ミューズは溺れないのレビュー・感想・評価
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天才の人は間違いなく努力の人(習字)
第15回(2021)田辺・弁慶映画祭弁慶グランプリ受賞作で、以前から観たいと渇望していたのだが、自主映画故、中々そのチャンスに恵まれなかった しかし偶々の上映のタイミングを逃さず観賞でき、尚且つアフタートークでの監督登壇のおまけ付でもある
作劇としての面白さは、序盤の海に突き落とされた主人公を絵にした件 これは大変キャッチーなアイデアである
女子高校生の多感な時期に於ける、セクシャリティの問題、進路、能力や家庭環境等を織り交ぜながら青春を切り取った構成になっている 何より、3人の俳優の生々しさに目を奪われる画力が迸っている
主人公の体格の良さと決して端正ではないが愛嬌有る風貌に先ずは持って行かれる 妙に艶めかしい肉付きであり、制服のスカートからの太腿を通してのコンバースハイカットオールスターのシルエットはカメラ目線でも下から舐める映像が多用しており、女性監督としては珍しい構図だと思った そんな性的に映し出される彼女がアロマンティック・アセクシュアルの傾向を設定されていることである それ以外にも性的マイノリティでのホモセクシャル、そしてヘテロセクシャルという三者三様のジェンダー・アイデンティティをキャラ付けされており、その中での葛藤、自意識、そして攻撃回避の為の自己防御等が織りなす相互理解の障壁を比較的易しく描いてみせている
というのも、3人の人物像はそこまで深くは掘り下げてストーリーに落とされていない 主人公だけが現在の家庭の複雑さ(生母は離婚で出ていったのであろう、再婚した義母との関係性)がアイデンティティに乗っかっているのみで、実はアイデンティティも未だ未成年故、将来的に変化するのか不明な曖昧さ(アフタートークでの自分の質問に対する監督の答)もあって、子供と大人のフワフワした寄る辺ない心の持ち様を常にストーリーテリングに被せながら、それでも何かカタチとして残していこうと前進する前向きさは、自分には無かった甘酸っぱい青さを実に良質に表現されていて、羨ましくもさえ感じる演出だ
義母の出産に依って、今迄の蟠りが溶けていく心境の変化、それに伴い"母性"への強烈な推進力は、都合の良さと否定できない高校生ならではの未発達な、それでいて外的変化に影響を多分に摂取できる柔軟さを見事に描いているのも秀逸である ビアンの同級生を抱きしめ、背中を優しくトントンする仕草は、主人公のアドリブとのことだが、役者の方々のハイクオリティにも舌を巻くこぼれ話である
自分はアフタートークでの質問で、アセクシャルの件で、映画『そばかす』を引用しつつ、アロマンティック・アセクシュアルの見解を監督にお尋ねしたのだが、上記のように、未だ定まっていない設定の年齢での、それ故の将来のそこはかとない不安感に苛まれながらの葛藤を描く事に注力した発言は、誠に真摯で信頼足る正直な人となりを感じた オーディションを一切しなかったというキャスト選択も相俟って、その謙虚さに唯々敬意を表したい作品である
監督が脚本を10年かけて温めた力作!
インディーズ映画で、ここまで深く
何度も観て作品を理解したいと思わされた
作品は初めてでした!
「人間はなぜ生まれてきたのか」
いろんな愛の形が描かれています。
脚本の作り込みがあるからこそ
一度見ただけでは理解していないであろう
ポイントがたくさん含まれてます。
また、監督の舞台挨拶での
「一年半をかけてもいいと思える作品になった」
との意気込みに心打たれました
ぜひたくさんの人に劇場で観てほしいです!
"溺れない"・・・なるほど!
