ロストケアのレビュー・感想・評価
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救いとは
斯波は「人々を介護から解放する」という名目で自身の罪を正当化し、無意識にその罪悪感から逃げているのではと思いました。
介護の経験はないので、自分が同じ状況になったらどう感じるのかリアルに想像できませんが、他人の手で強制的に介護から解放されることは果たして本当の意味での「救い」になるのでしょうか。
一時的に救われても、数年経って親の思い出に耽る時に「あぁ、親は他人に殺されてどんな気持ちで最後の時を迎えたのか」と後悔したり、逆に自分が老いた時に思い悩むことになったり、最終的に救われたと感じられるのか疑問だなと思いました。
斯波のように、他人の幸せをコントロールできると思い込むのはそこにどんな理由があれ間違っていると思います。
介護や子育て、年金等、現代の様々な課題について考えさせられる良い作品だったなと思いました。
殺人か救いか、考えや論理がせめぎ合う“ロストケア”
介護問題、不条理な社会システム、人間の尊厳…本作で描かれるものには絶対的な解決策や答えはない。
見る側の考えや受け止めもそれぞれ。人によっては主人公・斯波を連続殺人鬼に思うだろう。介護の現場を身を持って経験した人にはただの絵空事や他人事ではない。
今日本が抱える問題や闇を突き付け、考えさせるテーマやメッセージ。エンタメ性も充分。演出やキャストの熱演も素晴らしい。
公開時から評判の良さは聞いていたが、期待にそぐわぬ力作。
エンタメ・ミステリーとして始まり、見る者を一気に引き込む。
とある民家でそこの住人の老人と介護センターの所長の死体が見つかる。
金に困っていたという所長。介護先に押し入り金品を物色中見つかり、揉み合う内に…との見方が強まる中、
死亡推定時刻近く、付近の監視カメラに映った人影。自宅にいたと証言していた同センターのヘルパー、斯波。
担当していたその老人が心配で非番ながらも赴いた時所長と鉢合わせし…と、正当防衛を主張。
現場にあったニコチンを使用した後の注射器。さらにそのセンターでは、他のセンターと比べ介護利用者の自宅死亡率が異常に多い。その数、実に41人…!
死亡者の曜日や時間、ヘルパーの勤務表から、ほとんどが斯波の休日と一致。
調査から検事の大友は、斯波をきっかけとなった今回の事件含む41件の不審死の容疑者と睨む。取り調べを始めると、斯波はあっさりと容疑を認める。
斯波は同僚や利用者からとても好かれ慕われていた人物。仏様のような彼の本当の顔は恐ろしい連続殺人鬼…?
そんな斯波の口から語られたのは、耳を疑うようなものであった…。
自分は人を殺したのではない。その人と家族を救った、と…。
まずは誰だって、サイコ野郎だと思う。が、
介護に疲れ果て、苦しむ家族…。
病に苦しみ、認知症で自分が自分じゃなくなる当人…。
双方にとっても生き地獄。
自分は“42人”をその苦しみから解放したのだ、と…。
斯波が手を下したとされるのは41人。じゃあ、42人と言うのは…?
大友は斯波の過去を調べると、斯波の実父も似たような不審死であった事を突き止める。
最初の“殺人”は実父。そこに何があったのか…?
斯波から語られたのは、壮絶な過去と全ての“救い”の始まりだった…。
斯波の父も認知症。
老人ホームやヘルパー利用などの余裕はなく、斯波が自宅介護。
父の介護に追われ、仕事を辞め、時間や融通の利くバイトをしていたが、あっという間に貯金や父の年金も底を尽き始め、暮らしは困窮となり…。
生活保護に相談。が、あなたはまだ働ける。もっと頑張りなさい、と取り付く島もなく見離される。
社会システムは本当に助けを乞う困窮者には一切手を差し伸べない。私も似た経験があるから、このワンシーンだけでも憤りを覚えた。あの感情皆無のロボットのような事務的対応…。
誰からも救いの手を一切差し伸べられず、見離された者は、社会の“穴”へ落ちていき、そこから抜け出そうも足を折り、もがき苦しみもがき苦しみもがき苦しみ…。
それは自身をも病む。些細な事から愛する父に暴力を…。
このままでは自分も父も壊れていく。朽ち果てていく。だけど、どうする事も出来ない。そんな時…。
喋りもままならない父から言葉を絞り出すかのように、殺してくれ…。
自分が自分じゃなくなるのは嫌だ。何より、お前がこれ以上苦しむ姿を見たくない。
勿論当初は拒む斯波であったが…。
斯波が父に手を下すシーンはラストシーンにもなる。
苦悩葛藤しながら、愛する父をこの手で…。父の亡骸を抱き締め、嗚咽する。
こうでもしなければ二人共救われなかった。どうする事も出来ない苦渋の末の悲しみ、やるせなさ、自分たちを叩き落とし追い詰めた社会への憎しみ…。
本当は斯波だってこんな事はしたくなかった筈。だけど…。
非常に胸苦しく涙を誘い、転落してしまった親子愛の姿に心揺さぶられる。
でも、これがきっかけで斯波は“救い”という考えと行動へ…。
そう思うと皮肉でもあり戦慄的なシーンでもある。
独善的な理由で42人を“殺した”斯波。
その考えは間違いで過ちで愚かでもある。異常者や連続殺人鬼と呼ばれても致し方ない。
が、“穴”に落ちた介護の現場を我々は本当に知っているのか…?
