ロストケアのレビュー・感想・評価
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もっと良い作品に成れたのに
誰も裂けられないし私自身も経験しいずれ逝く自分には身近で重いが大事な話だからこそ、ストーリーは焦点絞って淡々と描いて欲しかった後半ストーリーに無駄が感じられた穴に落ちた普通の日常を描くだけで充分だったと思うそれだけで感情の重さに耐えられない。
涙
想像以上によかった!
長澤まさみと松山ケンイチの2人の聴取でのやり取りを中心に物語が進んでいくんですが、なぜ42人ものお年寄りを殺害するに至ったか、最初の殺害だった父とのやり取り・経緯のシーンが本当に身につまされる。
こういう状態に追い込まれている人って、かなりいるんじゃないでしょうか?
自分も父を亡くす過程で、映画のシーンと本当にそっくりな場面があって、その時の感情がよみがえりました。
介護の問題は深刻で、今後どんどんこうしたケースが増えていくと思うんですが、思ったのは、選択肢があってもいいのではという事。
生き続ける事が本当に幸せなのか?安楽死はタブー視されるけど、本人の意志が明確にあっての事なら、そういう選択肢があってもいいのではと感じました。
長澤まさみがお母さんに頭を撫でられるシーン、松山ケンイチが父を殺害した後に、折り鶴に書いてあった父からのメッセージに気づくシーン、涙が止まりませんでした。
冒頭の遺体のシーンが、実は長澤まさみのお父さんの孤独死の現場だったという展開も衝撃でした。
1つだけこのシーン無くてもいいのでは?と思ったのは、松山ケンイチを尊敬してた後輩の介護士の女の子が、松山ケンイチ逮捕後に、介護士を辞め風俗嬢になっていたシーン。
前田哲監督 新作がベストを続けていてすごいと思う
優しさとは何かについて考えさせられた
絆や家族愛や親の恩と罪悪感という呪縛
実両親義両親を見送り、自分の終活も考えなくてはならない年齢にさしかかってきた。
だから、このテーマは身につまされる。綺麗事では解決できない。
4人の親の死を見届けてまず感じたのは開放感だった。「やっと、終わった。」
自分のまわりの同世代のひとたちも、純粋に親の長生きを願っているばかりではない。
あるひとは言った。「私は母より長生きしなくちゃならない。それは、母への愛や責任感ではなく、母が死んで開放されて、自分のために生きたいから。」
映画館で、ずっと斯波の視点に肩入れしつつ観ている自分がいた。
松山ケンイチの眼の演技が秀逸。介護士としてお年寄りと接するときの慈愛に満ちたまなざし、司法と対決するときの何もかも諦めたようなぞっとするほど虚ろな瞳、最後に大友の告白を聴いているときの感情を取り戻したようなまっすぐな視線。
家族の絆という呪縛に囚われ続けなくていいよ、そう声を大にして言いたいが、じゃあ家族が放り出したら、この国の高齢者(特に貧困層の)はどうなる?
本当に気が重くなる、切実な映画だった。
実話を元にした作品ではないらしい
心臓ぎゅーってされる感覚だった。
予告の時点で悲しい結末になることは予想が着いていたのですが、開始5分でしんどい内容になると確信しました。
私に介護の経験はありません。祖父が介護が必要な時があったのですが、身内に介護職が多いので、基本的に見ていることしか出来なかったことを覚えています。
他人事では無いなと、わかってはいるけれど、将来どうしようかなんて考えたことがまだないです。
見ている側としては、殺人に対して"確かに救いの面もあるかな"って感情を抱いたまま見ることになります。そして、それを自分や家族に当てはめたりもします。
だから、検事(長澤まさみ)としば(松山ケンイチ)の会話で精神的にすごく揺さぶられて、心臓グイグイされている感覚になりました。
2年くらい前に、"護られなかった者たちへ"という映画がありましたが、考えさせられるものとしては近しいものがあります。
考えながら、主要登場人物すべてに自分を重ねながら見て欲しいです。
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終盤、法廷にて、松山ケンイチに対して、「人殺し!お父ちゃんを返せ!」と女性が叫ぶシーンがあります。
そこまでのストーリーで、"確かに救われている面もあるな"と思いながら見ていた自分はそこで、ハッとしました。
作品としては、殺人を擁護する終わりにすることは出来ないので、"松山ケンイチが悪ですよ〜"って私たちに示す必要があったのだと思いますが、ちょっと無理やりに感じました。
新米の女の子が松ケンの書類送検をきっかけに介護職を辞め、風俗(キャバクラ)で仕事している様子が写ります。あれは信じていた人に裏切られたことによる失望だと思うのですが、今作に何が関係しているのかはちょっと分かりません。
心臓を潰されるような気持ちになった
誰にでも起こり得る介護の現実を、際どい角度から描いている。
多数の老人を殺害した斯波の狂気性が暴かれていくのかと思ったが、まったく違う展開だった。
斯波と大友検事のやりとりがとても印象的で、法に拠り、正義に立っているはずの検事側の言い分が途中から怖くなってきた。
最初は正しいと思っていた側の言い分が、途中からおかしく見えてくる。とても考えさせられる展開だった。
(例えとして適切でないのは承知だが、かまいたちのネタのような展開。)
斯波にも正義があり、そして斯波の行動で救われた人間も間違いなくいる。
正論・正義は時に残酷で、むしろ人間らしさがないこともある。
そういったことを強く感じた。
メッセージやストーリーはすこぶる良かったが、大友の行動の意味がわからないところや不要に感じる描写があったのが残念。
検事はなぜ最後あのような行動に出たのか?何を伝えたかったのか?検事も救われたかったのか?