高校生が、自身のアイデンティティや居場所などを巡って、悩んでぶつかり合う様子。
"それは私が決めることだよ" と、安易に人に合わせず言い切る姿が格好良くみえる一方で、裏では桁違いに悩んでいたりとか。
"溺れない" の意味が、帰路の道中にいくつも浮かんできて、考えが膨らみました。
思春期の高校生、いろいろ
高校生で美術部の朔子は、波止場で船のスケッチをしている最中に友達にぶつかられて海に落ちてしまった。それを見ていた同じ美術部員の光が「溺れる朔子」の絵を描いてコンクールで受賞し、学校に飾られた。悔しさから絵をあきらめた朔子は、代わりに何か作ろうとして、家にあった廃品で船を作った。ある日、美術室で光と会った朔子は、なぜ自分をモデルに選んだのか聞くと、翔子の事が好きだからと言った。野球部の遠藤にも好意をもたれてるが、いままで誰かを好きになったことのない翔子は戸惑い・・・てな話。
好かれてるのに気づかず、好きなのに相手にしてもらえず、同性が好きな子がいたり、ま、このジェンダーレスの世の中だし、いろいろあるよね。高校生の悩み、青春だなぁ、って感じた。
光にとって翔子がミューズってことなんだろう。
朔子役の上原実矩は太めだけど脚が長くてスタイルは良かった。光役の若杉凩の方が謎めいていて印象的だった。
つぎはぎの船で漕ぎだしてゆく。
描いては破く。造っては壊す。田舎町の高校の美術部。1枚の絵をきっかけに徐々に溢れだしてゆく感情。そして感性。少女から大人へ。そのための準備期間を丁寧に描いた青春群像劇。私はめちゃめちゃ好きです。
誰かを好きでいること。もしくは一度も人を好きになったことがないこと。親友だと思っていたのに何故かすれ違ってばかりで上手くいかないこと。家族なのに突き放してしまうこと。それぞれが抱える小さな絶望や、孤独感。まさに青い春。そしてそこに寄り添う色鮮やかな人物画とつぎはぎだらけの船。分解された仕掛け時計となかなか飛び立てない鳩。
なぜ私をモデルに選んだのか?その答えの先にあるもの。誰かの葛藤を知って初めて気付くこと。悩んで、乗り越えて、いつの日にか漕ぎだしてゆく。胸があったかくなる素敵なエンディング。それぞれのキャラクターも良かったし、タイトルも秀逸。観てよかったです。
美術作品のレベルが高い
これスタッフに芸大出身者入ってるよね。西原さんが受賞した作品のレベルが高いと思ったの。その後で朔子をモデルに描く作品もすごいの。
朔子がつくる立体コラージュみたいな作品もいいね。最初は「なんじゃこりゃ」ってのを創るんだけど、壊して創り直したのはかなりいい。
美術部で「創作」の話をしつつ、進路で悩み、家では父はお腹が大きくなった若い女と再婚しており、亡き母と暮らした家は区画整理のために取り壊される。
なんだか寓意の多い話なんだよね。
西原さんは、どうも朔子のことが好きらしく、レズビアンなんだね。
「まあ、そうなんだろうな」と観てたら、朔子はアセクシャルらしい。
盛り込んできたなあ。
その辺のなんだかんだを盛り込んで、最後はまとまってないような気もするけど、まあいいか。
途中、途中で、意味がないと言うかぬるいシーンがあって、そこは退屈なんだけど、それ以外の重要なシーンの面白さで、きちんと観られたよ。
ムム、新すい~♪ これって凄い事です。
映画が始まって先ず感じた事は映像が綺麗
これは油断成らんぞ!と挑みました
良い映画です、ストーリーは特別なものでは無いが構図、音楽の扱い方に新しいセンスを感じました、監督の次回作も観たく成りました。
ヒロインが魅力的で、テーマがストレートに伝わる。これ以上に何が必要か?
去年の映画ですが、ようやく観ることが出来ました。すごく佳い作品ですね、今年の邦画の暫定1位かも。
女子高生3人の青春モノ。朔子は進路も、恋愛も、父が再婚して新しくなる家族にも馴染めない。西原は絵の才能があるも、コミュ障で周りと馴染めない。宏美は片想いの相手が好きな朔子や、才能のある西原に嫉妬し、ギクシャクする。そんな3人の成長譚。
まず、主役の朔子がどんどん綺麗に見えてくるのが素晴らしい。「映画は女優を魅力的に撮ればOk」というのはポンポさんのセリフだったと思いますが、その通り。始めは、なんでこんな子を使ったのかな?と思うぐらい死んだ顔をしていたのが、ストーリーが転がるにつれて、どんどん魅力的に見えてくる。
次に、伝えたいことが分かりやすい。ファーストシーンが港で動かない舟で、溺れる主人公。真ん中からは自分の舟を作り、西原と一緒に海へ。本作でデビューする監督の想いと重なっているのかもしれませんが、迷いや不安をてらうことなくセリフに乗せてぶつけてくれるので、ストレートに感動できます。
ポレポレで鑑賞後にトークショーがあり、監督にサインを頂く時に「朔子が舟を作り産み出すことで、出産する義母と通じ合えたのですかね」と感想をお話しする機会にも恵まれ、余計に楽しかったです。
エイゼンシュタインの再来かっ!
