「殺人か救いか、考えや論理がせめぎ合う“ロストケア”」ロストケア 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
殺人か救いか、考えや論理がせめぎ合う“ロストケア”
介護問題、不条理な社会システム、人間の尊厳…本作で描かれるものには絶対的な解決策や答えはない。
見る側の考えや受け止めもそれぞれ。人によっては主人公・斯波を連続殺人鬼に思うだろう。介護の現場を身を持って経験した人にはただの絵空事や他人事ではない。
今日本が抱える問題や闇を突き付け、考えさせるテーマやメッセージ。エンタメ性も充分。演出やキャストの熱演も素晴らしい。
公開時から評判の良さは聞いていたが、期待にそぐわぬ力作。
エンタメ・ミステリーとして始まり、見る者を一気に引き込む。
とある民家でそこの住人の老人と介護センターの所長の死体が見つかる。
金に困っていたという所長。介護先に押し入り金品を物色中見つかり、揉み合う内に…との見方が強まる中、
死亡推定時刻近く、付近の監視カメラに映った人影。自宅にいたと証言していた同センターのヘルパー、斯波。
担当していたその老人が心配で非番ながらも赴いた時所長と鉢合わせし…と、正当防衛を主張。
現場にあったニコチンを使用した後の注射器。さらにそのセンターでは、他のセンターと比べ介護利用者の自宅死亡率が異常に多い。その数、実に41人…!
死亡者の曜日や時間、ヘルパーの勤務表から、ほとんどが斯波の休日と一致。
調査から検事の大友は、斯波をきっかけとなった今回の事件含む41件の不審死の容疑者と睨む。取り調べを始めると、斯波はあっさりと容疑を認める。
斯波は同僚や利用者からとても好かれ慕われていた人物。仏様のような彼の本当の顔は恐ろしい連続殺人鬼…?
そんな斯波の口から語られたのは、耳を疑うようなものであった…。
自分は人を殺したのではない。その人と家族を救った、と…。
まずは誰だって、サイコ野郎だと思う。が、
介護に疲れ果て、苦しむ家族…。
病に苦しみ、認知症で自分が自分じゃなくなる当人…。
双方にとっても生き地獄。
自分は“42人”をその苦しみから解放したのだ、と…。
斯波が手を下したとされるのは41人。じゃあ、42人と言うのは…?
大友は斯波の過去を調べると、斯波の実父も似たような不審死であった事を突き止める。
最初の“殺人”は実父。そこに何があったのか…?
斯波から語られたのは、壮絶な過去と全ての“救い”の始まりだった…。
斯波の父も認知症。
老人ホームやヘルパー利用などの余裕はなく、斯波が自宅介護。
父の介護に追われ、仕事を辞め、時間や融通の利くバイトをしていたが、あっという間に貯金や父の年金も底を尽き始め、暮らしは困窮となり…。
生活保護に相談。が、あなたはまだ働ける。もっと頑張りなさい、と取り付く島もなく見離される。
社会システムは本当に助けを乞う困窮者には一切手を差し伸べない。私も似た経験があるから、このワンシーンだけでも憤りを覚えた。あの感情皆無のロボットのような事務的対応…。
誰からも救いの手を一切差し伸べられず、見離された者は、社会の“穴”へ落ちていき、そこから抜け出そうも足を折り、もがき苦しみもがき苦しみもがき苦しみ…。
それは自身をも病む。些細な事から愛する父に暴力を…。
このままでは自分も父も壊れていく。朽ち果てていく。だけど、どうする事も出来ない。そんな時…。
喋りもままならない父から言葉を絞り出すかのように、殺してくれ…。
自分が自分じゃなくなるのは嫌だ。何より、お前がこれ以上苦しむ姿を見たくない。
勿論当初は拒む斯波であったが…。
斯波が父に手を下すシーンはラストシーンにもなる。
苦悩葛藤しながら、愛する父をこの手で…。父の亡骸を抱き締め、嗚咽する。
こうでもしなければ二人共救われなかった。どうする事も出来ない苦渋の末の悲しみ、やるせなさ、自分たちを叩き落とし追い詰めた社会への憎しみ…。
本当は斯波だってこんな事はしたくなかった筈。だけど…。
非常に胸苦しく涙を誘い、転落してしまった親子愛の姿に心揺さぶられる。
でも、これがきっかけで斯波は“救い”という考えと行動へ…。
そう思うと皮肉でもあり戦慄的なシーンでもある。
独善的な理由で42人を“殺した”斯波。
その考えは間違いで過ちで愚かでもある。異常者や連続殺人鬼と呼ばれても致し方ない。
が、“穴”に落ちた介護の現場を我々は本当に知っているのか…?
ひょっとしたら、自分がそうなっていたかもしれない。そうしていたかもしれない。苦しむ当人と家族の代わりに、自分が甘んじて…。
開幕の聖書の一説。“人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい”。
これ、尊い事を言ってるが、間違った解釈もしてしまう。
斯波がした事はして貰いたい事だったのか…?
遺族も意見が分かれる。ある遺族は「人殺し!」と糾弾する。最もな意見であろう。その一方…。
認知症の進んだ母親は時に娘や孫に暴言を浴びせ、時に暴力も振るう。仕事に介護に疲れ果て…。が、母の死後出会いがあり、新たな人生をスタート…。その遺族は“救われた”という。
どっちも心からの声であろう。家族を殺された怒り憎しみ、楽になりたかった本音…。
実際に経験した者じゃないと分からない。どっちが善し悪しなんて言えたもんじゃない。
大友は法の番人。真っ直ぐな正当な立場と理由で斯波の“犯行”を否定する。
“救い”ではなく“殺人”。過った考え。
家族の了承を得たならまだしも(それだって罪に問われる)、斯波一人の勝手な行為。しかも、42人も…!
