおくにが絡む~福祉系映画でやる最悪な演出のオンパレードで・・・。
(´Д`)ハァ…・・・。ブルータスお前もか!!って感じだったんですが、、、
最後まで観ると~。。。
『監督・・・あんた!!わざとあの演出のオンパレードをーーーやったわねーーー(≧◇≦)』
・・・ってhiroの脳内は~勝手に祭りになってました。
最後のシーンまで観ると。。。この監督・・・性格悪っ!!
・・・最後この・・・観せかたをとるって事は・・・ここまでの撮影技法は・・・。
・・・すべて・・・敢えてかぁぁ・・・。だから、予告もあんな感じだったのかぁ・・。
※多分、この映画におくには関わってないと感じたhiroなのです。
『前田哲監督!!』この名前・・・遅まきながら覚えました(≧◇≦)
だけども~・・・そこ・・・もっと・・・
わかり易くアンチテーゼですよって・・・※エブエブみたいに。。。
・・・コメディー色を前面に出してくれたら~。。。僕的には☆5つ。。。
すなおじゃなさすぎだったので~今回、個人の星は~4つです(≧◇≦)
※あくまで個人の妄想です。
※まぁ・・・でも原作あるから~コメディー色は出来んかなぁ~(^^;
いやぁ~結構、良かったわーーー。
※福祉職の視点から観ると・・・
・・・認知症への理解や対応はツッコミどころが満載ですけど~(^^;
※脳梗塞の演技自体には??でしたが・・・柄本明の演技はやっぱり心にきます。
重要な題材と思われながら、この映画に対する私的5点の疑問
(完全ネタバレですので鑑賞後に必ずお読み下さい)
この映画『ロストケア』は、現在の日本にとって大変重要な題材を扱っています。
それだけでも鑑賞の必要があると個人的にも思われています。
しかし映画を見ていて、私的には5点の疑問をこの作品には感じました。
まず1点目の疑問は、これは予告を見た完全なこちらの思い込みでしかなかったのですが、てっきり2016年に起こった知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」での45人殺傷事件(19人殺害、26人に重軽傷/相模原障害者施設殺傷事件)の植松聖 死刑囚を題材にした映画だと思って見始めてしまったところです。
もちろんこの映画の原作の葉真中顕さんによる「ロスト・ケア」は(鑑賞後に知ったのですが)2013年に出版されていて、2016年の「津久井やまゆり園」での事件(相模原障害者施設殺傷事件)より前に書かれています。
つまりこの映画は「津久井やまゆり園」での事件とは関係がないのですが、原作未読で関係がある映画だと勘違いして見始めた私のような観客も少なくないと思われます。
なので、例えば予告で”この映画は相模原障害者施設殺傷事件より以前に発表された予言的物語”など、実際の事件とは違う物語だとの事前周知は必要だったと思われます。
これは広報戦略から意図的な現実事件との混同を狙ったのかもしれませんが、1観客としては映画の前半での実際の事件の題材とは違うとの頭の中の訂正で、映画への集中を削がれたとは思われました。
(なぜなら、生まれた時からの知的障害者と、若い時の多くは健常で後に痴呆を含めた高齢者になってから必要とされる介護者とでは、周りとの人間的な関係性も微妙に違っていると思われるからです。)
2点目の疑問は、検事の大友秀美(長澤まさみさん)が斯波宗典(松山ケンイチさん)の殺人を捜査して暴いて行く場面です。
もちろん検事がドラマ「HERO」のように補充捜査の意味で刑事事件を捜査するというのはなくはないのかもしれません。
しかしこの映画『ロストケア』は、リアリティをもって介護の問題に切り込んでいる映画だと思われます。
であれば、刑事捜査の方も現実に匹敵するリアリティラインで描く必要があったと思われました。
斯波宗典が42人の殺人を犯していたのであれば、警察での捜査が主体になり、検事の取り調べはあくまでその警察の捜査が正当か起訴出来るかの判断になると思われます。