【1】
2日続けて2度観た。良く分からなかったからではない。良く分かったからこそ、そうせずにはいられなかったのだ。
これからこの映画を「内容」と「形式」の両面から論じる。
「内容」とは、小説で言えば世界観、キャラクター設定、あらすじまでである。小説本文に取り掛かる前に、決めておかなければならない事である。
小説の「形式」とは、小説のシーンを切り回して行く技術、情景描写、心理描写、セリフ回し、そして文体を指す。読者の目に触れる部分、いわば小説のインターフェースである。
プロットは良いんだが、萌えない小説。
美酒のようなレトリックを駆使するが、それ以外は何もない看板倒れの小説。
どっちも読みたくないでしょう。
批評家だって神様じゃない。
小説の「内容」だけ論じてオシマイなのを「テーマ主義批評」と言う。
逆に「形式」と戯れてばかりいるのを「印象主義批評」と言う。
どっちも時代遅れだが、これ以上は立ち入らず、「ミューズは溺れない」に話を戻す。
【2】
「ミューズは溺れない」のテーマは何か。
青春である。それも荒々しい青春である。激しい恋である。やめろと言われても、今では遅すぎたのである。
実際、暴力寸前のシーンもあるのだが、それも青春の苦悩のなせるワザである。
み~んな悩んで大きくなった。だから、これで良いのだ。
どうです?分かりやすい映画でしょう。
【3】
次に「ミューズは溺れない」のキャラクター設定およびあらすじについてなんだが、これには余り踏み込まない方が良い気がする。
解説を要するような難解な点はない。「後は観てのお楽しみ」と言う事で良いのではないか。
まあ、これでスルーしちゃうのも申し訳ないので、永遠の青春小説、梶井基次郎の『檸檬』を引き合いに出しておこう。
『檸檬』は、何だか良く分からんが、いい歳こいたオッサンがぶらぶら歩きの挙げ句、青春が爆発しちゃう短編である。
「ミューズは溺れない」でも、年端も行かない女子高生たちが大爆発する。
その爆発に何の意味があるのかは分からない。梶井基次郎の『檸檬』と同様に。
そもそも、それをやった事で、自分たちを取り巻く状況が、多少なりとも前進するか否かも、全ては今後に掛かっている。
この映画の時空に限れば、何もかもが無茶で無意味で無鉄砲なのである。
でも、私はその元気がうらやましい。おじさんは、もう生きるのに疲れたよ。
いや、失礼しました。
【4】
さて、お待ちかね、「ミューズは溺れない」の表現形式についてだが、これにはホントに驚いた。かなり手が込んだ、凝った表現が多い。
誠に残念ながら、映像表現に素人の私の目では、作り手の意図の全てを捉えきれなかった。
だから、以下に記すのは「おそらく間違っているであろう、素人の仮説」と受け取っていただきたい。
【5】
最初のシーンで度肝を抜かれた。
「これ、フィルム・カメラで撮ってるんじゃないか?30年も経ったら、退色して画面がまっ黒になってしまうんじゃないか?」
いや、そんな筈はないのだが、日陰の部分を暗めに、つぶし気味に画質調整しているのは確かだ。
ナントカ映画祭で、例のアレが欲しいなら、なるべく間接光を当てて、飛ばし気味に調整するのが通り相場だと思うのだが。
【6】
カメラワークも荒々しい。ハンディ・カメラ一つで、俳優の毛穴が見える距離まで肉薄する、まるで社会派ドキュメンタリーみたいなシーンもあった。
懐かしいな、この雰囲気。この緊迫感。小川紳介や大島渚みたいだ。
ただし、ナントカ映画祭で例のアレが欲しいなら、ここは小津安二郎みたいに、カメラをレールにベタッと固定してしまうのが無難だと思うのだが。
カメラは暴れん坊だが、うるさくは見えない。落ち着いて観ていられる。映画の中に、すんなり入り込める。最初に観た時は、これがフシギだった。
2度目に観た時、ようやく気が付いたのだが、「ミューズは溺れない」には長回しのシーンが一つもないのだ。俯瞰で撮ったのもラスト・シーンのみ。ただし、これも長回しと言うほどではない。
