「ヤーラの御冥福を祈ります。」ヤーラ マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
ヤーラの御冥福を祈ります。
犯人側からの自白とか犯罪動機とかアリバイとか、普通の犯罪捜査ドラマでは当たり前のアプローチではないので少し困惑した。しかも、犯人は今も犯行を認めていない。
墓を掘り起こしたり、数年前の検索を暴いたり、盗聴まで国体の検事側が司法機関として行動する。三権分立のしっかりした国体なら問題は少ないだろうが、このシステムは明らかな全体主義国家が行って来た事と感じる。少なくとも、インターネットを伴うコンピューターが発達した現代社会ゆえ、数学的に犯人を限定できるだろうが、それでも、なぜ自白しないか?が気になる。
つまり、彼が犯人である可能性はあるかもしれないが、それは実行犯だけで、動機が証明されない以上、計画をたてて、指示を出した者がいる可能性だってある。
しかし、それは多分映画では描ききれなかったと思われる。だから、この映画もこの程度の評価になる。
この映画のこの程度の表現では捜査ての女性検事の母親としての執念がそうさせたと言っているに過ぎない。しかし、そんな観念的な事だけで裁判はやっては駄目なのは、三権分立のしっかりした国体なは当たり前。
是非、自白まで追い込んで貰いたい。
また、
日本でも似たような事件は山ほど存在する。自白まで追い込んで、こう言った不条理な社会を改善する参考にすべきなのだ。
さて、爺さんの僕としては、ここまで捜査は執り行われると知って、冤罪に巻き込まれない為にG●ogl●検索も気を付ける事にする。ヤレヤレだ。犯罪者は早く自白して貰いたい。巻き込まれるのは、妄想を持つだけの者。例えば、『少女終末旅行』に胸キュンしたり、ドガの『ある踊り子の肖像』のレプリカを持っていたからと言って、ロリコンではない。
僕は中学二年くらいの少女を可愛いと思うが、同時に中学二年の少女は、僕みたいな爺さんが嫌いな事も分かっている。そんな事分かって日々を暮らしている。特にマイナンバーカード制度が取り入れられてからは、気を付けて生活をしている。だから、こう言った犯罪を自ら犯す事は絶対にしないが、例えば、国体の管理の上で、徴兵されたり、国体の為に協力を求められても、僕は絶対に協力しない。それだけは宣言する。