テレビドラマ的な、検事である大友秀美が主体になっている殺人事件の捜査の描写は、私的には小さくない違和感が残りました。
3点目の疑問は、介護施設で斯波宗典が殺害した41人はそれぞれで多様な人々であったはずなのに、そこが描かれていないと思われた点です。
斯波宗典は(おそらく脳梗塞などでの半身麻痺などが合いまった)父の斯波正作(柄本明さん)に対する介護の経験、行政などの助けのない中での疲弊と絶望から、父を殺害します。
斯波宗典は、父を殺害することによって、自分自身も父も「救われた」とその時に確信します。
しかしだからと言って、斯波宗典が殺害した彼の父以外の41人やその家族も、斯波宗典や彼の父と全く同じである(殺害によって逆に「救われる」)とは(経済的な状況も含めて)実際は限らないと思われるのです。
事実、家族の生活や父の介護で疲弊しているように見えた梅田美絵(戸田菜穂さん)は、法廷で斯波宗典に対して、「人殺し、お父ちゃんを返せ!」と叫びます。
この映画は、41人の家族の様々に違う人生や感情や内面を描き、それを斯波宗典にぶつけた上でなお、斯波宗典の主張はそれを乗り越えることが出来たのか描く必要があったと思われます。
41人の被害者家族の内で殺害後の心情が映画の中盤辺りで描かれるのは、斯波宗典の殺害動機にとって都合の良い(と私には思われた)、羽村洋子(坂井真紀さん)の「私、救われたんです」との心情だけでした。
この映画の弱点は、斯波宗典とはまた様々違うだろう被害者家族の中で、斯波宗典とは違う考え心情の人々を出しても耐え得る構成になっていなかったところだと思われます。
なので、「人殺し、お父ちゃんを返せ!」と叫ぶ梅田美絵を最終盤でしか心情を(叫びという1言でしか)語らせられなかったのだと思われます。
この映画は、「人殺し」と叫ぶ梅田美絵の心情を映画の中盤で斯波宗典にぶつけ、それでも斯波宗典の意志は揺らがなかったのか描く必要があったと思われました。
4点目の疑問は、母を斯波宗典に殺害されて「私、救われたんです」と言っていた羽村洋子が、映画のラスト辺りで春山登(やすさん(ずん))に「迷惑を掛け合っていい」との趣旨の話をするところです。
しかしこれはおかしな話だと思われました。
母を斯波宗典に殺害されて「私、救われたんです」と語った羽村洋子は、家族との関わりで「迷惑の掛け合い」がどれだけ過酷な事かを既に深い底まで経験で分かっていると思われるからです。
この映画『ロストケア』は、羽村洋子が(斯波宗典と同様の)介護を通して家族での「迷惑の掛け合い」がいかに残酷かに到達し得たのに、そこを「迷惑を掛け合っていい」との趣旨の言葉で最後に適当にごまかしてしまったと私には思われました。
羽村洋子のラストは、春山登から「迷惑を掛けるかもしれません」と言われたら、その過酷さを分かった上でそれでも一緒にいたいと、無言で春山登の手を握るといった表現の方が良かったのではと思われました。
5点目の疑問は、この映画というよりこの国の社会保障政策についてです。
映画『護られなかった者たちへ』でも思われたのですが、今回でも生活保護に対するこの国の冷淡さが描かれています。
そしてそれぞれの映画を見た観客は、なんて冷淡で悪の行政なのだ!と日本の行政を攻めて終わる構図になっていると思われます。
しかし本当はそれだけが要因ではないのです。
日本の国は今、世界一の超少子高齢化社会です。
にもかかわらず(例えば消費税などの税や保険料などを含めた)国民負担率は驚くべきことにOECD諸国の中ではかなり低いのです。(2020年で36か国中22位の国民負担率)
つまり、生活保護に回せるお金を増やすには、消費税や所得税や法人税・社会保険料などの国民負担を上げる必要があるのです。
加えて、超少子高齢化による生産年齢人口が減少している逆ピラミッドを早急に是正して、高齢者の介護を含めた社会福祉を支えるには、手遅れになっている少子化対策を超えて、(納税などでの)高齢者の支え手である生産年齢人口を増やすために、移民の大幅解禁が必要になります。
