ロストケアのレビュー・感想・評価
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サイコパス映画。彼を極刑にするな。安全地帯へ追い込め!
なんか朝からこんな映画見てしまって、つくづく陰鬱になる。日本は民主主義国家である事をもう一度認識すべきだ。
共感を多発させていただいたが、虚しいだけだね。
過酷な現実を見せつけ、司法制度の『死刑制度』と言う隙間を狙って、殺人鬼に検事が言い負かされる。それがこの映画の主旨なのだが、それが問題を提議する事に繋がるのだろうか?
死刑制度を廃止すれば、安全地帯はなくなる。そして
あの、相模原での事件を思い出すがそれで良いのだろうか?
サイコパスな快楽殺人鬼が『暗い穴の中に愛情と負担の間で、もがき苦しんでいる人が沢山いた。しかし、世の中はそう言った人達を助けるどころが、“自己責任”とか言って、自分達の勝手な理屈を振りかざして、さらに追い詰めて行く』とのたまう。
『でも、貴方がやった事は誤った正義感による殺人です』
彼女はさらに続ける。
『死による救いはまやかしです。死を望んだのではなく、あなたは、あきらめたのです。』
しかし、サイコパスは力強く
『なるべく、苦しまない様に送り出すのは当然でしょ』
しかし
さらに
『貴方は僕の父のような状態になっても生きていたいですか』
サイコパスの本領発揮。
僕なら速攻で答える。
『生きていたい』
司法制度を安全地帯と例える事自体が稚拙。
ましてや、検事がそんな話で取り乱す訳が無い。
日本は曲がりなりにも民主主義国家である。
リテラシーの無い相変わらずの大日本帝國MOVIEのDNAが破裂する。
”自己責任と言って”と言う言葉が出て来るが、その言葉を発して福祉の予算を削ったのは、立法の議員たちである。『妖怪の孫』をご覧あれ。正にその言葉を発している。
PLAN〇5と同じ、福祉予算を削る為のプロパガンダ映画である。この様な映画を見ている若者諸君!これはあなた達の未来ですからね。僕はもう安全地帯なので。
見て見ぬふりはもう出来ない。
とても面白かった。
はじめに斯波と言う男が
いかに素晴らしい介護士かを描き、
謎解きはそこそこに一気に問題提起まで持って行く
脚本が素晴らしかった。
斯波がやった事は本当に悪ですか?
と言うことをこれでもかと見せてくる。
これはじゃあ嘱託殺人は良し、安楽死は良し
と言う事ではなく、
安心出来るところからただ見てるだけでなく、
この問題をじゃあどう解決しますか?
と言うものであって、
ラストももう少し先を見せてくれ
解決してくれと思ったけど、
ここで終わらせると言う事は、
各々ちゃんと考えないといけないよ?
と言う事だと思いました。
このままだと斯波がやった事は
良い事のように思ってしまう。
だけど絶対間違ってるはずだから。
社会のシステムを変える事は容易ではないけど、
自分の親と自分に介護が必要となった時に
どうするのかが正しいのか、
家族と共に考えないといけない。
私が原作に惹かれすぎていました
公開時に二度観に行ったが今回は家で。
公開前、原作本の厚さにかなり内容がカットされると思い読了。それから予告を観て「えっ!」となってしまった。検事が長澤まさみに、男性から女性になったのは全く抵抗を感じなかったが、原作では最後に松山ケンイチが演じた斯波が犯人と分かる。それまで全く考えていなかったので読んだ時は「えええっ!」となったものだ。これは私の読み込みが浅いとも言えるが。
斯波が犯人と最初から分かる物語にどう再構築するのか。と、映画を観に行ったがどうしても原作と違う組み立てに混乱していた。
そして考えてしまったのが斯波の父としての柄本明の起用。すごすぎた。私の感覚だがW主役の二人を圧倒してしまった。それが検事の母と犯人の父の介護の差をより印象的にするが、演技の見事さにいつまでも斯波の父の姿が頭から離れてくれなかった。その結果他の話が薄く感じられてしまった。
そして映画冒頭で「刑務所に入れて」と頼む老婆。少しコミカル的で長澤まさみの顔にも苦笑が浮かぶ。しかし原作でははっきりと社会問題と扱う。映画未登場だが弱い者を食い物にする人物も登場する。
確かにこの映画は他人事ではない介護問題を扱う。しかし柄本明の名演に全て持っていかれたという印象を捨てることができない。そしてラストの二人の面会。検事が死刑囚に救いを求めている? そう見えてしまう。
原作があると映画公開前に読むのはカットされる部分を脳内補完したいのと、映画と原作の違いを楽しんでいるつもりだ。原作主義ではないと思っている。だがこの作品は原作に軍配を上げたい。
付け足しになるが斯波が怪しいと分析される方法も原作ではページを使っていて面白い。
生きてるのに
介護の辛い現実を世の中は、まだまだ知らない事の方が多いと思う。僕自身が実際に介護に関わる事がほとんどないからです。
認知症の方を見ると少しだけ、家族の方が大変で気の毒だなって思う反面、家族なんだから当然の義務でしょう!と押し付けてしまっている部分もあります。
自分の家族が自分の事を認知出来なくなっても自分が同じように考える事が出来るのか?