おそらく世のほとんどの意見は大友寄りだろう。私もどちらかと言うとそうかもしれない。
どんな如何なる理由あっても、人が人を殺していい理由などない。それが行われるのは戦争だけ。それだって過ちだ。
家族の絆を勝手に断ち切る権利など、あなたには断じてない!
その真っ当な正論に斯波が返した言葉がまた見る者の感情を揺さぶる。
家族の絆。勿論尊いものだ。
だが時にそれは“呪縛”にもなり得る。それがあるから人は縛られ、解放されない。
家族を見捨てる事は出来ない。だからと言って、人個人の自由を縛り付けていいのか…?
これについては何と言ったらいいか分からない。どう受け止めたらいいか分からない。
家族も大事。個人の自由も大事。我が胸中が激しく堂々巡りする…。
が、的を射た斯波の言葉もあった。
そう最もな大層な事が言えるのは、恵まれたほんの一部。家族を老人ホームに入れ、ヘルパーを雇う余裕もある。
全員がそうとは限らない。老人ホームに入れられずヘルパーも雇えず、困窮と仕事と介護の“穴”へ落ちる人たちがどれほどいるか。
我々はそれを、その現場を、境遇を、本当に知った上で言っているのか…?
ただ“安全地帯”から何も知らず知った事を物言っているだけ。そんなの恵まれたほんの一部の綺麗事理想事に過ぎない。
ちなみに私自身の場合は、一緒に暮らしていた祖父も父も母も最期は病院で。ちょくちょく見舞いに行ったり寝泊まりもしたが、実質的な対応は全て医師や看護士が。介護らしい介護はほとんどした事なく、こんな私は“安全地帯”なのだろう。
世の中は本当に不条理だ。皆が平等に暮らせる世の中を誰だって目指しているのに、実際は…。こうも差や待遇が違う。
一体何が違うというのか…? 何が悪くてこうなってしまうのか…?
不十分な社会システムか…? 生まれ決められた境遇か…?
完璧な解決策や正しき答えなど永遠に出ないだろう。
また言うが、どっちが善し悪しなんて決められない。だから激しく意見がぶつかり合う。
このシーンの斯波=松山ケンイチと大友=長澤まさみの激論は迫真であった。
松山ケンイチのさすがの巧さ。笑顔と優しさいっぱい介護する姿は素のよう。その一方、自身の“救い”を主張する言動は、ヒヤリとさせるものと悲しみ滲ませ、あの眼差しは見る者を硬直させるほど。
立場から斯波の言う事を否定しなければならない大友。冷静沈着だが時々感情が出てしまったり、激しく動揺したり…。こういう立ち位置あって作品もより引き締まる。長澤まさみがそれを体現。
その高い演技力によって、それぞれの言い分を充分に納得させるものがある。
大友の助手役の鈴鹿央士、斯波に対して感情分かれる坂井真紀や戸田菜穂ら助演陣も好サポート。
中でも圧巻は、言うまでもない柄本明。斯波の認知症の父。その認知症演技もさることながら、斯波との困窮の生活ぶり、殺してくれと泣き叫ぶシーン…もう見ていて辛くなるほど。
この名優はどれだけの引き出しを持っているのか。こんな芸当が出来るのは他に故・樹木希林ぐらいであった。
演技・演出・語り口・カメラワークに至るまで。
前田哲監督の手腕には格調高いものすら感じた。
良作多いが、個人的に前田監督のBEST作。
裁判が始まり、斯波は罪に問われ、収監。
この裁判中遺族から「人殺し!」と叫ばれた時の斯波の表情が忘れられない。
おそらく斯波は初めて遺族の生の声を聞いたのだ。
自分がした事は“救い”で“正義”だったのか…? 斯波が初めて自分の行為に動揺し、疑問が沸いたシーンと言えよう。
その直後のシーンでは別の遺族が新しい生活をスタートさせ、こちらは“救われた”。最後まで見る者に問う。
最後にもう一幕、難題が待ち受けていた。
裁判後初めて、大友は斯波に面会する。
大友は自身が犯した過去の“罪”を告白する…。
大友は現在母と二人。その母は老人ホームに。斯波が言う所の“安全地帯”。
大友には長らく疎遠の父が。父も生活困窮者で、介護が必要な身。何度も何度も大友に連絡していた。
が、大友は全ての連絡を拒否。仕事があり、父とは長らく会っていないから…と自分に言い聞かせて。
やがて父は死後数ヶ月経って発見。その惨状…。
大友はこの事を母にも伝えなかった。
言わば、父を見殺しにした。
ふと思った。見殺しにするのと、自らの手で“救う”のと、どっちが罪深いのだろう…?
法の立場から言うのなら、手を下したのは当然ながら罪になる。
でも手を下さず見殺しにした事に、何の否も無いと言い切れるのか…?
それは一生自分の足枷になる。
罪に問われる以上に、人知れず罪を背負い続ける事は、これほど重く苦しい事はない。
喪失の介護(=ロストケア)。
殺人か、救いか。
殺人鬼か、救済者か。
許せるか、救われたか。
罪を犯した者と、罪を背負った者。
異なるもの同士がせめぎ合う。
問い掛ける。問い続ける。
最後大友が斯波を思ったように、私もこの作品を思う。