なぜ生活保護などについて行政が冷淡かというと、国民が消費税などの増税や社会保険料の引き上げ、あるいは大幅な移民解禁に反対しているのが大きな背景としてあるのです。
国民の負担や移民の必要性から目を逸らし自らの負担の必要性を棚に上げたまま、一方で行政を都合良く叩くのも間違っていると思われます。
以上の5点から、この映画『ロストケア』は大切な題材を描きながら、傑作には届かない作品になっているなと、個人的には僭越ながら思われました。
しかしながら、それでも介護における現在の日本の過酷な状況は是正される必要があり、私達はこの問題から目を逸らしてはいけないと、一方では強く思わさせる映画でもあると思われました。
また、主人公の斯波宗典 役の松山ケンイチさんと主人公の父の斯波正作 役の柄本明さんの2人の場面は圧巻の2人の演技だと、掛け値なしに思われました。
松山ケンイチさん、柄本明さんの2人の演技を見るだけでも十分価値のある映画だと思われました。
死こそが救いなのか
社会派映画の存在意義
予備知識は殆どなく評判が良さそうなので観に行きましたが、いやぁ~引き込まれましたよ。私好みの作品で当たりでした。
原作は未読ですが、原作はもう少しサスペンス寄りの作品だそうで、映画は社会派寄りに敢えてしたという情報を見たのですが、それも私の好みに合っていました。
で、95歳の母親と二人暮らしである68歳の私には切実過ぎる物語というか生々し過ぎる作品なので、作品自体の感想(自分の感情)は書けそうにもないのでパスしますが、その代わりにこういう作品の社会的意義の様な事を今回は書いて行こうと思っています。
まず本作の前田哲監督作品って、あまり多くの作品を鑑賞した訳ではありませんが、本作の尊厳死も含め『ブタがいた教室』の食文化とか『こんな夜更けにバナナかよ』の健常者と障害者の日常での関係性とか、倫理観だけでは解決不可であり、本来答えのない人の考え方や対応に対しての少し意地の悪い問題提起をする監督という印象があります。
誰しもが人生に於いて逃げられるのであれば逃げたいし、見たくも考えたくもない問題を、だからといって有耶無耶にも出来ず、人間として生まれた限り必ずぶち当たる問題であって、こうして映画として突きつけられ考えさせられることの意義は大きいと思います。
本作では主人公が「社会の穴」という言葉を使っていましたが、私も今後この言葉を頻繁に流用しそうな深く的を得た表現の様に思えました。
“理想の社会”というのは、本来この穴は少なければ少ないほど良い筈なのですが、逆に言うとこの穴がなければ社会は成立しないという捉え方も出来るのかも知れません。
“社会の穴”の他にも“社会の隙間”という言葉も社会ではよく使われています。
あくまでも、私の考え方ですが、“社会の隙間”というのは“悪事の隠れ蓑(場所)”だと思っています。
理想の社会というのは悪のない社会ということですが、現実の社会には悪が充満しています。何故かというと権力者や成功者の悪事は見逃さないと人間社会は成立しないからです。
そして“社会の穴”というのは、社会の矛盾であり不条理であり、真面目に生きようとする人間を不幸にする落とし穴です。
最近観たばかりの作品では『夜明けまでバス停で』、『夜を走る』や多くの社会派映画は全部“社会の穴”に落ちてしまった人たちの物語ばかりです。
というか、最近の日本の社会派映画の殆どが、そのような“社会の穴”を見つけ出し問題提起しているという事なのですが、現実社会は穴ぼこと隙間だらけで、それを埋めようともしない(いや、出来ない)
恐らく、今の社会力(造語)の限界であり、隙間や穴が埋められないのは何かのバランスを保つ為の必要悪としての存在であり「人は見たいものしか見ない」という、それは政治だけなく人間としての限界なのかも知れません。