ひょっとしたら、自分がそうなっていたかもしれない。そうしていたかもしれない。苦しむ当人と家族の代わりに、自分が甘んじて…。
開幕の聖書の一説。“人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい”。
これ、尊い事を言ってるが、間違った解釈もしてしまう。
斯波がした事はして貰いたい事だったのか…?
遺族も意見が分かれる。ある遺族は「人殺し!」と糾弾する。最もな意見であろう。その一方…。
認知症の進んだ母親は時に娘や孫に暴言を浴びせ、時に暴力も振るう。仕事に介護に疲れ果て…。が、母の死後出会いがあり、新たな人生をスタート…。その遺族は“救われた”という。
どっちも心からの声であろう。家族を殺された怒り憎しみ、楽になりたかった本音…。
実際に経験した者じゃないと分からない。どっちが善し悪しなんて言えたもんじゃない。
大友は法の番人。真っ直ぐな正当な立場と理由で斯波の“犯行”を否定する。
“救い”ではなく“殺人”。過った考え。
家族の了承を得たならまだしも(それだって罪に問われる)、斯波一人の勝手な行為。しかも、42人も…!
おそらく世のほとんどの意見は大友寄りだろう。私もどちらかと言うとそうかもしれない。
どんな如何なる理由あっても、人が人を殺していい理由などない。それが行われるのは戦争だけ。それだって過ちだ。
家族の絆を勝手に断ち切る権利など、あなたには断じてない!
その真っ当な正論に斯波が返した言葉がまた見る者の感情を揺さぶる。
家族の絆。勿論尊いものだ。
だが時にそれは“呪縛”にもなり得る。それがあるから人は縛られ、解放されない。
家族を見捨てる事は出来ない。だからと言って、人個人の自由を縛り付けていいのか…?
これについては何と言ったらいいか分からない。どう受け止めたらいいか分からない。
家族も大事。個人の自由も大事。我が胸中が激しく堂々巡りする…。
が、的を射た斯波の言葉もあった。
そう最もな大層な事が言えるのは、恵まれたほんの一部。家族を老人ホームに入れ、ヘルパーを雇う余裕もある。
全員がそうとは限らない。老人ホームに入れられずヘルパーも雇えず、困窮と仕事と介護の“穴”へ落ちる人たちがどれほどいるか。
我々はそれを、その現場を、境遇を、本当に知った上で言っているのか…?
ただ“安全地帯”から何も知らず知った事を物言っているだけ。そんなの恵まれたほんの一部の綺麗事理想事に過ぎない。
ちなみに私自身の場合は、一緒に暮らしていた祖父も父も母も最期は病院で。ちょくちょく見舞いに行ったり寝泊まりもしたが、実質的な対応は全て医師や看護士が。介護らしい介護はほとんどした事なく、こんな私は“安全地帯”なのだろう。
世の中は本当に不条理だ。皆が平等に暮らせる世の中を誰だって目指しているのに、実際は…。こうも差や待遇が違う。
一体何が違うというのか…? 何が悪くてこうなってしまうのか…?
不十分な社会システムか…? 生まれ決められた境遇か…?