今の自分が一ミリも想像が及ばなく、自分の浅はかさを思い知らせる気がしました。
生きているのにこれほどまでに辛い現実ならいっそのこと殺してしまえばいいんじゃないの?と悪魔の囁きにも自分は、思っているよりも簡単に転がってしまうかもしれない。
社会という歯車の中で見えてない部分にこそ、スポットライトを当てていかないといけない現実がある事を改めて感じました。
誰かを救いたいと安易に考えて、その人に手を伸ばした所でどれだけの力になるか分からない。
見たいものばかりではなく、知らないといけない事を常々に増えていくばかりなんだと考えさせられる作品でした。
穴
安楽死の是非
今作は安楽死をテーマにしている。当然のことながら、問題は認知症などの症状が甚だしい人々に対する介護の負担を、家族などの当事者に全て押し付けていることだ。問題を解決するには、そういった介護の負担の大きい人々を受け入れる体制の拡充が考えられる。しかし、それができるなら既に実施されている。実際には介護業界の人手不足や財源の捻出の問題からできないとなると、やはり安楽死を制度化する必要があるんじゃないだろうか。
そもそも、今作に出てくるような認知症の進行が甚だしい人々も、正常な判断力を持っていた頃ならば、自分の尊厳が傷つくような状態になってまで生きたいとは思わないのが多数派だろう。プライドは無くなっていないわけで、だとすれば、やはり人としての尊厳を保ったまま人生を終えられた方がいいんじゃないだろうか。検事が犯人の行動は身勝手な正義と言っていたが、それは自分が介護に携わらなくて済む人間の綺麗事にしか聞こえない。以上の点から、真犯人の行動は法律に反しているとはいえ共感できるものだった。
ストーリーの構成は、真犯人が明らかになった辺りから、やや冗長になってくる印象を受けた。検事の父の孤独死のエピソードも、彼女の心境の変化を描きたかったのだろうが、入れる必要があったのか疑問だった。しかし全体としては良い映画だった。
「考えさせられる」は、必ずしも「良い作品」を意味しない
「泣ける」は、必ずしも良い作品を意味するわけではない。
それと同じで、「考えさせられる」からといって良い作品ではない。
そんなことを感じた作品だった。
親の最期は、ポックリであってほしい。
これは辛く厳しい介護をしている限界状態の子どもだけなく、いずれ訪れる親の老後にそこはかとない不安を抱える人にも共通の想いかもしれない。
親側も、子どもに手間をかけずポックリ死ぬことが理想だと考える人が多いだろう。
介護に疲れ果てた末の親殺しや無理心中が同情をもって語られがちなのも、介護の苦労が容易に想像できるからだ。
そういう意味で、この映画はとても考えさせられる。
松山ケンイチ、長澤まさみ、柄本明、鈴鹿央士、藤田弓子らの俳優陣も素晴らしく、登場人物たちの苦悩は胸に迫る。
しかし、制作側のスタンスは最後までわからない。
それぞれに事情があり、それぞれの正義がある。
という、映画を見る前から自明のことが再確認できるだけだ。
最終的な答えを観る人に委ねる映画が嫌いなわけではない。
しかしこの映画は観る人に委ねすぎて、逃げているように感じてしまった。
考えさせられる映画ではあるが、考えたいだけならこの映画のあらすじをを読むだけでいい。
とにかく辛い
考えさせられる
現代における問題で、身近なストーリーだと思う。
犯人の気持ちも分かる。自分も同じ立場なら、同じことをしかねないかもしれないと色々と考えられさせた。誰も悪くない、ぶつけようのない悲しみや怒り。辛い世の中。助け合える輪があれば、もう少し違う未来があったのかな。
役者さんたちの演技がこれまた素晴らしい。余計なものはなくて、引き込まれる。柄本明さんがやはり大ベテランということもあり、さすがだった。最後の折り紙は泣くしかない。刑務所面会で、斯波が泣けたのが少しでも救いになっていますように。
ご飯作りで途中で止めて分けて観てしまったけど、ちゃんと時間とって2時間で観ればよかったーーー。
まさに介護はじまったところなのでリアル