ただ、本作にもありましたけど、役所などの対応の不親切さや不備などについても様々な作品で取り上げられ、パッと思いついた作品だけでも『生きる』『恋人たち』『護られなかった者たちへ』『岬の兄妹』等々で度々見かける光景ですが、溺れかけた人間に対しての命綱であるべき部署の現実は、何度か役所に行った人間なら決して誇張ではないと理解は出来る範疇の演出であって、“社会の穴”が最も可視化し易い場所というのも哀しくも皮肉な話です。まあ個人としては、穴に落ちないことを祈るしかないのですけど…
だからこそこういう問題を知らない(見ない)ままにせず、知らせる(見せる)媒体が必要であり、それを自ら見ることも重要で、それが出来るのは今や映画や小説くらいしかない様な気がしています。本来なら報道機関がすべき仕事なのでしょうが、そこが隙間だらけで腐ってしまっているので仕方ないですね。
過去の関連作品との異同と自分自身への戒め
"PLAN75"を観たとき、『楢山節考』以来のいわゆる安楽死問題に関わる議論の中間的総括として、社会的孤立のために安楽死や自死の選択に追い込まれたり、推奨したりする空気を撥ね返していく風を吹かせ続ける風土を培う作品の制作が今後とも期待される、と考えた。しかし、本作ではむしろ家族の絆からの解放のために第三者による嘱託殺人が肯定されても良いのではないかという提起があった。まさに"PLAN75"が取り上げ損ねた2019年の ALS(筋委縮側索硬化症)患者嘱託殺人事件、そして"PLAN75"で暗示しようと試みた相模原殺傷事件の加害者の実相とも極めて似ていると思われた。けれども本作の原作は、相模原殺傷事件の発生より3年前に書かれたものなので、その慧眼には驚く他ない。戸田菜穂氏演じる美絵が、親が死んだことで重荷から解放され、宗典に対する信頼を残しているかにみえ、ひょっとすると減刑嘆願を申し出る一人になることさえ想像したが、そうはならず、殺人者への正当な感情を表明できていた。親による障がい児殺しに対して、かつては同情的な世論が沸き起こった時代もあったけれども、相模原殺傷事件の被害者の親たちは、施設に預けていたけれども、その子の生きる未来にまだ希望を強く持ち続けていた点で、宗典を演じた松山ケンイチ氏が想定したような、本人と家族の救いの実現とは大きく異なると言わなければならないであろうし、そこに相模原殺傷事件の加害者の誤算があったとも言えるであろう。
善の顔と悪の顔とを兼ね備える役柄は、様々な作品に存在するので、本作での松山氏だけが適任というわけではないだろうけれども、松山氏なりの持ち味が表れているのは確かであろう。相対する検察官の秀美を演じた長澤まさみ氏は、本作では女性であるがゆえに揺れ動く価値観を表現していると思われるけれども、"MOTHR"では、悪役に徹した演技をしていたので、女性の役者だからこのような展開になっていったとは言えないだろう。
少し前にやはり孤立した高齢者を犯罪で救うという試みを描いた『茶飲友達』でも最後に処罰されたし、そこでは殺人は行われなかったことが救いではあった。随分前の『日本の悲劇』は、引き籠もり親子をめぐる暗部を描いたものであり、その系譜も感じられる。本作を制作した前田哲監督が少し前に制作した『老後の資金がありません!』は、その題名にもかかわらず、少しゆとりのある階層を取り上げていたが、本作では、どん底に追い込まれた階層と少しゆとりのある階層とを対比的に描いていることでも秀逸であると言えよう。
洋子演じる坂井真紀氏とやす氏演じる登とは、外見上は年齢的に釣り合わないようにみえたが、実年齢は1歳しか違わないので相応なのであろう。宗典は秀美に対して、「裁く」という表現を使っているが、裁くのは裁判官であって、検察官ではないはずであろう。
本作だけでなく、『日本の悲劇』の主役の演じる局面は、自分の実生活にも切実な問題であるので、改めて戒めとしていきたい。
尊厳について考えたい
犯罪なのか…?