疑問符がいくつか残ってしまった。原作を読めば納得できるのだろうか。気になる。
長寿を喜べない時代になって
健康寿命という言葉がある 医療や介護サービスの世話にならない年齢のことを言うようだが、骨折や脳卒中などの入院を契機に要医療あるいは要介護状態となって、逝去するまでの間が、医療・介護サービスの進歩・普及により数年、人によってはその間は10年以上となり、この数年から10年以上が「生きている」というより、見方によっては「生かされている」という現実がある 「ピンピンコロリ」、死ぬ直前までピンピンしていてコロリと死
ぬことが、高齢者自身の願いだという人もいる一方で、子どもの側からすれば親の長寿を願いたいという気持ちがある
しかしその多くは医療や介護サービスといった「社会の支援」があることが前提であり、子ども自身の仕事やその家族生活を犠牲にしなければならない「家族介護」のみで先の見えない数年から10年以上を費やすことは困難なことである 社会の支援なしでは、介護者である家族が、「親孝行の美談」から一転、虐待・放置といった「加害者」にいつ変わるかもしれない、という危うさの中で家族介護が行われている 骨折や脳卒中で救急入院して一命をとりとめれば「退院許可」という「命令」が主治医から告げられる 月20万支払えれば、有料老人ホーム、サービス付き高齢者住宅、療養型病院という「選択肢のカード」があるけれど、支払えなければ「自宅」もしくは「家族」という選択肢しかない 親が基礎年金だけなら、支援する子どもが一人っ子なら、「親ガチャ」じゃないけれど、親の余命の間子どもが介護づけの生活となることが確定するのかもしれない
「失われた20年」世代に非正規雇用の方が多く、また8050問題といわれる80代の親の年金に寄生する未婚の50代、こういった人々が親の介護にこれから直面してくる
医療も介護も「2割負担」「3割負担」と自己負担が引き上げられれば、医療・介護サービスを購入できる「安全地帯」で暮らす人以外はみんな「穴に落ちる将来」に直面する
きれいごとではない「自助・共助」の呪縛が始まっている
本作の検事も容疑者も、立っている場所の違いはあっても、常に親の介護についての葛藤の中にあり、観る側も他人事ではないことを知っているからこそ苦しくなっていく(3月30日 イオンシネマりんくう泉南 にて鑑賞)
正直このように良くできた映画になるとは思わなかった。殊に柄本明の父親役は原作超え。(帰りに母親に美味しいものを買って帰りたくなった。我ながら甘い。)
(原作既読)
①着地点の難しい話だから(原作もその点では成功していない)、どう締めるのかと思っていたら、冒頭のシーンの伏線回収をすることで検事をなぜ原作の男性から女性に変えた理由を明らかにするという捻り技で幕を下ろした。
②他人事ではないが、身につまされる程ではない塩梅。
胸にズンと来る程の社会派ではなくエンタメとのギリギリの境くらいに位置しているかな。
そういう時代なのか、着地点が難しいせいなのか分からないけれど。
③映画化すると聞いた時点で原作の持つミステリーとしての面(叙述トリック)は無くなるだろうな、と思っていたが、最初の四分の一くらいの間で上手くミステリーの味わいを残した脚色になっていて、ちょっと感心した。
特に犯人を炙り出すくだりは原作に負けず劣らずスリリング。
④冒頭の刑務所に入りたいがために軽犯罪を繰り返す老婆役に何と綾戸智恵。原作ではもっと身につまされる感じだったが、綾戸智恵の怪演で此処は笑ってしまった(私も年を取ったら刑務所暮らしも良いかな、と思ったことがあるクチなので本当は笑えない話だけれども😅)。