あの衝撃的な大量殺人のターゲットを少し変えて映画化したようで恐る恐るアマプラで鑑賞。
冒頭の長澤まさみのいるシーンが付箋回収されるのに衝撃を感じた。
また長澤まさみの親の描写、まさに自分の親にあてはめてしまうリアルさに見入ってしまった。親の介護はいまや誰もがいつかは直面することなのだが、実際始まるまではよくわかってないのが現実だと思う。私もそう思ってたが、急にその日はやってくることもあるし、じわじわくることもあるから誰もが人ごとではないと思う。
壮絶な介護しているシーンがとても見ていて辛かったが、それが現実な人はたくさんいるはずなので、日本の問題点をあぶりだしてくれている大切な作品なのではないかと思う。
ただ実際の事件は本当に遺憾ではあるし犯人には同情したくはないとは思うが。
単なる身勝手な殺人
親の介護による家族の疲弊を扱った重いテーマの映画。一部の介護には家族の疲弊を伴う社会問題にもなっているケースもあるが、別に介護がみんな悲惨な疲弊を伴うとは限らない。この映画は、介護に関して紋切り型の印象を与えている。認知症の人の描写が、わがままで怒鳴り散らして手がつけられないというのも紋切り型の発想だ。
内容も深そうで、そうでもない。過酷な介護を経験した松山ケンイチ演じる犯人も救われない被害者だとでも言いたいのか。自分の父親を殺したあの状況までは同情するが、「(介護で疲弊した家族を)救うために」と多くの老人(他人の親)を殺したのは同情の余地はない。親がどんな状態になっても、どんなに介護が大変でも、親に生きてもらいたいと多くの人が考えるはずだ。こんな身勝手な殺人と介護疲弊の問題とを結びつけるのはおかしい。最後長澤まさみ演じる検事が犯人になぜあんなに感情移入するのかも理解できない。
私の中では救済かもしれない
重い お父さんが殺してくれって言うところほんまにしんどい。 もし親...
尊厳死の救い
膵臓癌で治療の見込みもなく半年痛みで苦しみ抜いた母に
「安楽死させてほしい」
と何度もお願いされたことを思い出した。
わたしも斯波のように「救いたい」と何度も思った。
なんでもできた人が、人に迷惑をかけたくないという優しい人が、治る見込みもないと理解しながら緩和病棟の看護師さんに手数をかけて、緩和治療で鎮痛剤という麻薬を投入して、ただ呼吸と排泄をしている状態は「生きる」いうことなのか、と母は葛藤していた。
言葉や状況がわからない子供の世話は将来できるようになっていく手助けだけど
親の介護はできてたことができなくなっていくのを死ぬまで見続けていかなければならないという苦行と誰かが言っていた。
「救われた」と新しい生活に期待をする人もいた。
最後法廷で、「人殺し!」と叫んだ人もいた。
でも人殺しと叫んだ人も親が死んだ時は、「ああ、終わったんだ」と安堵した瞬間はあったと思う。
被害者遺族もまた、真実を知った時、多角的な正義の狭間でもがくんだろうな。
映像はとてもシンプルで、長澤まさみの舞台のような発声の仕方が際立っていた。
都合の悪いことや嫌なことは「切り棄てる」ことによって効率の良い人生を生きようとする。
もともと私たちは無垢を失っているのに、キリストのリダンプションをつうじて、一挙にじゃなく、ゆるゆると時間をかけて、私たちは無垢に戻るのだ。オコナーは言っている。現実での過程をとばして、安易にニセの無垢に戻ることが、つまりセンチメンタルだと言うわけだ。
ともかく「ゆるゆると時間をかけて」するべきことを一挙にやろうとしたり、やれたと思ったりする時に、センチメンタリティが動く。自己実現した人がいると思ったり、誰かの役に立つとか、「治す」とかを安易に考えるのはセンチメンタルなのであろう。
あまりにも安易にロストケアを描くと人生の全体性を失う。切り棄てることをやめて生きようとする人は、自分の物語りを作らなくてはならない。その過程こそが大切だと思う。
そんなことが身に染みてきた映画であった。
安易にセンチに陥いるふたりの主人公に同情の念が湧き上がってくるのは果たしていかがなものであろう。
社会的に切実な問題を注目に導く価値ある作品。介護に直面した人には犯...