完璧な解決策や正しき答えなど永遠に出ないだろう。
また言うが、どっちが善し悪しなんて決められない。だから激しく意見がぶつかり合う。
このシーンの斯波=松山ケンイチと大友=長澤まさみの激論は迫真であった。
松山ケンイチのさすがの巧さ。笑顔と優しさいっぱい介護する姿は素のよう。その一方、自身の“救い”を主張する言動は、ヒヤリとさせるものと悲しみ滲ませ、あの眼差しは見る者を硬直させるほど。
立場から斯波の言う事を否定しなければならない大友。冷静沈着だが時々感情が出てしまったり、激しく動揺したり…。こういう立ち位置あって作品もより引き締まる。長澤まさみがそれを体現。
その高い演技力によって、それぞれの言い分を充分に納得させるものがある。
大友の助手役の鈴鹿央士、斯波に対して感情分かれる坂井真紀や戸田菜穂ら助演陣も好サポート。
中でも圧巻は、言うまでもない柄本明。斯波の認知症の父。その認知症演技もさることながら、斯波との困窮の生活ぶり、殺してくれと泣き叫ぶシーン…もう見ていて辛くなるほど。
この名優はどれだけの引き出しを持っているのか。こんな芸当が出来るのは他に故・樹木希林ぐらいであった。
演技・演出・語り口・カメラワークに至るまで。
前田哲監督の手腕には格調高いものすら感じた。
良作多いが、個人的に前田監督のBEST作。
裁判が始まり、斯波は罪に問われ、収監。
この裁判中遺族から「人殺し!」と叫ばれた時の斯波の表情が忘れられない。
おそらく斯波は初めて遺族の生の声を聞いたのだ。
自分がした事は“救い”で“正義”だったのか…? 斯波が初めて自分の行為に動揺し、疑問が沸いたシーンと言えよう。
その直後のシーンでは別の遺族が新しい生活をスタートさせ、こちらは“救われた”。最後まで見る者に問う。
最後にもう一幕、難題が待ち受けていた。
裁判後初めて、大友は斯波に面会する。
大友は自身が犯した過去の“罪”を告白する…。
大友は現在母と二人。その母は老人ホームに。斯波が言う所の“安全地帯”。
大友には長らく疎遠の父が。父も生活困窮者で、介護が必要な身。何度も何度も大友に連絡していた。
が、大友は全ての連絡を拒否。仕事があり、父とは長らく会っていないから…と自分に言い聞かせて。
やがて父は死後数ヶ月経って発見。その惨状…。
大友はこの事を母にも伝えなかった。
言わば、父を見殺しにした。
ふと思った。見殺しにするのと、自らの手で“救う”のと、どっちが罪深いのだろう…?
法の立場から言うのなら、手を下したのは当然ながら罪になる。
でも手を下さず見殺しにした事に、何の否も無いと言い切れるのか…?
それは一生自分の足枷になる。
罪に問われる以上に、人知れず罪を背負い続ける事は、これほど重く苦しい事はない。
喪失の介護(=ロストケア)。
殺人か、救いか。
殺人鬼か、救済者か。
許せるか、救われたか。
罪を犯した者と、罪を背負った者。
異なるもの同士がせめぎ合う。
問い掛ける。問い続ける。
最後大友が斯波を思ったように、私もこの作品を思う。
現代の高齢化社会に一石を投じる映画
昨年の『PLAN75』、今年の本作『ロストケア』と次々に、現代の高齢化社会に一石を投じる映画が公開されるが、本作はなかなかの感動作だった🙂
ケアセンターの介護士=斯波(松山ケンイチ)は、周囲やケア家族らに「あんな親切な優しい人はいないわね~」と言われる人望。
介護を受けていた老人1人が亡くなったことをキッカケに「斯波が勤務するケアセンターの老人の死亡率が高い!」ということに疑念を持った検事=大友秀美(長澤まさみ)。
しかも亡くなった老人たちの死亡日が斯波の勤務日でなかったため、大友は斯波に事情聴取する。
斯波いわく「私は老人たちを殺していません。42人を救ったのです…」。⇒これは予告編で見たことあった。
全体的に介護などの場面が多めかな…と思っていたら、そうでもなくて、松山ケンイチと長澤まさみのそれぞれの家族エピソードなどは感動もの💕
しかし、自分は家族に迷惑かけないようにポックリ逝きたいものだ…と思ったが、まだまだ死にたくはない😅w
前田哲監督による佳作🎥✨
<映倫No.123417>
モンスターか救世主か…他人事ではない
Leminoで鑑賞。
原作(ロスト・ケア)は未読です。