メンタル鬱の時に見る映画じゃねえ笑
みんながどの立場で見たのか気になる。
親の介護とはまだ縁がない年齢なのと毒親持ちなのでロストケア側に救われたい立場で見たけれど、
帰り道重たすぎて心がしんどくなった。
絶対に避けて通れない親の介護とその子のしんどさ。
監督がコメディ寄りの方で終わった後びっくりしましたが、中学生が介護をしていたり、服が徐々に汚れていったり、部屋が散らかっていったり風俗落ちてたり、女性の髪がボサボサだったりリアリティありすぎてびっくりしました。
もう本当に現実突きつけられた。
年金7万円だと家賃と必要経費で消えるよね。家族の絆は強いからこそしんどいよね。
日本の福祉にあやかっている側なので年金は涙出た。
本当に現実。メンタルやられてる時に見るもんじゃねえ笑
追いつめられた人々。本作が訴えてるものとは。
本作を観て思ったのは、いったい斯波はどうすれば良かったのか、どうすれば彼はあのようにならなくて済んだのかである。
介護疲れで年老いた夫が介護していた妻を殺害して逮捕、あるいは無理心中したなんて事件をニュースで見るたびに思う。他に方法はなかったのだろうかと。
間違いなく言えることは斯波が大友のように父親の介護を他人に任せられる境遇であればこのようなことは起こらなかったということだ。
介護に限らず、誰にも悩みを打ち明けられず、一人で問題を抱え込み孤立化することはかなり危険だ。
以前自宅の小屋に精神疾患の息子を長年監禁していた両親が逮捕されるという事件があった。息子の精神疾患の度合いはかなりのもので、暴れると手が付けられないほどであり、両親は役所などに何度も救いを求めた。しかし、施設でも預かってもらえず苦しんだ末の監禁だった。長い監禁で息子は失明し、体も変形していた。世間はそれを酷い虐待と非難した。
村社会の伝統が色濃い日本では家族のことは家族で何とかすべしというのが暗黙の了解としてまかり通って来た。しかしそのせいでおこる悲劇、家族間での殺人は殺人事件の中で一番多い。
他者に頼ることもできず追いつめられた果ての悲劇は今でも起こり続けている。大切なのは一人で抱え込まず助けを求めることだが、今の社会はそんな助けをよしとしない風潮がある。本作でも語られる自己責任論である。
貧困や家族の問題は自分たちの至らなさが原因、だから人様に頼るなということである。日本人にはこういう考え方が昔からあった。それをうまく政治家が利用し、生保のネガキャンが行われた。
本来、生保などのセイフティーネットは我々の納めた税金を原資とするもので、なにか生活に支障ができた時には誰でも利用できるはずだった。これは憲法25条で当然保障される権利である。しかし、近年ごく少数の不正受給者を殊更に取り上げて国民同士の憎悪を煽り、制度自体が標的にされた。まるで生保は怠け者が税金を使って楽をするための制度だとネガキャンが張られたのだ。
生保はあくまでも保険と同じだ。みなが保険料を出し合い、誰かが困ったときには保険金で助けてもらうという。だからこそ国民は税金や保険料を支払うのである。保険金が誰かに支払われてそれが無駄遣いだという人がいるだろうか。不正受給は生保に限らず補助金でも保険金でも起こっている。それ自体は制度とは何ら関係ないのに不正受給イコール生保は悪とされてしまったのだ。
悩んだ末に頼ったセイフティーネットからも見放されてしまい、社会から孤立して追い詰められてしまった斯波は自分の手で父を殺めてしまう。しかし彼はその後、介護士の資格を取り更に多くの高齢者を殺めてゆく。
愛する父を殺めたことで彼は苦しんだはずだ。自死にまで追い詰められるほどの強い罪悪感。だから聖書の中の一節に彼は救いをみいだしたのかもしれない。罪悪感に押しつぶされそうになる自分を守るため、自己防衛本能から自分の行為を正当化する必要があったのだ。自分のした行為は正しかったのだと、あるいは本当に自分の行為は正しいと思っていたのか。
