「壮大な茶番劇」東京2020オリンピック SIDE:B Scottさんの映画レビュー(感想・評価)
壮大な茶番劇
淡々と描いて、解釈は観る方に委ねる面白い作品だったよ。どう観るかは、観る人がどの立場にいるかで、かなり違うんじゃないかな。
いろいろな芸術や知的遊戯と一緒で、スポーツも世の中にあった方がいい。色んな人の人生が豊かになる。でも、なきゃいけないとか、なかったら死んじゃうってものじゃないんだよね。
東京オリンピックに向けて長い時間を掛けて準備した人たちが描かれるんだけど、その人たちは「もう、やるしかない」「それが使命です」って盛り上がってるの。そりゃ、そうだよね。
オリンピアンたちも「オリンピックは素晴らしいものだ」「なんとか開催したい」って、それも、そうだよね。自分たちがその中で育って来たんだから。
でも、例えば、飲食店を持つのが夢で、長い期間をかけて頑張って来た人たちが、緊急事態宣言でその夢を諦めざるを得なかったりしたと思うんだよね。その人たちの夢が潰れるのはやむなしなんだけど、アスリートや東京オリンピック関係者の想いは実現させなきゃいけないって、そこの違いはなんなんだろう。
オリンピックやりたいって言ってる人たちは「オリンピックは、オリンピックで、オリンピックだから、やりたい。やらせてください」って言ってるだけなの。その想いみたいなものを、もっと、開催反対派の人たちとぶつけて対話しなきゃいけなかったんだよね。
もちろん、切羽詰まった状況で、そこに時間を割けなかったというのもあると思う。でも観てて思うのは「もう、押し切るぞ」って決めたんだよね。「俺たちがやるって決めたんだから、お前らは黙って従え」っていう強者の理論に行っちゃった。
いろいろな芸術や知的遊戯がコロナによって制限を受ける中で、オリンピックがやれたのはなんでかというと、世の中で力を持ってる人たちの嗜好品だったからだね。だから強者の理論で押し切ったんだなあと思ったよ。
そしてアスリートはその辺に無自覚。水泳選手が「延期が決まったときに、ものすごいショックを受けた」って言ってるんだけど、まあ、コロナでショックを受けた人はいっぱいいるからね。自分たちだけ特別扱いになるわけはないよ。
別の水泳選手は「本当なら今はヨーロッパ遠征で強い選手とやってるはずなんです」って被害者っぽく語るんだよね。ものすごく分かりやすく批判すると『その金、どこから出てんの?』って感じなの。あったらいいものだけど、なくても死なないことをやってるのに、その自分が優遇されないことを嘆くのは何故なんだろう。
河瀬監督は野村萬斎たちが開会式・閉会式のプロデューサーから締め出されたことも描く。ここも強者の理論がまかり通ってるんだよね。権力に近い電通が勝ってんの。
そして宮本亜門の、超訳すると「なんでオリンピックだけ特別視すんの?」って感じの発言を入れてくる。
河瀬監督のまわりでも、創れるはずだった作品を創れなかった人たちがいっぱいいたはず。でも、河瀬監督はこの映画が撮れて、公開できた。それはなんでかっていうと、河瀬監督が力を持った人たちの嗜好品の一つになったからだね。その自覚を持って、この作品は作られたと思ったよ。
開会式のセレモニー映像には、日本の伝統的な映像を重ねる。野村萬斎が「日本の伝統というものをこれっぽっちも考えてないということが分かった」と批判して抜けたんだよね。日本の伝統を考えてない人達が伝統もどきのものを世界に発信してんの。
そしてラストは「100年後にこのオリンピックはどう評価されるのか」で締めくくられる。
100年経っても明らかであり続けるのは「権力におもねるものは優遇される」ってことだろうね。
そんな祭典いらないな。
オリンピックには建前と本音があるけど、今回はあまりにも建前がなおざりにされすぎて、本音が見え過ぎちゃった。東京オリンピックは中止した方が良かったなと思ったよ。