斯波と大友の対峙の迫力は松山ケンイチと長澤まさみの演技力と巧みな画作りの賜物で、圧倒されっぱなしでした。
認知症になった父方の祖父を家族で介護した経験を持つ身として、他人事ではない物語に震えが止まらなかったです。
認知症の父親を叩く斯波のシーン。私の父が粗相した祖父の頬をはたいた光景を思い出してしまい、辛くなりました。
週3のデイサービスを利用していたものの、子供のような行動や深夜の徘徊に疲弊していく家族の姿は忘れられません。
あの時の我々にとったら斯波の行いは救いになるかもと思える。だがその方法は許されるものでないことも理解出来る。
幸い祖父を受け入れてくれる老人ホームが見つかり、家族は救われたと思います。ただこれは、単に幸運だっただけ。
目を背けていたと云うか、意識しないでいた将来両親が「高齢者」となることに目を向けるべきと思い知らされました。
今この瞬間にも過酷な状況に身を置く人々がいて、国の制度の限界など、様々な問題が現実に斯波を生み出しかねない。
この国が抱える課題を浮き彫りにし、突きつける傑作。一筋縄ではいかない鋭い問い掛けに、深く考えさせられました。
あのラストはぁ、、、
現代の社会問題にも鋭く切り込んでいるし、長澤まさみはじめキャストも熱演してる。
でも
じゃあ、映画として満足できたか、というと、、、、個人的には難しいかなあと。
長澤まさみ演じる検事にも老いた母がいることから松山演じる犯人の言葉に強気に返すことができない場面もあり、ラストでは心理的に寄っていく描写も。
ここが少し「ブレ」なんだよなあ。確かに親の介護って重いテーマなんだけど、そこに「42人殺し」ってこれまたショッキングな要素をくっつけたら、なんか、相殺されちゃって「味」が薄まっちゃったような、、、
遺族の人も「まさかあの人が」とか言ってたのが法廷で泣き叫んだり。一つひとつの場面はいいんだけど、全体としては左右にブレた感じがね。42人って数字は衝撃的でもその1つひとつはフラッシュバックのようにモブ扱いだしね。まあ、そのシーンそのものは良かったけど。
それに、あのラストシーン。あっけなく終わっちゃって、まあ、映画にあんま真面目なテーマつけるのもどうかと思うけど、それでとやっぱラストはある種のメッセージ性や象徴性がほしいところ。
題材もいいし、キャスティングも。いいんだけどなあ
わかったことは、長澤まさみの演技の幅がめちゃ、広いってことかな
老いて最期、重要なイシューですね。 郷里の親はどうしているかなと、...
老いて最期、重要なイシューですね。
郷里の親はどうしているかなと、痛さを伴って感じられるような。
どアップの表情、役者さんらのすごみを感じました。
溜飲は下がらなくてよい
いつもの映画館で
水曜日は1200円で観られる
公開当初デカいところで観たかったが時間が合わず見送った
こっちでやると知って楽しみにしていた
この監督 そしてバトンは とか 老後の資金 とか
まとめ方着地がうまい 力量がある
割とはじめの方で事件の全貌が明らかになる
チラシにも描かれてある あとは主人公の掘り下げ
原作者のコメントがチラシに載っていて
主人公2人へのクローズアップは
原作と異なるといいながら絶賛していた
原作は多分もっとミステリー要素が強いのだろう
しばらくしたら読んでみたい
戸田菜穂の傍聴席からの叫びは
それまでの流れからはちょっと戸惑うが
現実ってそういうものかと
例えば報道に影響されるとか
自分の行動や気持ちとバランスをとろうとする
坂井真紀の反応は正直だ 人それぞれだ
そういう一律でないところがちゃんと描かれている
一方マイナスポイントは
新人の女の子が錯乱して後に風俗業界に行くところとか
生活保護申請窓口の職員の態度
ちょっとステレオタイプかなと
行き先ボードの名札は捨てるだろ 特に所長のは
折鶴の裏の手紙 ちとあざとい
長澤まさみの非の打ち所のない美しさが
検事の仮面というか強がりを補強
ラストの慟哭も秀逸だ
彼女か佐々木希にしかできない役だ
冒頭のシーンは単なる現場検証かと騙された
松山ケンイチはBLUEから好きになった
最近の出演作に誠実さを感じる 青森出身だし
柄本明の演技にも唸った
