「蓋をあけ、何をするか」ロストケア humさんの映画レビュー(感想・評価)
蓋をあけ、何をするか
光の照らさぬ穴の中で斯波は父の望みをかなえた。
そして、彼は同じような41の穴の先を照らす光になるべく道を選んだ。
介護士として関わる人への殺害を自供した斯波は、それを〝救い〟と呼び、担当検事・大友は驚愕する。その被害は41人に及び、さらにその前にもう1人、彼が父親を殺していた事実も発覚する。
共に信じる正義をかかげ譲らない取り調べで、斯波が穴と安全地帯とたとえて語る社会への不満は社会的地位を持ち淡々と職務をこなす大友に対する一方的な線引きのようにもみえた。
だが、それは大友が向き合わずにやり過ごしてきた自分の内面にぐさりと突き刺しえぐる言葉の数々だった。
彼女には、長いこと疎遠だった実父の壮絶な孤独死の現場に立ち会った経験と認知症が始まり介護施設にいる母に、自分への気遣いでその暮らし方を選ばせてしまったという後ろめたさがか潜んでいた。
(経済力の差は生きる上で確かに大きく影響する。
しかし、お金があることだけが必ずしも心のバランスをとり、安定をもたらし続けるわけではないようだ。
幾度となくある人生の選択時に誰にどのような理解と納得があったかが色濃くのこるのも事実だということだろう。)
また、介護士としての斯波が優しく感謝されていたこと、遺族の中には、実は自分も助かったと漏らす人がいたこと、斯波が父を懸命に世話した事実、経済的弱者の世の中との隔たりとその孤独、介護に伴う家族の疲弊や崩壊、制度の問題点など、差し伸べる手がない社会の落とし穴という闇の部分が次第に顕になり、大友は激しく惑う。
平静を装いながら斯波と対峙する大友が、ついに「関係ない」と叫び立ち上がった。
斯波の問いかけがプライベートに踏み込んできたからだけではない。
あえてピントを合わさずにいた彼女の心が、安全地帯と穴のどちらの意味も体感しているからこそ自問自答に追い込まれたのだろう。
目の奥を逸さずにみつめて語る斯波により、リアルに。
法側の立場でルールに生きる自分とひとりの人間、一組の親娘としての狭間にある葛藤、動揺。
そして、ついに自覚した裸の本心。
そこで、冷静さを守り、焦りを断ち切ろうと発してしまった自分自身への言葉だったと思う。
法廷でまっすぐ見据える大友と斯波。
その張りつめる空気が突然割れ、被告・斯波を激しく罵しり責める遺族の声が響きわたる。
あの声は、斯波の確固たる信念〝救い〟という正義を覆えすのか?
あの声で、大友の検事としての〝法〟にのっとる正義は、本音とたてまえのゆらぎを跳ね除け再び目覚め責任感を増していくのだろうか?
それとも…?と、投げかける。
いや、そんな生やさしさではない。
袋小路の壁の奥でどーんと突きつけられ、これはあなたのことだ、と言われたのだ。
そう、あの法廷に立たされたのは今この超高齢化+少子化社会に生きる私たちだ。
生き抜こうとする家族たちを最後の瞬間まで守れる社会の仕組みが成り立っていなければ、〝救われない〟家庭はあとをたたず〝救う〟ための切ない犯罪は増えていくだけだと。
生ぬるく傍観し停滞している空気、正解を見出しにくい世界にあえてこのショッキングな内容で切り込み、本作は〝蓋〟をあけた。
いつものように母を訪ねた大友が認母がもらす想いにふれ、その膝に泣きくずれる場面。
母は全てをわかっているように優しく頭を撫でる。
大友は、ようやく母に父の死を伝えることができたようだ。
それは、穴をみないようにするための蓋をあけた瞬間だった。
そして、彼女が以前、斯波に問われ敢えてこたえなかった父のことを伝えるために面会にいくきっかけにもなる。
斯波の父が折ったあの赤い鶴を手渡しながら。
そこで彼女の口から出た言葉。
一瞬、変化する斯波のあの表情。
(松山ケンイチの繊細な演技に震えるこの作品の貴重なシーンだとおもう)
斯波が1+41=42の殺害を犯した罪はたしかに許されない。
だが、ひと言でかたずけてはならない意味がそこに確かに息づいているのを見逃すことはもうありえないのだ。
大友検事が面会に来た時の斯波=松山ケンイチの演技は凄いと思いました!表情だけで想いを伝えるってなかなか難しいですよね(僕は演技したことないですが笑)良作でした!
コメントありがとうございます。おっしゃる通りだと思います。ただ、いまの政府はどんどん福祉を削って使えもしない無駄な兵器を購入することしか頭にないようです。
皆さん諦めてらっしゃるのか、投票率も低いですね。
humさん
コメントを頂き有難うございます。
松山ケンイチさん、長澤まさみさんお二人の渾身の演技に圧倒されました。
遺族役の戸田菜穂さんの悲痛な叫び声も耳から離れません。
人は誰も介護する側、される側になる可能性を持っているという事に、改めて気付かされる作品ですよね。
近い将来、平均寿命を越える年数を生きてきた本人が望むなら、尊厳死が許される時代になっているといいのに、と思っています。( あくまでも私本人として、のお話です。)
humさんへ
コメントありがとうございました!
某製薬会社が、「死ぬ権利の法制化を認めるか?」と言うアンケートを実施したところ、「認める」の回答は「介護経験あり」で60%。「介護経験なし」では35%。「決して認めない」の回答は、「経験あり」で7%、「経験なし」で26%。現在、「介護経験なし」の方の方がMajorityですが、この先20年で状況は一変すると予想され。安楽死・尊厳死の法制化についての議論、要するに「答えを出すべき議論」が必要な時期に来てる、って思います。