⑤長澤まさみは、役のせいもあるだろうけれど『涙そうそう』の頃からすると、だいぶん年を老けたなあという印象。
だが表情で演技できる良い女優になってきた。特に中盤、雨の日に椎名との二人芝居の時に大変良い表情を見せる。
⑥柄本明はどの出演作でも上手いが(最近では『ある男』でも短い出演シーンながら強烈な印象を残す)、本作でも、半身不随になり認知症になり挙げ句寝たきりになって、”死んでくれたらどんなに楽か”と思いながらも手に掛けられなかった(普通はこちらが当たり前)息子に、“自分が自分でなくなる前に殺してくれ”と頼み、とうとう息子が一線を越えてしまうのも納得の父親の姿を「これこそ演技だ」と云える芝居で見事に造形している。
⑦その息子役の松山ケンイチは一線を越えるシーンを粘り強く熱演して感心した。但し、そのあと赤い折鶴の裏に書かれていた父親の遺言(?)を読んで泣き崩れるところはありきたりの演出でもう一つ胸に迫らず。
⑦刑務所で検事と死刑囚が面会するラストシーンは原作にはないが、向かい合う二人をまるで鏡で自分を見ているような演出で描く(そういえば、あちこちに鏡や窓に映るreflectionが多い映画でしたね)。
勿論、二人は社会的には相反する立場だし、人間として似ているわけでもないが、片方は実際にその手で父親を殺し(物的に殺し、しかし心の中からは消していない⇒後悔していない)、もう一方は父親を見殺しにしたことを後悔している(物的に殺したわけではないが、自分の人生からその存在を亡いものと思っていた)という法や倫理を超えたところで共有する物がある人間として対峙させている。
何かを解決しているわけではないが、映画らしい終わり方だったと思う。
⑧
3つ穴に落ちた身としては、鑑賞後これまでに無い大脱力
いやー、鑑賞後体に力が入らず、もの凄い脱力感に苛まれました。別の映画を観るべく電車で移動したのですが、とてもすぐには着く気になれず、特快来たのに乗らず、わざと快速でゆっくり目的地に向かいました。そうでもしないと、気持ちを落ち着かせられなかったのです。劇場で年間300本映画鑑賞する私でも、こんな経験は初めてでした。
3回穴に落ちた経験があるので、もう一度あの頃を追体験したようで、喉カラカラになりました( ; ; )
これはサスペンスというより、社会問題の提起です。明確な答えは用意されていません。
いつもはディテールに違和感があると白けてしまうのですが、この作品に限ってはそんなことは凌駕して、お前はどうなんだと迫ってくるのです。勿論主人公のしたことは肯定できませんが、それだけ追い詰められ、或いは罪悪感に苛まれ、家族が疲弊していく様がまざまざと繰り広げられて、もう目を離せず息も浅くなりヘトヘト。
公的介護保険で賄いきれない、特に体力のある24時間見守りが必要な認知症の患者の介護問題は深刻です。有料のヘルパーさんやお手伝いさんを別に雇わなければならないので、金銭的にも大変です。家族がいる人は、施設の優先順位が低くなり順番待ちにかなり時間がかかる場合もあります。運良く預けられたとしても、「安全地帯」に逃げたという申し訳ない気持ちは消えません。私も贖罪のように毎週施設に通いました。1回目に穴に落ちた時は、自宅介護を頑張り過ぎて自分も介護うつになったので、2回目3回目は他人に世話をお願いする決断ができました。
と長くなりました。まだ穴に落ちていない方にも是非観ていただきたい。そして、少子化の今社会全体としてこの問題を解決する術を考えていけたらと思います。
実は「二極対立」にもなっていない?