オラの親父の晩年の喋り方はあんな感じだった
オラを甥っ子と勘違いしていた
総括するといかにもきれいにまとまりすぎ
溜飲は下がらなくてよい
戸田菜穂と坂井真紀の違いのようなバラバラとか
是枝作品のような余白が 最近のオラの好みだ
(ここから映画と無関係の備忘録)
終了後は市役所前あたりでベンチでビールを計画していたが雨…
降りだしはもっと遅いとの予報だったのだが
このところこのバターンが多い うまくいかない
〆は王将で餃子と決めていたので最初から王将へ
傘を持っていなかったので地下鉄ひと駅乗車
王将では生ビール2杯と餃子 コロッケ 中華そば チャーハン
映画は安かったのに 結構な出費になってしまった
身近に感じる出来事。
観る人の年代にもよって感じ方はあると思うが、とても身近な社会的な課題である。当事者は苦しんでいるが、周りの人にはなかなかわかりづらい生活の状況。自分自身にも他の人にも、少なからず起きることであり、そうなった時に自分がどう思って、どう行動するかは正確には想像できない。この映画では、ある意味、その場合の最悪な精神状況を前もって知ることができる。
全く退屈させないストーリー展開で、配役も絶妙で、うまく映画にした良作だと思う。
40歳以上の方には観て欲しい。若い方はもう少し歳を経たら観て欲しいかなという感じ。
最後が良かった
思い込みと言えばそう。
救ったといえば、それも否めない。
お父さんとのシーンも、すごく良かったです。
裁判所での言葉に、なにか全てが詰まってたように私は感じました。
どんなに辛くても大変でも、かけがえのない家族なのです。
経験とか諸々によって、感じる部分は違うんだろうなーと。
森山さんの曲もすごく印象的でした!!
観れて良かった
ケア日記の朗読シーンに涙がこぼれてしまった。
穴には落ちていないが、
検事のように完璧な安全地帯にはいないので、
殺人はダメなことと解っているのに、介護士・斯波宗典 側に立ってしまって…
もう、辛いというか悔しいというか…
何とも言えない胸を締め付けられるような…
尊厳死問題や、貧富差、適確に作用していない行政
これは目と鼻の先のことだから、
目をそらさずに、もっと真剣に、国が大々的に考えて欲しい。
非常に深く考えさせられる作品でした。
見事な伏線
伏線の仕掛けがあまりにも見事な作品です。
本作の紹介文としては、「42人もの老人の命を奪い、その殺人を“救い”あるいは“介護”であると主張する連続殺人犯と、彼の罪を強く非難する検事の対決を描き、なぜ犯人は殺人を犯したのか、その真相に迫る社会派エンターテイメント。」とあり、深刻な社会問題を下地にしながら、そこに猟奇的殺人の謎を解くミステリー要素を盛り込んだサスペンスドラマと捉えられますが、私は全く異なる感想を抱きました。
巻頭の、長澤まさみ扮する大友検事が、孤独死した老人の暮らす部屋の現場を検証するシーン、このシーンの意味が巻末のシーンで解き明かされます。
この巻末シーン前のラスト30分、大友検事と松山ケンイチ扮する犯人の斯波の二人での、殆ど台詞のない寄せアップでの長回しが交互に続くシーン、演技派二人の面目躍如たる、息が出来ないほどの重く濃い空気が映画館内を覆い尽くしていました。
ここで長澤まさみの目が変わりました。それまで1時間半に亘りエネルギッシュな探求心と検事としての正義感に満ちて煌めき輝いていた目が、一気に澱んでどんよりと沈んだ目に一変します。
一方の松山ケンイチ。それまでの無感動で死んだ魚のような無気力な、まるで生気のない目が急に生き生きと輝き出します。
私には、この転換が、この瞬間には意味が分からず理解不能でしたが、このシーンに続く巻末の映像で、一気に氷解しました。
この映画の本質は、この二人の“目”の輝きの入れ替わりを伏線とした、瞑想ないしは夢の中の物語です。
本作は、明らかに大友検事目線でカメラは捉えて進行します。これは多くの方も共感されると思いますが、実はこの映画は、単に彼女目線で捉えただけではなく、斯波というシリアルキラーを触媒としつつ延々と2時間続けられた、彼女の、父親の死に対する悔恨に根差す壮大なモノローグだったということが、ラストに至って始めて明らかになりました。