バサリ・バサリと短いシーンをつないで行く。その度に視点も動線もコロコロ変わる。時には逆光まで入る。だが、それをそうと意識させない。これが、この映画の作り手の力量なのだろう。腕前なのだろう。
小説に置き換えれば「文体がいい」のだ。美文調・星菫派ばかりが名文ではない。武者小路実篤の『友情』みたいな、ちぎっては投げ、ちぎっては投げの名文もあるのだ。
ただし(くどいようだが)ナントカ映画祭で、例のアレが欲しいなら、客が飽きようが寝ようがお構いなしに、タルコフスキーばりの長回しで圧倒すべきなのだが。
ついでに、もう一つ言い足しておくと、ピントの切り替えも思い切りが良い。私が記憶している限りでは、パン・フォーカスしたシーンはなかったと思う。
客は、作り手が「見せたい」と思った物を、強引に「見せられて」しまうのだ。
この点についても、ナントカ映画祭で例のアレが欲しいなら(以下省略)
全体として「ミューズは溺れない」は、昭和50年代の日本映画と、良く似た雰囲気を漂わせていると思った。長谷川和彦や大林宣彦だけではない。「必殺仕事人」や「蒲田行進曲」も含めての昭和50年代である。
これはまあ、私の思い込みに過ぎなかったらしい。印象主義批評には、こういう落とし穴がある。
淺雄望監督は、増村保造の映画がお好きとのことである。
【7】
これも2度観て気が付いた事なのだが、「ミューズは溺れない」の画面構成は象徴的な表現に富んでいる。エイゼンシュタインの『イワン雷帝 第1部』みたいだ。(黒澤明の失敗作、『影武者』の元ネタである。)
今どき、イワン雷帝じゃ「意味わかんない」と言われそうだから、ベタな言い方をすると、「ミューズは溺れない」は、どこでストップ・モーションしても、スチール写真みたいに絵ヅラがバチッと決まっているのである。
これは、ものすごい事だ。映画は動きを追うもの、移ろうもの。スチール写真は瞬間を切り取って、「停止した時間」の中に封じ込めるものだからだ。だから映画はエロス(生命の躍動)を志向し、写真はどうしてもタナトス(死の影)を写し取ってしまう。
もう余り見かけなくなったが、映画館のショー・ウインドウに貼り出されたスチール写真は「フィルムが捉えなかった映画のアナザー・ストーリー」みたいで、見ていて飽きなかった。
「ミューズは溺れない」の象徴性の高さについては、これは私の思い込みなどではない。
ウソだと思ったら、TVドラマでも、映画のDVDでも良い。どこかで一時停止してみれば分かる。俳優の表情は時々刻々変化する。たまたま止めた所で、俳優は口をポカンと開けていたり、両目を閉じていたり、体のバランスを崩していたりする。「決め顔・決めポーズでバシッと止める」のは、俳優ではなく、モデルの仕事なのだ。
「動いているのに、絵になってる映画」と言うのは、ありそうでない。
私の頭にパッと浮かぶのは、タルコフスキーの『ノスタルジア』、そしてシャンタル・アケルマンの『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』と言った所か。
両作とも、観客のエネルギーをスポンジみたいに吸い取る催眠映画・拷問映画である。
さて、淺雄望監督は「ミューズは溺れない」の制作に当たり、どんな「弁証法的絵コンテ」を切ったのだろうと思っていたら、監督いわく、
「絵コンテも字コンテも切ってはいないが、俳優とは画像イメージを共有した。また、リハーサルには通常の倍以上の時間をかけた。」
とのことである。その割には俳優が好き勝手しているように見えたが、それは「素人には、そう見えた」と言うだけの事だろう。これ以上は踏み込むまい。
【8】
実は2度目に観た時は、もうストーリーを追わず、セリフも上の空で聞き流していた。