ただ、彼は父を殺めたとき涙を流した。やはり彼はあんなことをしたくなかったはずだ。自分にあんなことをさせた境遇、社会を恨んでいたかもしれない。
本作は斯波の行いが正しかったのか間違っていたのか単純に判断するのではなく、彼がなぜそうせざるを得なかったのかを観る者に突き付けてくる作品。
確かに斯波の行為は法的に殺人である。だが、もし彼が被害者や被害者の家族の依頼でやっていたならどうだろうか。国によっては尊厳死が認められている国もある。
斯波の父がもし尊厳死を利用できたなら、死を自分で選択できたなら、そもそも斯波は罪をおかさずにすんだのではないか。
フランス映画「すべてがうまくいきますように」でも描かれていた尊厳死の問題。日本もこの問題を避けて通れないのではないか。
私自身は介護の経験はまだないが、高齢の両親がいる身としてはある程度覚悟しながらも一人で抱え込むことはないよう心がけようと思っている。使える公共サービスや周りの手を借りて自滅しないようしなければならない。介護で自滅するならば、ゆくすえは本作の斯波となる。
介護の問題、尊厳死の問題、本作が観る者の心を打つのは誰しも他人事ではない問題を描いているからだろう。主演二人の演技も素晴らしかった。ただ、セリフで自己責任とか出てくるのは少々唐突。作品テーマをセリフで言わせるのではなく、そこは観客に感じ取らせるべきだった。この辺は日本映画の悪いところ。
神にはなれない
刑務所で大友検事が斯波に母の事を告白しているシーンはキリスト教の「告解」をイメージしているのだと気づいた。
斯波は一人の人間であり、神になることはできなかったが、キリストのように利用者家族の罪を代わりに背負い、自ら犠牲になる(殉教する)事を望んだのだと感じられた。
正しいか正しくないかの問題ではない
迫真につぐ迫真
いい青年は
いい人間であるとは限らない
いい職業についている人も
いい人間であるとは限らない
大事な事はどの本にも書いてない
極端な面もあるが
どれも迫真につぐ迫真
実は全てを見透かしてるのは
ケアセンターのおばさんなのかも
しれない
憧れの先輩が事件をおこして
いなくなったとしても
3ヶ月で風俗にいく見習いの子も
諦めの早い今の子を写している
のかもしれない
いい映画だ
ロストケアを肯定的に捉えてしまうが…果たしてそれで良いのか…
小説を読んでから映画を鑑賞。小説と相違点はかなりあったが、メッセージのコアの部分はしっかり残しながら、周辺エピソードを削ぎ落とした感じか。小説ではグッドウィル事件を題材にした介護業者の不正問題も物語の重要な部分を占めていたが、映画ではその話は一切なかったため、国策の間違いに対する指摘は映画ではだいぶ薄れていた。その分、ヒューマンドラマとしての印象が強くなり、介護する側とされる側にとっての「救い」としての殺人であったというところがより強調される結果になっていたように思う。
松山ケンイチと柄本明のベッドでのシーンは迫真の一言。どちらも表情を1分間以上カットを入れずに流し続ける演出で、登場人物の心の葛藤や心情の変化などをじっくりと感じながら見ることができた。
裁判のシーンを見て、「ロストケア殺人」を小説よりも批判的に表現しているのかと思った瞬間もあったが、最後のシーンを見て、原作よりも「この殺人は仕方のないもので、介護する側もされる側も幸せな結果になった」という肯定的なメッセージ性を残していたように思う。でも見終わった後、「果たしてその感想で良いのか?」と悩んだ。きっと誰かと議論してもずっと平行線をたどりそうな答えの出せない問題だと気づいた。
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