ほとんど寝たきりのお年寄りの在宅介護については、斯波介護士(松山ケンイチ)のような考え方をする人が出てくることは、容易に想定できると思います。本作中の聖書の箴言を引くまでもなく。
そして、法の適用(ふつうの考え方?)として、大友検事のような立場も簡単に出てくることでしょう。
結局、そういう「二極対立」は、本作による指摘を待つまでもなかったことと、評論子には思われました。同様の対立は、既に「病者の余命か安楽死か」などという問題を通じてこれまでも論じられて来ていたことと、本質においては、概ね変わらないと、評論子には思われるのです。
原作は未読ですが、原作のいかんに関わらず、せっかく映画化するならば、本作には、その「二極対立」以上に、第三の「解」となるようなものを何か付け加えて欲しかったと思うのは、評論子だけでしょうか。
そういう意味で、本作は、とても物足りないものになってしまいました。評論子には。
(追記)
しばらく前の話ですが、老人病院で、何者かが点滴用製剤に消毒液を混入し、その事情を知らない看護師から投与を受けた入院患者が相次いで亡くなるという事件がありました。
結局は同僚看護師の仕業と分かるのですが、その動機が「自分の当直時に入院患者(お年寄り)が亡くなると、処置や遺族への説明が面倒だった」から。
この看護師の場合はまったく自分のため、斯波介護士の場合は形としては他人(家族や死期の迫った老人)のためという違いはあっても、結局は自分が信奉する価値観のためには他人の権益(生命)を軽んじても構わないという考え方としては、ともに共通の基盤に立つものと思われます。
便宜「二極対立」と書きましたが、そう考えてみると、斯波介護士のような考え方は、実社会では受け入れ難い…実は成り立たず、構図として「二極対立」になっていないようにすら思います。評論子は。
犯人の方に肩入れしていました
クライマックス泣ける映画はたくさんあるけど節々で泣ける映画は珍しい...
落とし穴に落ちた神の裁き❗️
これほどまでに引き込まれるとは思わなかった。映画館で涙がボロボロ出るなんて久々だ。
42人の老人を殺した介護士の斯波(松山ケンイチ)と対峙する検事の大友(長澤まさみ)を通して、過酷な介護という現実とその家族の幸せと不幸を考えさせる秀逸なサスペンス。
斯波の最初の殺人は実の父親。これだけは嘱託殺人なのだが、これをキッカケに彼はロストケアが善であり、神に近い行為という感覚を得たのではないか。対する検事の大友は決して公私混同してはいけない立場だが、自らの脛の傷もあり、徐々に斯波の言い分と遺族の以外な言葉のなかでもがき苦しむ。殺人は勿論大罪だが斯波のことを私は憎むことも、賞賛することも出来ない。今の日本が抱える闇を落とし穴に落ちた人間と安全地帯にいる人間模様を通して描いた見事な作品。昨今「親ガチャ」という言葉をよく聞くが、それの介護版といった感じだろうか。心に深く深く刻まれる重厚なドラマでした。松山ケンイチは信頼の厚い介護士と検事を淡々と論破する殺人鬼を見事に演じました。長澤まさみさんは職責と私人の間で揺れ動く心を見事に演じました。特筆したいのは斯波の父親役の柄本明。とんでもない演技というしか言いようがありません。人間国宝です。親子の別れのシーンが一番泣いた瞬間でした。ちょい役ですが刑務所に入りたがる関西オバチャン演じた綾戸智恵さんはこの作品の重要なパーツだと思った。やす(ずん)の自然な演技も良かった。折り鶴に込められた親子の絆。人間の尊厳。長寿。介護。認知症。離職。行政。格差。などなど様々なメッセージを見事な脚本で繋ぐ刺さる映画でした。さもありなん。
善悪で割り切れない哀しさ
現実に存在している介護問題。ワンオペ、ヤングケアラー、または高齢者による高齢者の介護。その果てに殺人事件が起きているニュースを目にすることがある。非常に現実感があり、自分の親の事を考えずにはいられなかった。結果的に大量殺人であり大罪ではあるが、その最初の殺人についての背景があまりに切なくて、正当化は出来ないが、理解し寄り添いたいと誰もが想うのではないか。
柄本明と松山ケンイチの親子のシーンがあまりに凄まじく、号泣しそうになるのを堪えたほど。この国で助けが必要な人を見過ごす、孤立させて助けない、そんな状況が無くなりますようにと、強く願うばかり。様々な角度から現代社会の問題提議がされている作品。
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