実際に斯波という介護士による大量殺人があったかどうかは、本作にとって問題ではありません。あくまで大友検事の心の内の後悔と葛藤を、見事な伏線を張り巡らして描いた作品です。
これは偏に、緻密に練り尽くされた脚本の完成度の高さに基づくと思います。
松山ケンイチと長澤まさみの二人の対話劇は、濃密で重厚な舞台劇のようであり、ダイアローグドラマのような展開に、観客は上映中、終始スクリーンに熱中し没入していました。
とはいえ、上映中はその圧倒的重力に吸い寄せられながらも、一方で観終えた後に強い疲労感と脱力感が残る作品でした。
喪失の介護とは
介護保険制度はいつから始まったのか、調べてみたら2000年4月だった。一人暮らしの高齢者、高齢者のみの世帯、認知症高齢者など介護を必要としている人が増えてきて社会問題として騒がれてきたのはそのころだったのかと今更ながら認識した。
介護福祉士という国家資格は1987年から存在するようなので、2000年というのはこの映画の舞台となっている訪問介護センターのような介護ビジネスが興隆していく節目となった年だろう。そして、それから20年以上経った今、高齢化率はますます加速化して、介護ビジネスも年々市場規模を拡大している。もはや介護問題は国民一人一人誰にとっても他人事ではなくなったといえる。
「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と予言者である。」
(マタイによる福音書)
これは介護士が信条としている言葉であろうことは想像できるが、営業系の仕事に携わっている私でさえも戒めにしている有名な聖書の一節なので、まさか人を殺す動機の言葉になるとは思ってもみなかった。
「殺すことで彼らと彼らの家族を救いました。」「僕がやったことは介護です。」「喪失の介護、ロスト・ケアです。」
介護で苦しむのは、介護される本人とその家族である。認知症の場合、本人は一時的に症状が落ち着いた時に、自分自身への怒りと嘆きを吐露する一方、家族は症状が進みだんだんと壊れていく父や母を見るのがつらくなる。介護現場はこれ以上どう頑張って何をすれば正解なのかわからないという状況に追い込まれる。
「絆は呪縛であり、誰も救うことができない呪縛から助けるのが、自分に与えられた役割だ。」
自分の父や母には、明らかに家族の「絆」があり、それは決して切れるものではない。斯波はその呪縛から家族を解放するために行動を起こしたと主張する。
斯波の起こした行動を正しく審判できる人間はいないと思うが、介護される人を尊厳のあるうちに見送り、家族をその絆が理解できるうちに見送らせたとはいえるかもしれない。
足立由紀のその後は本当にいらない(激怒)
2023年映画館鑑賞24作品目
5月4日(木)ムービーオンやまがた
1800円
監督と脚本は『パコダテ人』『パローレ』『ブタがいた教室』『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』『老後の資金がありません!』の前田哲
脚本は他に『小さき勇者たち〜ガメラ〜』『ストロベリーナイト』『四月は君の嘘』の龍居由佳里
救済と称して42人の老人を殺害したヘルパーとそれを許さない検事との対立
サスペンスとかミステリーというより社会派ヒューマンドラマ
親子愛がテーマ
10年前の小説なので訪問介護とか家族の介護とか今の現状とはだいぶ違うだろう
それを踏まえて前田監督も龍居さんもこの映画を作ったんだろうか
この映画はあくまでフィクションでありドキュメンタリーではないので観客を楽しませるため誇張も多々あるだろう
多くの人々に共感を得るためには竹を割ったようなわかりやすさが求められる
それでも多くの人々が考えさせられたのならいいだろうだが考えさせられたから何ができる
所詮多くはデモ行進したりネットで政府を批判したり自民党に票を入れた奴らは全員ネトウヨだと詰るのがオチだろう
まさか俺も私もとニコチン注射で救世主になろうとコピーキャットやらかす人が続出しないだろう
意外にも松山ケンイチ長澤まさみ初共演
取り調べの2人のやり取りが良い
冷徹な犯罪者と熱すぎる検事
検事があんなに感情的になるのはいかがなものかと思うがこれは娯楽映画だしまあいいだろう