もしも「ミューズは溺れない」を、私の知らない言語(ロシア語でもアラビア語でも良いが)で吹き替えて、字幕も付けないまま観せられたとしても、さほど違和感なく、映画の中に入って行けそうな気がする。
ストーリーが語るよりも、セリフが語るよりも、この映画は絵ヅラが語っているのだ。まるで『戦艦ポチョムキン』みたいに分かりやすい。いや、誰も階段から落ちませんけど。
ここら辺の映像マジックに、淺雄望監督の「四次元ポケット」が隠れていそうなのだが、もう私には良く分からない部分である。
実はYouTubeには、淺雄監督の初期作品が2編、アップされている。
・ドキュメンタリー『アイム・ヒア』【東京レインボープライド2018インタビュー&パレード】(2019年、41分)
・セミ・ドキュメンタリー『躍りだすからだ』(2020年、22分)
私は「ミューズは溺れない」を観て、それから上記2作を観て、それから「ミューズは溺れない」をもう1回観た。
色々発見があって面白かったが、上記2作と「ミューズは溺れない」の間には、連続性もあるが、不連続性もある。大きな飛躍があるのだ。ここら辺の事情が、やっぱり良く分からない。
まあ、野暮な詮索は、これ位にしておこう。全ては、淺雄望監督の次回作以降をフォローすれば分かる事なのだから。
(以上)
大海を前にしたアマガエル
絵が好きだけど上手く線を描けないことに悩む美術部員の主人公と、上手く描くけれど自分の殻に閉じこもる同級生と仲間たちの話。
溺れる朔子を描いた光に次の作品のモデルになって欲しいと頼まれて、断ったのに記者の取材時に勝手にモデルと発表されて…。
やりたいことを上手く表せない朔子、友達から本心を話してもらえず疎外感を覚える栄美、自分の思想や性格は理解されないものと考える光を主に、それぞれをみせながら近付きすれ違いぶつかって、互いの感情の奥底にあるものを晒して行く展開で、いや~青春ですね。
勿論美術部のお隣さんもそれはそれで青春だしねw
自分に出来ることは?自分の可能性は?自分はどんな存在?将来の自分は?と不安の中で藻掻く高校生達がむず痒くて爽やかだった。
普遍的なテーマに連帯を持って描く、呼吸が深くなるような余韻に
存在の証明。誰もが一人前として生きていくことを望む一方、自分に足りないものが見えてくる。そんな部分を補うミューズが現れた時、輝き出す心の瞬間みたいなものがあるのだと思う。
『青葉家のテーブル』で好演を見せていた上原実矩さん、『ジオラマボーイパノラマガール』で仲良しなメンツの一人だった若杉凩さんが主演。そう発表されてからずっと楽しみにしていた今作。田辺弁慶映画祭でもオンライン鑑賞を我慢するほど。今回、こうして一足早く観れて本当に嬉しかった。そして、なんだか今は優しい気持ちになっている。
高校生によくある、「自分とは何か」といった疑問と不安。そこから生まれる感情のすれ違いを描く作品は確かに少なくない。しかし、今作が描いていくのは、その連帯感である。「誰かと生きる」ことへの軋轢、向き合い、正しさを次第に携えながら前に進む。実に現代的で優しく、その柔らかさも格段に出ている。大きな揺らぎを持たず、繊細な線を紡いでいく。これは監督の素晴らしいところ。ままならない感情を包括するような描き方に素晴らしさを覚える。
その中に携える、生き心地がなんとも快い。足の長い上原実矩さんのヒラヒラ揺れるスカートも、若杉凩さんの見つめる真っ直ぐな目も、一人で生きていたならば見ることもない世界が広がっているだろう。森田想さんの意地を張る感じもよく、コンパクトながらタッチの優しい映画となっている。ちなみに、川瀬陽太さんは激怒してないです。笑
弁セレのフライヤーにて、朝雄望監督は「映画に救われ生き延びてきました。」とコメントしている。そんな彼女が描いた本作で、私は先ほどより呼吸が深くなっていることを知るのだ。
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