現実と本質をえぐる驚異的な作品、圧倒的な長澤と松山、柄本明
個人的にあまりの衝撃に嗚咽が止まりませんでした。
長澤まさみの状況があまりにもわたし自身に酷似しており、最後のシーンは自分の心を代弁されているように感じたからです。
私も社会人になってすぐに両親が離婚、父親のギャンブルが主な理由でした。
その後も父とは不定期に連絡をとっていましたし、孫の顔も見せたりしていましたが、年々連絡もしつこくなり、同じような事で仕事中にも関わらず連絡が何度も来て、金の無心もあり、耐え切れず着信拒否にしました。
数年後のある日、単身赴任先の地方で見知らぬ東京の固定番号から何度も着信があり、掛け直してみると父が人工透析で通っている病院からで、透析日に来院しないことから緊急連絡先にしていた私の番号にかけたという経緯でした。
東京に住む妹に緊急で見に行かせたところ、古ぼけたアパートの風呂で倒れていました、脳梗塞。
一命は取り留めたものの、後遺症で意思疎通はとれず、施設へ寝たきりとなりました。
劇中の長澤の父親の部屋にも勝るとも劣らないボロアパートのゴミ屋敷に父は1人で住んでいました。部屋を引き払うため、足の踏み場もない中、業者とたちあっている最中、私たち子供や孫の写真が壁に貼ってあるのを見つけた時には嗚咽してしまいました。そして知りもしたくない事実が出てきたりしましたが、劇中の長澤まさみと同様に私も母にはそうした事実を告げずにきました。理由は長澤まさみと全く一緒です。
観たくないものに蓋をし続けてきましたし、今もそのまま蓋をしています。
そして数年が経過し、この映画であの時の映像と感情が一気にフラッシュバックし、時を引きずり戻された感覚です。
長澤まさみのラストシーンの一言一言が自分の感情を晒されているように感じ、嗚咽が止まりませんでした。
きっと同じような状況は日本中、いや世界中で起きているあまりにも深い闇なんだと思います。
世の中の完全な現実と本質を、恐ろしいほどの完成度で描いている歴史的にも稀有な作品です。
どこまでも暗く、絶対に答えの出ないテーマに、長澤まさみ、松山ケンイチ、柄本明の驚異的な演技の凄みが際立ち、圧倒的です。
多くの人が思うように、何がただしいのかわかりませんし、劇中の松山ケンイチの主張に対し、反論する長澤まさみが陳腐にさえみえてきます。(殺人を肯定するわけではないです)
こうした社会の不幸はますます強まる中、欧州のように尊厳死が法整備される事を強く願います。
なお、やまゆり園大量殺人事件を想起する、モデルとなっているともいわれていますが、猟奇的異常者で優生思想を持つ植松聖死刑囚による同事件とは根本的に違います。
認知症と介護問題を取り扱ったなかなか重ための映画です。 核家族化と...
認知症と介護問題を取り扱ったなかなか重ための映画です。
核家族化と高齢化が進み誰もが直面し得る問題にも関わらず、死に関するセンシティブな問題であるため、家族でもなかなか話題にし難い問題。
家族の形は千差万別であり介護にどう向き合うかも正解は1つではない。この映画も何か結論を示してくれる訳でもない。幸い両親がまだ健在なので我が家でもちゃんと話したことはありませんが、映画を見ながら考えさせられました。
この作品はフィクションだと思いますが、相模原の障害者施設で起きた大量殺人事件を思い出しました。障害者と認知症患者という違いはあれど、終わりの見えない介護に苦しむ家族、介護者と被介護者の尊厳、当事者が望んだとしても嘱託殺人として罰せられ、独力での自立と介護を強制する社会制度。なかなか考えさせられますね。
介護制度の充実が必要でしょうし、安楽死についてもタブー視せずに、真剣に議論しなければいけない時代が迫っているのでしょうね。
死という人類が避けて通れない経験に対して、フラットに問題提起する良質な映画だと思います。
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