ただちょっと声が大きすぎる箇所は一つあった
シアター全体が大きく響いた感じ
これが映画館の魅力でもある
スマホやタブレットやDVDにはこれがない
そんな2人よりも凄かったのは柄本明の怪演
今まで見た柄本明の中でダントツで最高の芝居
これなら2人の息子に毎回ダメ出ししても説得力あるわ
ずんのやすも充分場に溶け込んでいた
ずんの飯尾が役者で高く評価され相方のやすのほうはどうかと思ったが少なくとも悪くはなかった
カンコンキンシアターで鍛えられたのかな
残念なのは2点ある
裁判所の戸田菜穂が突然「人殺し!」などと叫んで退場される場面
あまりにも唐突すぎた
そこまで至る場面がカットされたのか初めからないのかわからないがそれならこれもバッサリとカットしてほしい
中にはこういう遺族もいるんだよと斯波宗典に共感している人たちに冷静になって考えてみろよと冷や水をかけたのだろうがそれならもっと丁寧な作り方をしなければ存在そのものが大きなお世話だし野暮というもの
もう1点は憧れの先輩ヘルパーに裏切られショックを受けて新人ヘルパー足立由紀はセンターを辞めるわけだがその後に自棄のやん八で風俗嬢になるくだりは絶対にいらない
猪口真理子がホワイトボードから磁石付きのネームを外す場面だけでいいよ
たしかに世の中には稀に由紀のような女はいるかもしれない
だとしてもこれは絶対にいらない
端役だし
観客に想像させてよ
興醒めした
あまりにも突飛で尚且つ男性的な安易な発想
前田哲監督を鼻で笑ったが同時にむかついた
本心は女子を小馬鹿にしてんじゃないの?
俺は男だけどちょっと軽蔑するな前田哲監督
女の脚本家は猛烈に反対するべきだったしプロデューサーも同罪
加藤菜津の事務所からなんでもいいからもっと出番を増やしてと泣いて頼まれたのだろうか
実情がわかれば評価も多少変わってくるが
AKIRAって映画評論ブロガーは好意的に受け止めているようだが俺は絶対にダメだね
現実逃避?馬鹿げてる
売れっ子監督のようだけど一寸先は闇だよ
映画監督がそっちの穴に堕ちたら何かとうるせー今の時代いくらカネを積んでも手を差し伸べてくれる人はなかなかいないよ
この二つのシーンがカットされていたら星5だったのに惜しい
とても残念
エンディングテーマの森山直太朗の美声が良い
宮城県も岩手県も上映期間が終了したためドライブついでに久々に山形まで出向いたがそれだけの甲斐がある傑作ではある
まだ観てない方で比較的近くで上映している映画館があるなら是非そちらで観てほしい
タブレットでいいよとか1800円も払えないよとか観客ガチャとか嫌だよとかしょうもないことほざかないでさ
配役
老人訪問介護センターのヘルパーで殺人犯の斯波宗典に松山ケンイチ
検事の大友秀美に長澤まさみ
大友検事を補佐する事務官の椎名幸太に鈴鹿央士
介護老人の娘の羽村洋子に坂井真紀
洋子とは別の介護老人の娘の梅田美絵に戸田菜穂
老人訪問介護センターの先輩ヘルパーの猪口真理子に峯村リエ
老人訪問介護センターの新人ヘルパーの足立由紀に加藤菜津
洋子と親密な関係になる春山登にずんのやす
大友検事の直属の上司にあたる検事正の柊誠一郎に岩谷健司
老人訪問介護センターのセンター長の団元晴に井上肇
大友検事からの取り調べの最中にムショ生活を懇願する万引き犯の川内タエに綾戸智恵
警部補の沢登保志に梶原善
秀美の母の大友加代に藤田弓子
宗典の父の斯波正作に柄本明
善悪の違いとは
「殺人」とだけ聞くと、「悪」と勝手に脳内で変換されるが
結局のところその全てが悪なんだろうか?と思うことがあります。理由や、それに及ぶまでの経緯を聞くとハッキリと「悪だ」なんて言えないこともあるんですよね。誰しもが悪という場所に足を踏み入れてしまう可能性がありますが、今作ではその場所に足を踏み入れさせないために自ら進んで「救い」(ロストケア)をしようとしたある一人の男性の物語です。
私はレイトショーでこの作品を鑑賞しましたが非常にずっしりと心に来ました。こういう問題を作品にするということはすごく大切な子だし様々な世代の方に観て欲しいなと思いました。
苦しいですね。
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